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第1幕・3 地上の街、サンミラノにて

 後始末はウチの若いモンにやらせましょう。


 カーネル・ゴールはそう言った。昨晩のことである。

 そしてそれを、ある二人に任せた。


 皮ジャケットが似合う、モデルのように整った面立ちのスーヴェン・ゴール、21歳。


 黒縁眼鏡が年齢より幼く見せているハマート・ケリー、19歳。


 二人はギャンブルで栄える東一番のきらびやかな街、サンミラノの西側の街外れにある倉庫の中に立っていた。倉庫を所有するのは、サンミラノで活動する中堅組織『極黎会』。

 ボスの名はカーネル・ゴール。

 言うまでもなく、スーヴェンの実父だ。


 サンミラノは軍の部隊所もある大きな街だ。西や北へ向かうブルートロッコや特急列車も運行しているので、周囲の村や小さな町だけでなく、遠くの街からも人々が一攫千金を夢見てやって来る。

 ロックリバーの古い街並とは対照的に色彩豊かな建物が多く、強烈な光を放っている。


 しかし倉庫がある場所は喧噪や騒擾とは無縁の、薮と墓地に囲まれた陰湿で陰気で、街の裏路地とは違った、独特の陰の世界がある。そこは発展から取り残されたように静かだった。


「それで、ボクたちは何をしに、ここに来たでしたっけ?」


 ハマートが恍けた質問をしてくるので、スーヴェンは深々と溜め息をついた。


「後始末だよ。さっき自動車の中で言っただろう」

「ああ、そういえば言っていましたね。ああ、ここのことでしたか。後始末、ということは、ボスはまたここでリンチでもしたんですかねぇ?」

「そうだろうね。あのオヤジは力加減を知らないから、また酷く荒らしたに違いないよ。自分の後始末くらい自分でして欲しいね。ガキじゃないんだから」

「断ればよかったんじゃないですか?」

「そう思ったけど、どうせもうすぐ出て行くんだ。最後くらいは聞いてあげようかな、と」


 あっけらかんとした表情で、スーヴェンは言った。


 父親とは長い間、面と向かっての会話が無かった。スーヴェンは父を敬遠していた。カーネルの野蛮で、卑劣な行動が、気に入らなかったのである。拳銃で脅したり、無駄な暴力を振るったりするのは、自分の性には合わない。

 だから堅気になって、すべてから決別しようと考えていた。その矢先の出来事だった。


「優しいですねー。ボクはスーヴェンのそういうお人好しな所が好きです」

「魔が差しただけだよ。ちょうど母親の墓参りに行った帰りだったんだ、いろいろ考えていたから、いつもとは気分も違っていたんだよ。そこへオヤジが折り入って話があるって、真剣な顔で……あのゴツい顔でいう真剣っていうのは人を睨みつけることだけど……とにかく、言ってきたから何だろうと思ってね。聞いたんだ。そうしたら、後始末をしてこいってね、それだけだ。人に物を頼む態度じゃないよ」

「ボスですからね」


 スーヴェンは今更ながら、面倒臭い事になったと後悔していた。魔が差したとはいえ、ハマートの言う通り、本当にお人好しだったと思う。


 倉庫の中は薄暗い。

 半分は吹き抜けで、半分は二階になっている。元は一階に爽やかな風と墓地の風景を届ける大きな窓だった部分は、板が張り付けられ、さらに煤けたカーテンが掛けられている。吹き抜けの高い位置にある窓だけが、外の光が入る部分だった。


 倉庫の床には鉄屑やら釘やらコードやらガラスやら、ガラクタが散らばっていた。その中心には、そういったガラクタが結集したような鉄の塊があった。高さが二メートル近い巨大な塊で、何の形を模しているのか全くの意味不明な形態だ。子供でもこんな酷い物は作らないだろう。オブジェにしては悪趣味なものだった。

 隅にある錆びた階段を上れば、二階唯一の部屋の扉がある。


 部屋の中には、テーブルと、倒れた椅子と、中年男の死体。


 惨劇を見たスーヴェンは驚きよりも舌打ちが先に出て、ハマートは彼の後ろで、うわー、と小さく声を漏らしていた。


「見事な死体だね」スーヴェンは顔をしかめて中に入った。それから死体を見ても平然としていられる自分は歪んでいるな、と感じた。それとも現実が歪んでいるのか。サンミラノの街外れでは、死体は珍しくないものだ。


 死体の見開かれた目は光を失い、天井を睨んでいる。血が乾いたのか、頭部を中心に黒い染みが床に広がっている。壁にも点々と黒い飛沫が残っている。額には、小さな穴が三つ空いていた。

 スーヴェンは死体を跨いで、顎に手を当てて部屋をゆっくりと見回った。争った形跡はなかったが、雑然とした部屋だった。雪崩を起こした本たち。床に転がる木箱。何かをメモした用紙の束。


「死因は発砲による脳内損傷ですかね。被害者の身辺を洗いまして、犯人の特定を……」


 死体をじろじろ眺めながらハマートが言っている。


「おいおい、探偵小説じゃないんだから。犯人探しなんてしなくていいんだ。どうせ殺ったのはオヤジだよ」


 スーヴェンはさらりと受け流し、側の本を手に取った。臙脂色の表紙に印刷された文字は擦れ、何の本なのか判らなかった。カビ臭く、歴史の重みを感じさせる古い本だった。表紙をめくると一枚の薄い紙があった。


 それはベクターズカンパニーの配達伝票だった。


 差出人の名はイアソン・ヴォード、宛先はモーゼフ・ペイターズ。


「それにしても、ボスがやったにしては綺麗な死体ですね」


 ハマートは死体の顔を見る。虚ろな瞳と目が合って、あわてて逸らした。


「この部屋も……荒らされてないね。おかしいな、オヤジは一体ここで、この男に何をしていたんだろう」本を閉じて、部屋の中をもう一度見た。

「と、言いますと?」ハマートが尋ねる。

「リンチをしてないってことさ。君も言った通り衣服は乱れていないし、殴られた跡も無い。これは銃で撃ち殺している。リンチ目的でここに連れ込んだわけじゃないのかな」

「リンチ以外の目的があったってことですかね?」

「そうだね……ギャングの目的としては監禁が一般的かな」


 死体は冴えない中年男である。この場合は、とスーヴェンは考えた。


「暗号解読者、とか、研究者、とか。そんな感じがするね」

「なるほど。そういえば昔、歴史学者の父親がギャングに誘拐されたっていう映画を観た事あります。学者の誘拐、監禁って結構ありますよねー」

「探偵が旅館に行ったら必ず死人が出る確率と、同じくらいかもね」


 そう言って、スーヴェンは心の内で静かに笑った。

 そもそも、ありきたりな理由……誰かを従わせるとか、身代金目的とか、脅すとか。それ以外の目的でギャングが誘拐や監禁をするのはゼロではないにしろ、ほとんど無いわけだから、自分やハマートがそう考えても何の不思議もない。推理をするような謎はなかった。


 あるのは、男の死体。それだけだ。


 スーヴェンは肩を竦めてハマートを見た。


「とりあえず、片付けてさっさと帰ろうか。こんなことで、煩わされたくないね」

「そですね」返事をしながら、ハマートはイアソンの顔を覗き込んだ。男は虚しく天井を見つめている。

「あれ?」

「どうした、ハマート」

「あれっ」もう一度、今度は驚きの声だ。


 スーヴェンは不審に思い、ハマートが見た……男の死に顔を再び見た。


 すると。目玉が、ハマートを。


 ハマートは一瞬、自分の目を疑った。


 スーヴェンは一瞬、見間違いかと思った。


 死体が動いた?

 そんなことは。


 あったのだ。


 突然、虚ろな瞳が光を宿して、体が動いた。

 腕が伸びて、ハマートの首を鷲掴みにする。


「――――っっっっ!」


   ぎゃあああああああ……


 空気を裂いた絶叫は長く続かなかった。額に黒い穴を空けた死体を目の前に、ハマートの意識はぶつんと音がしてショートした。白目を剥いて、口から泡を噴く。

 男の死体は、バネの外れた人形のようにカクカクと首を回し、スーヴェンを見ている。真後ろにいた、スーヴェンを。


 顎がだらりと開いて、死体は笑う。

 ははは。

 ははは。


 見下すように、首を後ろに傾け、目玉だけはスーヴェンを向いている。


「ははは。気絶しないだけ、度胸が据わってるな」


 口の端を上げてにやりと笑った。頭の中が混乱し、どうしようもなくただ突っ立って唖然としていたスーヴェンだったが、それがスイッチだったかのように、ハッと我に返った。


「な……何だ、アンタは」


 頭の中をぐりぐりかき混ぜて底の方から、やっと見つけ出してきた言葉だった。久し振りに声を出したみたいに、乾いて擦れた声だった。


「俺か? 俺は見ての通り」ハマートの首から手を離すと、腕を力無く垂れ下げて立ち上がり、体だけをぐるりと回す。首が正しい位置に戻った。


「イアソン・ヴォードだ」

「……イアソン?」

「そうだ。ははは。イイ男の驚いた顔っていうのは、傑作だな。面白い面白い」


 死体は……最早死体と表現すべきなのか判らない生白い顔の男は、心底愉快だ、というふうに体を仰け反らせて笑った。開いた口から、ぽろぽろと歯が零れ落ちる。


 ははは。


 イアソンは歯を受け止めようともしない。笑みを浮かべたままで……額の穴から、黒い液が、噴水のように勢いよく飛び出た。

 スーヴェンを見据えたまま、ゆらりと動いた死体は片足を引き摺り、その軌跡に黒い筋を引いて前に進む。右の目玉がぽとりと落ちて、スーヴェンの靴に当たった。

 右目が欠けた穴の中から、黒い粘液が溢れ出して、顔を垂れる。


 スーヴェンは、あまりの不気味さに頭痛を感じた。これは現実なのか? ついさっきまで自分を構築していた世界が、足下から崩れていくようだった。目の前で起きている事に現実感は無く……感覚が遠のいている。すべてが自分のことではないように。まるで映像の世界に入り込んだように。


 ごあぁ。


 イアソンは何かを言おうとして口を開けたが、出てきたのは右目の穴から垂れる液と同じ、真っ黒な、光も反射しない闇のような色の、粘液。血ではないことは明らかだった。それでもなお口を動かしている。唇の端で、黒い泡ができている。


「……な……何だ」


 スーヴェンも口を動かした。先ほどと同じ質問を繰り返していることには気付いていない。目の前のものが何であるか確認しなければ、自分を作り出している世界が、崩壊してしまいそうだった。実際、足がふらふらしてきて力が抜けていく。


「ほ、ん」イアソンは左腕を持ち上げ、スーヴェンに触れようとした。

 とたんに、ぎい、という鈍い音がして、左腕は床に落ちた。


「ほん?」スーヴェンは聞き返すが、左目も半分飛び出た、イアソンの異様な顔面を直視することができなかった。


「その、本を……」


 人としての顔の成り立ちが歪んでしまったイアソンは、耳まで裂けた口の端を持ち上げて笑って言った。みしみしと音がして、口がさらに裂ける。


「本……この本?」

「すべて は、そ の、本に」


 イアソンの顔が一段下に落ちる。見れば、引き摺っていた足が外れていた。


「ちっ……作るな ら、もっと、がん じょ うニ つくりや ガ」


 ゼンマイの切れたオルゴールのように声は途切れ途切れになっていき、やがて停止した。音も、空気も、何もかも。


 静寂。

 しかしそれは一瞬だった。


 音もなく首に横一文字に亀裂が入り、頭部がころりと落ちた。

 それは盛りを終えて萎んだ花が、地面に落ちる様子に似ていたが……落ちたのは人間の首だ。儚さや、憂いさなどの情緒は皆無で、ただただ不気味だった。


 頭が無くなると、制御を失った胴も、後を追うように崩れ落ちた。

 床ではイアソンの残骸が墨より黒い粘液にまみれて、原始生物のようにゆっくりと広がっている。


 目の前から虚構が消え去った。安心感からか、スーヴェンはその場に座り込んでしまいそうになる。が、なんとか堪えた。

 床には虚構ではなかった証拠があったからだ。

 足を上げると、爪先に付着した黒い粘液が糸を引く。蜂蜜のような柔らかさだが、イアソンの体液だと思うと吐き気がする。こんな所に座るのはご免だ。


 とにかく落ち着こうと、息を整えた。目を瞑って、静かに考える。最初から順を追って、この不可解な出来事を整理した。でなければ何も解らず、何も始まらないと思ったのだ。


 後始末を頼まれた部屋に、男の死体。

 綺麗すぎる死体。

 動き、喋る死体。

 スーヴェンが持った本を指した死体。

 本。本と、死体。

 すべては、本に。


「……。」


 イアソンの言葉を頭の中で反芻すると、スーヴェンは目を開けた。一番に視界に入ってきたのは現実だった。真っ黒い粘液は、そこに存在していた。


 部屋に入った時点で本物の死体だと思っていたから、奇異な出来事に咄嗟の判断ができなかった。だが、事が通り過ぎた今は違っていた。冷静になっていた。これは死体ではない、では何かと問えば……人のパーツを持った物。ゾンビか人形。


 本を開く。

 この本に何かがある、ということを直感した。


 黄ばんだ紙を捲りながら、スーヴェンは複雑な気分だった。


 本当は、面倒事に首を突っ込むことはしたくなかった。渦の中に飛び込む行為は、後戻りが出来ないくらいの大事に巻き込まれる危険を伴う。

 だからカーネルから言われた通りに、イアソンの残骸も黒い体液も全部片付けて、何も見なかった振りをすればよかった。それが利口というものだろう。しかし残念ながら彼には、己の好奇心を犠牲にして、物事を穏便に済ませる、という選択肢は無かった。未知の出来事を目の当たりにし、スーヴェンは未知に挑む好奇心を抑えられずにいた。


 ……後悔するなよ。


 どこからか、声が聞こえた気がした。だがここには気絶したハマート以外、誰もいない。己の内からの忠告だった。後悔なんかしないさ、と言葉に出さず言い返しながら、本をじっくりと読む。古い字で書かれていて、読むのが難しかった。

 と……本を読むスーヴェンの視界の端に、不自然な光がちらりと入ってきた。


 黒い粘液に埋もれ、断片しか見せないそれは。


 近づいて屈んでよく見れば、小指ほどの大きさの小さな『F』型の鍵だった。指先でつまんで拾い上げる。ねっとりと、黒が糸を引く……鍵には、金属の札が付いていた。そこに小さく、擦れた字が彫ってあった。



『ブルーフォレスト9番地』


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