海老売り吉次
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、久しぶりに海老天入ったそばを食べたなあ。
ここんところ夏バテ気味でさ。情けないことに揚げ物、脂物を食べるのがおっくうになって仕方ない。
ついつい炭水化物に手が伸びてお腹を膨らませてしまい、偏食になってしまうから、量を食べていながらも栄養失調に近い症状が出てくる……こいつもまた、食の選択肢が多くなった現代の病気といえるかも。
それでも、そばとかについて出るパターンなら話は別さ。そばつゆにつけて、強引に口の中へ放り込めるからね。
本来は行儀が悪いらしいのだけど、丼ものでつゆだく好きな僕は好きな食べ方さ。味の濃いおつゆに口の中満たされると「ほわ〜、生きてる〜」て気持ちになれるのよね。
――なに? ぜってえに体に悪い?
はっはっは、身体にいいからって精進料理みたいなものばかり食べて、一生を終えるなんて僕にはできんなあ。
好きなものを食べられるときには、好きなものを食べる! 明日、何が起こるか分からないようなご時世なら、なおさらね。
昔も好きなものばかりを食べる人は多く、必ずしもお金持ちのぜいたくとも限らなかったらしい。しかも、ときには奇妙な現象も混じると来ている。
僕の地元の昔話なんだけど、聞いてみないかい?
むかしむかし。
とある村に「海老売り吉次」と呼ばれる男がいた。
彼は当時の流行りであった、海老の天ぷらの出前をよく行っていたという。
笹包みにくるまれながら売られる彼の海老天は、多くの人に好評をもって受け入れられた。
サクサクの衣の歯ごたえ、かじると口の中へじんわり広がる海老のあたたかみ。
保温技術が心もとない当時において、いずれの海老も買ってから一晩寝かせた状態で、いささかも衰えることがなかったというから驚くものだ。
そして海老をかじったものは七十五日風邪を引かない、とウワサされるほど栄養に飛んでいたようで、鼻水は止まり、あれていた腹の調子も立ちどころに整ってしまうほど。
たとえ店屋物を頼むときでも、海老だけは吉次から買う……という人は、日を追うごとに増えていく。
店側も吉次の海老の美味さは認めざるを得ないところで、たとえ天ぷらの大手とされていようとも、海老に関してはその割合を減ずることを検討してしまうほどだったとか。
しかし、この吉次の家。
一軒家ではあるが、特に天ぷらを揚げるための設備が整っているわけでもない。
海こそ歩いていけない距離ではないが、とんぼ帰りしたしても一刻(約2時間)はかかるであろう。
そこから海老を仕入れて、いずこかで天ぷらを揚げて……などと忙しく動いていなくては、毎日のように海老天を用意することはできないはずだ。
ときたま家を空けるとはいえ、他の家々と大差がない頻度。売らない日にせっせと仕込みをしているのかと思いきや、のんびり過ごしている姿もちらほらある。
いったい、どのようにしてあの立派な海老天をこさえているのか。
皆の関心が高まる中、どうにかその秘密を探り出さんとする者も多かったという。
その謎に接したと思しき、男の発言はこのようなものだ。
彼はお伊勢参りの帰りに寄った、この村にほど近い町中で、偶然に吉次の姿を見つけたのだという。
行きかう人の間を抜けていく吉次の口からは、海老のしっぽがのぞいている。
向こうはこちらに気を払っていないようだったが、やや離れたすれ違いざまにも、ころもをそしゃくする音が聞こえてきた。
吉次もまた天ぷらを食べるのかと、男も意外だったらしい。しかもその足は、自分の住まう村とは反対方向じゃないか。
――これはもしや、天ぷらの謎を探る千載一遇の好機。
今日は町でいったん泊まり、のんびりする予定の男だったが、疲れそのものはさほど溜まっていない。
吉次を見失わない程度に、男は距離を取りながらこっそりと後をついていったんだ。
吉次の足は町はずれへ。
その間も彼はときおり、手に持った笹包みの中から海老を出し、どんどんと平らげていった。ここまで来るのに6尾は頬張っているだろう。
そのいずれの尻尾も、彼は捨てずに持ち歩き続け、男の脳裏には早くもひとつの想像が頭をもたげてきたんだ。
町はずれは人家もまばらになり、田畑の姿が見受けられるようになっている。
ここに来ると、吉次はしきりに周囲を気にするようなそぶりを見せ始め、男はたびたび木の影などの遮蔽物へ隠れつつ、彼の動向を見守り続けたんだ。
収穫も終わり、次の春に向けての支度を整えている田畑は、元来の茶色い土がほぼむき出しになっている。中にはすでに持ち主が手を入れ、肥料などをまいているような形跡も見られた。
その中でも、一枚の畑の隅で吉次は足を止める。
ゆったりと畑を見やった後、彼はずっと抱えていた笹包みのひもを解き、中身を盛大に広げた。
無数の海老の尻尾がそこにあったんだ。
男が目にしていたものは、ほんの一部に過ぎない。その何十もあるだろう尻尾たちを手に乗せながら、吉次は足で土をいくらか蹴散らしていく。
そうしてできたくぼみの中へ、吉次はしっぽをくぐらせていった。
埋めるんじゃない。足でいったんは尻尾ごと上から踏み固めてみせるも、やや間を置いて尻尾をいくつか持ち上げるんだ。
するとどうだ。
持ち上げた尻尾の先には、ほんのり黄色い衣をつけた海老天の身がくっついているじゃないか。
男も目を疑い、つい隠れた木から身を乗り出し気味になるが、吉次のほうは手慣れた動きで次々に海老天たちを包みの中へおさめていく。
吉次のふところからは、次々と新しい笹が出てきた。海老天もまたそれにこたえ、彼の指が土に触れるたびに、どんどんと姿を見せる。
尻尾をつままれて持ち上げられていく様は、まさに釣りあげられているといってよかったという。
ことが済むと、吉次はたっぷりの海老天を包んだ笹包みを手にようようと引き上げていった。男が直後に、吉次が尻尾を埋めたところの土を見ても、そこには海老の身や天ぷらの衣はみじんも含まれていなかったそうなのさ。
このことを帰った男が村人に伝えても、にわかには信じてもらえなかったらしい。むしろ吉次の海老天を好む者からは、強い批判を浴びせられることにもなった。
その吉次だが、翌年の夏に遠くの親類が危篤という報せを受けたと、家を出かけてより二度と帰ってこなかったらしい。
狐につままれたような心地がする村民たちだったが、その年は、かの男が見た畑も含めて、多くの田畑が例年にない不作を迎えることになったという。
吉次は海老天の形で、土に眠る栄養を吸い上げ、自分たちに食べさせたのではないか。
彼の姿を二度と見ることなかった村民たちは、ときおりそう語ったらしいんだ。