28 胸がいっぱい
「……公女様が、毒を……?」
やや間が空き、誰かがぽつりと呟く。
それをくだらないと一蹴しかけ、ミリィははたと気付いた。
――自分には、この疑いを晴らせるだけの反論がない。
犯人が学園の関係者であることはもはや決定的だ。
そして明確な容疑者がいない以上、シエラと同じテーブルに着き、直前まで毒入りのカップを持っていたミリィに疑いがかかるのは当然である。
むしろ、これまで容疑者として名前が上がらなかったのがおかしいくらいだった。
ミリィ・アステアラは公女である。
その肩書きがミリィを容疑者から外していただけで、ミリィ本人には、身の潔白を証明できるものがなかったのだ。
「はは、ははは……」
しんと静まり返った場に、掠れた笑い声が響く。
先ほどリズベルを糾弾した女子生徒だ。
「何よ、公女様の仕業なの……?」
彼女は、声を震わせながら言った。
「わたくしにあれだけ説教を垂れておいて、結局あなたが犯人……? ああ、おかしい!」
覚束ない足取りで歩み寄ってくる女子生徒に、ミリィは一瞬反応が遅れた。
「結局あなたもあの男の血が混じった外道じゃない……! 何よ、なんなの!? 気に入られようと努力したわたくしが馬鹿みたい!」
「あなた――」
「こんなのに媚売らなきゃいけないなんて本当に阿呆らしい! 毒盛るような娘も、人を人と思ってない大公もくだらないわ!」
女子生徒はミリィに掴み掛からんとし、しかし、ギャラリーの波をやっとかきわけてやってきた教師たちに止められた。
その中の若い女性教師が、未だ高笑いを浮かべる女子生徒の背を不安げにさすった。目に見えて正気を失った女子生徒を心配しているようにも見える。
一方でミリィに歩み寄った老年の男性教師は、険しい顔を崩さなかった。
その瞳は、見るからに訝しげだ。
(…………私を、疑っているの?)
周囲を見渡す。
名も知らぬ生徒が、ひそひそと何事かを話しながら、同じような目をミリィに向けていた。
そこでやっと、ミリィは誰も自分を庇おうとしないことに気が付いた。
「……アステアラ嬢。今回の件について、少し話を聞かせて頂けないか」
男性教師が低い声で言う。
周囲の生徒のざわめきがより大きくなった。
――毒を盛るなんて……。やっぱりアステアラ大公の娘ね。
――私の遠縁の親戚が、大公閣下にごっそり領地を持ってかれたって言ってたわ。閣下は人の血が通ってないって。きっと似たような娘に育って……。
――マッチポンプじゃないの? 自分で盛った毒を吐き出させて、救世主のふりして好感度稼ぎたかったり?
――貴族の事情は知らないけど、でも大公は酷い人間だってよく聞くし……。公女も平民を平気で傷つけるような人なの?
(……ああ)
そのひとつひとつを耳に入れ、ミリィは悟った。
(……私が『大公家の娘』だから、お父様の娘だから、だから誰も……)
――ミリィの無実を、信じようとしないのだ。
『公女様がそんなことするはずがない』と、ミリィを信用する人間はこの場にいない。ただの1人もだ。
ミリィは拳を握った。
そんなことわかっていたはずなのに、何故だか心が痛い。
こんな気持ちは初めてだった。時が巻き戻る前は家のことで何を言われようと気にせずに済んだのに、今じゃ大勢の前で泣き出しそうになっている。
(…………ままならないわね、何も)
ミリィは己を恥じた。
今度は賑やかな学園生活が送れると、心のどこかでそう思っていた自分をだ。
友達ができて、生徒会で共同作業をして、笑い合って――それで、アンジェリーナの目的まで明かしてやって。小説の中のような学園生活を夢想していた。
シエラとの出会いが夢想に拍車をかけた。友人に囲まれる自分を夢にまで見た。
でも無理だった。
ミリィが大公家の娘だからだ。
友人を作ろうとした全ての努力と気持ちの弾みは、無と化した。
「……そう」
ぽつりと呟き、ミリィは唇を噛む。
「わかりました。……その前に、リズベルを医務室まで案内していただける?」
「ガルシア嬢を?」
「ええ。シエラが倒れたところを見るの、随分とショックだったみたいだから」
リズベルはかたかたと震えながら俯いている。
彼女はよく頑張ってくれたと思う。混乱しながらもミリィの願いを聞いてくれたし、疑われても、泣き出しさえしなかった。きっとリズベルはミリィよりずっと強い。
男性教師は頷き、ミリィを校舎の方へと促した。
そこで話を聞かせろ、ということだろう。ミリィも弁明するつもりではあるが、どこまで信じてもらえるかわかったものじゃない。
(……お父様はなんて言うかしら)
きっと苛立って舌を打つだろう。この間話した『生きる意義』とは何だったのか、と嘲笑混じりに言うかもしれない。
想像するだけで不快だと、思わず眉が寄った。
「あ、…………っあ、あの!」
そんな時だ。
「違います! 違う、違うっ! 公女様じゃない!」
ミリィは、そう叫ぶリズベルに目を見開いた。
「リズベル……?」
「違うっ、違うの! 公女様がそんな酷いことするはずない!」
堰を切ったように叫び、リズベルは目元を覆った。
しゃくりあげた声が響く。慌てて教師が駆け寄り、しかしそれでもリズベルの訴えは止まらなかった。
「あのティーカップは! あのカップは、シエラが『公女様に冷めたお茶を飲ませたらダメだ』って言って……!」
「リズベル」
「公女様は『大丈夫』って言ったけど、それでもあの子が持っていったものなんです! 公女様は……! 公女様はあの子に毒を飲ませようなんてしてない!」
「リズベル、落ち着いて」
「公女様じゃない! 公女様じゃ……! 公女様じゃない!」
誰よりも、何よりも大きな声に、その場の全員が押し黙る。
「公女様は、公女様は……! みんなが馬鹿にする私をテーブルに誘ってくれたし、今だって、公女様の潔白を証明できるのに、何も言えなかった私を責めようとすらしなかった!」
「……」
「すごい人なんです、違うんです! 別の誰かが毒を盛ったんだ!」
そう叫んだのを最後に、リズベルはわああと泣き崩れた。
やや間を空け、ギャラリーがざわめく。
誰かが「公女様じゃないのか」と無責任に呟き、それに何人かが同調したのが聞こえた。あの涙ながらの訴えを聞いてなお、ミリィを犯人だと言う生徒はいない。
真犯人に対する推測が広がる中で、ミリィは呆然とリズベルを見つめていた。
「……すみません、先生」
「うん?」
「少しお時間をください。……私、あの子と話さなければいけません」
言うや否や、ミリィは返事も待たずリズベルに向かって駆け出した。
鼓動が早くて仕方ない。
言い表せぬ感情が脳を駆けている。
『胸がいっぱい』とはきっとこういうことだ。嬉しくて嬉しくて、ミリィはどうにかなってしまいそうだった。
だからこそ、観衆の中でじっと唇を引き結ぶアイクの姿には、ついぞ気づくことはなかった。