【番外編】巻き戻り前のティーパーティー
「公女様」
ミリィが学園の図書館で本を読んでいると、静かに入室した侍女がそう自分を呼んだ。
「……なに?」
「学園からお言伝です。来週のティーパーティーに関して……」
「行かない」
短くそう答え、ミリィは再度本に目を落とした。
新たな魔法魔術論、という題がミリィの興味を引いたこの一冊は、しかし装丁に反して内容がお粗末である。
言っていることと言えばよその本の受け売りだし、何より表現が抽象的でわかりにくい。学者がなぜこうも詩的なフレーズを多用したがるのか、ミリィには甚だ疑問だった。
「……あの、公女様。本当によろしいのですか?」
「何が」
「ティーパーティーの件です。入学して初めての行事ですし、せめて数分参加なさるだけでも――」
「だから、行かない」
食い下がる侍女にきっぱりと言い放つ。
アステアラ大公家の長女であるミリィ・アステアラは、つい先日このグランドール魔法学園に入学した。
グランドールは、魔法に関する学術機関としては最高峰との呼び声も高い場所だ。
授業内容もレベルが高く、ミリィもそこには満足しているが、しかしこの――やたらたくさんある行事たちはどうにかならないものだろうか。
ミリィは誰かと茶を飲むのではなく、勉学に励むためここに来たのだ。
占星術の授業を兼ねた天体観測会というものには興味を惹かれたが、今回のティーパーティーとやらに参加する気は微塵も湧かなかった。
「……この本はだめね。さっきの3冊を借りておいてくれる? もう帰るわ」
「あ、公女様……! でも」
「いくら聞いてもティーパーティーには行かない。……そろそろ鬱陶しいのだけれど」
僅かに眉を寄せ、さっさと踵を返す。
侍女の反応を待たずに図書館を出たミリィは、大股で廊下を闊歩した。
(……最後の本は他書の焼き直しだったけれど、精神干渉系魔法の応用に関する論文は興味深かったわ)
その脳内にもはやティーパーティーなどという単語はない。
それどころかミリィは、既にティーパーティーという行事があることさえ忘れていた。ミリィの頭はそうできているのだ。
興味のないことは数秒で弾き出し、勉学や魔法といった、関心のあるものだけが思考を埋め尽くす。
故に廊下を歩く公女に突き刺さる畏怖の視線も、ミリィ本人にしてみればどうでも良いことだった。誰がどんな視線を向けていようと、彼女が気に留めることはないのである。
(魔法生物の進化過程が魔法の発展をなぞっているとなれば、いずれ――)
そう考え込みながら歩いていたミリィは、突然何かが背後から走ってくる気配を感じ、すっと右に逸れた。
「まあっ、ギルバート様!」
案の定、数秒後には女子生徒がミリィの背を追い越していく。
女子生徒は廊下の先にいた男子生徒の隣で足を止めた。
「こんなところで会えるなんて感激ですわ……! 生徒会の帰りですか?」
「ああ。グレイ伯爵令嬢はこんな時間まで何を?」
「えっ? あ、……えと、図書館で少し今日の復習を」
(……うん、やっぱり明日生物図鑑を借りるべきね。家にあるのは古くてだめだわ)
男女2人組が何やら会話をする一方で、淡々と頭と足を動かす。
やがて2人組のそばまで歩を進めると、ミリィは道を塞ぐ彼らをそこでやっと認識した。2人組の片割れが知り合いであることには、未だ気付いていない。
「ねえ、邪魔なのだけれど」
よく通る、真っ直ぐな声が廊下に響く。
「あ」と声を上げたのは男子生徒の方だった。
「わ、……悪い。つい……」
「いいえ」
端に避けた2人の横を通り抜け、ミリィは変わらず思考を魔法で埋め尽くしながら廊下を進む。
そんなミリィの背が見えなくなったあたりで、場に残された女子生徒がゆるりと口角を歪めた。
「何だか……公女様って、どこか冷たいイメージがありますわよね?」
女子生徒――アンジェリーナ・グレイは、唇の隙間から笑い声を漏らす。
「今だって無表情で『邪魔』って……。ギルバート様、お気を悪くされておりませんこと? あんな態度あんまりですわ」
そう言いつつ、アンジェリーナは可笑しさを隠せない様子だった。
ギルバートと呼ばれた男子生徒は気まずそうに頬を掻く。
「ああ、……いや、別に良いんだ。彼女のああいうところにはもう慣れているし……」
「……はい?」
「むしろ安心したくらいなんだ。まだ俺と口を利いてくれるんだ、って」
その言葉を聞き、アンジェリーナは心内で思い切り舌を打った。……ゲームじゃ無様に死ぬキャラクターの分際で、自分とギルバートとの愛をまだ邪魔するのか。
「……お2人は幼なじみなんですよね?」
「ああ。って言っても、もうまともに話してないけどな」
「へえ……。ギルバート様はお優しいんですね。わたくしだったら、あんな態度取られたら縁を切りたくなってしまいますわ」
でもミリィのそれも、無駄な足掻きであることには変わりない。
アンジェリーナ・グレイは、この世界が乙女ゲームの中であることを知っている。
そして自分はゲームの中の『悪役令嬢』。転生ものではお約束のヒロインで、最終的に想い人から溺愛されるこの世界の主人公だ。約束された勝ち組だ。
(……ああ、早くあの女が死ぬところを見たいわ)
こんなことを言っているギルバートも、数年後にはアンジェリーナと結ばれるのである。
そしてミリィは捨てられ、誰もが悪役令嬢に賛同する環境で、アンジェリーナは王妃となるのだ。何故なら、ハッピーエンドを迎える権利が悪役令嬢にはあるから。
(はあ、……悪役令嬢って最高)
ミリィが去って行った方向をじっと見つめるギルバートに、アンジェリーナは笑いかける。
「ねえ、ギルバート様……。今度のティーパーティーも楽しみですわね?」
やっとゲームシナリオが始まったのだ。エンディングを迎える数年後にはきっと、自分はギルバートの隣で笑っているに違いない。
――アンジェリーナ・グレイがそんなことを考えているとも知らず、ミリィはただ1人、誰も寄せ付けることなく廊下を歩いていた。