聞いたぞ
翌日。
俺は保憲を捕まえる機会を伺っていたんだが、こういう時に限って中々捕まらない。午前中は互いの仕事でそれどころではないし、午後は保憲が貴族の邸宅に占いの依頼をこなしに出張っているので、日中はほとんど顔を合わせられなかった。
そうしていつの間にか陽は暮れて、再び夜を迎えた。
光栄や、忠行様の4人目の子である保胤は、そんな二人の帰りを毎日律儀に待っていたが、大体眠気には抗えず、今日も仲良く寝落ちしてしまっている。
「アイツ……、働きすぎじゃねぇか……?」
俺は寝落ちした小僧二人を寝床まで運びながら思った。
これまで自分のことしか考えていなかったからあまり気にならなかったけど、アイツも、そして忠行様も中々家に帰って来ない。こうして陽が暮れてしばらく経って、草木も寝静まった頃、ようやく帰って来る。
この時はまだ曜日という概念がないから、休日は基本無い。下級官人は特にそうだ。
大舎人は24時間体制で内裏の警護を行っているし、陰陽寮だって、漏刻が24時間体制、天文も星の観測があるから夜勤が基本。
他にも朝廷の最高機関でもある太政官や、後に実資や俺が就くことになる蔵人も、それはそれは凄まじい激務だった。
一日中遊んで過ごしていた雅やかな平安貴族。
そんなものはただの幻想。
実際は現代人にも負けず劣らずのブラック労働の中、黙々と働いていた。
「……にしてもおっせぇな……」
簀の上に座り、二人の帰りを待ちながら夜空を見上げた。
薄い雲が僅かに月を覆っている。
善益殿は今日も、文句を言いながら同じように夜空を見上げているのだろうか。
ふと、冷たい風が吹き抜ける。
1月の夜は凍てつく寒さ。手や足は自然とかじかむ。
「……さみぃ……」
平安時代の建築事情は以前もお話した通り、元々盆地でもある京は、夏は死ぬほど暑いし冬はクソ寒い。
そんなクソ寒い冬の防寒対策は、ひたすら重ね着をするか、火桶を使用する。
だが俺は、子どもの頃から無意識に火を遠ざけていた。多分火事に巻き込まれていたのもあって、今でいうトラウマのような状態になっていたのだろう。
小さな灯火程度なら問題ないのだが……、松明より大きな火種になると、どうにも足がすくんでしまう。
火桶も、火を起こした後なら良い。だが自分で火を起こすことがどうしてもできなかったから、この時の俺は重ね着をして寒さを凌いでいた。
「……」
寒さゆえか、それとも単なる眠気か。俺は次第にうつらうつらと船を漕ぎ始めていた。
暇つぶしになるような物も当時はまだなかったため、このまま凍え死ぬんじゃないか。
そうなる前に、今日はもう諦めて寝床に戻ろうか。
そんなことを考えていた時。
「晴明?」
隣から声が聞こえた。
「何やってんだ。こんな場所で」
うとうととしている間に帰ってきていたのか、保憲は驚きながら俺を見下ろしていた。
「寒くないのか?」
「……どこぞの働き者を待ってたんだよ」
「……何でわざわざ……」
保憲は途中まで言いかけると、察したように一度口をつぐみ、
「待ってる間冷えただろ。ちょうど今日、美味いと評判の酒を占いの報酬でもらったんだ。一緒に飲むか」
そう言って、酒と杯を取りに一度引っ込んだ。
◇◇◇◇◇◇
「……こうして、二人でゆっくり話すのはいつぶりかね」
「……さぁな」
満天の星と、ぽっかりと浮かぶ月の光が降り注ぐ静かな夜。
互いの杯に酒を注ぐと、小さな水面に月が映る。
保憲が起こしてくれた火桶を間に挟み、酒を飲むと体の内側がぽっと熱くなる。
「……どうだ。美味いだろ」
「あぁ……」
どれほどの間か、互いに無言で酒を飲んだ。
「……聞いたぞ」
どう話を切り出そうか。
酒を飲みながら出方を伺っていると、保憲の方から切り出してきた。
「お前、秦のところに行ったらしいな」
「ゴふッ!」
あまりに直球な切り出しに、そして思い出したくもない苦々しい記憶が蘇り、俺は飲んでいた酒が変なところに入って、盛大にむせてしまった。
だが保憲は呆れたような視線のまま、更に俺の傷を抉ってきた。
「なんでよりによって秦のところへ行ったんだ。門前払いされるに決まってるだろ」
秦具瞻は一体どういった感じで俺のことを保憲に伝えたのだろう。と、この時は思ったが、後で聞いてみたら、かなり嫌味ったらしく伝えてきたらしい。
あの男は本当に、保憲に嫌味を言わないと死ぬ呪いにでもかかってるのか?
「げほっ、……し、仕方ないだろ……。知らなかったんだから……。というか、お前こそ、何をしたんだ? 間者呼ばわりされたぞ」
「善益殿の所にも行ったんだろ? あの方から何も聞いていないのか?」
「……まぁ……、ちょろっとだけなら……」
どうやら俺の行動は、全て筒抜けだったらしい。
口止めもしていなかったから仕方ないと言えば仕方ないが……、保憲に隠れてコソコソとしていたのがバレたともうと、急に恥ずかしくなってしまった。
気まずそうに視線を逸らした俺に対して、保憲は特に言及するでもなく、酒を飲みながら話を続けてくれた。
「……なら詳しい説明はいらんだろ。……陰陽寮もな……、派閥争いやら何やらで色々と大変なんだ。……入ってみればわかるさ」
秦は陰陽寮を退く直前まで、保憲を目の敵にしていた。
そしてその意思を継いだ後継が、これまた非常にめんどくさい奴だったのだが……。それはひとまず置いておこう。
「……」
「……やっと、決めてくれたか」
保憲はずっと待っていた。とばかりに期待の眼差しを俺に向けた。「やっと」という言葉にも、20年以上すれ違い続け、募り募った重みが感じられた。
「……今更だってことはわかってる。……けれど……」
俺は手に持っていた杯を置いて、庭に向けていた体を保憲に向けた。
「……それを承知で頼む……!」
そして両手を床につけて、深く頭を下げた。
「俺を、お前の……、弟子にしてくれ……!」
以下おまけ、秦具瞻VS保憲
「陰陽頭」
「いかがされましたか。具瞻殿」
陰陽寮内にて、黙々と筆を走らせている保憲のもとにやって来る秦。
後任の暦博士に引き継ぐための資料作成や、前任の陰陽頭である武兼からの引き継ぎ業務に日々追われていた保憲は、雑談をする暇もないほどに多忙を極めていた。
一方で 長年共に励んできた同僚からの推薦も得られず、陰陽頭の席にあと一歩のところで届かなかった悔しさから、秦は己が話しかけたにも関わらず、筆を走らせる手を止めず、視線すら文机に向けたまま応えてくる保憲の態度に酷く苛立った。
「……昨日、其方のところの……晴明と名乗る男が我が家に来たぞ」
「晴明が? ……何のために……?」
なんとか苛立ちの感情を押し込んで、努めて冷静に、昨日事前連絡もなしに自邸へやってきた晴明のことを話した。すると保憲は思いがけない人物の名前が思いがけない人物の口から出てきたことに驚き、筆を走らせていた手を止めて、目を丸くして秦を見た。
そんな保憲の表情を見て、「(お前が指示を出したくせに、なんとも白々しい態度だ)」と、心の中で毒を吐きながらも、持っていた笏で口元を隠し、
「いけませんな……欲張りすぎると、待っている先は破滅ですぞ」
「……?」
と、軽蔑の視線を向けながらそう吐き捨て、去って行った。
残された保憲は、最初は話が見えず、戸惑ったが、
「……まさか、あいつ……」
やがて察したように、一人小さくつぶやいた。
以上、めんどくさいオジイに絡まれる保憲さんでした。




