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四.

 その日は雲一つない晴天だった。そのため夜空には至るところに星が散りばめられていて、魅入ってしまうほど美しかった。

 数時間前に泣きべそをかいていたハンナも、大好きな家族と手を繫ぎ、きれいなお星さまたちに囲まれることで、とても上機嫌だった。学校で覚えたかわいらしい歌を口ずさみながら兄の手に指を絡めていた。

「ほらごらん。あれがペガサス座で、あれがアンドロメダ座、それでみずがめ座だよ。きれいだねぇ」

 一番大きいお兄さんが空を指差しながら、彼女たちに一つ一つ説明する。この兄は村の中でも体格が良い方なので、力仕事で家族や隣人を助けていた。ハンナはその大きな背中を、想像の中の父親の姿に重ね合わせていた。

「だけど今日はあいにく月が出てるから、そんなにたくさんは見えないね。ハンナ、覚えてるかい?去年の冬はもっと明るく光ってたよ」

「私、お月さまも好きよ!」

 ハンナは高らかに声を上げた。家々の灯りが消えかかるこの時間になると、辺りはしんと静まり返っている。彼女の子どもらしい声は四方に響き渡る。

「しーっ、静かに。あんまり騒いじゃ駄目よ。もうみんな寝ている時間よ」

 そう母親に言われても、ハンナははしゃいであちらこちらへ駆け出していった。柔らかい草原に飛び込んだり、兄たちにちょっかいをかけたり、とにかく跳ね回っていた。

 そんな末娘の様子は愛らしく、微笑ましかった。特に夕方の可哀想なハンナを見た母親は、胸を撫で下ろすほどだった。


「さて、そろそろ帰ろうかしら」

「まだ帰りたくなーい」

 ハンナはひらけた草むらに寝転がって、全身を伸ばした。秋にしては冷たい風がふわりと髪を掠める。初めのうちは微風程度であったが、だんだんと渦を巻きそうなくらい強くなっていった。

「ほら寒くなってきたから、もう帰ろう。風邪引いちゃうわよ」

 ハンナの横に腰を下ろしながらたしなめるように言ったのだが、もちろん聞き入れるわけがなく、

「嫌よ。だってすごく心地いいんだもの」

と言って、寝返りをごろんと打った。

 冷たい空気が小さな頬をますます赤くさせる。周りが静けさに包まれる。ジリリと鳴いていたはずの虫たちも姿を隠してしまったようだ。村の灯りは吹き消されてしまっている。いつの間にか星も煌めきを失い、丸い月だけが眩しいほどの光を放っている。肌に気味の悪さを感じた母親は居ても立っても居られなくなった。

「ハンナ、言うことを聞きなさい。もう帰るわよ。さあ立ちなさい」

 怯えのせいで力が入り低くなった声色を聞き、ハンナは開きかけた口をつぐんだ。そして差し出された手を握り、ゆっくりと立ち上がった。

「いい子ね、ハンナ。ハイクたちもこちらへいらっしゃい。もう寒くなってきたからね…」

 その瞬間だった。母親が視線を兄たちに向けた、その時であった。ハンナの脇の下をさっと通った風が、彼女の手首に通されていた腕輪を奪い取った。

 ハンナは母親の手から指を抜き、腕輪を追いかけた。静かに上へ上へと空中を漂い、やがて真っ直ぐに泳ぎ始めた。ハンナは夢中になって掴もうとした。しかしまだ手には届かない。

 草むらから林に入り、木々の間を縫って走り続けた。後ろから母親が焦って止める声が聞こえたが、ハンナはお構いなしに走り続けた。ぶら下がっている枝を避け、剥き出しの岩を飛び越え、走り続けた。もう少しで腕輪に追いつきそうだった。

 指にかちりと冷たい感触がしたとき、風が下からハンナの足を掬った。その時、誰かが彼女の腕を捕まえた。そのどちらもでハンナは倒れそうになった。咄嗟にバランスを取ろうと片足で地面を蹴った…。


 気がつけば星に囲まれていた。


 空中に打ち上げられたハンナを、大きな月が激しい力で引き寄せる。体は有り得ないほどの高さまで上昇していく。パッと黄色い光に照らされる。母親と兄たちの叫び声も、渦巻いていた空気の音も、一つ壁を隔てたもののように聞こえる。身を引こうとして抵抗しても、引っ張る力は大きくなるばかり。助けて、と口を開いたが、それは音にならずに弾けてしまった。

 強い光が彼女の目を閉じさせる。光源が間近にあるものだから、溶けてしまいそうなほどの熱が伝わってくる。 

 ハンナは怖くて泣き叫んだ。けれどそれも月の前では無力であった。意識が薄れていく。体の力が次第に弱まり、泡のように消えてしまった。手繰り寄せられるように、吸い込まれるように…


 落ちた。

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