星降る岬の因果
「……アイツなら大丈夫だと思う……。けど……」
メッセージのやり取りを終え、晴朗が再び行動を開始した頃、保憲は森の中で立ち往生をしていた。
突然、音もなく晴朗が姿を消し、しばらく周囲を探し回りながらスマホで何度も連絡を試みるが音沙汰なし。
どうしたものかと手をこまねいていたところに、晴朗からやっと応答があった。かと思えば、彼はすでに姫と出会し、単独でどうにかしようとしていた。
“あの”安倍晴明に万が一、なんてことは基本あり得ない。
だが、それはあくまで平安を生きていた現役時代の話。意志を継いでいるとはいえ、今はまだ18歳。当時とはまた別の危険が伴う。
「……とにかく、岬に急ごう」
スマホで岬への道のりを確認しながら、彼は暗闇の森の中を走り出した。
潮風が靡く森の中、保憲は走る。
段々と波音が近づく。目的地まであと少し。その時だった。
……___テ……
「……?」
波音に混じって、人の声が聞こえた。
少し気にかかったが、先に岬へ向かっているであろう晴朗を優先すべく、彼は気にせず走った。
……___キテ……
再び、今度は先ほどより鮮明に彼の耳に入る。小さな女の子の声だった。
だがそれでも、彼は走るのをやめずに走った。
___コッチ、きて……
「ぉわっ!?」
再度彼の耳元で聞こえた声は、女の子の声に加工が入ったかのような、低く、気味の悪い声に変わった。そして声が聞こえたと同時に、地面からせり出ていた木の根っこに足を取られ、大きくつまづいてしまった。
「いって……」
転ぶ直前に受け身を取ったことで怪我は免れたものの、土と落ち葉が髪の毛や服に纏わりつき、服の襟部分に引っ掛けていた色眼鏡は、離れた場所に落ちてしまった。
「……!」
起きあがろうとすると、片足首に痛みと違う違和感を感じた。
見ると何者かの白い両手が、保憲の足をガッチリと掴んでいた。
小さな爪はボロボロに黒ずみ、先ほどまで水の中にいたのかのように水が滴っている。そして布越しでも伝わってくるほど、その手は氷のように冷たい。
手首の先にあるだろう体はどこにも見えず、白い両手だけが、彼の足を強く掴んでいた。
「離してくれないか、急いでるんだ……!」
何度もその手から逃れようともがくが、離れる気配を見せない。それどころか、両手は次第に足首からふくらはぎへとせり上がってきている。
「……!」
このままでは埒が開かないと判断した保憲は、握り締めた右手を口元に軽く添え、
「“とき放て 引き取り給え 梓弓”」
小声で呪歌を誦んずると、白い両手に向けて弾指をした。
指同士を弾く乾いた音が周囲に響く。
すると膝あたりを掴んでいた両手の動きがぴたりと止まる。
___コッチ……、いっしょ……、きて……
寂しそうな、今にも泣き出してしまいそうな女の子の声を最後に、白い両手は溶けるように、消えていった。
「……ごめんな」
保憲は足が動けるようになったのを確認すると、誰もいない中で一人、誰に向けてなのか分からない謝罪を言ってから、再び立ち上がり、岬へと急いだのだった。
******
しばらく走ると、見晴らしの良い岬へと辿り着いた。
眼前には、まるで映画のワンシーンのように、風に煽られた波が高く盛り上がりながら、崖に激しくぶつかり白い飛沫となって空へと舞い上がる。
「晴朗! どこだ!」
周囲を見渡すが、晴朗の姿は見られない。
スマホで電話をかけてみるも、繋がる気配はない。
「晴朗! ハル!」
何度も大きな声で呼びかけるが、大きな波の音でかき消されてしまう。
保憲は岬の突端へと歩みを進めながら、晴朗の姿を探す。
「……あれは……!」
すると突端に、二人分の人影が見えた。
片方は髪の長い女性。時代に見合わない着物をその身に纏い、傍に立っている男性らしき人影の手を取って、前へ前へと歩いていた。
二人の歩む先は海、高度はそれほどでもないが、強風に煽られているせいで波は高く荒れている。一度足を滑らせてしまえば、ただでは済まないだろう。
だが二人は恐ることなく、前へ前へと歩いていく。
「晴明!」
保憲は二人を止めるべく走った。しかし時はすでに遅く、二人はそのまま海へと落ちてしまった。
「晴明! ……?」
突端へと進み出て、落ちないように身を乗り出して海を見渡してみると、荒れている海面に、人型を模した白い紙がゆらゆらと浮かんでいるのを見つけた。
「形代……?」
「早かったな」
「うぉ!?」
突然背後から声が聞こえた。
驚きながら振り向くと、岩陰から晴朗がひょっこりと顔を出していた。
「もう……色々焦った……。良かった……」
「なんでお前の方が疲れてるんだ」
舗装された道から外れた岩陰に身を潜めていた晴朗は、保憲の手を借りながら岩肌をよじ登った。
「形代、使ったのか」
「一緒に行くわけにはいかないからな……俺なりの、せめてもの想いだ」
二人で突端部分に立ち、先ほどより少し落ち着いた海を見つめる。
海面をゆらりゆらりと漂っていた形代は、すでに波に飲まれていったのか。姿は見えなくなっていた。
「ずっと……待ってたんだろうさ」
晴朗はそう言って、目を閉じて静かに手を合わせた。保憲も晴朗に続いて手を合わせ、しばらく祈りを捧げた。
「お前……、グラサンどうした?」
「え、……あ、さっき転んだ時に落として、それっぱなしだ……」
「所々落ち葉がくっついてるのもそのせいだな。よし、俺が落としてやる」
祈りを終えて、保憲の服に汚れがついているのに気付いた晴朗は、汚れを落とそうと、彼の背中を強く、片手でバシバシと叩き始めた。
「ぅっ! いてっ! ……こら! 少しは加減しろ!」
「うるさい。余計なものつけてきやがって」
晴朗はむせる保憲を無視して、彼の背中をひとしきり叩いた後、海を背にして帰路に着く。
「……で、それで……? 結局何か思い出せたのか?」
保憲にそう聞かれた晴朗は彼を一瞥した後、柔らかく微笑みながら、空を見上げた。
「……さぁ、どうだろうな」
空には満点の星空が、瞬いていた。