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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

心の窓を、壊すとき

作者: またり鈴春


 その男は、急に現れた。


「今日から入部しました。

 廣中(ひろなか)です、バレーは初心者です」


 一つ上の、高校二年生。

 経験者の俺とは違う、初心者。

 つまり、ノーマークで大丈夫って事だ。

 一ヶ月後に、大きい試合がある。レギュラーに選ばれたくて、現在、必死に足掻いている俺。

 最近は順調だから、このままいけば、きっとレギュラーに選ばれる。あのコートの上で、俺は戦えるんだ――と。

 そう思っていた。

 バレー初心者の廣中が、メキメキと頭角を現してくる、その時までは――


「廣中、お前は背も高いし、パワーもある。バレーのセンスがあるよ」

「え、本当ですか!?

 やった、嬉しいです!」


 三年の先輩から、思わぬ言葉をかけてもらった廣中先輩。頬は緩みまくって、デレデレ顔。

 素直に喜んじゃってさ。

 さっきの言葉を、廣中先輩は素直に受け止めてる。「きっとお世辞だろ」って、普通は、そう思わねぇ?


「気に入らないな……」


 俺と違って、素直すぎるところも。俺と違って、バレーのセンスがあるところも。

 廣中先輩の全部が、俺にとって、とてつもなく気に入らなくなってきた。

 ぽひゅん


「あ……」


 その時、ボールが手から滑り落ちる。テンテンと情けない音を立てて、ボールは床を転がった。

 しまった……。

 現在、部活中。

 この大事な時期に、考え事をするなんて。


「おーい、木口(きぐち)〜。

 これくらいのボールはとれよ。お前に期待してんだから、頼むぞー?」

「はは……、すみません」


 三年の先輩に言われ、思わず、頭をかく仕草をする。ボリボリと、頭皮をかく音が、俺に反響する。

 そんな中――


『廣中の”次に”お前に期待してんだから。頼むぞ』


 あちらこちらで、ボールがバウンドする音。それに混じり、俺が勝手に作り出した副音声が、脳内に響き渡る。

 先輩は、一言だって、そんな事を言っちゃいないのに。


「……はぁ」


――期待してんだから


 せっかく、先輩が言ってくれてるのに。

 なんで俺は、素直に受け取れないのか。

 俺みたいな奴を、ひねくれ者って言うんだよな。

 そんなの、自分が一番、よく分かってる。俺は素直じゃない、って。

 イヤっていうほど、分かってるんだ。


「……っ」


 ギュッと拳を握り締めた、その時。


 ――やった、嬉しいです!


 廣中先輩の素直な受け答えが、記憶から蘇る。


「……はぁ」


 俺も、あんな風に言ってみれば……

 何か変わるのかな。


 ◇


「と、いうわけで。

 以上のメンバーで、次の大会に出場する。皆、よろしく頼むな!」


「はい!!」

「……っす」


 部員が、大きな声で返事をする中。俺は、一文字を呟くのが、やっとだった。


 レギュラーに選ばれなかった――


 それは、今までの頑張りを認めてもらえなかったような。そんな虚無感の塊を、胸に抱くようなものだ。


「や~ヒヤヒヤしたなあ」

「明日からはレギュラーメンバーで練習だってよ」

「ひゃー、大会まで体がもつかねぇ」

「おーい一年、片付け急げ~」


「……っす」


 先輩たちが、俺を通り過ぎていく。

 片付け……、あぁそうだ。

 ネットを外さなきゃいけないんだった。

 だけど――体が動かない。

 足に重りをつけてんのか?ってくらい、体がズッシリ重い。頭は寝てんのか?ってほど、思考を停止している。


「俺、どうしちゃったんだ……」


 はぁ――と。

 重たいため息をこぼす。

 すると、その時。

 お椀型にした誰かの手が、俺の口に近づいてくる。そして、パカッと。お椀をひっくり返したように、俺の口に蓋をした。


「……は?」


 お椀の中だと、くぐもった声になる。

 クソ、話しずらい。


「おい、どけよ」


 お椀の手を、パシッと叩き落とす。

 ってか、誰だよ。

 無遠慮に、俺の口を塞いでるのは。

 ギロッと、怒りを含んだ目で見あげる。

 すると映りこむ、その姿。


「や、元気?」

「……」


 それは俺の宿敵――廣中先輩だった。

 俺からレギュラーの座を奪った、張本人。


「ため息は出さない方がいいって、何かで聞いたから。だから、木口くんの口に、戻しておいたよ」

「……ため息?

 あぁ、さっきの……」


 ってか、戻すって。

 手をお椀型にしてたのは、俺が出したため息を、キャッチアンドリリースするためだったのか。

 あほくさ。


「子供っぽいんすね。廣中先輩」

「あ〜下に弟がいるからかもね。

 年が離れててね、可愛いんだよ!」


 締まりのない顔で、デレデレ笑う廣中先輩。心底どーでもいい情報を出されたわけだが、何か返事をした方がいいのか? 一応、先輩なわけだし……。


「そういえば、大会がもうそろそろだね」

「っ!!」


 前言撤回。

 やっぱり俺は、この先輩を、敬わないことにした。


「レギュラーに……入ってましたね」

「うん、びっくりしたよ!」

「……俺もですよ」


 経験者の俺を追い抜いて、初心者のあんたが、レギュラー入りするなんてな。

 思いもしなかったよ。

 どんなサプライズだよ。

 そんな下克上いらねーよ。

 そこは先輩らしく、次世代を担う後輩にボジションを譲れよ。

 あぁ、もう――イライラする。


 内心で毒づく俺に、全く気付いていない廣中先輩。目をキラキラさせて、今後の目標とやらを語り始めた。


「選ばれたからには、チームの役に立ちたい。大会まで残りわずかだけど、一緒に練習を頑張ろうね!」

「……」


 誰がやるか。

 と心では、そうぼやいて。高い位置にある小さな窓から、空を見上げる。

 だけど――


「あ、二階にまでボールが上がってるね。

 俺、とってくるよ」

「……」


 視界の隅に、アイツの頭。

 これ以上は、悪い意味で目に毒だ――

 俺は急いで、顔を下げた。


 ◇


 ガラッ


「あれ? 木口くん!」

「……」


 体育館にて、シューズの紐を結んだ瞬間。イヤな奴と遭遇してしまう。

 もちろん、言う間でもなく――

 廣中先輩だ。


「朝早くにどうしたの? 今日は朝練の日じゃないけど」

「忘れ物っす」


 ウソ。

 本当は、こっそり朝練しにきたんだよ。

 なのに、なんでアンタがココにいるんだよ。まだ朝の6時だぞ?


 すると廣中先輩は、俺を指さした。

 いや、正確には――

 ニコニコしながら「俺が着ているもの」を指さしていた。


「ふ~ん、忘れ物ねぇ。

 わざわざジャージに着替えて?」

「……」


 廣中先輩は、鈍そうに思えて、案外に鋭いところがある。

 気づかないフリをして出て行けばいいものを――なんて毒づきながら、何と言い訳をしようか悩む俺。

 すると――


 ヒュッ

 パシッ


 俺に向かって、勢いよくボールが飛んできた。なんなく受け取った俺は、コレを投げてきた張本人を、キツく睨む。

 すると、その人――未だボールを投げたままのフォームで止まっている廣中先輩は、腕の隙間から、チロリと顔を覗かせた。そして俺を見て笑ったかと思えば、とんでもない提案をしてきやがる。


「二人きりで練習しようか」

「……絶対イヤ」


 あ、やべ。

 色んなことに、イライラしすぎたからか。つい本音が出ちまった。

 すると、そのイライラを漏れなくキャッチしたらしい廣中先輩は、眉を下げ、困ったように笑った。


「木口くんってさ、俺のこと嫌いだよね?」

「……」


 こういうのは、ムシに限る。


「本音を言わないと、今度から君のことを、きぐっちゃんって呼ぶつもりだよ」

「嫌いっす。その呼ばれ方も、先輩の事も」


 あ、しまった――

 と思った時は、もう遅かった。本人を前に「嫌い」だと、ストレートに言ってしまった。しかも、相手は先輩。

 俺……シメられるかも?

 だけど、心配は無用だった。さっきまで困ったように笑っていた廣中先輩が、ハジける笑みを浮かべたからだ。


「そっか。俺のことが嫌いか!」

「……あの」

「ん?」


 ん?、じゃねーだろ。「嫌い」って言われて、なんで嬉しそうなんだよ。


「廣中先輩の、そういうとこ……イライラします」

「え、嫌いな理由まで話す感じ?」


「先に聞いてきたのは、先輩っすよ」

「え〜」


 慌てる廣中先輩と、終始しかめっ面で答える俺。これじゃ、どっちが先輩で、どっちが後輩か分かったもんじゃない。


「本音でぶつかり合えば、もっと仲良くなれると思ったのになぁ」

「……」


 ほんと、何も分かってない。先輩なら、後輩の扱い方くらい、心得ておけよ。


「俺は先輩の、そういう素直なところが嫌いなんすよ」

「えぇ……!」


 あまりのショックからか、廣中先輩はクルリと向きを変えた。その背中に「しょんぼり」と文字が浮かんでいる。


「今、俺は沈んだ”フリ”をしてるよ」

「は?」


「木口くんに声を掛けて貰えれば、元気になるかもしれないなぁ」

「それ……」


 つまり、慰めろってか?

 でも、フリなんだろ?

 本当に沈んでるわけじゃ、ないんだろ?

 高校二年生が、何やってんだか。

 白けた目で、俺よりも大きい先輩を見る。


「そういう子供っぽいところも嫌いっす」

「わ~ストレートすぎて凹んじゃうなぁ」


 嫌ってる相手を、どうして鼓舞しないといけないんだ。

 冗談じゃない。

 凹みたいのは、こっちなんだ。

 俺からレギュラーを奪いやがって。

 本当、どこまでも大人げない先輩だ。


「じゃあ、俺はこれで」


 やめだ。もうボールを触る気もしねぇよ。今日は厄日だ――そう思って、回れ右をする。

 すると、キュッと。床にこすれたシューズが、音を立てる。それと同時に――

「俺ね」と。渦中の先輩が、唐突に身の上話を始めた。


「小さい弟がいるって、そう言ったでしょ?今はもう年長さんだから、そうでもないんだけど……。昔は病弱でさぁ。よく保育園を休んでたんだ」

「……は?」


 いや、知らねーよ。アンタの身内の話なんて、聞きたくねーっての。

 だけど、俺が顔をしかめたのを、見て見ぬ振りした廣中先輩。

「弟はかわいいよ」――と。

 俺に言っているようで、自分に言い聞かせているような……そんな口調で話す。


「可愛いんだけど、両親は共働き。

 そんな両親が頼れるのは、俺だけ。

 だから――

 弟が小さい頃はさ。

 放課後、自分の時間なんてなかったよ。

 まっすぐ家に帰って、弟の世話。

 まぁ、それもそれで……今となっちゃ、いい思い出なんだけどね」

「……」


 あぁ、そうか。だから先輩は、変な時期に入部してきたのか。初心者だった理由は、今までクラブや部活に、入る時間がなかったって事か。


 ……ってか、なんでバレーに入ったんだよ。何もした事がなかったんなら、別にバレー以外でも良かっただろ。


「今、”なんでバレー部に来たんだ”って思ったでしょ」

「っ!」


 くそ、やっぱ廣中先輩。

 妙に、勘が鋭い……!

 だけど、俺が廣中先輩を嫌っているのはバレてることだし。ここは素直に、嫌味の一つでも言っておくか。


「レギュラーを奪われた身からしたら、そう思うのが当然じゃないすか?」

「ふふ、言うねぇ。バレーを選んだのはね、家のテレビで試合を見たからなんだ。

 高く飛んで、ボールを打って、仲間とハイタッチをする――それはどんなに気持ちがいいんだろうって、考えるだけで楽しかった」


 その時。

 廣中先輩は、開いている体育館の窓から、外を見た。回顧するように、目を細めながら――


「弟の看病をして、家に引きこもる日が続いた時。こうやって、窓の外をよく見ていた。こんな事、たぶん思っちゃいけないんだけど……」


――いいなぁ。俺も外に出て、皆と遊びたい。自由になりたい


「ダメなお兄ちゃんだよね。病気の弟を前に、そんな事を思うなんてさ」

「……」


 うすうす、思っていたことがある。

 廣中先輩は、部活の時、妙に張り切っていた。元気ありまくりの、熱血タイプ――それが、廣中先輩へのイメージだ。

 だけど、そうか。

 どうして、そのイメージがついたのか。

 やっと、溜飲が下がった。


「ようは先輩、はしゃいでたんですね」

「え、はしゃぐ?」


「放課後、好きな部活を出来るのが嬉しかった。そういう事ですよね?」

「そ……」


 そうなのかな――と呟いた先輩の顔。

 それは、照れくさそうな顔。

 そして、なんだか幸せそうな顔。


「そっかぁ、俺……嬉しいんだね」

「……」


「なんで、そんな渋い顔をしてるの?」

「……ウザ」


 えー! ひどいー!

 なんて声を、今度は俺が、背中で聞く。


「やっぱ気に食わねぇわ、この先輩」

「ん? 今なにか言った?」


 いえ、何も――と返事をして、体育館の扉を目指す。その時、俺は冷や汗をかいていた。

 だって――


「大会頑張ってくださいって、思わず言いそうになっちまった」


 あの先輩を見ていると、俺まで「素直」に染まっていくような気がして……。そんな「そこはかとない不安」に蓋をするように。

 俺は急いで、体育館のドアを閉めた。


 ◇


 それからというもの。俺は、気づけば廣中先輩を、目で追うようになっていた。

 すると、思わぬ事に気づいてしまう。


「熱中症、じゃないと思うけど、ちょっと休んだ方が良さそうだね。誰か、氷嚢(ひょうのう)を持ってきて。

 あてる場所は、出来るだけ血管の太いところ。首の後ろとか、足首とかも良いよ」


「え、タンコブ? 頭は大事だからね。保健室に行こう。病院にも行くかもしれないから、荷物も持って行ってね」


 気づいたこと――それは、廣中先輩の「面倒見の良さ」だ。


 弟がいるだけあって、男子部員を束ねるのは、お茶の子さいさい。それに、弟の看病をよくしていたせいか、怪我や病気にも知識がある。そのため、マネージャー不在のバレー部に、廣中先輩は重宝された。


「うん。もう大丈夫そうだね」

「廣中、サンキュ~」

「鼻血はビックリするよね」


 だけど……

 重宝されすぎて、先輩がコートに入っていようがいまいが。お構いなしに、ヘルプの招集がかかる。


「悪いな、廣中。お前もレギュラーの選手だってのに」

「良いんですよ、困ってる時はお互い様です」


「なんだよ、ソレ……」


 しばらく収まっていた俺のイライラが、再び、沸々と湧きあがって来た。

 なにが「困ってる時はお互い様」だ。じゃあ、アンタが弟の看病で困っていた時、誰かが助けてくれたのかよ。

 今だって「コートに入っていたい」っていうアンタの願いを、ここにいる誰が叶えてくれんだよ。


「廣中~」

「あ、はい!」


 自分の願いとは裏腹な現実を前にしても、それでもニコニコ笑う廣中先輩がムカつく。何でもありませんって顔をして、たまに窓から外を見ているのがムカつく。

 なぁ、廣中先輩。

 今、先輩の目に写っているのは……体育館じゃないだろ? 病気の弟と一緒に過ごした部屋の窓――そこから見える景色が写ってるよな?

 それなのに、どうしてニコニコ笑ってられるんだ。


――いいなぁ。俺も外に出て、皆と遊びたい。自由になりたい


 あの時、俺に話してくれた先輩の本音は、どこに行ったんだよ。


「や~廣中。お前、本当にいい腕してるよ」

「本当ですか? 嬉しいな」


「ほんとほんと。選手じゃなくて、マネになってもらいたいくらいだ!」

「いやぁ……はは、参ったな……」


 その時。

 部員の膝をテーピングしていた、廣中先輩の手が止まる。ピタリと。

 まるで、自由を奪われたかのように――


「俺は、マネじゃなくて……」


 口を動かして、必死に何かを言おうとする先輩。その脳内は、きっと今、ミキサーでグチャグチャにされているだろうと、簡単に想像がつく。

 それくらい……さっきの一言は、先輩にとって破壊力がありすぎるものだ。

 だけど――悪い事は続く。


「廣中、いるかー?」

「……先生?」


 この場に登場した、廣中先輩のクラスの担任。体育館では見かけない顔に、俺も部員も、何事かと動きが止まる。

 そんな中、担任の声が響いた。


「さっき親御さんから電話があった。弟さんが熱が出たから、部活をきりあげて早く帰ってきてほしい、との事だ」

「!」


「スマホが通じないって、嘆いてたぞ。今度からは、いつでも連絡とれるようにな。

 じゃ、そういう事だから。早く帰ってやれよ?」

「……はい」


 この時。

 廣中先輩の手から、ボールが滑り落ちる。このボールを持って、コートに入ろうとしていた足。それは――既に体育館の出口へと、向きを変えていた。


「廣中、弟がいたんだな!」

「熱なんて大変じゃねーか、早く帰ってやれよ?」

「こっちの事は、心配すんな!」

「お前ナシでも、何とか回して見せるからな!」


「……はい、すみません」


 頭を下げる、廣中先輩。

 だけど――なかなか顔を上げない。ふと先輩の手を見ると、ギュッと、拳が握られている。手が白くなるほど、固く……。

 その拳の中に、先輩は何をしまい込んだのか。俺は、そんな事が気になった。

 だから――


 ドカッ


「う、わ!?」

「わー! 木口! 何やってんだ!」

「先輩に堂々と飛び蹴りすんなよ!!」


 いつまでも顔を上げない先輩に、華麗な一発を食らわせてやる。すると、大きな体は、いとも簡単に吹っ飛んだ。


 ガシャン


 一度、前転をした先輩。久しぶりに見せた顔には、汗だか涙だか分からない雫がついている。それがまた――

 俺はなぜだか、気に入らない。


「先輩、住所を教えてください」

「へ? 住所?」


「先輩の住所っす」

「俺の住所……、あ!」


 その時。廣中先輩は俺の目論見に気付いたのか、口をへの字にした。

 先輩の家庭の事情を、俺だけが知っている。そんな俺が「住所を教えて」なんて言うんだ。俺が何をしたいのか――

 どうやら検討がついたらしい。


「ダメ、教えられない」

「そうだ。あと鍵もください」

「聞いてる!?」


 チッ、いちいち反論すんのも面倒だ。

 あ、そうだ。部室にある先輩のカバンを、根こそぎ持っていきゃ話は早いな。

 俺はシューズを脱いで、ものの一分で二人分の荷物を、部室から持って来た。

 だけど先輩はやっぱり、俺を止めたいらしい。ガシッ、と。俺の腕を、強く握る。


「行かせないよ。これは、俺がやるべき事だから」

「……」


 うそこけ。

 本当は、バレーがしたいですってツラ浮かべやがって。本当はコートにいたいですって、いつも思ってるくせに。


「先輩」

「え……」


 俺は、先輩の手を握る。そして、優しくマッサージをするように、ムニムニと肌を揉みこんだ。


「ちょ、木口くん……!」


 他の部員も「これから何が始まるのか」と、手で顔を覆っていた。だけど、その中の誰よりも顔を赤くしていたのは――廣中先輩だった。まったく、失礼なことだ。俺が何をすると思ってんのか。


「先輩、まだまだっすね」

「へ?」


「手のマメっすよ。

 こんなツルツルの手でレギュラーとか。

――バレーなめんな」

「!」


 キッと睨んだ俺にびくついて、小さくなる先輩。その顔は、今にも泣きそうだ。


「俺を押しのけて、先輩はレギュラー入りしたんだ。大会の日に自分がコートに立つのがどういう事か――死ぬ気で毎日練習して、俺を納得させてみろ」

「……っ!」


 グッと、下唇を噛む廣中先輩。俺はわざとらしくため息をはき、部長を見た。


「部長――廣中先輩を、コートから出さんでください。この人がやるべき事は、部員の手当じゃありません。バレー。それだけです。マネが必要なら、募集かけてみましょうよ。じゃないと――

 この人、前に進めませんよ?」

「ッ!」


 廣中先輩が、俺を見る。

 潤ませたその瞳の中に、過去の先輩が写っている気がした。それを早く拭けと言わんばかりに、俺は先輩にタオルを投げる。


「じゃあ、そういう事で。

 部長、俺は早退しますから」

「わ、わかった……」


 部長を見た後。

 もう一度、廣中先輩を見る。


「コートにい続ける事が、先輩にできる“自分への手当”だ。だから――

 そんな腑抜けた顔してる間は、絶対にコートから出るな。目障りだ」

「え……」


「なぁ、廣中先輩。

 いつもバカ正直なのに、ここ一番って時に猫被ってどうすんだよ。見ててイラつくんだ。どうしようもなく、腹が立って仕方ない。

 なんで、もっと自分に素直にならないんだよ」

「!」


 俺は、先輩が持っていた氷嚢を、乱暴に奪う。


「さてと――熱がある時は、とりあえず水分だろ? あと、血管の太いとこに氷嚢をあて、体温を下げる。他に、何かあるか?」

「よく知ってたね、そんな事……」

「だって、」


 俺は後輩だからな。

 先輩であるアンタの背中を、今までずっと見て来た。目で見て技術を盗む――それが「後輩の役目」ってもんなんだよ。


「先輩が応急手当をしている姿を見て、看病に関しては、少し知識がついたつもりだ。だけど……所詮は、にわか知識だ。困ったことがあれば、すぐ電話させてもらうからな」

「わ、わかった。

 あの……、木口くん!」


 ヨイショと荷物を背負った俺に、先輩が声を掛ける。その手には、スポーツドリンクが握られていた。


「これ……、弟に飲ませてあげてほしい。弟は、熱を出した時、これしか飲まないから……」

「いーけど……。

 コレ、部費で買ったもんじゃね?」


「あとで必ず返すよ。たまには俺も、素直にワガママを言わないとね。

 あ、それと――」

「――……うざ」


 耳の辺りで、先輩の弾んだ声を聞いた後は、いつも通り。

「ひどーい!」と嘆く先輩の声も背負って、俺は体育館を飛び出した。手の中には、先輩の家の住所と電話番号が書かれたメモ。そして、家の鍵。


「案外ちかいな。

 部活で鍛えた俺の俊足、見とけよ!」


 足を必死に動かす間、最後に見た先輩の顔を思い出す。


――ありがとう、木口くん


 そう言いながら、先輩は、俺にメモと鍵を渡した。

 その時。震える手と潤った瞳を、先輩が必死に隠そうとしているのが分かった。


「はぁ。何やってんだ、俺……」


 先輩みたいになりたくないと、そう思っていたのに。蓋を開ければ、俺は、先輩よりも素直になっていた。言いたい事を言って、やりたい事をやっていた。

 最悪だ……。明日から、どういう顔で部活に行けばいいんだよ。

 ってかさ。

 俺って、廣中先輩の家に初めて行くよな?

 そこに、まだ会ったことない病気の弟がいるんだよな?


「……ヤバくね?」 


 脳裏に浮かぶのは、最悪のシナリオ。


 ――ドロボー! おまわりさーん!!


 俺、通報されるんじゃね……?

 大丈夫なのかよ、マジで……。


「あ~! もう、めんどうくせぇ!」


 素直になんて、なるんじゃなかった。やっぱり俺は、ひねくれてるくらいがちょうどいい。

 だけど、ちょっとだけ……。


――あ、それと。木口くん、ありがとう

――今だけ恩を売ってやるよ。お返しは、レギュラーの座。それだけだ


――ふふ。下剋上、楽しみにしてるね!

――……うざ


 素直になるのは、ちょっとだけ気持ちが良かった、なんて。そんな事を思いながら、短い呼吸を繰り返す。


 その時、体育館にあった高い窓を思い出し、顔を上げた。すると、そこには――

 窓の形に収まらない果てしない空が、どこまでも広がっていた。



【完】



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