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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十七話 運命
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6

  挿絵(By みてみん)


 青い空に、朱色の手毬が舞い落ちる。

 女官達の華やかな笑い声。手毬は転がる。それを追い掛けて庭の茂みの中へ。

 やっとそれを小さな手のひらへ戻し、また遊んで貰おうと駆け戻る。

 足を止める。先程までとは一転した光景に。

 空は重く雲が覆う。その薄暗さの中で、血の赤だけが鮮明に。

 先刻まで笑っていた皆が、血を流し倒れている。嘘だと叫びたくても、声も出なくて。

 土足のまま、母の居室へと足を踏み入れる。

 そこに居てーーそれだけを願いながら。

 しかしそこにあったのは、

 かつてその人であったのであろう、

 変わり果てた白骨姿の。

 悲鳴をあげてそこから逃げた。

 育ってきた後宮を抜け出し、途方に暮れて、そんな時は何処へ行けば良かったかと懸命に思い出して。

 足は厩へと向かう。

 ここは、ここだけは安全な場所である筈だと、そう信じて。

 その馴染み過ぎた簡素な扉を潜って。

 そこにある筈の無い、耐えられない光景を目にして、動けなくなった。

 王が嘲笑う。

 大事な人達の血をその顔に付けて。

 朱の手毬が手から滑り落ち、鈴の音を響かせた。


 息を乱して龍晶は起き上がり、頭を抱えた。

 野宿に選んだ森は闇に包まれ、数多の生き物の気配を隠している。

 夜霧に汗が冷える。身震いしたとき、後ろから毛布を掛けられた。

「大丈夫か?」

 朔夜の声に頷く。まだ息は上がってしまって喋れない。

 毛布越しに朔夜の手の温もりを感じた。背中を押さえている。

 早鐘を打つ心臓の音も伝わっているだろう。

 それを知られたくなくて、手を離そうと背中を丸めた。

「俺もよく見るから、別に隠さなくてもいいよ」

 言いながら朔夜は肩から落ちた毛布を直し、手を引っ込める。

 悪夢に襲われているのは、聞かずとも分かる。

「でも俺は過去の事実だけど、お前のはまだ未確定の未来だからさ。大丈夫…忘れればいい」

 初めて見返された目に、肩を竦めた。

「無理か。ごめん」

 膝の上に顎を乗せて、龍晶は暫し森の闇を見詰めた。

 悪夢の余韻を静寂に溶かす。

 そして口を開いた。

「事が終わったら…お前はどうする?」

「うん?」

「繍へ行くのか?復讐へ」

「うーん…」

 思った以上に歯切れが悪い。

「元を正せばその為にこの国へ来たんだろ」

「うん…まあ」

「俺にずっと付き合わせているが、終わったらお前のやるべき事をやるんじゃないのか」

「やるべき事かぁ…」

 他人事のような、間延びした返事。

 そして逆に問われた。

「何でそんな事訊くの?」

 むっとして龍晶は口を噤む。

 そして闇を睨んだまま、ぼそりと言った。

「心配してやってんだよ。俺が居なくなったら、お前はどうするんだろって」

 朔夜はじっと怒ったような龍晶の横顔を見た。

 『俺が居なくなったら』とは、どこまでが本心なのか。

 しかしそれは、いずれ必ずやって来る現実でもある。それが近いか遠いかというだけ。

「…お前が居ない世界は嫌だな、つまらなそうで」

 ぽつりと抑えた本音を口にした。

 本当は、お前が居なくなるのは嫌だと、そんな世界に生きるつもりは無いと、そこまで言いそうだった。が、それは相手の『心配』がそのまま当たってしまうのでやめた。

 少し前まで『お前の居ない』『つまらない』世界に生きていたのに。

 もう戻れなくなっている。

「でも龍晶、それはさ…今から自分が死ぬ気で居るなら間違いだよ。俺がお前を死なさないから。そのつもりでお前も俺を連れて来たんだろ?」

「それは違う」

 言い切った言葉に眉根を上げる。

 龍晶は己の言葉に緩く首を振って否定した。

「いや、あながち違う訳でもないか。お前に守って貰おうとは思う…けど、それは俺だけじゃない。いや、俺よりも佐亥や祥朗を守ってやって欲しいんだ。いくらお前でも一度に何人も手は回らないだろうから、俺よりも二人を頼みたい。いいか?」

「お前を見捨てて二人を守れって事?」

 龍晶は頷く。

 朔夜は顔を顰めて息を吐いた。

「だからあんな変な頼み方…。いいよ、分かったよ。お前の気持ちはよく分かるし、俺も同じ立場ならそう言うよ。だから、俺はみんな守る」

「それに越した事は無いが現実無理だろって話をしているんだが」

「それでもだよ。俺はやる。絶対、誰も犠牲にしない」

「…出来るのか、そんな事」

 それは朔夜への問いではなく、龍晶の自問だった。

 守りたい人を守れるのか。それは、必ずしも二人だけの話ではなく。

 誰も犠牲にせずに、事を為す。それを目指してここに居るのだが、自信は無い。

「お前は兄貴の事も救いたいんだろ」

 朔夜は親友の本心を理解していた。

 龍晶は黙って頷く。

 命を助けるだけではない。その苦しみから救いたいのだ。

 生まれながらに持たざるを得なかった、誰にも理解されない苦い宿命から。

 或いは、王座という重荷から。

「お前がそれを望むなら、俺は出来るだけの事はするよ。だけど、難しい事もあると思う。だって一番はお前を守りたいから」

「…ああ。分かってる。何もかも思い通りにいくとは思ってない…けど」

 改めて、深い溜息の中に悩み惑い続けた感情を吐き出して。

「このまま兄を…人らしい感情を何一つ知ることなく終わらせてしまうのは…それは、いけない気がして。勿論、俺の方がこのまま終わる確率は高いけどさ。でもそういう意味では俺は恵まれていたと思うんだ」

「どういう事?」

「お前に出会えた。だから、もう死んでも後悔は無い」

 朔夜は目を見開いたまま黙ってしまった。

 言いたい事があるのに見つからない、そんな風に。

 龍晶はそんな朔夜の反応と己の言葉に笑いが出てきて、軽く失笑して続けた。

「兄が人の情を知れば、この国は動くと思っている。勿論こんなの世迷い言だとは分かっているけどでも、世を動かすのは結局、人の情だと思うから」

「だから…反乱軍が城を落とす前に、こんな危険を冒してまで話がしたいってこと…?」

「そういう事だ。付き合わせて悪いな」

「…うん。ほんと、こんな事に付き合わされるなんて」

 冗談めかして笑って。

「悪魔だの戦の道具だの言われた俺の仕事じゃないよ。こんな…大事なこと。こんなの皆が幸せになる為の、悪魔とは全然真逆の仕事じゃねえか」

 龍晶は声を出して笑って、その顔のまま朔夜に毛布を返し寝転んだ。

 夜明けまではまだ間がある。眠れる時に眠っておきたい。

 悪夢を忘れられる間に。

 毛布の中に殆ど顔を隠して龍晶は聞かせるともなく呟いた。

「出来る事ならずっとお前の近くに居たいと…本当はそう思う」

 不意に漏らされた本音を聞き返す事も出来ずに。

 はたと気付いて自分も毛布に潜る。

 赦されたのだ。これまで罪を重ね、そのどれも背負い続け許される事など無かった自分が。

 友へ負わせてしまった取り返しの付かない傷を、心から赦された。

 信じられなくて。胸が締め付けられる程に有り難くて。でもまだ自分は自分を赦せなくて。

 毛布に頭から潜り込んだのは、知らず流れていた涙を隠す為だ。


 都へは迫ってきたが、二人の足は遅々として進まなかった。

 龍晶の身体が限界だった。病を誤魔化してここまで来たのだから当然と言えばそうだ。

 さりとて都に近い街へ出れば軍に見つかる可能性は高く、宿に泊まる事も出来ないので、野山で身を横たえるより無い。

 だが朔夜の目には、龍晶が先に進めない理由はそれだけではないように見えた。

 身体が限界なら、心も限界なのだ。

 大事な人を失う焦りはある。だがそれ以上に恐怖が足を鈍くする。

 この先の光景を、見る事が出来ない。

 草の上に臥せる龍晶の虚な目を見ながら、朔夜は己の経験を思い出していた。

 灌から繍に向かう道中。

 一刻でも早く華耶を救いたい。なのに、己に力は無く、結果を知るのが怖くて。

 自分が彼女を傷付ける引き金となる、その予感が拭えなくて。

 心の何処かで逃げようとしていた。道中の間ずっと。

 同じにしてはならないが、そんな心境なのだろうと思う。

 この道の果てに必ず犠牲は出る。

 それが誰かというだけだ。

 そういう意味では自分よりも過酷な道だ。

「もう潮時なんじゃないか?」

 答えなど期待せずに朔夜は言った。

「こうなったら道を引き返すのも有りだろ。動く事すらままならないお前が乗り込んで行くより、お前の仲間が大勢で城を取り囲んだ方が犠牲は少なく済むかも知れない。とにかくもう無理だ、帰ろう」

 怒るだろうなとは思った。

 それは、龍晶の意思を無視して帰ろうと言った事に対して。

 譫言のように彼が呟いた論点は違っていた。

「犠牲の数を問うのか、お前が」

 その一言に、朔夜は息が詰まった。

 夥しい程の『犠牲者』を生み出してきたお前が。

 それでいながら『たった一人』だけを救おうとした、お前が。

 数など問えるのか。

 そこまで悪意のある問い掛けでは無かったろう。だが朔夜はそう自問せざるを得なかった。

 一つ確かなこと。

 自分達が救いたい人は、一人二人と数えられない、呼びたい名のある存在だ。

 かけがえの無い彼らと、また会いたいと思う、それだけの気持ちだ。

「ごめん」

 朔夜は素直に謝った。

「謝るな」

 いつものように謝罪は拒まれた。

 だがそれは、いつもと違って龍晶自身に理由があるからで。

 本当は朔夜の言う事が正しいと、重々分かっているからだ。

「また巻き込まれるのが嫌なら、お前は帰ってもいい」

 こういう言い方しか出来ない自分こそ嫌になる。

 素直に言葉を選んでも、否だからこそ、刺のある物言いになってしまう。

 だが友はそれも理解してくれていた。

「俺は喜んで巻き込まれに来たんだけど?」

 龍晶は失笑した。失笑ではあるが、確かに笑った。

「なら…良いか」

「そ。良いよ」

 息をゆるゆると吐き出して目を閉じる。

 その様を見て朔夜は膝を抱えて座り直す。

 信じられない程に静かな時が流れてゆく。

 凄絶な未来からの呼び声に耳を塞いだまま。

 自分の自信は過信に過ぎないのは分かっている。死ぬ気で友を守るつもりだが、それが必ず出来るとは言い難い。

 その龍晶は守るべきを守る為に死ぬ事も厭わないでいる。だが、本当に守るべきものは他にあるのに。

 無論、そんなものは天秤で量れないからここに居るのだ。そんな事は重々理解しているから朔夜自身もここに居る。

 ずっと危うい綱渡りをしてきたが、今回ばかりは先が見えない。

 見たくない。恐ろしい気がして。

 だからずっと留まっている。

 ふっと、遠く蹄の音を聞いた。

 顔を上げて異変を探す。手は無意識に刀を触っている。

 いよいよ音が近付き、龍晶も気が付いて起ようとした。それを手で制して頷きかける。

 蹄の音は一騎のみ。敵だとしても片付けるのは一瞬だ。

 念の為、龍晶の顔に毛布をかけて隠す。

 手頃な木の陰に潜み、相手を待った。

 しかし相手の顔が見える位置になって、その警戒を解いた。

 それが余りに見知った顔であった為。

「黄浜」

 林道の真ん中に出て呼び掛けると、相手も驚いた顔で馬を止めた。

「朔夜殿!?」

「探しに来たのか?」

 黄浜は頷き、駒を進めて朔夜の隣まで来て下馬した。

「殿下は何処に…」

 朔夜が指差した先で、龍晶が半身を起こしてこちらを見ていた。

 黄浜は安堵と、疑問が沸き起こる複雑な表情で歩を進める。

「ご無事ですか?」

「外傷は無いけどね」

 朔夜が肩を竦めて応える。

 そして龍晶に聞かれないうちに問うた。

「桧釐は激怒してるだろ?」

「いや…まぁ…」

 黄浜は曖昧に言葉を濁して誤魔化した。

 そうしているうちに龍晶の元へ着いてしまう。

「あいつはまだ俺を見捨てる気が無いのか?それとも最後通告か」

 痛烈な出迎えの言葉に黄浜は額を抑えて座り込んだ。

「ああ、殿下…何と申せば良いのやら…」

「気を遣ってくれるな黄浜。愚かなのは俺だ。それに何を言われようが結果は同じだ。ありのままを言え」

 黄浜は肩を萎れさせ、一つ溜息を落とし、ようやっと声を振り絞った。

「これは桧釐殿からの伝言なのですが…私は伝えるべきではないと道々考えてきたのです。しかしお二人の関係は私の考えの及ぶ所ではないと重々承知していますので…そのまま伝えさせて頂きます」

 慎重な前置きの後、黄浜は出立前に桧釐から吐き捨てられた伝言を口にした。

「あなたが死ぬのは勝手にしろと言いたい所だが、このままだと俺は哥に反逆者の汚名を着せられる。それはつまりこの国の終わりを意味する。生きるか死ぬか、あなた以外の者の為によく考えてください。…と」

 恐々見上げた顔は。

 堪えきれずと言った風に笑っていた。

「済まんな黄浜。分かったよ。よく分かった。流石のあいつもお荷物を切り捨てたいのは山々なんだな。良かった、安心した」

「殿下?」

「捨てたい重荷を捨てさせてやれるよ。紙と筆を貸して貰えるか?」

 黄浜は荷物の中から矢立を取り出し、紙と共に龍晶に渡した。

 彼は迷い無く一筆認めた。我が命無き後は、桧釐に全権を与える、と。

 自らの名を書き記し、刀を鞘から半分抜き、そこへ指を押し当てて傷を作ると、名の下へ血判を押した。

 それを青ざめた顔の黄浜へ返す。

「これで誰も文句は言えまい。あいつも俺の事など気にせず好きなようにやれる」

「しかし…しかし殿下」

 震える唇が上手く言葉を作れない。

 その意を拾ったのは朔夜だった。

「桧釐がお前を見捨てられる訳無いだろ」

 他人事と割り切って、他所を睨みながら。

「何を言い繕ったって、結局は命懸けでお前を生かそうとしたあいつに変わりないだろ。そうでなきゃ黄浜を寄越さない」

 情で動く、その人をよく知っている。

 だから余計辛かった。

「…俺だって頭の片隅のほんの少しはあいつに悪いと思ってるんだ」

 吐き捨てるように言って、しかし誰もがその本心を解っていて。

 それでも龍晶は続けた。

「俺に戻る気は無い。あいつには俺の屍に好きなだけ文句を言えと伝えてやってくれ」

 それと、と尖った語気を弱めて。

「俺は一を選んで身を滅ぼす愚か者だが、お前は十を選んで生きろ…お前は正しいと、そう言ってやってくれ」

「一と十…とは?」

「一人の命とこの国全て、どちらを選ぶのか…桧釐はいつも俺にそれを問うていた。結局俺はあいつの望む答えを出せてやれないんだ、いつだって」

 済まないと思うのは、その一点だ。

 いつかは改心するだろうという期待に、結局応えてやれなかった。

 それでも一人を救いたいのだ。

 その一人とは、自分自身だ。

「そんな顔をするな、黄浜。俺の行動は自業自得なんだから」

 純朴な彼は打ちひしがれ情け無い顔をして、龍晶の手を取って言った。

「私などが殿下にものを申す事は許されないとは思いますが、言わせて下さい。殿下…あなた様は、この先長く生きねばならぬお人です。あなた様の決断に成否など誰も言えませぬ。しかし、死に急いではなりません。北州の我らの願いを、どうか、お忘れになりませぬよう…お願いを致します」

 龍晶は俯き、手で目元を覆った。

 その言葉は、黄浜一人のものではない。

 北州の民達の、その彼らを代表した祖父の、そして母の。或いは都の貧民街の人々の。そして、幼き日に自分を守って命を落とした小奈のーー皆の、声でもあった。

 解っている。ずっと背負い続けてきたもの。

 彼らの希望。託されたもの。

 この命と共に。

「…俺が守るよ」

 横からぽつりと朔夜が言った。

「こいつは俺が絶対に守るから。絶対に生きて返すから…信じてくれる?」

 龍晶が思わず顔を上げて見た友の顔は。

 守れなかった過去の痛みに耐える笑顔で。

 自信の無さも解る。だけど、そこにあるのは悲痛なまでの決意だ。

 黄浜に視線を返す。

「…だから、待っていてくれるか?」

 彼は頷いた。

 血判書を彼に押し付け、来た道を帰す。

 別れでもあった。

「俺達も行こうか」

 朔夜に問う。

 即答は無かった。

「どんな結末になっても、俺は悔いる気は無い。ただ、お前が生き延びてくれれば」

 言い足した言葉に朔夜は目を見開いたが、すぐに真顔になって馬の元へと歩みだした。

「誰も死なせねえよ」

 怒ったような口調。顔は見せずに。

 龍晶はふっと笑った。そして自らも立ち上がった。


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