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-契- 現代陰陽師奇譚  作者: KUMANO
三章 部室棟の怪異

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思い出したらなんかイライラしてきた

「藤原……」



 部室へ向かう道すがら、晴朗は前を歩き、忠行と雑談している藤原の背中をじっと見つめている。

 そんな晴朗を見た保憲が、不思議そうに「どうした?」と聞いてみるが、彼はしばらく無言で考えたのちに首を横に振った。


「……だめだ、心当たりがありすぎる」

「なんの話……まさか、藤原先生もそうかもしれないって思ってるのか?」

「あぁ。なんとなく。ではあるんだが……」


 初めて藤原の顔を見た時、どことなく懐かしさが感じられた。まるで昔にも一度顔を合わせたような。

 しかし平安中期には藤原氏を名乗っていた貴族は数多く、どの藤原なのかを特定することができず、晴朗は歯痒い思いをしていた。


「有名どころでいえば……やっぱ道長……」

「それはない。絶対違う」

「即答か」

「道長はもっとガサツでやかましくていい加減な男だ」

「言い方」

「俺は事実を言っているだけだ。どちらかというと……」


 晴朗が平安時代の頃を思い返していると、グラウンドから飛んできたサッカーボールが、コロコロと藤原の足元に転がってきた。

 グラウンドの方向からは、サッカー部員が手を振っている。

 藤原は慣れた足さばきでボールを扱うと、サッカーをしていた学生に返してみせた。


「おぉ、お見事」

「ありがとうございます」

「球技がお得意で?」

「えぇ、学生の頃に少しだけ」


 藤原のさまになっているリフティングの技術に、隣で見ていた忠行はもちろん、保憲と晴朗もつい見惚れていた。


「お〜。かっこいいなぁ」

「サッカー……」


 そんな中、晴朗はリフティングをしていた藤原の姿を見て、何か思い出したことがあったのか、再び片手で口を覆いながら考え事を始めた。


「日本版のサッカーといえば蹴鞠(けまり)だよな。あまり俺たちには縁がなかったけど」

「……やってる暇がそもそもなかったからな……」

「もしかしたら昔蹴鞠が上手かった貴族とか? ……俺が知っている限りでは……いないな」


 保憲の話を聞いているのか聞いていないのか、黙って考え込む晴朗。

 その後もしばらくお互い無言で道を歩いていると、ふと何かを思い出したのか、保憲が再び口を開いた。


「……そういえば、覚えてるか。昔、暇な時間を縫って蹴鞠をやってみた時、お前が明後日の方向に蹴鞠を蹴っ飛ばして行方不明になったの」


 覚えがあるのか、途端に晴朗の眉間に深い皺が寄せられ、表情も不機嫌そのものになり、ギロリと保憲を睨みつけている。

 そんな晴朗の表情など気にも留めず、保憲は「お前昔も今もノーコンだもんなぁ」と言いながらカラカラと笑っている。すると晴朗も対抗するように、意地の悪そうな笑みを浮かべながら切り返した。


「あぁ……よぉ〜く覚えてる……。お前の息子、光栄(みつよし)に煽り散らかされたこともな」

「そ、それはな……」


 賀茂光栄(かものみつよし)

 賀茂保憲の長男である。


 父保憲から『(れき)』の道を学び、後を継いで暦博士の任に就いた陰陽師。父亡き後は兄弟子でもある晴明とともに公卿らに重用され、長徳元年、西暦995年には天皇直属の蔵人所として、貴族たちの生活を、占いや禊祓でもって支えていた。


「お前の兄弟はもちろん、子どもたちもなかなかに個性豊かな面々が揃っていたが……、その中でも特に……、長男の光栄はわんぱく小僧だったよなぁ」

「それお前が言うか?」

「光栄に比べれば俺は大人しい方だっただろう。あいつがまだ小さかった頃、何回脛蹴られたと思ってんだ?」

「それについては悪かったと思ってる」

「歳を重ねるごとにまぁまぁ落ち着いてったとはいえ……、ことある毎にちょっかいをかけてきては喧嘩して……懐かしいなぁ」

「そう……だな……」



 *******



 天徳元年(957年)


 その日は雲一つない快晴だった。


 平安京、朱雀大路より東側。当時でいうところの左京(さきょう)

 勘解由小路(かでのこうじ)の一角に構えられている賀茂邸にて。

 白い直衣(のうし)に烏帽子を被った男が一人、文机に向かって筆を走らせていた。


 「晴明(はるあき)!」


 ふと、外から軽快に男を呼ぶ声が聞こえた。

 男は立ち上がり、外に視線をやった。

 安倍晴明(あべのはるあき)、この時36歳。

 陰陽寮、天文部門の学生(がくしょう)である。


 「一緒にどうだ?」


 外から晴明を呼んだこの男。

 賀茂保憲(かものやすのり)、この時40歳。

 陰陽寮の長官、陰陽頭(おんみょうのかみ)である。

 保憲は青い狩衣を身に纏っており、手には白い球。蹴鞠が持たれている。


 「……いや、やめておく。俺は今忙し……」

 「たまには息抜きも大事だぞ」

 「……いらん」

 「放っておきましょう父上。晴明(はるあき)さんは今、身になるかどうかはともかく……。筆を走らせることに一生懸命なのですから」


 仮にも兄弟子相手に平然と嫌味を吐いたこの年若い男。

 賀茂光栄(かものみつよし)、この時18歳。

 陰陽寮、暦部門の学生である。

 彼は晴明と同様白い直衣姿をしているのだが、頭部には何もつけておらず、少しクセのある無造作に伸びた髪を、前髪を一房ほど残した状態で適当にまとめて結っていた。

 光栄の態度に苛立った晴明は、文机に戻ろうとした体を再び戻すと、底意地の悪そうな笑みを貼り付けて言い返した。


 「……お前こそ、(わらべ)は大人しく机に向かってお勉強でもしたらどうだ? ……おっと失礼、元服(げんぷく)はもう終えたんだったなぁ。頭に何もつけていないからうっかりしていた」


 奈良時代以降、男子は11歳から17歳ごろまでには『元服』と呼ばれる儀式。現代でいう成人式を行なっていた。

 童子であることを象徴する髪型、(みずら)を解き、成人の証となる髪型元結(もとゆい)に変え、冠をつける。そうして元服以降は大人と同じ衣服を纏い、一人前として扱われる。

 しかし光栄はこれまでに冠はおろか、烏帽子でさえ被るのを拒み続けている。


 お互い笑顔で睨み合う、しかしながら互いの目は全く笑っていない。いつもの光景であるのか、保憲はそんな二人の間に入り「こら、やめなさいって」と咎めた。


 「ほい光栄!」

 「はい父上!」


 結局晴明は、蹴鞠の遊戯に参加することになった。

 保憲が光栄に向かって蹴れば、蹴鞠は綺麗な放物線を描いて光栄の元に飛んでいく。

 晴明に向けていた表情からは一転、光栄は屈託のない笑みを浮かべて蹴鞠を父親のもとに蹴り返した。


 「行くぞ晴明!」


 保憲の足元に戻ってきた蹴鞠を、今度は晴明に向かって蹴り上げた。


 「ったく……」


 晴明は悪態をつきながらも、蹴り返す動作に入った。


 「……っほ、……あ」


 晴明の蹴った蹴鞠は、二人がいる方向とは真反対の方向へと、大きな放物線を描いたまま勢いよく飛んでいってしまった。


「お〜派手に飛ばしたな〜」


 保憲が飛んでいった方向を見やると、烏がカァカァと、この状況を嘲笑うかのように鳴きながら飛んでいる。


「どこに蹴っ飛ばしてるんです? 烏に蹴鞠はできませんよ?」


 そして光栄も、小馬鹿にするようにクスクスと笑いながら晴明を煽った。

 晴明はそんな光栄にひどく苛立ちながらも、小さな声で「……悪かったな……」と思ってもいない謝罪を口にした。


 「探しにいくか」

 「父上が行く必要はありませんよ。あらぬ方向へ蹴っ飛ばした本人に、責任を持って探しに行かせれば良いのです」


 すました顔で、光栄は保憲の背中をぐいぐいと押して邸内へと引っ込んでいく。

 残された晴明は盛大な舌打ちを一度すると、トボトボと一人で蹴鞠を探しにいった。

 しかし結局蹴鞠は見つからず、晴明は再び光栄からの嫌味攻撃を受けることになるのであった。



 *******



「……思い出したらなんかイライラしてきた……。あんの嫌味ったらし小僧め……」

「お前な……。というかお前ら……、俺が死んだ後もよく20年以上一緒に行動できたな。喧嘩しなかったのか?」

「したさ。何なら内裏で道長の目の前で大喧嘩してブチギレられた」

「……」


 さも当然のように平然と告白する晴朗を見て、保憲は言葉を失い片手で顔を覆った。


「……そんな光栄の型破りっぷりは、『続古事談(ぞくこじだん)』でもしっかり語られているからな」


 『続古事談』は、鎌倉初期に成立したとされている編者不明の説話集である。そこには光栄だけでなく、晴明の逸話も少しばかり記されている。


「べ、別にそこまで言うほど型破りでもないだろう。あいつはほら……アレだ、未来を先取りしていただけだ」

「そうだったな。帝や公卿の前でもノー冠は当たり前、常にくたくたの直衣(のうし)でそこらじゅう歩き回って、束帯(そくたい)を着ることなんざ一度たりとも無かったもんな」


 平安時代、貴族たちは内裏に参上する際、『束帯(そくたい)』と呼ばれる、現代でいう正装にあたる黒い装束を着用し、冠を必ず被って出勤していた。(当時の成人男性は、頭部を見せることは非礼とされ、どこで何をするのにも帽子を被るのが必須だった)それが礼儀だったからである。


 今でこそ陰陽師といえば白い狩衣が有名であるが、狩衣はその名の通り、主に狩に赴く際や乗馬の時などに着用されていたため、実際は『束帯(そくたい)』をメインに着用していた。


 対して直衣(のうし)は、現代でいう普段着のことである。

 現代でも職場に出勤するとき、普段着で赴く者はほとんどいないだろう。

 しかしながら『続古事談』の中で語られている賀茂光栄(かものみつよし)という男は、そういった礼儀作法には全くの無頓着だった。冠さえも着用せず、髪型もろくに整えぬまま出勤し、仕事をしていた。


光栄(アイツ)の型破り具合をあえて現代風に例えてやるなら……、会社に上下ジャージのサンダルで出勤してくるようなものだからな」

「……ま、まぁ……、個性があって、いいんじゃないか?」

「……お前……本当身内には甘いよな……」


 そして、そんな男の父親である保憲や周囲の者たちは、最初こそは咎めたものの、彼の自由奔放な性格と、陰陽師としての能力は他の追随を許さぬほどの有能さを発揮していたことから、いつからか指摘することそのものを諦めた。


 当時を思い出し、明後日の方向を向きながら顔を引き攣らせ、誤魔化すように笑う保憲に対して、おそらく最も長い期間光栄と行動を共にしていた晴朗は、呆れたような、それでいてジトりとした目線を送った。

※安倍晴明が実はノーコンだった。という事実は全くありません。


※賀茂光栄、 天慶2年(939年) 生まれ、長和4年(1015年)6月 没

保憲が22歳の時に儲けた長男。晴明の18歳年下である。

道長くんの『御堂関白記』などにも度々登場し、彼の娘であり一条天皇の中宮(今でいう皇后)の出産にも立ち会った。(当時の出産は現代より命懸け、安産御祈願のため、必ず陰陽師と僧侶が立ち会っていた)

で、問題なのがこの出産時の光栄氏のぶっ飛んだ見た目と、奇行。

『続古事談』では、

「中宮出産の時、驚きあきれるほどひどい直衣に、指貫(今でいうボトムス)に平沓(ひらぐつ)(靴)をはいて、髪の毛を整えることもなく、正面入り口でない中門から入り、いきなり階隠(はしがくし)の間から登って懐からシラミを取り出して近くの柱に押し潰して殺してしまった」

と書かれている。

なおこの時光栄70歳ごろ、晴明はすでに亡くなっていた。

仮にも皇后出産の場に、きったねぇ服で、玄関ではない場所から侵入し、あろうことか殺生をするというとんでもない狼藉を働いている。


だがしかしこの男。陰陽師としては父親である保憲や晴明と同等、あるいはそれ以上ともいえるほど優秀だったらしく、上記狼藉を働いたにも関わらず不問とされた。


賀茂光栄、実におもしれー男である。

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