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2 ラスボス、目覚める

 ――次に目を開けた時、ミリィの目に映ったのは、見慣れたベッドの天蓋だった。



「……は?」



 思わず身を起こし、丁寧にかけられた布団を引き剥がして身体を確認してみる。


「……何も、ない……」


 ぺたぺたと触ってみたが、ミリィの身体は至って健康で、そして正常だった。


 魔法も使えるようだ。思いつきで「〈水よ〉」と唱えてみると、瞬く間にミリィの寝巻きがぱしゃんと濡れた。濡れた感覚が気持ち悪かったが、おかげでこれが夢じゃないことが理解できてしまう。


(……私、生きてる……?)


 ――さっき死んだはずなのに、一体どうして。


 あの感覚は勘違いや夢なんかじゃなかった。それに万が一あそこから助かったのだと仮定して、ミリィは何故ここにいるのだろう。


 ここは間違いなくアステアラ邸だが、この家は大公の爵位を剥奪されたと同時に追い出されたはずである。この部屋で眠ることも、もうなかったはずなのに。


「公女様、お目覚めでしょうか」

「!」


 扉の向こうから聞き慣れた声がして、ミリィはハッとした。


 あの声は間違いなくミリィの侍女だ。爵位を剥奪されてからというもの、会うことさえなかった侍女が、何故かもう公女でないミリィを『公女様』と呼んでいる。


(どういうこと……?)


 まさか、アンジェリーナのようにからかいで『公女様』と呼んでいるわけではあるまい。


 ひとまず「入りなさい」といつもの癖で指示を出すと、入室した侍女は、目が合うなり驚いた顔で駆け寄ってきた。


「こ、公女様! 一体どうされたのですか、この濡れた寝巻きは……!」

「あ……」

「風邪などひかれておりませんか!? ああどうしましょう、今週末はめでたい入学式なのに……」


 焦る侍女には、追い出されたはずのミリィがここにいることに驚いた様子はない。


 それに引っかかる言葉もあった。ミリィは眉を寄せ、慌てふためく侍女を見つめた。


(……『今週末が入学式』って言った?)


 なんの入学式か、なんて尋ねるまでもない。きっとミリィが通い、そして先ほど命を落としたはずの、あの学園の入学式だ。それを、確かに侍女は今週末だと言った。


(おかしい。入学式なんてもう3年前に済んだのに……)


 が、まさか侍女がそんな冗談を口にするはずもない。


 そこまで考え、ミリィはある一つの考えに辿り着いた。


「……ねえ、ビビ」

「はい?」

「今って王国暦何年だったかしら」


 突然尋ねたミリィに、侍女のビビはぱちぱちと瞳を瞬かせながら答えた。


「? 1300年ですけど……」


 その瞬間、ミリィは確信を得た。



 ――時間が、巻き戻っている。



 忘れもしない。爵位を剥奪され、父親が死に、自らもアンジェリーナに殺されたのは、1303年の出来事だった。


 1300年からの3年間が夢や嘘だったとはとても思えない。であれば何らかの要因で時間が巻き戻って、その記憶をミリィが保持していると考えるのが自然なのではないか。


「……ああ、そう。そうなの……」


 もはや、それ以外に可能性はない。


 そう理解した途端、ミリィは溢れ出る笑いを堪えきれなくなった。


「……公女様?」

「そうなのね。ええ、よくわかった。ありがとうビビ」

「えっ、……あ、いえ、どういたしまして……?」


 ベッドを抜けたミリィは、濡れた寝巻きのまま部屋を出た。


 背後からビビの引き止める声がするが、ミリィの軽い足取りは止まらない。


「そう、そうなの。……そうよね、あれで終わりになんてしたくないものね」


 生まれて18年。……いや、時が戻ったこの世界では15年か。とにかく、生まれてこの方ミリィの心がここまで昂るのは初めてだった。


 身体が動かない中で訳もわからず杖を向けられ、死を目の前にしたあの時。ミリィに宿ったのは戸惑いと憎しみの感情だった。


 あの時はとにかく戸惑って、そしてアンジェリーナが憎かった。訳のわからないことばかりを言う口を縫い付けてやりたかったし、死の間際には呪ってやるとすら思ったのだ。


 それがどうだろう。


 まさか時が戻って、天がやり直しの機会を与えてくれるとは。こんな喜ばしいこと他にない。


「『悪役令嬢』……だったかしら」


 晴れやかな気持ちで廊下を歩きながら、ミリィは口元を歪めた。


 通りかがったメイドが、見惚れたかのようにミリィをそっと見やる。頬を染める彼女は知らないだろう。ミリィの脳内が、こんなにも晴れやかであることに。



「…………絶対に許してあげない。次こそ上手くやるんだから」



 決意表明のように呟き、上機嫌なミリィはくるりと軽やかにターンをした。


 朝陽の匂いが心地良い。まるで生きる意義を与えられたかのようで、自然と笑みが溢れる。


 名前ばかりの『悪役令嬢』なんて目でもないような、『ラスボス』に相応しい笑顔だった。



 ◇◇◇



 時間が巻き戻ったことを理解したミリィは、まず周囲の状況を理解することに努めた。


 巻き戻り後の世界は至って穏やかで、特段変化らしい変化はない。ミリィ以外に巻き戻りを知覚している人間も見当たらず、本当に3年前をそっくりそのまま再現しているかのようだった。


「……今日はえらく機嫌がいいな、ミリィ」


 そしてそれは、3年後の世界で悲惨な末路を辿った父も変わらない。


 昼食の時間。顔にいつもの仏頂面を貼り付けた父――カイル・アステアラ大公閣下は、未だ表情に歓喜が滲んでやまないミリィを見て言った。



 ――カイル・アステアラは、巻き戻り前の世界で処刑されている。



 理由は言わずもがな、自国の情報を流して他国をけしかけるという売国奴の真似事をしたがためだ。巻き戻り前のカイルは、他国での地位を約束された見返りに国を裏切り、その末に処刑されている。


(……大公の地位を得てもなお成り上がろうとするのは勝手だけど、リスクとリターンが見合ってなさすぎないかしら)


 カイルは、この国で唯一『大公』の爵位を持つ人物だ。


 当然将来は約束され、跡取り息子こそいないものの、一人娘のミリィは非常に優秀に育っている。地位と仕事を生き甲斐にするカイルにとっては、これ以上ない成功を得たと言って良いはずだった。


(……それでも国を裏切るんだもの。『悪役令嬢』様への復讐をするにあたって、お父様の凶行は絶対に止めなきゃならないけど……)


 それを達するためにも、まずは安定志向だった父が国を売った根本の理由から探っていかねばならない。


 今後は父の動向にも気を配るべきだろう。気が遠くなりそうだと心内に溜息を吐き、ミリィはパンを飲み込んだ。


「上機嫌に見えますか?」

「ああ。……どうやら今朝からその調子らしいな。良い夢でも見たか?」


 形式的には疑問の体をとりつつも、そこに子に対する興味は感じられない。


 ミリィから見たカイルはいつもそうだった。典型的な愛情のない父親で、一人娘のミリィは、生まれてこのかた父親から愛らしい愛を感じたことがない。


 きっと家族のことなど外交の道具程度にしか思っていないのだろう。ミリィがまだ幼かった頃、病を患った母が亡くなったという報告を受けた時でさえ、カイルの右手には分厚い書類の束があったくらいだ。


「まあ、そうですね。生きる意義を見出しましたので」


 母の訃報を聞いたカイルの第一声が「ああ」だったあの時から、ミリィは父親に期待などしていない。


 あるのは尊属としての形式的な尊敬だけだ。

 ゆえに、義務的な会話にそう返すと、カイルはわずかに言葉を詰まらせた。


「……生きる、意義?」


 ……果たしてそこまで驚くようなことを言っただろうか。カイルの呟きに頷き、ミリィはスープを喉に流す。


「ええ。なにか?」


 尋ねると、カイルは返事に迷ったかのように視線を外した。


「いや、……意外だっただけだ。気でも迷ったのか」

「まあ、失礼なお父様」


 確かに、母が亡くなってからというもの、ミリィは非常に現実的な子供になった。


 誰に言われずとも勉学に励んだし、メイドを巻き込んだおままごともお喋りもやめて、書庫にこもっては魔法の勉強に明け暮れる。


「お父様はご存知ないでしょうが、世の親というのは子供の成長に目を細めるものらしいですよ」


 パーティーに出るたび増やしていた友人とも疎遠になり、今や親しかった幼なじみでさえほとんど会話をしていない。そんな将来のために全てを投げ打ったようなミリィが今更『生きる意義』などと言い出せば、不可解にも思うだろう。


「お前……」

「ねえ、そんなわけで、私の成長のためお父様にお願いしたいのですが」


 だが、ミリィは変わったのだ。


 死ぬなんていう人生で二度体験できない経験を経て、恨みに生きる意義を見出した。


 勉強と読書にばかり割いていた時間を、他に割り当てようと思えた。これも立派な成長なのではないだろうか。



「アビリア王国の第二王子――ギルバート様に会いたいの。幼なじみだっていうのに、疎遠になったままだったでしょう?」

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