33 悪役令嬢尋問会議
会議室の扉が閉められた音に、アンジェリーナ・グレイは肩を大きく震わせた。
「もう良いんじゃない? 面倒だから1から10まで全部吐いてよ、アンジェリーナ嬢」
エドガーが面倒臭そうに欠伸をすると、アンジェリーナは懇願するような瞳で彼を見る。
おおよそ見逃してもらえるとでも思ったのだろう。
しかしエドガーは、不愉快だとでもいうように眉を寄せた。
「……何、ふざけてんの? 俺、全部吐けって言ったんだけど」
「え……」
「早く帰りたかったら口動かしてね。君のせいで大変なことになってるからさ」
エドガーに突き放されたアンジェリーナの様子は、ミリィからしても悲惨だった。
額に脂汗を浮かべ、瞳は忙しなく動き、呼吸の頻度も異常。
呼ばれた理由に心当たりがない、という様子ではなさそうだ。少なくとも、彼女は何かを知っている。
「はっきり言って、今回の――ティーカップに毒が仕込まれていた事件の犯人は、あなただと思ってる」
ミリィが告げると、アンジェリーナは思いきり目を見開いた。
図星なのだろう。『悪役令嬢』なんて役名のような二つ名を名乗っているくせに、どうも演技は下手らしい。
ミリィは侮蔑を隠さずに続けた。
「実行犯はティーセットを持ってきたメイドで間違い無いでしょう。でも、あのメイドは誰かに買われただけだわ」
「は……」
「あのティーセット、提供元はあなたの家よね?」
アンジェリーナは何も言わない。
まさか、この期に及んで逃げられるとでも思っているのか。
「……別に、肯定しないならそれで良いわ。あなたのお母様に確認すれば良いだけだし」
「なっ……! それは!」
「嫌なら言ってくれないかな」
ニコラスの声に苛立ちが滲む。
アンジェリーナの呼吸が更に荒くなった。
味方がいないことを悟ったのだろう。この室内には、もう彼女の敵しかいない。
「今回の事件、……犯人は君だよね?」
いつもの籠った声でない、確かな糾弾が、アンジェリーナを射抜いた。
シンとした会議室に荒い呼吸音だけがこだまする。
「……な、なんで、なんで……?」
ニコラスの淀んだ瞳が、ミリィの澄んだ双眸が、エドガーの胡乱な両眼が、『悪役令嬢』アンジェリーナ・グレイを咎め。
「なんで……? こんなの、違う」
「……アンジェリーナ?」
「あんたなんて、父親を唆すだけの敵役なのに……!」
呆然としたように零した、その時だった。
「あたしは、あたしは、『悪役令嬢』よ!」
瞬間、アンジェリーナの杖が、ミリィの方へと向けられる。
「危ない!」
ニコラスが叫び杖を構えた。でも間に合わない。
ミリィは咄嗟に呪文を詠唱しようとし、しかし、その前に、誰かの背が視界を塞いだ。
(……え?)
途端に鋭い光が襲い、あまりの眩しさに目を瞑る。
追って破裂音が鳴った。アンジェリーナの悲鳴が聞こえる。
次に目を開けた時、ミリィの前に立っていたのは、面倒臭そうに溜息を吐く大きな背中で。
「……エドガー?」
その名を呼ぶと、エドガーは軽く舌を打った。
「まったく……誰に杖向けてんだろうね? この身の程知らずは」
エドガーは杖を内ポケットにしまうと、気絶したアンジェリーナを一瞥し、ミリィの方を振り返る。
ぽかんとした表情のミリィは、未だに状況が飲み込めない中で問うた。
「……無詠唱、魔法……?」
一般的に、魔法を使うには、杖と詠唱の2つを必要とする。
魔法が難解とされているのは、この手順が面倒で長ったらしいからだ。詠唱を口にしながら決まった杖の振り方を実施するというのは、思った以上に難易度が高いものである。
しかし世界には、ごく稀に杖や詠唱を必要としない魔法使いがいる。
ミリィはこのうち、杖を必要としない魔法使いだった。
無杖魔法と呼ばれるそれは、世界でも類を見ない貴重なもの。
詠唱を必要としない無詠唱魔法も、またとんでもなく貴重なものだ。しかしそれを、エドガーは目の前でやってのけてしまった。
「なに、初めて見た?」
「あ、ううん……初めてじゃない、けど。すごくて」
「じゃあそんな大層なものじゃないでしょ。公女様だって無杖魔法が使えるんだし――」
「違う、……すごい、本当に。さすが魔法伯、だ」
輝く瞳に見つめられ、エドガーは一瞬たじろいだ。普段仏頂面なぶん、ミリィの素直な表情は心臓に悪い。
「あー……、そう。別に何でも良いけど。……とにかく、そいつをなんとかしなきゃ」
エドガーが顎で示した先では、ニコラスが気絶したアンジェリーナに声をかけている。
きっと魔法をもろにあびて気を失ったのだ。外傷はないが、あれじゃあと数時間は目を覚まさないだろう。頭を冷やすには丁度良い。
「……まあ、何と言うかさ」
もう起きないと判断したらしい。
ニコラスが、アンジェリーナの杖を拾い上げながら言った。
「公女様を魔法で害そうとしたんだ。証人だって2人もいるし……ティーパーティーでの事件も合わせて、彼女に処罰がくだるのは時間の問題だと思うよ」
ともかく、これではっきりした。毒入りカップ事件の真犯人は、アンジェリーナで間違いない。
実行犯のメイドもすぐに捕えられるだろう。処遇はニコラスの要望通り学園に一任され、アインツドール公爵家に一連の揉め事が伝わることもないはずだ。
(それにしても……)
つつがなく、とは言わないが、とにかく終わった。
安堵の息を吐きながら、ミリィはふと思い返す。
(『父親を唆すだけの敵役』って何だろう。……私とお父様のことを言ってるなら、巻き戻り前も大したことしてないはずだけど……)
先ほど、アンジェリーナがうわごとのように言った言葉。あれがどうしても頭から離れてくれない。
ミリィとその父親であるカイル・アステアラは、親子としては不自然なほどに関わりがない。
時が巻き戻る前は、特にそれが顕著だった。もはやまともな会話をした記憶がないし、おかげでミリィは、父親が謀反の罪で捕まるその瞬間まで、彼の企みを知らなかったくらいだ。
(だからこそ私は捕まらずに済んだわけだけど……アンジェリーナの言葉はどういう意味かしら)
今から3年後。
カイル・アステアラは、ギルバートに罪を暴かれて処刑される。
罪状は国家反逆罪だ。3年後、平穏に暮らすためにも、ミリィは彼を止めなければならない。
(……お父様、ね)
気絶するアンジェリーナを尻目に、ひとつ息を吐く。
アンジェリーナがここまで早く行動を起こしてくるのは、ミリィにとっては想定外だった。
彼女のミリィに対する恨みは相当深い。これから何を仕出かすかわかったものじゃないし、ミリィを直接害しにくることもあるだろう。身を守る必要がある。
(……まあ、遅かれ早かれ話はしなきゃならないわよね。お父様と)
そのためにも、父親と話をする。
そう決意を固め、ミリィは施しておいた防音結界を解除した。
どこか遠くから、ミリィを探すギルバートとルキウスの声が聞こえた気がした。