16 燃える瞳とバカ女
ミリィは反射的に扉へ目をやり、その瞬間、扉の隙間から覗いた美しい髪に、ほんの一瞬思考を奪われる。
現れた男子生徒は、それほどまでに透き通るような白髪をしていた。
(……この人が、生徒会の最後のメンバー?)
学年を示すスカーフが赤い色をしている、ということは1年生なのだろう。
相変わらず顔に見覚えはなかったが、彼の名は、会長のニコラスが教えてくれた。
「アイク。遅刻だよ」
アイクと呼ばれた男子生徒は、伏せていた瞳を上げ、生徒会室をゆっくりと見渡す。
上座に腰掛けるニコラス。
つまらなさそうな顔のエドガー。
何だかやけに不安げな顔をしたギルバート。
最後に、その赤い双眸がミリィを映したところで、アイクは眉間にぐっと皺を寄せた。
「……なんで、この女がここにいんだ?」
幻想的な容姿に見合わない、低い低い声だった。
「え?」
一瞬理解が及ばず、ミリィは反応が遅れた。
この室内にいる女性は、ミリィただ1人だけだ。
つまり自分に対して言ったのだ、と認識する前に、隣のギルバートが勢いよく立ち上がった。
「お前……! 大公家の娘に対してなんだその呼び方は!」
「先に答えろよ。こいつがここにいるのは何でだ」
「その前に言葉遣いを改めろと――」
「聞こえねえのか?」
アイクはフンと鼻を鳴らし、ミリィを睨んだ。
「大公家の女がここにいる理由を答えろ」
生徒会室に静寂が落ち、重い沈黙が広がる。
アイクの真っ赤な瞳に睨まれながら、ミリィは戸惑っていた。名前を出されている当事者なはずなのに、状況が一切把握できていないからだ。
(なんで、こんなに怒ってるんだろう。まさか知り合いなの……?)
でもミリィはアイクのことを知らない。ここまで敵意を向けられている理由もわからない。
そう誰もが戸惑い、発言を躊躇う中で、口を開いたのはニコラスだった。
「『こいつ』じゃなくてミリィ様だよ。……公女様は、今年から生徒会役員になったんだ」
「は……?」
「別に彼女がここにいるのは何ら不思議じゃないし、不審者でもないんだけど……。何か驚くことでもあった?」
端的かつ正しい答えに、アイクは呆然とした様子だった。
燃えるように赤い瞳をこれでもかというほど見開き、ただミリィを見ている。
「……あの」
その様子がなんだか気になって、ミリィはぽそりと声を発した。
隣のギルバートが不安げにミリィを見る。
彼に大丈夫だと目で合図を送ったミリィは、今度ははっきりとした声で続けた。
「ごめんなさい。私、あなたのことをよく知らないのだけど……」
「……は?」
「もしかして何かしてしまったのかしら。それで怒っているの?」
人付き合いの下手なミリィなりに、問題点を洗い出すべく紡いだ言葉だった。
彼のことや事情はわからないが、それでもミリィに何かしらの敵意を抱いていることだけは確かな事実だ。アイクは生徒会のメンバーでもあるのだし、どうにか原因だけでも探りたい。
「……」
「……アイク?」
静まり返った室内で、ミリィの問いかけが響く。
原因がわかれば、せめて改善の余地があるかもしれない。
そんなミリィの願いを、アイクは一言で薙ぎ倒した。
「ふ、……ざけたことぬかしてんじゃねえぞ、バカ女……!」
震えた怒声が、だだっ広い室内に響く。
面食らったミリィより先に、隣のギルバートが叫んだ。
「アイク! お前良い加減にしないか!」
「黙れ! 何が『よく知らない』だ、もういっぺん言ってみろ!」
「誰に向かって口を聞いてるんだ! いくらお前が――」
「だからうるさいんだよ! ゴミ大公家の娘が生徒会だ……!? ふざけんな!」
アイクが両手で机を叩き、衝撃で机が僅かに揺れ動く。
その勢いでぐっとお腹を押され、ミリィは2人の争う声を耳に入れながら「う」と小さな呻き声を上げた。
途端にお腹がぎゅるぎゅる音を立て、ミリィの額に冷や汗が浮かぶ。
まずい、と脳内で危険信号が鳴った。このぞわぞわする感覚には覚えがある。
「……ハッ、なんだよ。まさかお前、人の家族めちゃくちゃにしといて一丁前に傷付いてんのか?」
そんなミリィの様子に気が付いたのか、アイクの声に更に怒気がはらむ。
ギルバート含む3人の不安げな視線が突き刺さる中、ミリィは静かに立ち上がってお腹を抑えた。
「き、………きもちわるい」
「は?」
アイクがぽかんとした表情を浮かべる前に、ミリィは駆け足で生徒会室を出ていた。
間違いない、この気持ち悪さはケーキのクリームだ。忘れかけていたアレがお腹のちょうど嫌なところを押されたことで空きっ腹と共鳴し、今まさに胃の中で最悪なマリアージュを醸し出している。
(ま、まずいわ……! 流石に学校で吐くわけにはいかない……! 水、水はどこなの!)
口元を抑え、スカートを翻しながらひとまず食堂の方角を目指す。
その頃の生徒会室が異様な空気に包まれていたことも知らず、ミリィはただただ、ひたすらに駆けた。