20 恥知らずと外道娘
「自分の家がしたこと知っといて、何が『歩み寄ろう』だ……? 自分に都合の良いことばっか言ってんじゃねえ……!」
声色に怒気が混じる。
彼の鬼気迫った表情が、まるでミリィを射殺さんとしているようだった。
睨まれたミリィは表情を変えず、ただじっとアイクを見つめる。
弾かれたように叫んだのは、ミリィの隣で呆然としていたギルバートだった。
「お前っ……! ふざけるのも大概に――」
「関係ねえやつは黙ってろ!」
「関係ないことあるか! 先週から子どもみたいに何がしたいんだお前は!」
身を乗り出し、ギルバートが叫ぶ。
それに煽られたらしいアイクが更に怒鳴り返そうとしたところで、ぱちんと両手を叩く音が響いた。
「ねえ、まさか毎度こんなのやるつもり? お前ら一旦冷静になりなよ」
エドガーだ。
呆れ気味の表情で頬杖をつき、冷ややかな目を向けている。
ギルバートはバツの悪そうな顔で口を閉じた。短絡的に怒鳴ってしまった自覚があるのだろう。
しかし、アイクはそれでも叫んだ。
「何で俺が……! 何で俺が我慢しなきゃならない! 外道に絆されてんじゃねえ! 揃いも揃って頭おかしいのか!?」
「……アイク」
「お前もだろ、会長! 俺の家族がこいつの父親に何されたか……! わかってるくせに、大公家の娘だからって頭ばっか下げやがって!」
「違う、アイク。そろそろ気付きなよ。僕も怒りたくない」
ニコラスの落ち着いた声色に、アイクが荒く息を吐きながら押し黙る。
当事者でありながら口を引き結ぶミリィは、どこか別世界のことのように目の前の状況を眺めていた。
(……ここまで私のことを嫌う人が、アンジェリーナ以外にもいたのね)
ぼんやりと考えるのはそんなことだ。
大公家の娘として不自由なく育てられたミリィは、今まで他者に脅かされることなく過ごしてきた。
「お前が大公閣下のことを恨むのはわかるよ。あの人の気分ひとつで家族と引き離されたんだから当然だ」
「……」
「でも、だからって公女様に当たって良い理由にはならないでしょ。お前のそれは、ただの癇癪なんじゃないの?」
ニコラスの声は相変わらずぼそぼそとして聞き取りづらい。
しかし、その澱んだ黒い瞳は真剣だ。全てを見透かされているような、そんな雰囲気を持っている。
(……何だか変な気持ち。少し息苦しくて、鼻のあたりがツンとして痛い)
ミリィは制服の胸元を軽く握った。
時が巻き戻るまで経験したことがなかった感情だ。悲しいような、虚しいような、寂しいような、そんな感情が胸に渦巻いている。
(変なの。……時が巻き戻る前は、誰にも期待しないって決めたはずなのに)
それが『やり直し』の機会を与えられて、いざ他者との関わりを持ってみたら、こんなにも悲しくて虚しいなんて。
いつの間にか俯かせていた顔を持ち上げると、瞳をゆらめかせたアイクと目が合った。
2人はほんの数秒見つめ合い、時が止まったかのような沈黙が流れる。
「……だからなんだよ」
ミリィが目を逸らす前に、アイクは口を開いてしまった。
「だからなんだ! 俺はこいつの家も、こいつのことも許さねえ! 生徒会に入んのも認めねえ!」
「アイク!」
「ギルバートは黙ってろ! 俺はずっと、ずっとお前らが惨い死に方すりゃいいって、そんなことばっか考えてた……!」
誰も口を挟めない。アイクは止まらず続けた。
「俺だけじゃねえ。お前らのこと恨んでる人間なんて山ほどいる!」
「……」
「病気で死んだお前の母親だってバチが当たったんだ! ざまあねえ、公女だかなんだか知らねえがいずれお前だって──」
そこまで口にした、その時だ。
一際大きな破裂音が鳴り、生徒会室内から音が消える。
誰もが音の出所を見た。
杖もなしに〈火花〉の魔法を使用したミリィが、アイクに温度のない目を向けていた。
勢いを削がれたアイクは、口を大きく開いたまま何も言うことができない。
この瞬間、間違いなく場を支配しているミリィは、静かに息を吸った。
「……そう」
たった二音。
それだけで、場がすうっと冷える。
「……あなたとわかり合おうと努力したのが間違いだった」
「は」
「恨みだけ立派で中身がないのね。……ただ嫌いだ嫌いだって、あなた馬鹿じゃないの?」
ミリィは驚くほど冷静だった。怒りに震えると鼓動が速くなるというが、心拍数も至って正常だ。きっと、怒りを通り越して呆れている。
「十分わかった。あなた、お父様が怖いんでしょう」
「は……?」
「だから私やもう亡くなってしまって何も言えないお母様に怒りをぶつけて、大公閣下に勇ましくも文句を言った気になってるのね」
アイクがわずかに身を乗り出した。
しかし、何も言うことができない。
「呆れた。……芯のある人だと思ったら、ただの子どもなんだもの」
そう言うなり、ミリィは手早く荷物をまとめ始めた。
もうこの場にいる理由がない。鞄を持つと、ミリィは会長席の方へ目を向けた。
「ごめんなさい、会長。私もう帰る」
「あ……、……あ、うん」
「色々間違ってたわ。……ごめんなさい、本当に」
もう一度謝罪の言葉を述べ、ミリィは鞄に手を突っ込んだ。
そのまま取り出した紙束を隣のギルバートに押し付けると、生徒会室を出るべく歩を進める。
「え」
「……また今度」
その言葉を最後に、ミリィは扉を閉めた。
室内に残された5人は、それぞれ呆気に取られて何も言わない。
ギルバートが思い出したように受け取った紙束を机へ広げた。数十枚はくだらないであろう紙たちには、丁寧な文字がびっしりと書かれている。
紙束の中の1枚を手に取り、ルキウスが呟いた。
「……ケーキ屋をまとめたメモですね。王都の」
ケーキ屋だけじゃない。中にはおすすめの茶葉や、ティーパーティーの雰囲気にあったテーブルクロスなどのメモが、下手なイラスト混じりに記されていた。
「……あいつ、ティーパーティーのためにこんなものまとめてたのか」
ギルバートが呟くと、ニコラスやエドガーまでもが紙束を覗き込む。
「ウワ〜……、すごいね。あの子、1番こういうの興味なさそうなのに」
「ホント。気持ち悪いくらい詳しく書かれてるけど……この絵なんだろ。まさかケーキじゃないよね?」
アイクがただ1人唇を噛んで俯くのを横目に、幼なじみのルキウスは眉を下げていた。やるせなかったのだ。
アイクが大公家を恨んでいるのは知っていた。それでも、自分が何か行動を起こしていれば、2人は歩み寄れたのではないだろうか。
何も言えず見ているだけだった自分が悔しい。彼女ならあるいはと思ったのに。
「……すみません、探してきます」
紙束を眺める役員たちにぽつりと零し、ルキウスは生徒会室を出た。
ミリィを探さなくては。このまま放っておくわけにはいかないし、体調を崩してまで成し遂げた彼女の努力を、ここで無に還すなんてごめんだ。