夜道に響く誘い声:からくり屯珍の事件簿
江戸時代、庶民の暮らしている長屋にはちゃんとした調理のできる台所はありません。
このため、食事は行商人から買って食べることも当たり前でした。
天秤棒の両端に商品をさげた棒手振が江戸の町を闊歩していました。
この作品は公式企画『秋の歴史2024:テーマ・分水嶺』、しいな ここみ様の『麺類短編料理企画』に参加しています。
江戸の夜。大通りでは天秤棒を担いだ棒手振が何人も歩いている。
「茶メシーー…… ちゃーメシーー」
「天婦羅ーー…… てーんぷらーーーー」
喜平も棒をしっかり握って声を上げた。
「そばきりぃーー そーばきりぃーー」
しばらく歩くと、「にいちゃん、ソバ2つくんねぇ?」と声がかかった。
そちらを見ると顔なじみの男性と、その連れの少年がいた。
人形屋の番頭さんと、そこで働いている屯珍ってやつだ。
「へい、少々お待ちを」
喜平は通りの脇に担ぎ屋台を下ろした。
人が担げる屋台だが、食材や食器の他に炭火の調理用具も入っている。
屯珍は珍しそうに屋台を覗き込んだ。
「喜平さん、この屋台って面白いでやんすね。これって木と竹と紙でやんすか。よかったら、おいらが手を加えてみましょうか。光ったり音を鳴らしたりできるでやんす」
「お。いいね。目立てば売り上げもよくなるかな」
そこで番頭さんが首をひねる。
「おい、屯珍。その仕掛けって、どのくらいの重さになるんだ?」
「そうでやんすね。だいたい今の屋台の倍ぐらいでやんす。あと、屋台の半分くらいの場所を使うでやんす」
喜平は「そりゃダメだ。ソバが持てない」と言いながら、出来上がったソバの丼鉢を番頭と屯珍に渡す。
そして喜平はきれいなハシも出した。もちろん立ち食いだ。
ネギなどの薬味が乗った暖かいソバを、番頭と屯珍がすすった。
「カツオのダシがきいてて、うまいでやんす」
番頭さんが「そういえば……」と言い出す。
「喜平って、酒屋の忠吉んところのお絹さんに熱を上げてたな。ちっとは仲良くなったのかい?」
「いやぁ、文を何回か出してるんですけど、反応がいまいちで」
屯珍は汁をズズッとすすり、喜平の方をみた。
「喜平さん、手紙を送ったときに、お絹さんを褒める事とか好意を持っているとか、書いたでやんすか?」
「いやぁ…… そういうのは気恥ずかしくて、時候の挨拶がほとんどだな」
「そりゃダメでやんすよ。言うこと言わないと」
「そうなんけどねぇ……。どうにもこっ恥ずかしくて。うまい書き方はないかなぁ」
「じゃあ、これを使うでやんすか?」
屯珍は紙を折ったものを出した。屋敷と観音開きの扉の絵が描かれており、扉を開くと裏の白い紙が出る。
そこに文字が書けそうだ。
「都都逸で、信州信濃の新ソバよりも俺はお前のソバが良い、ってのがあるでやんす。そういう感じのを書くでやんす」
「ふうん。おいしいソバの話かい? お絹さんはソバは打たないと思うけど」
「ニブいでやんすね。お前のソバが良いってのは、傍にいたいってことで、所帯を持ちたいって意味でやんす」
「ああ、なるほど。でも所帯の話をするのはまだ早そうだな。それにもっと短く書かないと入らないな。難しいな」
「喜平さん頑張って書くでやんす。うまく書けるかがどうかが、恋が成就するかの運命の分かれ道でやんす」
番頭と屯珍は空になった鉢を返した。
* * * * *
ここは江戸の大通りにある人形の店・三角屋。
今朝も屯珍達が店を開ける用意をしている。
商品を並べ終わった頃、屯珍の元にシャリシャリという草履の足音が近づいてきた。
「おはようございます、富吉さん」
屯珍が振り返ると、酒屋のお嬢さんのお絹さんがいた。
なお、屯珍はあだなで本名が富吉である。
「あ、お絹さん。しばらくでやんす」
「富吉さん。麻疹除けの人形はあるの?」
「へえ、これでやんす」
屯珍がヤマアラシの張り子人形を出した。屯珍が工夫した作品で、尻尾を引くとトゲトゲの毛が逆立つ仕掛けだ。
江戸ではヤマアラシの絵が病魔退散になるという噂もあり、この人形もよく売れる。
「そうだ。先日、お蕎麦屋さんの喜平さんから珍しい文が届いたの。あの仕掛けって、富吉さんが作ったんでしょ。面白いわね」
「へへっ。おいらは気に入ってもらえでよかったでやんす。ところで手紙の方はどうだったでやんすか?」
「くすくす……。喜平さんね、その手紙には『そばがいい』とだけ書いてあったの。あの人らしいわね」
「へー……。そうでやんすか」
こりゃあ前途多難かも。屯珍は心の中で合掌した。
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