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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十六話 異郷
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余りにも見覚えのある景色に、様々な想いが胸を詰まらせる。

戔と哥の国境線。その哥側にある陣営。

砂漠の中の悲嘆の記憶。

「龍晶?」

共にこの場所に居ながら記憶の無い朔夜は不思議そうに見上げてくる。

「…いや」

多くは言わず、夜営の準備を始める輪の中に入った。

これまで、この場所で戦をしようと進軍していた軍隊には全て撤退して貰った。

哥王の命令であれば何の疑問も騒ぎも無く、粛々とそれは行われていった。これで長い旅は報われたようなものだ。

あとはこの陣で国境を監視していた少数の兵らに戦の無くなった事を伝え、この場所は解体される。

共にここまで来てくれた香奈多らは北州の反乱軍側と話をしてから帰るつもりらしい。既に黄浜と共に哥側の使者が北州へと向かった。

明日には自分達も戔へと入る。

「浮かない顔してるな」

燕雷にも指摘され、夕飯の入った椀を押し付けられた。

「何か知らんが食え。食って元気出せ」

他にどうしようも無いので受け取る。

朔夜も自分の飯を受け取り、隣に座った。

「自覚無いかもだけどさ、お前は凄い事をしたんだぞ。俺には出来ないこと」

暗い表情を変えようと朔夜は言った。

龍晶は訝しげに見返す。

「黄浜も言ってたけど、戦を無くすなんて本当に大手柄だよ。俺は口だけで真逆の事をずっとしてきたけど、お前は本当にやってのけた。凄い事だよ、尊敬する」

「揶揄ってんのか」

「何でだよ。大真面目だよ」

「やっぱ揶揄ってるな」

それでも片頬で笑って、しかし溜息を漏らして。

「少しは罪滅ぼしになるんだろうか。まぁ、死んでしまった人たちには関係無いよな。未来がどうなろうと」

「え…?」

「ま、実際はお前の手柄だよ。お前が居たから出来た事だ」

何とか話と自分の思考を変えようとして龍晶は言った。

「そうかなぁ?俺も何もしてないけど」

首を捻る友に龍晶は自嘲気味に言った。

「俺だって自棄酒かっ喰らってただけだし」

思わず朔夜は吹き出す。

「確かに。お陰で余計な気苦労はした」

燕雷も放っておけず話の輪に入ってきた。

「その気苦労で添い寝する勢いだったからな。ほんと仲良しだよなぁ」

「は!?してない!!そんなのしてないから!ただ枕元に居ただけ!!」

「顔赤いぞお前。そういう顔は華耶ちゃんの話の時だけかと思ったら」

「そんなんじゃないーっ!!」

面倒臭くなって龍晶は席を立った。

「あ、おい」

「ちょっと用事を思い出しただけだ」

言外について来るなと釘を刺して、賑やかな天幕を出た。

日は落ちようとしているが、まだ灯りは無くとも歩ける。

残照が赤く、砂の大地を照らしていた。

心の引っ掛かりに整理を付けたかった。否、傷は傷として残しておくべきだとは思うのだが。

今ここに来たのは一つの区切りを付ける為なのかも知れない。

龍晶は井戸の前に立った。

かつてその水が赤く染まった井戸。

自分たちを救ってくれた少年を、死に追いやってしまった場所。

無念だっただろう。そう思う間も無かったかも知れない。

何が起きたかも分からない顔で、その首だけになって、ここに浮かんでいた。

今は澄んだ水があるだけ。

『お前はこの水をくれたのにな。…悪かった』

哥の言葉で今は亡き少年に詫びる。

戦を止めた事は、彼への報いになるのだろうか。否。

そんな事、望みもしなかっただろう。

ここで亡くなった全ての兵は、戔憎しの心を持ったまま、敵国が滅ぶ事だけを望んでいる筈だ。

彼らへの報いにはならない。だけど。

その根源を断ち切りたくて。

戦そのものを無くす。それだけが正解なのだと信じてここまで来た。

だけど、今から己のしようとしている事は。

また新たな、血で血を洗う戦だ。

何が正しいのか、まだ分からないで居る。

また新たな罪を負うしかないのは確かなのだが。

『龍晶殿下』

呼びかけに振り返ると、香奈多が一人でそこに立っていた。

驚いて思わず問う。

『お一人で?大丈夫なのですか?』

彼女は微笑んで答えた。

『陣中ですし、殿下もおられますから大丈夫です』

異国人の自分と二人きりなのは、普通は危険と見做されると思うのだが。

香奈多はにこりと笑うだけでその点は流し、距離を詰めて下から顔を覗き込むように告げた。

『心配事はどうぞ、この耳に入れて下さい。他言は致しませんから』

『そんなに俺は冴えない顔をしていますか』

『事が事ですから仕方の無いことでしょう。陛下にも、殿下の重荷を少しでも軽くして差し上げるよう仰せ付かって参りました』

『ご厚情、痛み入ります』

全て見通された上での親切は身に沁みる。

が、甘える気は無い。元より素直に他人に甘える事の出来ない性分なのだ。

だから龍晶は一つだけ気に掛かっている事を訊いた。

『俺達がこの場所でした事…陛下はご覧になっていたのでしょうか』

自分のせいで失われた多くの哥兵の命を、王はどう考えているのか知りたかった。

責められて然るべき事を、結局何も聞かずに出国しようとしている。

『さあ、それは…私が陛下のお言葉から想像するよりありませんが、知るべき事は全てご存知です。陛下はもしも殿下が戦の事を悔やんでおられるのなら伝えて欲しい事があると私に託されました』

『何と?』

『我々は同罪です、と』

龍晶はその一言を頭の中で反芻し、哥王もまた同じように悔やみ苦しんでいるのだろうと思った。

その後悔があったからこそ、今自分がここに居るのかも知れない。

「ここで…命の恩人とも言える罪の無い少年を死なせてしまいました」

井戸の縁を指先でなぞりながら、龍晶は言った。

「でもそれまで俺は、多くの兵の遺体を前にして、助かった、勝ったと…自分が生き延びた事しか眼中に無かった。自分の代わりに多くの人が亡くなった自覚も無かった。それこそが罪なんだと…今はそう思います」

一つ溜息を挟んで。

「俺の意思ならざる意思として、あとどれだけ犠牲を生めば良いのでしょうね。恐らく陛下も同じ苦悩を持っていらっしゃるから同罪と言われたのでしょう。俺は皆に生きて欲しいのに、皆は俺の意思と信じて死に行く…」

香奈多を振り返り、弱々しく微笑んだ。

『すみません、つい…お言葉に甘えてしまいました』

「いいえ。この耳に入れて下さいとお願いしたのは私です」

相手の言語で優しく言って、香奈多は井戸の中に向け、祈りを捧げた。

額に指先を当て、不思議な言葉を呟く。恐らく哥の古い言語なのだろう。

目を開いた香奈多は水面に視線を落としたまま龍晶に言った。

「陛下は毎日、朝夕に祈りを捧げていらっしゃいます。戦の為に亡くなった方々と、今生きている人々の為に、国が平穏であるように」

「陛下御自らの祈りに報われる死者は多いでしょうね」

「ええ。しかし陛下はこう言われるのです。こうして祈る事は自己満足に過ぎないのです。本当は戦の一つでも無くさねばならならない。それが出来ないなら子供を一人でも守らねばならない、と」

現実的な犠牲を一人でも減らすべきだという事だろう。施政者として。

「理想と現実の差に苦しむのは我が陛下も同じです。しかしそれは、民の苦しみを我が身として考えられる方だからこその苦しみだと、私は思います」

他人の痛みに耳を貸す事をしない人間ならば、そんな苦しみなど生まれる筈も無い。

「これから戦をしようとしている俺はどうすれば良いのでしょうか。人々を苦しめて…それだけで終わってしまうかも知れない」

香奈多は天を仰ぎ、星の声を聞くように耳を澄ませて。

そして微笑んだ。

「話は簡単です。勝利する事です。あなたは必ず勝てます。その後、人々を救えば良いのです。それがきっと、天の意思です」

「そう…なのですか?」

『何も心配なさらないで』

自国の言葉に戻して香奈多は言った。

『我々はあなたの味方です。百年の時を超えて、哥は南国に友情の援軍をお送りします』


壬邑までやって来た桧釐らは、黄浜との再会を果たし、哥の使者によって敵陣へと招かれる事となった。

哥が進軍を止めたというのはそれでもまだ半信半疑だが、黄浜にこれまでの成り行きを聞いてやっと真実だと思い至った。

しかし鵜呑みには出来ないだろう。罠である事も考慮せねばならない。それ程の非常事態だ。

装備を万全にして国境となる川を渡る。

哥の使者の先導に従い、桧釐、黄浜、宗温、反乱軍の仲間数人と、皓照が続く。

「本当に殿下が居るんだろうな?」

目的は龍晶を迎え入れる事だ。が、この状況でもし本当に哥の罠だったとしたら全てが終わる。

龍晶もろ共、亡き者にされる可能性だって否めないのだ。

「ええ、勿論です。共にここまで帰って来たのですから」

黄浜は桧釐のような疑いなど微塵も持っていない。

桧釐は宗温に目配せし馬を寄せ、声を落とした。

「俺が敵ならここを狙わない手は無い」

「敵の中心人物が自分の陣に揃う…という事ですか」

「有り得ない程旨い条件だろう?それに乗せられている自分もどうかと思うが」

「油断はせぬに越した事はありませんね。皓照様が居れば万一の心配はありませんが」

そうかこいつは奴への疑念が無いんだったと思い出して、今度はその皓照へ目を向けた。

「聞きそびれていたが、あんたは一体今まで何処で何をしてたんだ?随分忙しそうだが」

「そう言えば私も言いそびれていましたね。是非報告させて下さい。こう見えて結構、手柄は立てているんですよ」

「はあ?」

自分自身で手柄などと言っていれば世話は無い。

「宗温とは別に南部を回っていたんです。いやぁ、あちらの人は決断が早くて良いですね。まるで乾き切った草原のようだ。火を付ければたちまち燃え上がりました、気持ちの良いくらいに」

その例え話に燃え上がりそうなのは桧釐である。

「人を何だと思って…」

舌打ちして言いかけた事を途切らせた。話の通じる相手ではない。

言うだけ無駄なら、協力体制に(ひび)は入れない方が良い。

「反乱を焚き付けてたのはあんたなのかよ。焚き付けるだけ焚き付けて、軍に次々と鎮圧されるのが落ちだったんじゃないのか」

冷静になろうにも皮肉な口調は混じる。

「鎮圧なんてさせませんでしたよ、ねえ?」

笑顔で話を振られた宗温は、見たまま聞いたままを答えた。

「どの地方も軍を追い返し、各役所を制圧しています。皓照様のお力のお陰です。味方の損害も殆どありませんし」

「なんだって」

自慢気な顔を向ける皓照に言葉が無い。

その圧倒的な力は知っているし、犠牲を出さぬ治癒の力も我が身で体験した事だ。

味方であるに越した事は無い。

だが、それが実際、自分達の戦で使われるとなると、手放しに喜べない(わだかま)りがある。

朔夜の例を見てきているだけに。

「さあ、着きましたよ」

黄浜の言葉に前を向く。

先導してきた哥兵と、見張りの哥兵が言葉を交わし、入口が開かれる。

天幕の一つに案内され、馬を降りた。

「殿下はここに?」

誰にともなく訊く。分かりきった事を。

何故か足が止まってしまった。

「どうかしました?」

訊かれても答えようが無い。

「いや、別に」

適当に誤魔化して一歩踏み出した。

このまま再会せずに居た方が良い、意識の外でそんな予感がしていた。

その顔を見てそれを自覚した。

「…桧釐」

龍晶が呟く。

処刑台に登る前の祖父と、同じ表情だった。

「殿下、お迎えに上がりました」

連れて行くのは、修羅の道だ。


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