閉幕
太陽はいつもと同じだった。ロックリバーの上で人々に平等に光を与えている。
空に孤立した街の天辺のベンチ座っているエディと、横に並ぶガットとスーヴェンにも、同じように平等に。
エディはこの不思議な組み合わせに違和感を覚えながらも、ぼんやりしていた。
今あるのは祭りの後に感じる寂しさ、静けさ、喪失感。虚無感。
起きた騒動が祭りのような楽しいものでなかったので、すっきりとした爽やかさは微塵もなかった。達成感も。
「軍にいる古い友人に連絡をとったんだがなぁ、あの若ぇ役人、武装ナンタラ研究所とかいう軍の研究所の所長だったんだとよ。立派じゃあねぇか、あの若さで役職に就けるたぁ、頭もキレるんだろうよ。だが兵器の計画は、奴の独断だったらしいな。上の連中は誰も計画を知らなんだと。今は世界のバランスが丁度いい具合に保たれてんでぇ、わざわざ崩すこたぁねぇもんよ。だからな、軍としても隠蔽してぇヤマなんだと。この件に関しちゃ、心配いらねぇよ」
ガットが言ったことも、何の慰めにもならなかった。
少しでも気を緩めると、目が潤んでしまいそうだった。
あれから一日と半分が過ぎていた。事件は一昨日のことだが、エディとスーヴェンには遠い昔の出来事のようで、まるで現実味はなかった。
だが、つい先日まで見知らぬ他人だった者同士が、こうして並んで話をしていることは間違いなく現実で、事件があったことを実感させた。
友人でも知り合いでもなく、突発的な関係しかないのに『アイリス』という共通点があるのは、奇妙な感覚だった。
エディが霞んだ頭で、出来事を思い出し、考えていると、
「……ところで」不意にスーヴェンが声の調子を変えて尋ねてきた。
「君は今日のお勤めは、しなくてもいいんだ?」
「……三日間の謹慎だって。今日の朝に知らされた」
エディはちらりとガットに視線をやってから、下を向いた。視線の端に青が入ってくる。
「俺が、荷物をおっさんに届け損なったのは、事実だから」
「ふうん、そうなんだ」
スーヴェンはそっけなく頷いてから、はっきりとガットを見た。
「事件は狭い場所で起きたことだけど、軍が関わる一大事なのに。よく首を切られなかったね。人脈と権力は偉大だ」
するとガットは、ふん、と鼻を鳴らして言った。
「俺ぁ何もやっちゃいねぇさ。今回のことを知る奴はほとんどいねぇ。俺たちと、そのごく一部の奴らだけだ。支社長には、荷物の事しか伝わってねぇよ」
「ふうん、そっか」スーヴェンは肩を竦めた。それから、ふう、と息を吐く。
「何も得るものがなかったなんて。あまりいい結末ではなかったね。特に、エディ君にとっては」
「それは、オメーも同じだろう」
エディに代わってガットが言った。
スーヴェンは、彼がカーネルのことを言っているのだと悟って、曖昧な笑みを浮かべる。
「悪党が悪党らしい死に方をしただけで、残念なことは一つもないんだ。猫君が気に病むことじゃない。それよりも、イアソン・ヴォードの行方の方が重要だよ。あいつは最後まで、自分の責任の重さを知っちゃいなかったんだから」
それはエディも同感だった。
計画を企てたのは軍の役人だったが、エディたちにとって一番の原因はイアソン・ヴォードであった。
なぜなら、彼らはイアソン・ヴォードの言い分を聞いていたし、それについて反感を抱いていたからだ。
エディは森の中で。
スーヴェンは『アイリス』の残骸の側で。
山となった瓦礫と、ほとりと落ちてきた雨粒。
足下に転がる潰れた人の首。
そして人影。
「今更、何しに来たんだよ」スーヴェンは、不機嫌な声をイアソンに投げた。
「様子を見に来ただけさ。俺が作った物の動く様を、目に焼き付けておこうと思ったわけだ。壊される前に一目でも。こんなモンが作れることは滅多にないもんでな」
イアソンがいけしゃあしゃあと言うので、スーヴェンは苛立った。
自動車から飛び降りたときに、体を打ったときの鈍い痛みや、肩の傷の疼きも、飛んでしまうほどだった。
「……他人事みたいに言うなよ! この状況は、あんたが招いたんだよ。全部、あんたがね! 僕たちがいなくて、このまま暴走していたら、どうするつもりだったんだ」
「さてね。俺が壊していたかもしれないし、お前さんじゃない誰かが壊していたかもしれない。何にせよ、俺はお前さんがこうしていることに、有り難いと思っているんだぜ」
「礼を言う態度じゃないね」
スーヴェンはイアソンを睨みつけた。「責任はアンタにもあるんだ。それは分かってるんだろ」
「勿論さ。俺も自分の作った物への責任くらいは持っているぞ。もっと早くに来たかったんだがな、騒ぎのせいでトロッコが遅れていたから、来るのが遅れた。惜しい事をしたもんだ。記録にとっておくべきだった」
それからひと呼吸おいて、イアソンは帽子を被り直す。
「ところで、製造法の本はどうした。成り行きを考えると、お前さんが持っていることになるが……どうだ? 持っているか?」
スーヴェンはイアソンを睨みつけたまま、一瞬だけ沈黙した。
こんな男に、製造法を渡していいのだろうか? こんな不真面目な大人に!
それでも彼は結論を出した。
本は自分に必要な物でないことは、明白だった。
「あるよ。事務所とは別の場所に。誰も僕が持っているとは思わなかったみたいだ。あの役人さえもね。本が無くなったことに、気付かなかったのが不思議だよ」
「俺は器用だから、何でも作れるのさ。あいつらにはニセモノを返してやった。他に記録をとってなければ『アイリス』を計画することはないだろうよ。そして、俺が原本を持って旅に出る。ちょうど、世界を回ろうと思っていたところだ。なあ、それで完璧だろう? 一定の場所に置いておくよりも、危機は薄れる」
スーヴェンも、本がどこか関係のない所に行ってしまうのには賛成だった。
ただ一つの不安があるとすれば、本を持つのがイアソン・ヴォードだということだった。
いずれまた『アイリス』を作ってしまうのではないか、という疑惑。
信用できない不安が大きかった。
スーヴェンの考えを見抜いたかのように、イアソンはにやりと笑った。
「安心しな。軍の費用を流用しければならないほど、『アイリス』には金がかかる。まあ、兵器だからな、安くは作れないもんだが。俺も作る気はない。ただその本は、俺のご先祖様の名が入っているから、俺が持っているべきだろうと、そう考えただけなのさ」
「……あんたが『安心』を使えば使うほど、『安心』の価値がなくなっていくんだよ」
スーヴェンは嘆くように言った。
それがイアソンとの最後の会話だった。
「……それで?」エディは続きを求めた。「それで、おっさんは、いつ消えたんだ?」
スーヴェンがイアソンと話をしている頃、エディは薮の中で意識を失っていた。目が覚めたらサンミラノの病院のベッドの上で、ざあざあという雨音を聞いた。
運んだのがスーヴェンだと知ったのは、昨日の夕方……ロックリバーへ帰る、ブルートロッコの中だった。
「そのときだよ。猫君が僕を呼びにきて、僕らが現場を離れるときには、もういなかった。本はどうするのかと思っていたけれど、僕が本を置いていた場所に行ったら、本はなかった。代わりに直筆のメモがあったよ。空き巣みたいなマネしてさ、ふざけた奴だよ」
スーヴェンは思い出すのも不快のようで、口調にそれが表れていた。怒りが伝わってくる。
だがエディは、彼ほどイアソンに怒りを感じていなかった。
イアソンがいなければ、それまで経験したことのない時間、その時間の中にある笑顔、オルゴールの歌を、知ることはなかったのだ。
あの場にあったことは、忘れたくはない。
決して美しくないし、素敵でもないけれど、大切な思い出。
それは、元を辿ればイアソンがアイリスを作ったことから始まる。
感謝の気持ちはない。かといって、憎らしくも思わなかった。
しばらくの沈黙があった。
風は緩やかに流れ、数日前よりも濃い緑の匂いと、街のざわめきを運んでいる。
その風を遮るように、能天気な声が二人と一匹の耳に届いてきた。
「わあ、スーヴェン、生きていたんですね!」
息を弾ませて近づいてきたのは、嬉しそうに表情を緩めたハマートだった。
その後ろから派手な花柄のシャツを着たモーゼフが、黄色い縁のサングラスを額に乗せた粋な恰好で歩いている。
モーゼフとハマート、二人がどうして一緒にいるのか、エディは奇妙に思った。
二人の繋がりは、自分とスーヴェン以上に遠くて薄いものなのに。
「うひょひょ、随分と酷くやられたようだのう、エディ?」
「うるさいなぁ。何しに来たんだよ。俺は爺さんの占いがまた当たったから、気分が最悪なんだよ」
エディは陽気な爺さんの顔を見て、不思議と元気が戻ってきた。
それまで心にあった重しが、突然消えたように軽くなる。
「なあに、下界は雨だからの、晴れた場所に来たかっただけだ。空の駅でガットに会ってのう、頼まれ事をされてここまで来たんだ。お前さんもいると言うしの」
「頼まれ事?」エディは首を傾げてガットを見た。
「自衛団の事務所にいる眼鏡の若造を連れて来いとな。面識も無いのにさせるかね? ガットは横暴だわい」
「すまねぇな、トリティは仕事だしよ、他に頼める奴がいなかったんでぇ」
ガットが笑みを浮かべながら言うと、モーゼフも軽く息を吐いて笑う。
「いいってもんよ。お前のワガママは慣れとるわい。それよりも、儂はいろいろと知りたいものだなぁ。エディ、大変なことがあったらしいのう?」
「あったよ。本当に大変だった。……って、何で爺さんが知ってるんだ」
「ガットに聞いたぞ。カワイイ女の子とかな、そのへんを詳しく知りたいのぅ」
「何言ってんだよ」モーゼフがにやにや笑って言うので、エディは呆れてそっぽを向いた。
それから、それぞれの顔を見ていたガットがのんびりと筋肉を伸ばしながら、昼飯でも食いにいくか、と言った。
まだベクターズカンパニーの昼休みを告げる鐘は鳴っていなかったが、太陽は頭の上にあり、強い光を放っていた。
スーヴェンは立ち上がると、優しく笑ってガットの提案を断った。
「僕は、行こうと思っているんだ。ここはとてもいい場所だから、ずっといたいけど」
「サンミラノに帰るのかい?」ガットが尋ねる。
「ルーツェの方へ。知り合いがいるんだ。こんなことがなければ、もっと早くに、行ってる予定だった。昼一番のトロッコで行くつもりだよ」
そう話すスーヴェンを、エディは見ているだけだった。
ああ、この人は先へ行けるのか。あれだけのことが起きたのに。
エディは彼ほどすぐに決断して、割り切り、歩き出すことができずにいたので、羨望も少しだけあった。
そういえば、と思い出した。
そういえば、最初に、モーゼフの爺さんから言われたこと。
勝手に占われた、その結論。明日への希望。くよくよするな、と。
言うのは簡単だ。
でも、モーゼフの言葉が実行できるのは、まだまだ先になりそうだった。
「君とは不思議な縁だったね。もう会うことはないだろうけど。迷惑かけたね、お元気で」
スーヴェンの挨拶は爽やかだったが、エディは彼に対して曖昧な笑みを返した。
去り際、ハマートがこっそりエディに声をかけてきた。
彼がエディに話しかけてくることは、それが初めてだった。
「どうもお世話になりました。スーヴェンが、他人と話して笑顔になっているのを、久々に見ました。たぶん、君のこと、猫さんのこと、気に入ってます。またどこかで出会えるといいですね」
そう言って、犬が主人の後を追うように、ハマートはスーヴェンの後を追って行った。
彼らの姿が見えなくなると、ひょうっと一吹き、風が通り過ぎていった。
彼らの名残をさらっていくように、素早く、強く。
それで本当に、何もかもが終わった気がした。
事件を真正面から思い起こさせるものがなくなって、新たな空白ができた。
夢の後のように、頭の中がぼやけている。
エディのポケットの中には、鍵の無いオルゴールが入っていた。
それだけが現実を知る唯一の物。
「さて、俺らも帰るか。昼飯はオメーの好きな物、奢ってやるぞ」
「本当か? 儂は『カボチャ村』のパンプキンパイが食いたいの」
オメーじゃねえよ、とガットが言って、年寄り二人は笑い合う。
エディはその声を聞きながら空を見た。
明日から、また日常が始まる。
それは同じ事の繰り返しの日々。記憶はあっという間に過去になってしまって、そのうち色褪せてしまうのだろう。思い出とはそういうものだ。
大切でも嫌な事でも。
だから、立ち止まらないでおこうと思った。
止まることは、進んだ先にある後悔よりも、もっと後悔することだから。
エディはオルゴールを取り出すと、ベンチに残して歩き出した。
長々とおつきあい、ありがとうございました。この物語はこれでお終いです。なので、「あとがき」らしいものでも、ひとつ書いてみようと思いましたが、いいものが思い浮かばなかったので、物語と登場人物たちについて、どうでもいいことですが、書いてみることにしました。 【物語について】『はじまりは「空の駅」って響きがよくね? でしたが、駅員の話が思い浮かばなかったので、配達屋さんに。空を「飛ぶ」ではなく「走る」ってのが気に入ってます。なんか、少年少女が頑張る話はいいんですが、やっぱりそこには「大人」がいて「他人」がいて、沢山の人が関わっていると思います。そういった人物(猫も)がちゃんと存在感があるような物語が好きです』 【出てくる人々について】「エディ→やっぱ主役は少年でしょう、という単純な理由。苦労人なのは、まあ物語なので。あと、よく「ひょんなことから主人公が事件に巻き込まれる」っていう展開がありますが、そういうのって白々しいし、沢山あるので、そうじゃないはじまり方にしました。つまり「巻き込まれる理由」があるってことです。この場合、「少年が配達屋さんだった」から「事件に巻き込まれた」ってことです。」「アイリス→特に深い意味はなく命名。最期はけっこう初期から決まってたんですけどね・・・まあ、恋愛小説じゃないんで。」「ガット→ポルトガル語で「猫」の意味(え;)。 少年を導く大人ってことで博識な猫。ご先祖様が長靴を履いていたとか、どうでもいい裏設定があったり。」「スーヴェンとハマート→名付けのセンスが無い事を証明する二人; 日本一有名な釣りコンビの愛称から付けてみたのがいけなかった・・・いつの間にやら「いい人」な二人。初期設定ではスーさんは斜め上行く不良だったけど。今気づいたけど、二人はニートですな・・・」「トリティ→姉は最強の存在。兄だったら、また違う話になってただろうと思われ。」「ハーレー→「二輪車を扱う人」だから、ハーレー。なんて安直; 彼の方言は、関西弁ではないです。」 最後に、オートマタについて。 オートマタは、実際にあるオルゴール人形で、最初に見たのは「京都嵐山オルゴール博物館」です。ヨーロッパのオルゴール職人が、職人魂をかけて作った芸術作品です。古い人形が、音に合わせて動く様子は感動的でした。日本のからくり人形もすごいですが、ヨーロッパの人々の感性も素敵すぎます。