30 公爵家の息子
ここで犯人を見つける。
つまり、たった2人で毒入りカップの事件の全貌を明かすということだ。
ミリィは訝しげにニコラスを見つめた。
「……こういうのは、普通先生方に任せるものだと思うのだけど」
「うん。普通はね」
「ならどうして……」
「学園で問題が起きたって、家に知られたくないんだよ」
彼の答えは、案外あっさりしたものだった。
「うちの家はちょっとややこしくてさ。……まあ、僕のことすら覚えてなかったきみには、そんなこと知ったこっちゃないんだろうけど」
「……私、そんな薄情な人間に見えるの?」
「拗ねないでよ。責めてるんじゃないんだ、実際きみにはあんま関係ないことだし……」
何だか馬鹿にされているみたいだ。むっときたミリィは思わず口を尖らせたが、実際、社交界のことに関して全くの無知であることには変わりない。
「……とにかく、僕は学園での揉め事を家に知られたくないんだ。学園が調査に乗り出す前に犯人を自首させて、どうにか内々で済ませたい」
ニコラスは小さく息を吐き、数度こめかみのあたりを叩いた。頭痛だろうか。彼もなかなか苦労しているらしい。
「あ、いや……別にね、きみにタダ働きさせようってわけじゃないよ。協力してくれたらちゃんとメリットもある」
「……メリット?」
「うん。例えば将来有望なアインツドール公爵家の長男に媚を売れ――アッ、いや冗談です。ハイ……」
ふざけたことを言い出す眼鏡を睨み付けてやると、ニコラスは肩をびくりと震わせた。怯えるくらいなら言わなければいいのだ。
「……あなたの普段の様子を見てると、媚を売れることがメリットだとは思えないわね」
「エッ、僕一応次の公爵になる人なんだけど……」
「じゃあ真面目に話して」
これみよがしに溜息を吐いてやると、ニコラスは困ったように頬をかく。
それから一度唇を引き結ぶと、今度こそ真剣な顔で切り出した。
「ここできみが犯人探しに協力してくれて、僕の実家に問題が露呈しなかったら」
「ええ」
「アインツドール公爵家は、アステアラ大公家に忠誠を誓うと約束しよう」
「……は?」
とんでもないことをさらっと言われた。
「はっ……、い、いきなり何言ってるの……!?」
「あ、信憑性薄い? 僕一応次の当主だし、今でもそこそこ父親に口出せる立場にいるから安心してほしいんだけど」
「そうじゃなくて! 何いきなり家の命運決めるようなこと言ってるのってこと!」
「うるさいよ公女様……」
こんなのうるさくもなる。社交界の事情に疎いミリィでも、公爵家が国政に及ぼす影響は十分に理解しているつもりだ。
誇張でもなんでもなく、公爵家がどこの派閥につくかで国は180度変わる。
公爵とはそういう、王に直接口を出せる地位にいる人のことを言うのだ。特に大公がまともに国政に出てこないアビリア王国では、公爵1人1人の意向がより政治に影響する。
ニコラスは、そんな大いなる権力をこんな学園の一室で売ろうとしているのだ。どう考えても正気じゃない。
「いや、わかってるよ。別に考えなしに言ってるんじゃなくてさ」
「わかってない……! 公爵家1人の力がどれほど国を変えるか」
「だからわかってるよ。聞いて、ミリィ」
思わず身を乗り出したミリィに、ニコラスは至って冷静な様子で首を振った。
「僕はさ、きみだから言ってるんだ。別に誰彼構わずこんなこと言うわけじゃない」
「は……」
「正直、大公家のことはとんでもない家だと思ってるよ。権力に驕ってる大公閣下のこともク……、……あれだと思うけど、でも次はきみか、きみが選んだ旦那さんが当主になるんでしょ」
彼の声には、不思議と口を挟めない何かがあった。
普段ならもう少しお腹から声を出してくれと思うぼそぼそとした声に、自然と耳を傾けてしまう。ニコラスは続けた。
「僕、これでも結構きみを買ってるんだ。将来性を見込めば、大公派につくのは馬鹿な選択じゃない」
「……」
「ついでに賢いきみの協力も得られるなら、僕としては願ってもないことなんだよ」
ミリィは数秒、眼鏡の奥の濁った瞳を見つめて押し黙った。
彼が冗談を言っているようには見えない。
きっとニコラスは本気で家を売ろうとしているのだろう。ミリィには、それがまるで理解できなかった。
「……そこまでして、あなたは家に学園での揉め事を知られたくないの?」
「うん」
「なぜ?」
「それは言えない」
ニコラスは首を振った。
「私が、あなたに協力するってだけで家を売るの?」
「そうだよ。きみが望むなら、指の1本や2本ついでにあげてもいい」
「それは流石にいらないけど……」
俯くミリィに、ニコラスが続ける。
「……はっきり言うけど、きみの実家――アステアラ大公家は、社交界での印象が悪い」
室内の空気が、その一言で一変する。
実家の陰口を目の前で言われたミリィは、しかし何を返すでもなかった。
彼の言葉が真実だったからだ。
アステアラ大公家は、貴族間の評判がすこぶる悪い。
アイクなんてその筆頭だろう。彼は大公家の人間というだけでミリィを憎んでいたし、先ほど、毒を盛ったと疑われた時だって、ギャラリーの生徒たちは、誰1人としてミリィの無罪を信じていなかった。
理由はひとつ。ミリィが大公家の娘だからだ。
悪名高き大公家の人間だからというだけで、ミリィには常に偏見が付きまとう。
「大公閣下の所業を考えたら当然だけどね。あの人、ちょっと気に入らないだけで下位貴族をいじめるし……」
「……領地を剥奪する悪行を『いじめ』でおさめちゃダメだと思うけど」
「まあねえ……。正直僕は、カイル様を大層気に入ってる陛下が亡くなられたら大公家の立場は相当悪くなると思ってるよ」
ふと、ミリィの表情が曇る。
ニコラスの言葉には、ほんの僅かながら心当たりがあった。
(……国王が、亡くなられたら……)
実を言うと、現在の国王――ギルバートの父であるエイゼン・フリッツナーは、あと2年ほどで崩御する。
少なくとも時が巻き戻る前の世界ではそうだった。それも突然の病による死だと聞いたから、恐らくは今回も同じ道を辿るだろう。彼の死は避けられない事実だ。
(『立場が悪くなる』……。実際そうだったから何も言えないけれど)
エイゼンが亡くなった後、国王という後ろ盾を無くしたアステアラ大公家は、貴族諸侯の強い反発を受けるようになった。
過去の行いはもちろん、3人の王子から次期国王を決める跡目争いが激化していたのも理由の一つだろう。貴族たちのストレスや鬱憤をぶつけるように、大公家は非難された。
(……結局あの時は、お父様の謀反の罪を暴いたギルバートが王になったんだっけ)
自国を他国に売った父は処刑され、ミリィもまた、殺された。
思い出したくない記憶だ。何もかも。
「……アインツドール公爵家がきみたちにつけば、そんな未来も変えられるかもしれない」
ミリィは、思わず顔を上げた。
現国王エイゼン・フリッツナーは、ミリィの記憶の限りではおよそ2年後に亡くなる。
時が巻き戻る前は気にも留めなかったが、思い返せば、父親に不可解な動きが出始めたのもエイゼンが亡くなってからだ。
(陛下の崩御と社交界での地位悪化をきっかけに、お父様が売国奴のような真似をしだしたのだとしたら……)
ミリィは唇を噛んだ。
アインツドール公爵家がバックについてくれるなら、そんな未来も変えられる。
(……私には、お父様を止める必要がある)
アンジェリーナへの復讐を果たし、この世界で生き残るためにだ。とにかくミリィは父の凶行を阻止せねばならない。
選ぶ余地など、ここには存在しない、はずだ。
「わかった。……犯人探し、私もする。あなたの家には何も口を出させない」
気づけば、ミリィの口はそう言っていた。
ニコラスが笑う。笑っているところは初めて見たな、と思う間に、彼は大きく頷いた。
「オーケー、じゃあやっと本題だ。早速、今回の毒入りカップ事件の犯人を見つけよう」