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34 世界最恐の父娘

「ねえ、お父様に会わせて」


 帰宅するや否や、ミリィは執事に訴えた。


「はい……?」

「今すぐがいいわ。どこにいるの? 執務室?」

「あ、いや……! 旦那様は先ほど帰られたばかりで、今はお休みを――」

「娘より大事な休息があるっていうの?」


 口籠る執事に、ミリィは眉を寄せて詰め寄る。


「……もういいわ、直接会いに行くから」

「ミリィ様! お待ちを!」


 もう待っていられない。青ざめる使用人たちを引き連れ、ミリィは駆け足で階段を登った。


 カイルの寝室は、規格外の広さを誇るアステアラ邸の3階にある。


 ちょうどその階段を登り切ったところで、観音開きの大きな扉が開いた。


「……何の騒ぎだ?」


 中から出てきた部屋の主人――カイル・アステアラに、背後の使用人たちが小さな悲鳴を上げる。


「お父様。ただいま戻りました」


 一方で毅然とした態度のミリィを見ると、カイルは何だか珍しいものでも見たかのように眉を動かした。


「……お前、いつの間に家の中で静かにすることもできない娘になったんだ?」

「お話があります」


 質問に答えている暇はない。一刻でも早く父と会話する必要があるからだ。


 緊迫した空気に、使用人の誰もが息を止めている。


 そんな重苦しい沈黙の中で、カイルはくるりと踵を返した。


「良いだろう。……入れ」

「だ、旦那様……!」

「お前たちは下がっておけ。足音がうるさくてまともに寝られやしないんだ」


 その言葉を聞くなり、ミリィは大股でカイルの寝室に足を踏み入れた。


 この部屋を訪れるのは、実に10年ぶりである。

 簡素で殺風景なのは何も変わってはいないが、部屋の中に設置された小さなテーブルには、珍しく小説が置かれていた。


「……お父様は、小説の類も読まれるんですか?」


 思わず尋ねると、カイルは扉を閉めながら答えた。


「意外か?」

「現実味のないお話は嫌いかと」

「ああ、その通りだ。読んでいて反吐が出る思いだった」


 クツクツと喉を鳴らして笑い、カイルは備え付けのソファに腰を下ろす。


 じゃあ読まなければ良いのに、なんて言葉は不要だろう。どう返されるかなんてわかりきっていた。


「それで、話とはなんだ。5分で済ませろ」


 5分。カイルにしては時間を取ってくれた方だろう。


 ミリィは脳内で要点をまとめると、咳払いののちに口を開いた。


「本日、グランドール魔法学園でティーパーティーが行われました」

「……あの学園が生産性のない行事を好むのは、前から変わらんな」

「ええ。それで、その行事中の話なのですが」

「言ってみろ」

「私の座っていたテーブルで、毒が発見されました」


 カイルの眉間に皺が寄る。


「毒……?」

「はい。私の学友が被害に遭いました」

「ほう……お前に学友がいたとはな」

「それは本質的ではありません。毒を盛った犯人が、グレイ伯爵家の令嬢だったのです」


 もう一度、今度は深い皺が、カイルの眉間に刻まれた。


「犯人の――『悪役令嬢』を名乗るアンジェリーナ・グレイは、私に並々ならぬ恨みを抱えているそうで」

「なるほどな。それで? 粛清でもしてほしいか?」

「いえ。大事にはしたくないのです。ですからお父様」


 そこで言葉を切り、ミリィはそっと息を吸った。


 ここで騒ぎ立てて、カイルにグレイ伯爵家を断罪してもらうのは簡単だ。しかし、それでは揉め事を知られたくないというニコラスとの約束に反する。


 それでも身は守らなくてはならない。


 そうして考えついたのは、国で唯一『大公』の爵位を持つ父の存在だった。



「私を守ってください」



 はっきりと言葉にすると、カイルはほんの一瞬、言葉を失った。


 カイル・アステアラは、ただ地位に恵まれたというだけで大公の爵位を得たわけではない。


 カイルには絶大な力がある。魔法の腕が、自己の理想を体現せんとする頭がある。


 ミリィが尊敬したニール・フランスタでさえ、魔法で父を圧倒するのは難しいだろう。ミリィの身の回りで1番強大な力を持つのはカイルなのだ。


「守る、……だと?」

「ええ。彼女は何を仕出かすかわかりません。たとえ学園を追放されたとて、私に襲いかかってくるかもしれない」

「……」

「ですから、アンジェリーナ・グレイから私を守ってください。娘は可愛いでしょう?」


 カイルに勝てる人間はそういない。ましてや、アンジェリーナ程度なら足元にさえ及ばない。


 だからこそ彼に守ってもらう。庇護を受けることで、自身の安全を確立する。

 ミリィが考えたのはそんなことだった。父を利用して、3年後も生き残る。


「……ほう、それがお前の頼みか」


 しかし、カイルは一筋縄ではいかなかった。


「ええ」

「俺にメリットがない」


 頬杖をつきながら言ったカイルに、ミリィは思いきり顔を顰めた。


「メリット、ですか」

「ああ。利がない仕事は受けるに値しない。そうだな?」

「……全くそうですわ」


 まるで父親の発言とは思えないが、しかしこう言われることも想定内だ。


 ミリィほどカイルの性格を熟知している人間は他にいない。故に、彼がどうすれば興味を持つかも、ミリィは知っている。


 ミリィは静かに顔を上げると、カイルが座る向かいのソファに無断で腰掛けて言った。


「数年後、我がアステアラ大公家は必ず存亡の危機を迎えます」

「……は?」

「迎えるのです。間違いありません。アビリア王国は混乱に陥り、あなたは貴族たちから糾弾され、大公家は破滅へ向かいます」


 案の定、カイルは切れ長の目を僅かに見開いた。


 ミリィが黙って見つめると、「……続けろ」と指示が飛ぶ。


「その危機が終息した時、閣下はご存命にありません」

「……」

「私の命だって危うくなる。それを回避するために、私は、お父様に協力を惜しまないと約束しましょう」


 訪れる『危機』。――それはつまり、カイル・アステアラの処刑と、ミリィの死を意味する。


 カイルは他国に自国を売った罪で処刑されたが、あの時のカイルの行動は、今思っても不自然なのだ。大公の地位を得ているカイルが、その安定を捨てるような真似をするだろうか?


(……あなたはしないでしょう、そんなこと)


 父のことを熟知しているミリィにはわかる。あれは父の本意ではない。


 きっと第三者に唆されたか、精神干渉の魔法でも受けたのだろう。それを回避しなければ、まず間違いなく、時が巻き戻ったこの世界でも大公家は終焉を迎える。


「……起こるかもわからない危機の回避に尽力することが、お前を守る『メリット』だというのか?」

「ええ。私はお父様の生首なんて見たくありません」


 一切の迷いなく、ミリィはそう答えた。


 時が巻き戻る前の世界を知っている自分になら、父の処刑を回避することができる。


 ミリィには確かな自信と意志があった。

 もうあんな形で死ぬのはごめんだ。他人に人生を終わらせられるなんて、冗談じゃない。


 何が何でも、あの未来だけは回避する。

 アンジェリーナ如きに殺されるほど、ミリィはやわじゃないのだ。


「ふふ、……そうか」


 しばしの沈黙の後、カイル・アステアラは愉快そうに笑った。


「そうか、気に入った。良いだろう、ミリィ」

「……」


「俺が、お前をその『悪役令嬢』とやらから必ず守ってやろう。お前は死なせやしないし、傷ひとつだってつけさせない」


 父の宣言は、これ以上ないほど頼もしいものだった。


 ミリィは思わず口角を緩め、しかし声色だけは冷静に「はい」と答える。


 それがまた愉快だったのだろう。カイルは、まるで小説の中の悪役のようににやりと笑ってみせた。


「お前はその『危機』とやらの回避に持てる力を注げば良い。それで良いな?」


 頷くミリィの笑顔も、また悪役に相応しいほどに仄暗い。


 父の前でもう何年も見せていなかった表情を浮かべ、ミリィは丁寧に礼をした。艶やかな黒髪がしなだれ、肩口から落ちる。


「ええ、もちろん。私が大公家を終わらせたりしません」

「ああ。……お前の言った通りだ。娘は可愛いものだな?」


 ――かくして。


 ミリィは望んだ通り、父であるカイル・アステアラを『飼う』ことに成功した。


 この奇妙な協力関係が続く限り、ミリィは身の安全を得ることができる。ついでにカイルの行動も把握することで、大公家の滅亡まで阻止する算段だった。


(……お父様には、杖をひと振りするだけで人を殺せるような魔法の腕と力がある。番犬として飼うなら、これ以上に頼もしい人はいないでしょう)


 あとはしっかり首輪を付けて、リードを握ってやるだけだ。


 ミリィは笑った。カイルも似たような顔で笑っている。


 愛のない、しかしその力はあまりにも強大で、世界で最も恐れるべき父娘。


 まさしく『ラスボス』と言うべき2人は、この日を境に、少し歪な親子の形を紡ぎ始めた。

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