26 踊る悪意
ミリィに呼び寄せられたメイドは、簡単に机の上を片付けて代えのティーセットを置くと、許可を出す前に場を去ろうとした。
「ねえ、あのティーセットはどこの家から出されたものなの?」
その後ろ姿を呼び止めて尋ねると、メイドは一瞬言葉に詰まる。
「私にはちょっと……、申し訳ございません」
「知らされてないの?」
「ええと……、はい」
「ふうん。……なら、今度はちゃんとした職人に作らせるべきと伝えなさい。友人が怪我をしたら不快だわ」
知ってはいるが教えられない、という吃りだろう。厳しい顔で言い放ち、ミリィは片手を上げてメイドを下げさせた。
「はあ……、出鼻を挫かれた気分だわ。せっかくシエラが完璧に淹れたのに……」
「ふふ、大丈夫ですよ。また完璧に淹れますから」
ミリィが不満を零すと、シエラは新しく置かれたティーポットに手を伸ばす。
「あ、ミリィさんのは私が頂きますね。冷めちゃいますし」
「え、……大丈夫よ。別に温度なんて気にしないし……」
「良いんです。公女様に冷めたお茶なんて飲ませたら、私が怒られちゃいますから」
どこまで優しい子なのだろう。自らのカップがシエラの元に移動するのを眺めながら、ミリィは眉を下げた。もう羨む気さえ起きない。
「でも、……ええと、今度のは丈夫そうです。ね?」
場を和ませようとしたのか、少々ぎこちないリズベルの言葉に、ミリィとシエラの口元が緩む。
新しく支給されたティーポットの中身はミントティーだった。
紅茶を淹れ直すシエラの手つきももう慣れたものだ。爽やかな香りが鼻腔を抜け、昂った気持ちを落ち着かせてくれる。
今度こそ紅茶を喉に流し込むと、ミリィはほうと息を吐いた。
「……うん、美味しい。素晴らしいわ」
途端にシエラの顔がぱあと輝き、頬が赤く染まる。
「わ、本当……! 茶葉の良さを十二分に引き出せてます!」
「えへ……、ありがとうございます。ちょっとすっきりした感じかなと思ったので、風味を損なわないように淹れたんですけど……」
照れたように笑い、シエラは自身のカップに指をかけた。
元はミリィのものだったそれは、2人のカップと違って、持ち上げても取手が外れることはない。
「へえ……茶葉によって淹れ方を変えるなんて、慣れた人の手法なのだけど」
「勉強熱心なんですね。私なんていくらお稽古してもうまく淹れられないのに……」
「きっと才能があるんだわ。やっぱりあなた、ルキウスにマナー講座をするべきじゃない?」
「ふふ。いつかその方にお会いしたらそうしましょう」
笑い、シエラはカップを傾ける。
その白い喉がこくりと動いたところで、シエラの細い肩が跳ねた。
「ぁ」
呻くような、声。
二口目を頂こうとしていたミリィがふとシエラの方へ視線を向けた時、シエラの指は、もうカップを掴んではいなかった。
「シエラ……!?」
ミリィは、シエラの身体が真横に倒れる姿を見た。
遅れて落ちたカップがテーブルの上を跳ね、冷めた紅茶が辺りに撒き散る。
ミリィは弾けるように飛び出し、地面に打ちつけられんとするシエラの身体を支えた。
リズベルが悲鳴を上げた。シエラは目を見開いている。その口が浅く苦しい呼吸を繰り返すのを見て、ミリィははたと気付き、シエラの顔を地面に向けさせた。
(――毒だ)
浅くて頻度の高い呼吸と、目の充血、体の痙攣。
どれも毒を飲まされた者の様子と一致している。
「吐いて!!」
ミリィはシエラの腹に手を回し、胃の辺りをぐっと押し込んだ。シエラはえずいたが、飲んだ物を吐き出す様子はない。
考えるよりも先にシエラの喉奥へ指を突っ込み、更に腹を押し込んだ。
途端にシエラが体を捩らせ、ミリィが喉奥の手を引っ込めたと同時に、地面へ胃液と紅茶を吐き出す。
「シエラ! 大丈夫!?」
「ぉえっ、が、あっ……」
「シエラ!」
必死に名前を呼ぶと、シエラは荒く荒く息を吐いた。
「ああよかった……! 息はできるのね? まだ苦しい?」
「ぁ、あ……ミ、ミリ」
「うん、もう大丈夫。痛いことしてごめんね、頑張ってくれてありがとう」
シエラの目が安心したように細まり、呼吸が落ち着きを見せる。その背をさすりながら、ミリィは青い顔で震えるリズベルに声を掛けた。
「ごめんなさいリズベル、校医を呼んでくれる?」
「あ、ぁ、あ、……は、はい!」
「道すがらで先生方を見つけたらできるだけ多くの人にこの話をして。お茶だかカップだかに毒が混入してたって言えば血相変えて来るはずだわ」
何度も頷き、リズベルは逃げ出すように駆け出した。
その背を見送り、ミリィは友人を抱える腕に力を込める。考えることはただ一つだった。
(…………誰が、こんなこと……)
周囲の生徒にもある程度の状況が伝わったのだろう。ざわつき、あるいは自分の紅茶にも毒が仕込まれているのではと悲鳴を上げながら、ミリィのテーブルを取り囲んでいる。
(こんなの、いたずらじゃ済まされない。立派な殺人未遂じゃない……!)
誰かが毒を仕込んだ。
偶然紅茶に毒が紛れる可能性がない以上、答えはそれひとつだ。悪意を持った人間が、関係者の中にいる。
しかもあのカップは、元々ミリィが使うはずだったものだ。それが偶然シエラの元へ行ってしまったことで、こんな不幸が巻き起こってしまった。
(……シエラ……)
汗まみれで呼吸を繰り返すシエラの姿に、ミリィは泣きそうになった。
こんなの、紛れもないとばっちりだ。犯人がミリィを狙って毒を仕込んだのかは定かではないが、どうであれ、シエラが飲むはずのない毒を飲まされた事実は変わらない。
「…………許さない」
地を這うほど低い声で呟き、ミリィは瞳が閉じられたシエラの顔を見つめた。
友人を、ここまで危険な目に遭わされたのだ。
許してやるはずがないし、できることなら同じ痛みを与えてやりたい。のうのうと生かしてなんておけない。天罰を下してやりたい。
「ミ、……リィ、さん?」
呟きが聞こえたのだろう。
シエラがゆるゆると手を伸ばす。
その手を握り、ミリィは静かに首を振った。
「大丈夫。あなたが不安に思うことなんて何もないわ」
顔色を変えた校医が裸足で走って来たのは、それからすぐのことだった。
リズベルは頼みを忠実にこなしてくれたらしい。
一緒にやって来た数人の教師に抱えられ、シエラは医務室へ向かった。
その頃には、ミリィのテーブルを取り囲むギャラリーも莫大な人数になっていた。