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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十七話 運命
55/60

5

 轡を並べて直走る。

 二人きり。朔夜にしてみればこんな筈では無かった。

 龍晶が一人でも行くと言い出て行くので、追いかけるしか無かった。お陰でろくに旅の支度も出来ていない。

 今思えば必ず行くからと約束して一旦待たせ、桧釐にこっそりと報告すれば良かった。そうすればこの我儘王子様は従兄にこっぴどく怒られて、今頃監視下で不貞寝するより無かっただろうに。

 だが、隣でそんな事を考えるのが不謹慎なくらいに状況が切迫しているのも分かる。

 何を差し置いても無事でいて欲しい人に、万一の事があれば。

 気持ちは分かる。他に手があったとは思うのだが。

 他の手など無いと、龍晶は考えたのだろうか。

 誰かを頼る事など出来ないと。

 そういう思考回路において他人の事は言えないが、立場の違いというものがある。

「俺が自ら行く必要は無いって思ってるだろ?」

 横から見事に図星を突かれた。

「我儘以外に理由があるなら聞こうか」

 他に今考える事なんて無いな、そう思い直して聞き返す。龍晶だって釈明したいのだろう。

「お前のような餓鬼じゃあるまいし、我儘なんか…」

 言いかけて、不意に口を噤む。

「どした?」

「いや」

 それでも離されない朔夜の視線に負けて口を開くより無かった。他に話せる嘘も無かった。

「お前と出会った時からずっと餓鬼だ餓鬼だって言い続けてきたけど…俺の方が餓鬼だった。我儘以外の理由なんて作れるかよ。狡いよ、お前」

 結局、狡いと括られてしまうのは腑におちないが。

「我儘だろうが何だろうが、俺はお前に付き合う。だから理由くらい言ってくれよ。お前が本当に望む事は何なのか…それが分からなきゃ付いて行く意味が無い」

 朔夜の言葉を受けて、暫し龍晶は天を仰いだ。

 馬の駆る速度で次々に変わりゆく景色と、変わらない青空。

「…少し休もうか」

 清水の流れる川縁で馬を降り、森の下草に腰掛けて一息つく。

 馬たちが水を飲み草を食む様を目に映しながら、龍晶は言った。

佐亥(サイ)は王宮から呼び出される俺をいつも黙って送り出してくれた。殴られて帰るのは分かっているのに、下手に止める事はしなかった。襤褸襤褸になって戻されたら、何も問わず看病してくれた」

「止めてくれた方が良かったんじゃないのか?」

 朔夜の問いに首を振って、龍晶は微かに笑った。

「そんな事したら命が無い。俺が何よりそれを恐れているのを彼はきっと知っていた。…何よりも、俺の本心を見抜かれていたと…今はそう思う」

「本心?」

「兄から召出される事は…必ずしも嫌なだけでは無かった。殴られるのは怖いし殺されるかも知れない恐怖はあったけど、どこかでそれを望んでいるんだ。俺は…自分が彼の感情を受け止められる唯一の人間だと知っていた。それで役に立てるならそれで良いと…そう思って殴られた。あの人を孤独から守る唯一の方法だから」

 朔夜は顔を顰めてじっと龍晶の顔を見詰めた。

 理解出来ないのは分かる。解ってくれとも思わない。この数ヶ月で、やっと自分自身が理解出来た己の心の底だ。

「佐亥がな、ある日こんな事を俺に言った。自分も兄が居る弟なんです、と。乱暴者の兄で、子供時分は苦労した。でも弟は兄から親の愛を奪う代わりに、兄の誇りを守ってやらねばならない。だから理不尽な暴力に負けてやるんです、って。笑い話に教えてくれて…その時は普通の兄弟は良いなとしか思わなかったけど」

 何処か遠くに視線を投げて。

「あの兄が守りたいものって何だろうって。俺を殴る事で守ってたものって…俺達から奪われてしまった、肉親としての繋がりだったんじゃないかって…気付いた。同時に兄は俺を守ろうとしていた」

「龍晶…?」

「分かるよ。言ってることおかしいって。でも俺は誰も信じなくてもそうだと思える。あの人を信じられる。今でも信じている。彼は悪人じゃない。それを知ってるから」

 誰にも言わずにここまで来た幼い日の記憶。

 それを抱えたまま行けなかった。

 誰かに渡して知らせて貰わねば、永劫に真実は歪む。

「初めてあの人に会った時…三つか四つくらいの時だから記憶も曖昧なんだけど」

 当時、父も実の息子の事は気になっていたのか、彼だけは時折王宮に召されて王と謁見する事があった。

 そんな時に詳しい事情を知らない誰かに教えられたのか、それとも偶然か、回廊の一角で顔を合わせた事がある。

 その時に言われた。

 俺に近付くな、と。

 嫌っているから出た言葉のようには聞こえなかった。否、無論その時はそんな判断など出来なかったが。

 周囲の視線を気にしてーー誰かに見られれば、俺はお前を殺さねばならなくなるーー今思えばそういう意味ではなかったかと思う。

 そう推測できるもう一つの記憶。

 ずっと封じてきた記憶がある。

 夜中にふっと目が覚め、何か居ても立ってもいられなくて一人、後宮の庭へと出た。

 そこで見てしまったのだ。

 青ざめた顔でふらふらと、まるで幽鬼のように歩く兄を。

 怖かった。が、好奇心が勝りその後を追った。

 子供の下手な尾行だ。いつ気付かれてもおかしくはないが、彼は全く気付く素振りは無かった。寧ろ、何も見えていないという目をしていた。

 物陰で彼は立ち止まり、重たい身を壁に預けてずるずると座り込んだ。

 そして手元に持っていた小瓶をじっと睨んでいた。

 それが何かは分からなかった。が、長い時間の末に彼が震える手でその小瓶の蓋を取り、それを口に付けようとした時、反射的に声を上げていた。

 兄上、と呼び駆け寄って。

 その手を止めた。

 彼は心底驚いた顔で半弟を見た。

 その目が涙に濡れていた事は、何故か鮮明に思い出せる。

 彼は何も語らなかった。

 口を閉ざしたまま、その場を去って行った。

「…翌朝、父は死んでいた。毒殺だと…皆が噂した」

 長年誰にも言わなかった真実を語る龍晶は、毒を煽ろうとしたその時の彼と同じ風体だった。

「今の王が…王様だったお前の父さんを殺したのか」

「確証は無いけど」

 父は実際、長子である彼を可愛がっていたのだと思う。そうでなければ王宮に呼ぶ事も無いだろうし、あの夜何の疑念も持たず寝室へ入れはしなかったろう。

 息子の淹れた茶を飲み、その中に毒が入れられている事も知らず。

「じゃあ、その事をお前が誰かに言っていたら、王様を殺した罪人とされてこんな事にはならなかったんじゃ…」

 龍晶に冷え冷えとした目を向けられて、朔夜は口を閉ざさざるを得なかった。

 その目を彼は木立に向けて、ぽつりと言った。

「俺は止めなければ良かったのか?あの人が自ら死のうとした事を」

 あれから地続きである筈の、そこからの時間と今。

「兄は父を殺したくて殺したんじゃない。そうでなければ自死なんか選ぶか。それを知っていて俺は、あの人が犯人だと周囲に言う事なんか出来なかったよ。どんな未来が待っていようとも」

 視線を朔夜に戻して。

「操られてた。いや、今も…あの人も、俺も…何かに操られてここに居るんだ。自分の意思ではない何かに利用されて生きて死のうとしている。彼は俺でもあるんだ。…殺せる訳が無い」

「その、何かって…」

「哥王の兄君が追っている組織。それに今の皇太后が関わっているのが真実だとしたら…それだろう。国々を裏から操ろうとする連中が居る。奴らに俺達は利用されている」

 小川の流れる音がいやに耳についた。

 誰かに見られている気がして思わず周囲を見回す。

 誰も居ない。その筈なのだが。

「なあ、朔夜」

 龍晶も同じ事を感じたのか、いくらか声を落とした。

「お前が哥王の兄君を見つけたら、真相を聞いてくれないか?そいつらが何者なのか、何が目的なのかーー俺の代わりに真実を知って欲しい。きっとその時俺はもう居ないだろうから」

「知って、復讐すれば良いのか?」

「そこまで言わねえよ。それは…その時のお前に任せる」

 朔夜は頷いた。その連中が目前に現れたら、必ず自分は闘わずには居れないだろう。

 龍晶は立ち上がった。

「今の俺には、そんな連中の事まで構ってはおれんからな。自分の家族を救いたいだけだ。それだけの我儘だよ」

 朔夜も立つ。この際だから何処までもこの人に付いていく気で居る。

「行き先は?」

「都だ。兄が望まない王冠を、誰の血も流さずに貰い受ける」


「消えた?」

 素っ頓狂な声で桧釐は問い返した。

「街中どこを探しても見当たりません。そもそも、この時間まで帰って来ないというのも不自然ですし…」

 宗温は言いながら後ろに立つ人物に視線を移す。

「殿下は容体が思わしくないのでは無かったのですか」

 問われた香奈多は相変わらず静かに微笑み返した。

「ええ。しかし今日は比較的ご気分がよろしい様でしたので、朔夜殿と散歩に出られたものと思っておりました」

「こんな夜中まで散歩するかよ!」

 桧釐は苛々と言い返して、頭を抱えた。

「全く…どこまで手を焼かせる気だ…。こんな時に…」

「夜が明けたらもう一度捜索してみましょう。しかし、桧釐殿」

 思い詰めた顔で宗温は言った。

「殿下がご自分の意思で街を出た訳では無かったら…?例えば、敵がこの街に紛れ込んでいたとしたら」

「それは無い」

 あっさりと桧釐は切って捨てた。

「何故」

「朔夜も居るからだ。あいつと殿下が揃って連れ去られようもんなら、街のどこかに死人が転がってる筈だろ」

「ああ…なるほど」

 最悪の事態は考えずとも良い訳だ。

「じゃあ二人で自ら街を出たと…。とすると、行き先は…」

「殿下のご家族の無事を確かめに行かれたのだと思いますよ」

 香奈多が答えを出して、考え込んでいた二人の顔を上げさせた。

「ご家族とは…」

 いまいち話の見えない宗温に、桧釐は頭を掻きながら顔を顰めて答えた。

「殿下が都で世話になっていた人達だ。今は西部のど田舎に居る筈だが」

「襲撃を心配して?」

「だろう。そりゃそうだ。国の連中が誰も居所なんか知る由の無いお袋達すら狙われたんだ…下手すればもう手遅れかも知れない」

「だとすれば…」

 掻き毟っていた手で頭を抱えて、暫し悩む様を見せて。

 ぱっと顔を起こして言った。

「もういい。俺達がやる事は一つだ宗温。都へ軍勢を進める。各地方に繋ぎを取ってくれ」

「良いのですか」

「それが一番の近道だ」

 それでも尚、困惑の混じる視線を受けて。

「…殿下には悪いが」

 言いながら足元に目を落とす。

 宗温の顔を見返す事は出来なかった。が、言うべき事は言わねばならない。

「もうあの人に振り回されている状況ですら無い。俺は戦をする。あの人が居ないものとして。その結果、本当に居なくなるかも知れないが…それ以上の犠牲を払うよりましだ」

「しかし、それでは戦の先の世が…」

「済まんな。俺は今のこの国を壊す事しか考えられない。再建はお前のような、頭の良い奴に任せる」

 ただ、と桧釐は続ける。

「そこにあの人は或いは不要だと、俺は思ってしまう。あの幼さでは飾り物にしかなるまいよ。ましてやこんな自分勝手な事をされると…また民を苦しめる国になるんじゃないか?なら居ない方が良いんじゃないのか?」

「それは違いましょう、桧釐殿」

 異を唱えたのは香奈多だった。

「私は殿下の国作りのお考えをしかとお聞きしております。民を豊かにする為の方策を。あのお方が政を担う事、私は心より楽しみにしているのです。それは我が陛下も同じ。そうでなくては、我々の協力は有り得ません」

「…俺が殿下を見殺しにすれば、哥は我々の協力から手を引くと?」

「いいえ。あなたはあなたのやるべき事をなされば良いのです。但し、私共は殿下をお守りすべく動きます。哥が協力するのはあなたではなく、次期国王となられる龍晶様ですので」

 桧釐は思わず苦笑いして口元を撫でた。

「それはまずいな。このままだと俺は国王の座を横取りする反逆者にされてしまう」

 宗温が狼狽えた目を向けるが、当の本人は一笑に付した。

「無論、そんな気は無い。だが全く余計な誤解を招かぬ為には殿下が必要って事ですな。良いでしょう、殿下は探します。探し出して首根っこ捕まえて大人しくさせますよ。それで何がなんでも王冠を乗っけて貰いましょ?それが本来の俺の仕事でもある」

「では…?」

「同時進行だ宗温。殿下の事は俺が何とかする。お前は出来るだけ早く都に進攻出来るよう手配してくれ」

 やっと宗温は表情を晴れさせた。

「分かりました。殿下を、くれぐれもよろしくお願い致します」

 深く一礼して、早速その場を立ち去る。

 桧釐は溜息一つ溢して香奈多を振り返った。

「こうする為にここまでおいでになったので?」

「何の事でしょう?」

「わざと殿下を逃したんじゃないでしょうな?って訊きてえんだけど」

 無礼な物言いに彼女は微笑んだ。

「おかしな企みなど有りませんよ。ただ、愛する人を失う悲しみを彼に何度も味わって欲しくないと…これは私の個人的な感情です」

 また桧釐はがしがしと頭を掻き毟って、厳しく問い返した。

「それが叶うんですか。結果は同じだと俺は思いますけどね」

 香奈多は緩く首を横に振った。

「希望は有ります」

「希望?」

「朔夜君です。彼が居るから、私は何も心配していません」

 頭に乗せていた手をぱたりと落とす。

 闇となっている回廊の隅を睨みながら、桧釐は毒付いた。

「あんたらはあいつの本性を知っているのか」

 事も無く香奈多は頷く。

「あなたよりは知っている事は多いかと」

 一度相手の顔を見返し、短い溜息と共に逸らした。

「悪魔の姿を見ながら共に居られる殿下の気が知れない。わざわざ死と隣り合わせになるようなもんじゃないか」

「朔夜君が恐ろしいのですか、あなたは」

「死にたくないからな」

 言い捨てて、足を進めようとして。

 ふと、香奈多と背中合わせに立ち止まった。

「…殿下は…死を恐れていないと言う事か」

 否、まさか。あの人が。

 ならば、或いは。

「死ぬ気だと…?」

 二人が振り向き、目が合う。

「そんな事を言っていたのでしょうか…?」

 問いに、香奈多は首を横に振った。

「私にそこまではお話しにはならないでしょう。しかし、死期が近い事は察しておいででした」

「死ぬのですか!?」

 思わず詰め寄って。

 我に返って、一歩引いた。

「…それは俺も聞きました。だけどあれは単なる弱気でしょう?本当に死ぬ訳ではなくて…」

 だが、言い繕いながらも引っかかって言葉を途切らせた。

 そして改めて訊いた。

「哥の陛下は…殿下の死期を既にご存知なのですか」

「それは当然、お応え致しかねます」

 無感情に香奈多は応える。

「そうですよね。そりゃ、…まあ俺も知りたくはないし」

 知りたくはない。だが、気になる。

 死なれては困る。今からという時に。

「手の者に殿下は探させます。それで、疑いなんか捨てて下さいよ。俺はあの人に成り代わりたいなんて、これっぽっちも思っちゃいないんだから」


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