何を思って戦闘機に乗ったのか
戦争体験を聞き、少しショックを受けて、勢いのままに綴っています。
これは、エッセイになるのでしょうか…?
自分でも、良くわからないままに、綴っております。
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つい、先週。
私は、福岡県に、一人で里帰りしました。あの、九州の北の方に存在する県で御座います。
なにせ、そこには、祖父母の家があるのです。
二人共、未だ元気に存命中では有りますが、八十近く。腰を痛そうに擦っておりました。
____正直に申しますと、私自身…里帰りは、あまり乗り気では有りませんでした。
せっかくの休日……合間を縫って友達と遊びたかったですし…更に暇が出来れば、大学の課題レポートを書く為の取材等も、しておこうかなぁ…とでも、考えていました。
それでも、色々と…まぁ、事情が有りまして…里帰りを家族に勧められ、今に至る訳で有ります。
滞在期間は三日間。
こんな事を思っていた…と言うのが祖父に見つかれば、きっと呆れられるでしょうが……「何も、する事が無いなぁ…」と、初日は、ずっと毛布に包まってスマホをつついたり、課題をちょこっとやったり…と、非常に退屈でした。
「こんなのが、あと二日も続くのか…」
と思うと、それは恐ろしく感じてしまいまして…
それに、折角の大自然の中、流石に…スマホとばかり会話をするのも、後ろめたくなってしまいました。
その為私は、徐ろに部屋を出ると、祖父の書斎に向かいました。
祖父は、それはもう…本が大好きでして…それ用の大部屋まで作って居たのです。
夏目漱石やら、北方謙三やら、村上春樹やら……古今東西、あらゆる時代の作品を、彼は好んでおります。
私は、古い木で作られた廊下を、ギッシ…ギッシ……と踏み渡り…そのまま、大きなドア(祖父は、ハリー・ポッターにもはまっており、ソレっぽい感じのドアを好き好んで設置しております)を…ガチャリ……と開きます。
「爺ちゃん、俺、今めっちゃ暇」
「そうか」
私が扉を開いた時、祖父は、何やら万年筆?で誰かに手紙を書いている最中で有りました。
「なんか、面白い話とかある?」
すると、祖父は少しの間、思案して
「お前、歴史が好きだったな」
「うん」
しかし、確か、私は、つまらなそうな顔をしていた気がします。
「爺ちゃんがな、話せるのは……うーん、俺の、叔父さんの…話かなぁ……」
私は近世よりも、中世が好きでしたが……まぁ、その時、兎に角、会話に飢えて居たので
「えー、めっちゃ知りたい、どんなの?」
祖父が語ったのは、1944年、末期の…?日本軍の話でした(そこまで詳しい訳では無いので、間違っていたらスミマセン)
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祖父の叔父…もとい、私の大叔父さんは、日本陸軍の、偵察部隊?の一員だったそうです。
毎週の様に偵察用の戦闘機に乗り(陸軍なのに戦闘機……?と、思ったのですが、もしかすれば、祖父の言い間違えでしょうか…分かりません)
目が良かったらしく、彼の所属していた部隊では、一番だったとか。更に、顔も良かったらしく……結構ボロボロの、白黒でしたが、実際に写真を見せられたのですが、それはもう「男前だなぁ…」と、眉毛が太く、キリッとしており、目は鋭くキラキラと光っておりました。
そして、経歴を聞けば、長年空を飛び回って居たのだとか。三年…訓練期間を含めて居たかは分かりませんが、開戦から、末期まで生き残って居ましたので、とても優秀な、ベテランさんだったのでしょう。
(そんなにも…何回も偵察に出て、良く撃ち落とされなかったな……)
と、聞きつつ、私は驚きました。
___しかし……そんな大叔父も、ある島に行った日に…消息を絶ったらしいのです。
硫黄島、と言う島で御座います。
「あ、爺ちゃん、俺知っとるよ」
「『硫黄島からの手紙』、見たことある〜」
「おう、そうかそうか、あの島だ」
ここで。"消息を絶った"と書きましたが、正確には、祖父が言うには
「いやな、叔父さんが亡くなった原因を政府に問い合わせたらな「本当に、消息を絶った理由を知りたいですか?」と、返ってきてな」
と、何やら意味深な事を言うものですから、気になり、尋ねてみると……どうやら、「もし〇〇(叔父の名前)さんが消息を絶った原因が、裏切りや、敵前逃亡であった場合にも、当方は説明を行いますが、構いませんか?」
と、わざわざ聞いて来たので、祖父は(聞かない方が良いのか?)と思ったらしく、止めたのだとか。
なので、一応、私の大叔父の名誉の為にも、消息を絶った…という書き方にしております。
少し、話がズレました。
そして、祖父が続けるには。
「あの日の硫黄島には、たくさんのアメリカの船が、海に浮かんだったらしい」
「うん、映画で見たよ、囲まれてたんだっけ?」
「あぁ、そうだ、それに、お前の大叔父さんは、勇気を持って侵入して行ったんだ」
ここで、祖父との会話は終わります。
それ以上は、大叔父に関しての情報が得られぬ為でした。
そして……書斎をでると、私は…反射的に、背筋が、ブルッ…となりました。
想像すれば、なんとも恐ろしい。
大叔父の見た景色は、どの様なモノだったのでしょうか…雲の上を飛んでいたのか、ソレとも下だったのかは、分かりませんが……
(怖く無かったのかな…?)
私なら、ビビって、そのまま帰ってしまう気がしてしまいます。
考えただけでも、ゾワゾワとして、手足が震えます。
下には…たくさんの、機関銃を乗せた船が何百とあり……その全てが、自分の方を向いて居るのです。
コレほど、恐ろしい事は無いでしょう。
大叔父が消息を絶った日、彼の母……祖父からすれば、祖母?は
「そうか、死んでしもうたか、んでも、一人や二人くらいお国にやらんと」
と、手紙を貰った日も、簡易の葬式(八人兄弟だったらしく、大叔父の、弟の葬式も控えていたからだとか)の日も、ケロリ…としていたらしいです。
それも併せて…やはり、当時の人は、持っている気持ちの大きさが、違うのだなぁ…と考えさせられました。
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本当に……大叔父は、何を思って戦闘機に乗ったのでしょうか。
当時の戦況が、正確に彼に伝わって居たのでしょうか?
もし、伝わって居なかったのならば、コレほど悲しい事は、有りませんし……何より、そんな絶望的な場所に大叔父を追いやった当時の日本軍を、私は不愉快に思います。
硫黄島の戦いは、その陸上戦のみがクローズアップされがちですが…その空でも、大叔父の様に、必死に情報を持ち帰ろうと戦った人が居たのを、忘れてはいけないとも……今回の里帰りは、不思議な経験を得ました。