何でもない
時折吹きつく、冷たい風の音に揺れる木々の音と、火桶の炭が跳ねる乾いた音が、やけに大きく静寂を刺した。
どれほど経ったのか。
俺は深く頭を下げたまま、保憲の返答を待った。
やがて簀ばかりが広がっていた俺の視界に、影が掛かった。
そしてペチリと、硬い何かが額に当たった。
「遅いぞ、ばか」
痛みは全く無かったが、思わず額を抑えながら顔を上げると、腕を伸ばした保憲が、20年前と変わらない。陽だまりのような笑みを浮かべながら俺を見ていた。
「明日にでも異動申請を出しに行くぞ。長年の空白で感覚は鈍ってるだろうから、俺と父上、そして保遠が全力で鍛え直してやる。覚悟しておけよ」
「分かった」
「……それと……」
真面目な表情のまま、今後のことを話していた保憲は、ふと眉を下げて俯いたかと思うと、
「あの時は済まなかった」
と、かつての発言を謝った。
『こんな時に意地を張ってどうする! 益材様はもうこの世にはいない!』
あの時はまだ心が幼かったが故に強がって、核心を突かれて、感情的になってしまっていたけれど、今は分かる。
「いい。俺も意地張ってたからな、お互い様だ」
そう言って俺は、空になっていた保憲の杯に、なみなみと酒を注いだ。
水面に映った月が、杯を傾けるたびにゆらゆらと揺れて形を変える。
俺たちは、取り零してきた20年分を拾い集めるように、夜が更けるのも忘れて語り合った。
方や陰陽寮にはこんなヤツがいる、とか、実はこんな面倒くさい習慣がある。といった話であったり。
方や大舎人でどんなことをやっていたのか、過去に俺がどんな動物や侵入者をとっ捕まえたのか。といった話であったり。
気づけば、かつての刺々しい劣等感は、酒の酔いとともに霧散していた。
「……____所属する部門についてだが」
ひとしきり語った後、今度は陰陽寮に異動した後についての話になった。
「お前の下につくんだから……やっぱ『暦』か?」
「……『暦』については、光栄に継がせるつもりだ」
「……だったら……」
「もうご存知の通りかもしれないが、陰陽寮は今、とんでもない人材不足に陥っていてな。特に『天文』については、得業生が空席な上、学生も定員割れを起こしている。善益殿にかなり大きな負担が続いている状態だ。だから一日でも早く、一人でも多く人材が欲しい」
「『天文』……童の時に、少しだけ忠行様から手ほどきを受けた程度だが……」
「十分だ。……、お前は『暦』より、『天文』の方が合っている」
確かに俺は、座学はそこまで得意じゃない。算木を使って計算をしていると、どうしても眠気に襲われてしまう。だから『暦』より『天文』の方が合っている。と言っているのか。と、この時は思った。
「俺にも、光栄にも……賀茂家にはない、お前だけの才能を伸ばすには、『天文』しかない。ってことだ」
「俺だけの……?」
けれども保憲は、俺の中に眠っていた才能を、すでに、俺よりも先に見抜いていた。
「すぐに分かるさ。大丈夫だ、ずっと隣でお前を見てきた俺が保証する」
そう言って真っ直ぐ俺の瞳を見つめてくる保憲の瞳には、確固たる自信が伺えた。
「……頼んだぞ、お師匠様」
なぜそこまで言い切れるのか、この時は分からなかったけれども、俺はただ、保憲の言葉を信じた。
「……そうそう」
「ん?」
その後、残っていた酒を飲み干して、お互い良い感じに酔いが頭に回り、
「お前……そろそろ結婚も考えてみないか」
「……ぅん?」
保憲の口からとんでもない提案を聞かされたところで、俺の記憶は途切れている。
◇◇◇◇◇◇
「……お前が陰陽頭になったタイミングで、この土地を買っていたのを知った時は驚いた」
「……当然だろ。この土地は益材様……お前のものだからな」
しんしんと振り続ける雪は、風呂上がりの俺たちの体を冷やしていく。
あれから一千年経った京は、随分とその様相を変化させたものの、身体を棘で刺されているかと思うほどの寒さは、変わらない。
「俺が陰陽師に昇進して、その祝いで、この土地を譲ってくれた」
「……そうだったな」
保憲の門弟に入り、忠行様や保遠から必死で占術や天文の知識を学び直し、時々弟弟子の光栄と大人気なく喧嘩もしたりして……。
やがて二人で成し遂げた大きな功績が認められて、俺は陰陽師に昇進しようやく一人前として認められて、保憲は長らく陰陽寮を席巻していた秦氏と大春日氏を下して、陰陽寮の第一人者としてその名前を轟かせた。
「吉平たちと一緒に、この家に引っ越して来た時は……本当に嬉しかった。『やっと帰ってこられたんだ』……って」
「新宅作法、やったよな」
「やった! 懐かしいな! お前が反閇を踏んでくれた。嬉しかったなぁ」
新宅作法とは、今でいう地鎮祭のようなもの。
新居や長らく空けていた家の中には、鬼や物怪といった、良くない存在の温床になっていると、当時は信じられていた。
その良くない存在を家の中から追い出し、そして再び入って来ないように、新宅作法と呼ばれる儀式を陰陽師が執り行っていた。反閇も儀式の中に組み込まれている。
「住む場所が離れても、定期的にお互いの家を行き来して知識の交換を行ったり……」
「夜は天文観測をしたりな」
「あぁ……、あの時はよく星が見えたけど……」
「現代は地上が明るいし、環境も大きく変わったからな……。当時と同じような観測は難しいかもな」
俺たちは昔と同じように空を見上げた。
だが空は厚い雲に覆われていて、止む気配のない雪が、しきりに降り続いている。
加えて現代は街灯といった人工的な灯りが常に地上を照らしているから、特に都心部では星の観測が難しくなっている。かつての平安京を包んでいた、今にも辻から百鬼夜行が姿を現しそうなおどろおどろしい闇は、もうどこにもない。
明日は一日ゆっくり京都市内を観光する予定だが……、雪の影響で路面凍結や渋滞などに巻き込まれないか、今から心配だ。
「そもそも雪で空が見え……ぶえくしょい!」
ふと鼻がむずむずしたかと思うと、猫アレルギーとは違う、寒さから出たくしゃみが静寂を破った。
「大丈夫か。そろそろ戻ろう」
「あぁ……」
俺と保憲はホテルへと足を進めた。
「なぁ……、晴明」
「ん?」
ホテルの中に戻り、冷え切った身体を包み込むような暖かさにホッとしていると、入り口付近で足を止めていた保憲が話しかけてきた。
俺は振り向いて保憲の顔を見たが、暗い場所で少し俯いているからか、表情が汲み取れない。
「……いや、何でもない」
「何だよ、言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
ちょっとモヤっとする歯切れの悪さに、俺は思わず眉を顰めた。
すると保憲は無言で俺の前までくると、頭やら肩やらに降り積もっていた雪を払い落としながら、
「風邪ひくなよ」
そう言ってはにかんだ。
「誰に向かって言ってるんだ。俺の免疫力を舐めるなよ」
「はいはい」
なんだか少し、保憲の様子が変だと思った。
けれども俺が冗談混じりに軽口を叩けば、保憲はいつも通りの調子に戻っていた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この場をお借りしまして、御礼申し上げます。
これにて平安時代編。終幕となります。
次回以降より、関東に戻り新章となります。
久々に賢人右府が出てきます
引き続きお読みいただけたら嬉しいです。
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