わたしの代わりに
二日目の公演おつかれさま。時計を見ると、そちらはちょうどアンコールの拍手をもらっている頃かもしれません。久しぶりのコンサート、無事に全ての日程を終えられますように。
それにしても、夕方のニュースで見たけどそっちはすごい雨だったみたいだね。だいじょうぶでしたか? こちらはよく晴れて、あなたのいないあなたの部屋で過ごす静かな日曜日でした。頼まれていたご実家からの荷物は、どうやらオリンピック期間中で配達に遅れが出ているらしく、ようやく届いたのは暗くなってからでした。汗だくの配送業者さんに何度も頭を下げて謝られて、かえってこっちの方が申し訳なくなっちゃうよね、ああいう時って…。伝票には『野菜等』と書いてあるんだけど、開けちゃってもいいかな? 冷蔵庫に入れられるものは入れてから帰りたいんだけど。
ところで、ねえ、今日ね、荷物を待ちながらスマホをいじっていてたまたま気が付いたんだけど、最近の音声機能ってすごいんだね。テキストを読み上げてくれるのはもちろん知ってるけど、今頃のは声をいろいろ選べるんだね。有名な俳優さんとかアナウンサーさんとか、実在する人の声の中から。けっこうたくさん種類があってびっくりしました。しかもこれってLINEとかメールだと差出人によって個別に声を設定できるんでしょ? すごく便利なんだろうなと妙に感動してしまいました。
それでね、そのいろいろある声の選択肢を眺めていたとき、わたしはさらに気付いてしまいました。わたしと同じ機種のスマホを使っているあなたは、きっとあなたが愛してやまないあの声優さんの声で、今わたしからの言葉を聞いている。ホテルに戻り、いつものように作曲用のパソコンとにらめっこしながら、傍らにスマホを置いてね。――あ、今こっち見たでしょ? なんで分かったんだってびっくりした顔をしながら。残念、女の勘ってほんとにあるんだよ。
まだ付き合いはじめて間もない頃…もう4年くらい前かな、その御贔屓の声優さんがインタビューを受けている様子をいっしょにテレビで見ながら、顔が好みなの? とわたしが訊ねると、あなたはちょっと気まずそうに、いや、ちゃんと声が好きなんだよと言っていたよね。萌えっぽい役や少年の役を演じさせても上手いけど、自分はこの人の地に近い声が好きだと。甘やかで、でも甘たるくはなくて、なにより倍音が特に低音方向にすごく綺麗に出るから、聞いていて安心感があるんだよと。わたしには何のことかちんぷんかんぷんだったけど、ルックスじゃなく声が好きなんだと言い訳するあなたがかわいかったのと同時に、正直その声優さんのことが少し妬ましかった。だってそうでしょう? 外見なら髪型やメイクで頑張りようもあるけど、声は、声だけはどうしようもないもの。
でもね、今日この音声機能に気付いて、そしてさっき届いた荷物の送り主欄に記されていた懐かしいあなたの住所を眺めていたら、あの時は驚きのあまりただ頷くばかりで伝えられなかった言葉を伝えられるような気がしたんです。こういうことは面と向かってちゃんと目を見て言ったほうがいいのかもしれないし、大切ことはいつもそうやって伝えてきてくれたあなただから、もしかしたらこういうやり方は気に入らないかもしれません。でも元々は手紙のやりとりから始まった関係で、考えてみると、まだ恋人としてよりも文通相手として過ごした期間の方が長いんだよね、わたしたち。これからは夫婦としての時間が始まって、きっとあっという間に家族として過ごす期間がいちばん長くなってゆく(のだと思います)。その始まりに、わたしの気持ちはできるだけ綺麗な声で伝えたいんです。声とも呼べないわたしの声の代わりに、あなたの好きなこの声で。
だから―――
「わたしと出会ってくれてありがとう。わたしのことを好きになってくれてありがとう。不束者ですが、どうか末永くよろしくお願いします」
*
15才の夏、中学最後の夏休みに初めて君への手紙を書いてからこれまで、たくさんの便箋を言葉で埋めてきたけれど、その中には君のもとに送らなかった物もあって、そうした手紙はそのつどすぐに処分してきたものの、内容については不思議と今なお鮮明に思い出せるものがいくつもあります。大体、そういう手紙は書いている最中からすでに恥ずかしくなってきて、これはボツだなと思いながらペンを走らせているものです。どうせ破り捨てるのになぜ書き続けるのか、若気の至りは当時若いなりに自覚しながらも夢中で書き、書きあがるたびにひとり絶望していたものです。今、そんな昔懐かしい感触とともにこの返信を書いています。だからやっぱり君がこれを読むことはないのかもしれない。でも昔から時々、書いたというそのことだけですでに相手に何かが伝わったような、そんな気配を感じることがあるのです。
――初めて君の声を聞いたとき、それは歌のようにも思えました。どこか知らない遠くの国の言葉で唄われる歌。半年前、お家デートと称して君を他室にほったらかしのまま仕事をしていると、ドアの向こうから微かにそれは聞こえてきました。空耳かと思いヘッドフォンを外して耳を澄ませてみると、やはりリビングの方から聞こえてくる。
「ぅりゅうはおこげぇりぇば、ほよいぁぴょほうばいしゃぱく」
あえて文字に起こすとしたら、こんな音だったかと思います。君は不愉快かもしれないけど、僕にとっては、それは本当に特別な瞬間でした。君が僕のアパートで言葉を話している。それまで決して声を発しようとしなかった君が。僕は仕事なんてそっちのけで、繰り返されるそのフレーズに聴き入っていました。音楽と言葉との間で揺れ動くようなその音を机の上の五線譜に書き留めながら、その意味を探るように。
でもそのときは、仕事部屋から飛び出して、急に君が喋り出した訳や言葉の意味を訊ねたりすることはできなかった。見るな、とは言われてないけれど、見たらたちまち君が鶴か何かに姿を変えて飛び去ってしまうんじゃないかという気さえして…。それに、たぶん君は自分自身の声がドアを隔てた隣室の、しかもいつもヘッドフォンで耳を塞いでいる僕には聞こえないと思っているのではないかとも考えました。だからその日はドアノブに掛けた手をそのまま放したのでした。
その後も、僕が仕事部屋にいるときには時々リビングから君の声が聞こえてくるようになりました。リズムと音程はほとんど変わらず、発声だけが日によって少しずつ違うことには気付いていたけど、自分もだんだんと慣れて、こういう言い方は失礼だけど赤ん坊が機嫌の良いときに発する喃語のような、そんな耳心地良さを感じながら特にそれについて君に問いただそうという気持ちも薄らいでいきました。以前、君のお母さんから家ではときどき声を出すことがあると聞いていたし、もしかしたらある種の癖みたいなものなのかもしれないと、漠然と考えていたのだと思います。
けれど、冬が終わり、春の朧な光が窓辺に溜まる頃になったある昼下がり、僕は自分の愚かさに気付いたのでした。いつものようにドア越しに聞こえる君の声。仕事に疲れた頭を休めようとヘッドフォンを外したその瞬間、僕の耳に入ってきた君の声が、明確な言葉として意味を結んだのです。
「うつつかもねでうが、よおしくほねがいいまう」
『ふつつかものですが、よろしくおねがいします』―――昨年末、あの雪の日にプロポーズをしてからずっと、君はただ頷くだけでなく、自分の声でも返事をしようとしてくれていたのでした。矢も楯もたまらなくなった僕がとうとうドアノブを回し、しかしそうっと薄く扉を開けると、リビングのソファに座り、何かに向かって話しかける君の背中がありました。おそらくそれがスマホだと分かったとき、音声入力機能を使って発音を矯正しようとしているのだと気付くのは容易なことでした。自分の発声が正しい日本語のテキストとしてスマホに認識されるよう、君はその数か月、暇を見つけては練習を繰り返してきたのでしょう。
十代の頃からずっと、僕は心の中で君の声を聞いてきました。君からの言葉を誰かが代わりに読み上げるということはありません。だから君の言う女の勘は、そういう意味では外れたことになる。でも実は、信じてもらえるかどうか分からないけど、まったくの勘違いとまでは言えない理由がたしかにあるのです。
君と文通を始めて間もない頃から、僕の中にはなぜか君の声のはっきりとしたイメージがあって、もちろんほとんど生まれつき耳の不自由な君が喋れないことは知っていたけれど、僕はいつもその声で君からの手紙を聞いていました。どうしてそんなことになったのかは分かりません。ただ、僕はその声が好きでした。甘い、でも甘すぎない、いつまでも聞いていたい声。だから高校生のときだったか、夜遅くぼんやり眺めていたテレビから突然その声が聞こえてきた時には、本当にびっくりしました。古い洋画の吹き替えで、二言三言だけの端役でしたが、その声はいつも心の中で思い描いている君そのものだったのです。調べてみると、演じていたのは当時まだデビューしたばかりの、件の声優さんでした。
つまり結果だけ見れば、君の勘は当たっているのです。スマホの読み上げ機能なんて使うまでもなく、すでに中学生の頃から、僕の頭の中では僕が勝手に思い描いた君の声が、あの声優さんそっくりの声で手紙を読み上げてくれていたのです。無論、時系列的には後者が前者に似ていたということなのですが。
でも数カ月前、本当の君の声を知ってからというもの、僕の頭の中で起こった変化はとても大きなものでした。当たり前のことかもしれないけど、君の言葉が君の声で聞こえるようになったのです。発音が間違っているとか不明瞭だとか、そんなことは問題ですらありません。あなたの言葉が実際にあなたがそう話すように自分の頭の中で聞こえることが、本当にうれしいのです。もちろん、自分では聞こえない音を自分の声帯で正しく形づくるということがどれだけ大変な忍耐と訓練を必要とするか、そして声を出してみようという幼い頃の君の勇気がどれだけの辛い体験によって挫かれたか、これまで交わしてきた言葉の中で少しは分かっているつもりです。でもだからこそ、僕は嬉しかった。
今日、いまだに完全ではない自分の発声をおそれて、君はスマホの読み上げ機能に頼ろうとしたのかもしれません。そのことに失望したりなんかしません。大丈夫、これから時間はたっぷりあるはずです。君が話してみよう思えるそのときまで、僕は待つつもりです。僕の心の中にはすでに君の声があります。少し鼻にかかって、柔らかな生地の上を転がる鈴のような君の声が。
*
おはよう。返事を待たずにもう返事を書いている日曜の朝です(笑)
さっき起きたら、2020年のオリンピックの開催地が東京に決まったとお父さんが教えてくれました。7年後かあ。そのころわたしはどうしてるんだろう…。来年の春ちゃんと大学に受かってちゃんと卒業するとしたら、社会人もようやく板についてくるころなのかな。あなたはどうしているでしょうか。きっと希望通りこっちの音大に受かって、卒業後はそのまま東京に残っているでしょうか。それとも海外に飛び出しているのかもしれません。
いつもは夜にあなたへの手紙を書くことが多いのですが、たまにこうして休みの朝とか真昼とか、ふと思い立ってペンを執ることがあります。でもこういうふうに書く手紙って読み返してみると酷いことがほとんどで――そうそう、こないだね、古文の授業で習ったんだけど、徒然草の冒頭『あやしうこそものぐるほしけれ』っていうあの一節、なんとなく気まぐれに書く手紙の気分と似ているなと思って。思っているだけじゃなくて無意識にうんうん、あるあると頷いていたらしく、目が合った先生にちょっと笑われてしまいました。
言っているそばからぐちゃぐちゃな文章でごめんなさい。でもたぶんあなたがこれを読むことはないからだいじょうぶ。たまにはそういう手紙もあっていいよね。
たぶん明け方またあの夢を見ていたので、少し気持ちが落ち着かないのだと思います。3年前、あなたと文通を始めてからときどき見るようになった夢です。
夢の中で、わたしたちはいろんな所にふたりでいます。カフェにいることもあれば、マンションの一室のような所、上映前の映画館、スケートリンクの上だったこともあります。そういう所で、わたしとあなたは向かい合って、あるいは隣り合っておしゃべりをしています。本当のおしゃべりです。手話でも筆談でもなく、わたしはあなたの話す声を聞いて、あなたはわたしの話す声を聞いているんです。話題は実際に手紙でやりとりしている内容そのままで、なぜか話し方も書き言葉そのままなので、お互いにちょっと他人行儀でぎこちない感じもします。二人称までそのままだから、「君」、「あなた」って呼び合ったりして、なんかおかしいでしょう?(笑)
とにかく、そうです、聞いているんです。あなたの声も、自分の声も。ああ、聞こえるってこういうことなんだとわたしは嬉しくてたまらなくなります。目覚めているときはけっして感じられない、物心つく前に失った感覚を夢の中では感じることができるんです。あなたって、わたしってこんな声だったんだと思いながら、わたしは夢中でおしゃべりをします。現実には会ったことのないあなたも、楽しそうに笑顔で話してくれます。
でもいつの間にか、さよならも言わずに夢は醒めて、ぼんやりとしたわたしの視線の先には、自室のカーテンがあります。それを透けてくるのは朝陽だけで、音はまたどこかへ行ってしまいました。あなたの声もわたしの声も、もう思い出せません。ただ聞こえていたというひどく頼りない感覚が、耳の奥で微かに消え残っているだけです。少しでも頭を動かしたらそれすらもすぐに融けて消えてしまいそうで、わたしは布団に丸まったまま、再び目を閉じます。そしてただひとつ、夢の中でだけあなたに伝えられることを……これまであなたへの手紙に書いたこともないし、これから先書くこともないだろう言葉を……あなたのことが好きですと、もういちど胸の奥で呟くんです。