6 ラスボス、決意する
迎えた週末、入学式。
結局パーティーに出席する旨の返事を送ったミリィは、早朝に起こされた。
ビビに連れられ寝ぼけ眼のまま顔を洗い、されるがままに着飾ること数時間。
丁寧すぎる準備を終え、真新しい制服に腕を通す頃にはもう朝食の時間だ。急いで食卓に向かうと、道中でミリィは偶然家を出るカイルと鉢合わせた。
「おはようございます、お父様」
形式的でかつ義務的な挨拶を並べると、カイルは返事をするでもなく、じいとミリィを見つめた。……制服姿がそこまで目新しいのだろうか。
(……それにしても、娘に挨拶のひとつも返さないなんて親としてどうなのかしら)
口から出かかった文句を、辛うじて喉の奥に押し留める。
(巻き戻り前は気にしてすらいなかったけど……とっくのとうに親子なんかじゃなかったんだわ、私たち)
思えば、巻き戻り前のミリィは、周囲の人間と同じように父を立てていた。
父に親らしいことなんて期待していなかったが、それでもより良い暮らしを送るにはカイルを立てて付き従うのが得策だと思ったからだ。
実際、18歳の頃までは大公という傘に隠れて生きるのが一番勉学に集中できたし、どこに不機嫌の種が埋まっているかわからない父に悪い印象は与えぬようにと敬いを尽くして尽くして尽くしたものである。
(挨拶もしたし、もう良いかな。……空腹で死にそうだわ)
だがそれも今や過去の話だ。
時間の足りないミリィに父を至極丁寧にもてなす暇などないし、何よりお腹が空いている。父に構っている余裕はない。
そうカイルの横を抜けようとすると、今度はそれを引き留めるように、カイルが「ミリィ」と名を呼んだ。
「……まだ何か?」
振り返ったミリィの瞳は、冷ややかで薄暗い。
それもこれも空腹が故なのだが、カイルが驚きで目を見開いたことに、ミリィは気が付かなかった。
「………お前………」
「何もないならよろしいでしょうか。お城に向かわれるのでしょう? 道中お気をつけてくださいませね」
父には期待しない。
当然、国を売るような真似事は止めるべきだろうが、そこに親子としての会話は不要である。どうせ何を言ったって、父は道具であるミリィの言葉になど耳を傾けやしないのだ。
「……ああ、そうだ。今日はパーティーに招待して頂きましたので、少し帰りが遅れることになるかと」
去り際にそう告げ、ミリィは危うく鳴りそうなお腹を抑えて場を後にした。
残されたのは少し前まで自分の機嫌を伺っていた娘の変貌に呆然としたカイルと、気まずそうな使用人だけである。
カイルは驚きを隠しきれない様子で額に手を当てると、誰に尋ねるでもなく、ただぽつりと呟いた。
「……パーティーなんて聞いていない」
押し黙る以外の選択肢がない使用人が、この場から逃げ出したそうに目を泳がせる。
カイルの頭に浮かんだのは、幼い頃、庭園で見つけたのだという四葉のクローバーを笑顔で差し出すミリィの姿だった。
一方で、朝食ののち家を出たミリィの方は、爽快感に満ち溢れていた。
まっさらな気持ちで始める二度目の学生生活というのも悪くない。乗り込んだ馬車の窓から眺める景色も、そう思うと全く別物に見える気さえした。
(……いけない。こんなふうに浮かれてたらさくっと殺されちゃうわ)
慌てて両頬をぺちんと叩き、なんとなく姿勢を正して座り直す。
ひとまず、グランドールでは友人を作りたい。友情に酔いたいのではなく、情報収集の観点から交友が必要だと思ったためだ。
当然のことだが、アンジェリーナの目的を探るためには情報が不可欠である。いずれアンジェリーナ自身に近付く必要も出てくるだろう。
そしてその役目は、恨みを抱えられていると思しきミリィ以外の人間が務めるべきだ。それを、作った『友人』に担ってもらう。
(……友人の在り方が未だにわかっていないのだけど、友情は助け合いっていうし。……多分友達って情報収集とかもしてくれるのよね?)
友情は尊いものだと説いている本を読んだことがあるし、きっとそうに違いない。ミリィには計画を遂行してくれる友人が必要だ。
(……そのためにも、グランドールでは上手く立ち回らなくちゃならないけど……)
グランドール魔法学園は、アビリア王国で最も有名な魔法の学び舎である。
貴賤問わずの平等を謳っているが、実態は生徒のほとんどが貴族という疑いようもない貴族学校だ。実家の爵位で学内の立ち位置が決まり、下位の者は、当然上位の者に何もかもを譲らねばならない。
そんな社会の縮図のような学園で、巻き戻り前のミリィは他とは一線を画す雰囲気を放っていた。
国で唯一かつ貴族の頂点に近い『大公家』の地位はもちろん、ミリィ自身が勉学や魔法実技において非常に優秀だったのもその理由の一つだろう。
加えてこの馴れ合わない性格だ。触れられない孤高の存在を確立したミリィは、いつしか廊下を歩くだけであらゆる生徒に道を開けられるようになっていた。
ミリィがおもむろに口を開けば周囲が会話を止め、うざったそうに目を伏せたならば、半径10メートルに緊張が走る。
ミリィ本人に自覚こそないが、『ラスボス』のミリィには、周囲の雰囲気を変える力のようなものがあった。
ミリィが穴場を見つけたと言って気に入って通った庭園は、生徒に不人気だったわけじゃない。
ミリィが通うからこそ、誰も近寄れなかったのだ。
「……ビビ、私決めたわ」
見慣れた学園の門が視界に入り、ミリィは風になびく黒髪を耳にかけた。
「? 何をでしょう」
「入学式後のパーティーで誰かに話しかけて、それで友人を作るの」
「まあ……、素敵ですね。心より応援しております」
「うん。目標は高くないと」
満足げに言い、ミリィは背凭れに体重を預けた。
もう間も無く二度目の学園生活が始まる。今度こそ他人などに殺されるわけにはいかないし、3年後も健康に生きるのがひとまずの目標だ。
そのために、1人でただ勉学に励んでいたミリィ自身も変わらなければならない。同じことを繰り返すだけでは、きっと似たような道を辿るだけなのだ。