いい加減にしろ
「508号室……だったな」
若杉が住んでいるマンションへと到着し、保憲がインターホンを押した。すると間もなく、ドアノブがひっきりなしにガチャガチャと動き始めた。だが扉そのものが開く気配はない。
「開かないのか?」
晴朗が試しにドアノブを回してみると、勢いよく扉が開き、中から若杉が飛び出してきたのだ。
「おっと!?」
咄嗟に正面にいた保憲が、若杉を受け止めた。
「良かった……、もう、出られないかと……怖かった……」
外に出られて安心したのか、若杉は保憲にしがみつくように、ぐずぐずと泣き始めてしまった。
若杉には一応恋人という存在がいる手前、保憲は両手を上げてあたわたとしている。
「……若杉さん、一旦離れて、落ち着いてくださ……」
「あの、もう一度、部屋の中を視てください! 絶対にいるはずなんです!」
このような人目につく場所で、男女が体を寄せ合っていると、どのような噂が沸き立つかわかったものではない。片方が恋人持ちであるのなら尚更である。だからといって女性を無理やり引き剥がすような野蛮な真似もできない。
晴朗は若杉の軽率な行動に呆れながらも、一旦保憲から距離を置かせようと語りかけたが、若杉はそれを遮って、再び部屋の中を霊視するように懇願してきた。
晴朗はどうするべきか、保憲を一瞥すると、彼も仕方なしと言った具合に軽く頷いた。
晴朗は再びため息をつくと、縋り付いて離れる気配がない若杉を保憲に任せて、散らかったままの玄関で靴を脱いで、部屋の中を一通り見て回った。
浴室。
リビング。
キッチン。
バルコニー。
そして過去女性が殺害されたと言われている、寝室。
「(……やはり……)」
寝室に入り、保憲が身を隠していたベッドの下を確認している時だった。
玄関から、男性の怒号が響き渡った。
「今度はなんだよ……!」
悪態をつきながら玄関に戻る尻餅をついている保憲と、そんな保憲の胸ぐらを掴み上げている若杉の恋人である男、そして男を必死に止めている若杉の姿が目に飛び込んできた。
「テメェ! 真昼間に堂々と人様の女を横取りするなんざいい度胸してるじゃねぇか!」
「だから! 誤解ですと何度も言って……!」
保憲はすでに一度殴られているのか、頬が赤くなっている。
「ウルセェこの薄汚ねぇハイエナ野郎!」
男が拳を振り上げたところで、晴朗が二人の間に入って、その拳を受け止めた。
「おい、いい加減にしろ」
「昨日のスピガキ……!」
「よくみろ。俺たちは若杉さんからの連絡を受けてここに来ただけだ」
晴朗は片手で男の拳を掴みつつ、もう片方の手でスマホを取り出し、メッセージアプリでやり取りしていた画面を見せつけた。
「分かったら今すぐその手を離せ。さもなくば……」
そして男を鋭い眼差しで睨みつけながら、男の拳を掴んでいる手の力を強めていく。
まだ幼さが残る見た目に似合わない、その強い握力は、男の握りしめた拳の骨をミシミシと軋ませていく。それは痛みに歪んでいく男の顔からも見てとれた。
「ちっ!」
そしてついに、男は煩わしそうに舌を打ちながら、晴朗の手を乱暴に振り払った。
「保憲、大丈夫か」
「……あぁ……」
晴朗は男や狼狽えている若杉には目もくれず、冷たい地面に尻餅をついている保憲に視線を合わせて、殴られた際に切ったのか、僅かに口の端から流れ落ちている血に自らのハンカチを押し当てた。
「けっ、紛らわしいことしてるんじゃねぇよ」
一切の反省を示さない男の態度に、ついに堪忍袋の緒が切れた晴朗はゆらりと立ち上がり、
「まずは『自分の早とちりで殴ってしまって申し訳ございませんでした』だろうが、そうお母さんから教えて貰わなかったのか?」
と、昨日から培っていた怒りの全てを、静かにぶつけた。
「ウルセェなチビ! 誤解を招くようなことするソイツが悪いんだろうが!」
「ねぇ真! あまり大きな声出さないで、お隣さんにも迷惑だから……!」
「お前もお前だ! 二日連続で男連れてきやがって! いい加減にしろ!」
「いたっ!」
だが男は、それでも自らの非を認めようとはせず、あろうことか恋人である若杉をも突き飛ばした。
若杉の体は派手にシューズボックスに叩きつけられ、痛みのあまりその場にうずくまってしまった。
すると騒ぎを聞きつけたのか、隣に住んでいる隣人がわずかに扉を開けて、持っていたスマホでどこかに連絡をしながらこちらの様子を伺っているのが、晴朗の視界の隅に入った。
「はぁ……、話にならんな」
晴朗は保憲に手を貸して立ち上がらせ、騒ぎが本格化する前にその場を立ち去ろうとした。
「おい! 待て! 逃げんのか!?」
「ろくにお話ができないお子ちゃまと、これ以上一緒にいても時間の無駄だからな」
「あぁ!? チビガキの分際で……!」
「お前」
怒りで完全に頭に血が昇り、再び食って掛かろうとしてくる男に対して晴朗は、地を這うような低い声で再び睨みつけた。すると男は蛇に睨まれた蛙のように怯み、立ちすくんだ。




