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17 辺境伯の息子

 ミリィはその後、駆け込んだ食堂で水分にありついた。


 吐き気も一緒に飲み込んだことで体調はだいぶ落ち着いたのだが、血相を変えて走ってきた公女を見たコックは、何かしらの事件性を感じたらしい。


 直ちに医務室へ連絡が行き、30秒もしないうちにやって来た校医は、ミリィの顔色を見るなり開口一番に帰宅を告げた。


 当然生徒会室に戻る気満々だったミリィは全力で抵抗したのだが、大公家の使用人総動員で正門まで引きずられては為す術もない。


 結局ぶすくれたまま馬車に乗り込み、その日ミリィは寝るまで頬を膨らませたまま過ごすこととなった。あまりの理不尽さに屋敷中で暴れ散らかしてやろうかと思ったくらいだ。


 そんなわけで、ミリィが生徒会室のその後を知ったのは、翌日の正午のことである。


 同じクラスのルキウスから昼食に誘われたミリィは、1フロアを贅沢に使用した食堂の2階席に腰掛け、サラダを食べていた。


「え〜……。そんで、体調が悪いからって帰っちゃったんですか?」


 肘をついたままパスタを巻くルキウスに昨日の顛末を聞かせてやれば、そう呆れたような声が返ってくる。

 何だか馬鹿にされているような気がして、ミリィは不満げな表情を浮かべた。


「違うわ、校医に帰らされたの。私は戻るって言ったのに……」

「そりゃそうでしょうよ。それこそ公女様が吐きでもしたら学校が一番困るんですから」

「でも私は生徒会だもの」


 つんとそっぽを向き、サラダの最後の一口を飲み込む。そんな子どもらしい所作でさえも、絢爛に飾られた2階席ではやけに様になっていた。


 暖かな雰囲気が感じられる1階席と違って、螺旋階段に繋がれた2階席はそこかしこが高級感に満ちている。


 机の足にはこれでもかというほど宝石が散りばめられ、縫い目にまで拘られた革のソファは何より質感が素晴らしい。


 もう1階席とはかけられている費用が段違いで、2階席は今現在、実質的に高位貴族専用のプレミアムシートと化しているそうだ。まったくくだらない金の使い道である。


「おいルキウス。食事中に肘をつくなと言っただろう」

「……ていうか何でギルバート様までいるんですか。俺が誘ったのは公女様だけなんですけど」


 ルキウスが疎ましげに目を細め、渋々といったように手をおさめる。


 ギルバートが昼食にはだいぶ重そうな肉料理と共に現れ、有無を言わさず「ここで俺も食べる」と宣言したのは、つい10分ほど前のことだった。


「何でも何もあるか。お前とミリィが2人でいると危ないからだ」

「いや俺のこと何だと思ってんですか。まさか俺が公女様に手を出すとでも?」

「ああ。違うのか?」

「え、え〜……。そう聞かれると違うとは言い切れませんけど……」


 目を泳がせたルキウスに、ギルバートの表情が険しさを増す。仲が良くて誠に羨ましいことだ。


「……ねえ、ところで聞いても良いかしら。あの後はどうなったの?」


 そんな友人同士の掛け合いは後で存分にやってもらうとして、今はとにかく本題だ。会議に参加できなかった者として、あの後何が話されたかは知っておく必要がある。


(アイクがあの後どうしたかも気になるし……)


 尋ねると、どこか気まずそうにルキウスが頬を掻いた。


「何って……、なんもしてませんよ。俺が来た時には、アイクも『帰る』って言って出て行った後でしたし。会議もできねえからって解散になったんです」

「えっ、あの人も出て行っちゃったの?」

「ああ、すぐ後にな。……アイクの奴、どうもお前が気に入らないらしい」

「……」


 はっきりと口にしたギルバートに、ミリィは顔を俯かせた。


 わかっていたこととはいえ、いざ嫌われていると聞くと、どうしても落ち込んでしまう。ティーパーティーのことであれだけ浮かれていたのが嘘みたいだった。


 ルキウスが溜息を吐く。


「まあ、公女様も薄々わかってはいるんでしょうけど……。あいつ、アステアラ大公家にちょっとよくない印象持ってるんですよね」

「……よくない印象というか、私はほとんど憎しみのように感じたけれど」

「わざわざぼかしたんだから言わなくて良いのに……」


 思ってしまったのだから仕方ない。彼が向けるあれはなんというか、殺意にも似た何かだ。


「でも別に、あいつは公女様が嫌いなわけじゃないですよ」

「……あんなに怒鳴ってたのに?」

「や、その現場は見てないんで知らないですけど……。でも、あいつが恨んでるのは公女様じゃなくて大公閣下です。それが肥大化して、娘のあんたにも変な飛び火してるっていうか」


 そう言ったルキウスを、ギルバートがじとりと睨む。


「『あんた』じゃなくて『公女様』だ」

「……スミマセン」


 ルキウスは咳払いをして続けた。

 

「公女様は知らないかもしれないですけど、あいつ、イブライン辺境伯の養子なんです」


 飛び出た名に、ミリィは僅かに目を見開いた。


 イブライン伯爵家。

 社交界事情に疎いミリィでも知っているその名は、国の最東端で隣国との境界を守る、壁の役割を果たしている家だ。


 保有する武力はニコラスの実家であるアインツドール公爵家と張るともされ、国内でも存在感が強い。長男は養子だと聞いたが、それがアイクなのだろう。


「元は子爵家の生まれなんですけどね。その生まれの家の方が、10年くらい前に大公閣下と政治面で対立してから社交界でも随分と箔を落としちゃって」

「閣下って……お父様と?」

「ええ。閣下も随分怒って、各所に根回ししたらしいですよ。長男のアイクが遠縁のイブライン伯爵家の養子に出されたのも、大公閣下の機嫌をとるためじゃないですかねえ」


 いかにも父のやりそうなことだ、とミリィの表情が歪む。

 おおよそ、下位貴族に意見されて腹を立てたのだろう。自らは礼儀やマナーをかなぐり捨てたような振る舞いをしているのに、他者から歯向かわれると、父は露骨に機嫌を悪くするのだ。


「……あなた、アイクの家の事情に随分詳しいのね」

「まあね。幼なじみですから」


 どこか疲れたような、諦めたようなルキウスの表情がやけに目に焼き付く。


 ミリィには友人がいないが、それでもルキウスの気持ちを想像するには易かった。きっと周囲に振り回されるアイクが可哀想でならないのだろう。ギルバートが同じような状況になったら、ミリィも似たことを考えると思う。


「アイクはあれでも家族想いでしたから、子爵家と自分を引き離した大公家に恨みがあるんです」

「……」

「それで公女様に当たるのは馬鹿だと思いますけどね」


 呟かれた言葉を最後に、テーブルに沈黙が落ちる。


 アイクの気持ちは、わからないでもなかった。


 ミリィと父との間に家族の愛なんてものはないが、それでもミリィには愛する母がいた。


 母が病で亡くなった時、ミリィは深い悲しみを味わったのだ。状況は違うとはいえアイクも同じような気持ちを感じただろうし、彼がカイルを恨むのも、大公家を忌み嫌うのも理解ができる。


(……でも、そんなのどうしたら良いんだろう)


 同じ経験をしたミリィにはわかる。

 彼が大公家を、ミリィを受け入れてくれるとは到底思えない。でもそれじゃダメなのだ。


 俯き、やるせなさできゅっと手を握る。


 テーブルを取り巻く重い空気が一変したのは、そんな時だった。



「全く……、だから1階で昼食なんてとりたくなかったのよ! あの平民の家はどこ!? クリーニング代を請求してやるんだから……!」



 突如として2階席に響いた声に、ミリィは視線をやる。


 たった今取り巻きとともに螺旋階段を登ってきた女子生徒――『悪役令嬢』アンジェリーナ・グレイは、ミリィと目が合うなり、瞳をこれでもかと見開いた。

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