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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十ニ話 前途
4/60

4

欠け始めた月を目指し、階段を上がってゆく。

長居はすまいと心に決めて、扉を開けた。

そこに思いがけず先客が居たので、足を踏み出すべきか迷う。

引き返そうかとも思ったが、向こうがこちらに目を止めたのでとりあえず留まった。

「よお」

燕雷は柔らかい表情で手招きした。

「見に来たんだろ?別に変わりは無いけどな」

招かれるまま、龍晶は歩み寄る。

朔夜の遺骸は縛られたまま、何の変化も無い。が、不思議と死臭など、朽ちてゆく様子も無かった。

月明かりだけを静かに受け止めて、そこに在る。

「…永遠にこのままにも思える」

呟きは本音だ。否、それこそが当然なのだ。

死んだ者が蘇るなど、有ろう筈が無い事で。

だが燕雷は笑って否定した。

「今にも目を覚ますさ。でないと、俺が嫌々この国に来た意味が無い」

横目に男の顔を窺う。

龍晶はこの男について何も知らない。

「王子様に対して嫌な国なんて言うのは失礼だったかな」

揶揄う口調で燕雷は言った。

「…いや、尤もだ。何もしてこなかった俺も悪い」

素直に反省の弁を述べる龍晶に、燕雷は笑みを深くした。

「朔夜は戻って来るさ。お前さんの為に」

ぽつりと燕雷は言った。

眉を潜めて龍晶は問う。

「何故そう言える?」

「こいつは友を裏切る事はしないから」

言われて、俯いた。

「俺は裏切った。その所為でこんな事に」

「でも、お前はその報いを既に受けたんだろ?」

「殺されかけた事か?あれを報いと言えるのか?あれは…悪魔の気まぐれだ」

「それでも朔夜はお前に対して済まないと思っているよ。元より報復なんかしたくなかっただろうし」

「そうだろうか」

そうは思えなかった。

朔夜は俺に対して怒っていた。その怒りが悪魔を生み出したーー龍晶はそう考えてきた。

何にせよ、自分が彼を彼で無くした、その罪は重い。

「ま、それは戻ってきた時に聞けば良い」

燕雷は明るく言い放って立ち上がる。

その背を見上げて、龍晶は訊いた。

「あんたは俺を恨まないのか」

「恨む?何故?」

「朔夜を大事に思っていたからこそここまで来たんだろう?なら、事の原因である俺に怒っても良い筈だ。於兎には平手打ちにされたが」

燕雷は思わず大笑した。

「そうか、あのお姉さんに叩かれたか。そいつは災難だったな」

「いや…当然だと思う」

「何だよ、俺にも殴られれば気が済むのか?」

いや、そういう訳じゃ…と困った顔で言い淀む。

燕雷はまた笑って、龍晶の黒髪をわしゃわしゃと撫で回した。

「ほら、これで良いだろ?殴られるよりもこっちのがさ」

「…なんか」

よく分からないが。

目の上に掛かった髪を掻き上げて、その男を見上げた。

月明かりなのに、いやに眩しい。

「朔夜と同じ目をしているな、お前。行き場のない子犬みたいな」

「子犬って…」

そんな言われ方をされるなら、見上げる事は辞めて立ち上がった。

だが、行き場のないのは確かだ。

自分だけが生存している事に疑問を抱えてきた。それは朔夜も同じだった。

俺が生きている事で、また誰かを不幸にするーー幼少期からずっと抱えてきた恐怖。

それは今も消えない。

新たな一歩を踏み出さねばならない。だけど、怖い。

周囲には自信のあるように振舞っていても、本当は何も自信など無い。

失敗したら?

次は何を、誰を犠牲にしてしまう?

「哥に行くんだってな」

見透かしたように燕雷からその話を振ってきたので、驚いた顔で頷いた。

何の事は無い、燕雷にしてみれば訊かずとも皓照が勝手に今日決定した事を横で喋るので知りたくなくても知ってしまう。

燕雷が直接話す事も無かった龍晶について知る事と言えば、皓照の口から出る事ばかりだ。

今初めて、直接まともに話している。

「俺も結構いろんな国に行ってるけど、哥は行った事無いなぁ。まあ、言葉も話せないし。その点お前は偉いよな、ちゃんと勉強してて」

「他に出来る事も無いから」

何だか言い訳のように返して、何か訊くでもなく呟いた。

「俺は他の国に行った事が無い。この国しか知らない」

「そりゃ、まだ若いし。そんなもんだろ」

「やっぱりこの国はどこかおかしいのか?兄のやり方は悪政だとは思うが、都に居ると誰もそんな事は言わない。何が正しいのか分からなくなる…」

外から見れる者の意見を聞いてみたかった。

渦中に居ると、渦に巻き込まれるばかりで。

「俺にそれを訊くのもどうかと思うぞ。俺は特別この国を嫌っている人間だから」

燕雷には、自分は公正な答えが出せないと分かっている。

この国の事になると冷静ではなくなる、そう皓照に何度も指摘されている。

それでも龍晶は食い下がった。

「でも嫌ってるって事は、嫌うだけの理由がこの国にあるんだろ?その理由って…」

「やめとけ。それは俺の個人的な話だから」

龍晶の言葉を遮って、燕雷は言った。

その厳しい口調に、思わず龍晶は怯む。

脅かしてしまった少年に向けて、燕雷は柔らかく言い直した。

「お前は聞かない方が良い話だしな。何、そう自分の故国を蔑む事も無い。違うと思うなら正せば良い。幸い、今から他の国を見て比較する事も出来る。そうだろ?」

呆気に取られたまま、龍晶はこくりと頷く。

燕雷は満足げに笑って続けた。

「お前は頭の良い坊ちゃんだから、何が正しいのかは自分で気付いていけると思う。大丈夫だよ、自信持て」

何でそんな事が言えるんだと、食ってかかる気にもなれなかった。

自分は間違いを犯し続けてきた。それで自信など持てる筈が無い。

だから否も応も言えぬまま、足元ばかり見ている。

「…朔夜にも来て欲しいんだ」

俯いたまま、誰にも言わなかった本音を漏らした。

流石に燕雷も耳を疑って聞き返した。

「何?本気か?」

「だって…」

顔を上げて、まともに燕雷と向き合って。

「だって、俺一人だと何も出来ないから。こいつはそれをよく分かってる、俺以上に」

二人で隔離された屋敷の中で、家事の出来ない自分に対して朔夜に言われた。

お前は何も出来ない王子様だと。

その時は腹も立ったが、共に過ごして時の経つごとに否定出来なくなった。

何でも出来て、しなければならない、自分はそんな立場にある筈なのに。

本当は何も出来ない、何の力も無い、虚勢ばかりの、卑小な人間だった。

多くの人を救わねばならぬのに、自分一人どうする事も出来ない。

その事実を突き付けられて、ただ情けなくて。歯痒くて。そして絶望して。

朔夜はそれを分かっていた。分かっていて、手を差し伸べてくれていた。

その手を素直に取れなかった。そして、全て壊れていった。

「朔夜が居れば、俺も…こんな無力な俺でも、何か出来るかも知れない。だから、哥へ共に行きたいと思って…こんなの可笑しいか?」

「いや?可笑しいとは思わないよ。それが友ってものだろうさ」

肩をぽんと叩いて。

「そうなると良いな」

うん、と。

龍晶は素直に頷いた。

「さて、そのご当人はまだ目覚めそうにないし…下に行って温い茶でも飲もうか。こう寒くちゃ老体には堪えるわ」

「老体って。あんたはまだ若いだろ」

軽く笑って燕雷は本当の事を言った。

「八十過ぎでもまだ若いって言えるなら」

「…は?」

歩いて行った先に、人影が現れて二人は足を止めた。

「皓照?」

二人の事は全く視界に入っていない様子で、その間を凝視している。

視線は動かさず、手元の刀を抜いた。

「お前…!?」

息を飲んだ燕雷の隣で、皓照の視線を追って後ろを振り返った龍晶もまた驚きの声を上げた。

「朔夜!?」

藍の眼がひたと、皓照を見ている。

刃を手に歩み寄るその姿がどう見えているのか。

朔夜に表情は無い。

「どうするつもりだ!?」

燕雷が皓照に問う。

その声で呆気に取られていた龍晶は我に返り、動いた。

二人の間に割って入り、朔夜を庇う様に皓照の前に立ちはだかる。

「斬るつもりか」

問う龍晶に、皓照は静かに命じた。

「退きなさい。危険です」

眉一つ動かさず龍晶は繰り返して問うた。

「斬るのか」

「言ったでしょう。悪魔ならば地獄に帰すと」

じっと、刃を持つ男を見据えて。

膠着状態となった。

「とにかく、朔夜の様子を見たらどうだ」

燕雷が後ろから両者に声をかけた。

それでも動かぬと見ると、龍晶に向けて言った。

「お前はこんな所で命を賭ける意味は無いだろう。そこは危ない。こっちに来い」

「俺がまだ生きている事が証拠だろう!」

龍晶が怒鳴って返した。

「こいつが悪魔ならとっくに俺は命を取られている!だが見ての通りだ!悪魔じゃない」

言うなり、身を翻して朔夜を縛る綱を小刀で切り裂き、その自由になった手に小刀を握らせた。

「何を…!?」

皓照が訝しむのを余所に、その小刀を握らせた手を持ち上げ、己に向ける。

「お前が悪魔なら俺を殺すだろう…?」

目は正面の皓照に向けられたまま動かず、小刀を持たされた手は支えていないと投げ出されてしまう。

そこに、意思は無かった。

魂を忘れて蘇ったような。

「…まだ記憶が無いのかも知れない」

燕雷が言った。

「まあ、待ってやろうや。色んなものを失って戻って来たんだ。焦らせても酷だろ」

愕然として手を離す。

小刀が足元に滑り落ちた。

「朔夜」

呼ぶ。一縷の望みを懸けて。

「朔夜、こっちを見ろ」

反応は無かった。

何も動かない。息をしているだけ。

龍晶はのろのろと立ち上がった。

何とも言い難い気怠さだけが残る。

「生き返っただけでも良しとしなきゃ、だろ?」

燕雷の言葉に頷いて、皓照に訊いた。

「まだ疑うか?」

彼は当然のように頷いた。

「今はまだ無の状態、と言った所でしょうか。これからどちらに転ぶか、注視しなければ」

「だがもう縛る必要は無いだろう」

「それは…」

異論を遮って、龍晶は朔夜を持ち上げた。

担いで、階下へと向かい始める。

「どうするのです。悪魔となったら」

後ろから皓照に問われたが、耳を貸さなかった。


回廊を目にして、桧釐は思わず苦笑した。

ある部屋の扉に寄り掛かって主人が座っている。

「自ら錠前の役割をされているのですか」

揶揄い混じりに問うと、大真面目な顔で睨まれた。

隣に座り、扉越しの音に耳を澄ます。

「眠っているのですか?」

「さあな。目を開けたまま寝ているのやも知れん」

「ああ、うちのお袋もたまに半目で熟睡してますよ。その類いですか」

「いや…違うと思う」

思わず失笑して、龍晶は桧釐に問うた。

「お前も錠前になりに来たのか?」

「そりゃ、俺と殿下は一連托生の関係でしょう?」

「まさか。俺はそんな事思ってない。って言うか迷惑だ」

「またまた。照れなくて良いんですよ」

「阿呆か」

真夜中の回廊に、二人並んで座る様は、どう見ても異様だ。

馬鹿馬鹿しくなった龍晶が立ち上がって、桧釐に目で問われた。

「変わりは無いだろ。ここに居ても」

「そうですか?」

「生き人形の番なんて無駄だ」

桧釐の顔色が僅かに変わった。

「…何だ?」

「朔夜が悪魔となる前に、宗温が全く同じ例えをしていました。“生ける人形”と」

じっと、従兄の顔を見下ろす。

それが何を意味しているのか。

「…朔夜を哥へと連れて行くというのは本当ですか」

顔を強張らせたまま、桧釐は人伝に聞いた言葉を問い返した。

「ああ。そのつもりだ」

「お辞め下さい」

間髪入れず桧釐は言った。

「危険過ぎます」

「そんな事は……分かっている」

「いいえ!」

語気強く否定して、桧釐は続けた。

「殿下は考えが甘過ぎる!もしまた悪魔が現れたら、誰もあなたを守れる者はいないのですぞ!?そこまでの危険を冒す意味が分かりません!」

龍晶は桧釐と斜め向かいの柱に、体を横向きにして寄り掛かって、ぽつりと応えた。

「償いだ」

「償い?」

「あいつが俺を殺したいと望むなら、殺されてやる。俺に出来る事なんてそのくらいだ」

「馬鹿な…!死ぬ事を前提に出立すると言うのですか!?」

「馬鹿だよ。分かってる。だけど…」

「だけどではありません!あなたの肩に何が懸かっているか、お解りでしょうに!」

「俺の肩には何も乗らぬよ。重要なのは、桧釐、お前だ」

「何を…!?」

龍晶が小刀を抜き、己の掌に刃を乗せ、薄く皮膚を斬り裂いた。

赤いものが流れ落ちる。

「俺にあるのはこれだけだ。王の血と、罪びとの血…」

桧釐は首を横に振って、龍晶の正面に回り、血の流れる手を取った。

「あなたが朱花様を罪びとと称するとは心外です。何も罪など無いと、誰よりも知っておられるのに」

「罪のあるのは俺だ」

刺さりそうな目で見、ふっと逸らした。

「俺が居る事で誰もが不幸になる。そういう定めなんだ。俺が居てはこの反乱も…」

桧釐は咄嗟に龍晶の口に手を当ててそれ以上の言を遮った。

そして周囲を見回す。幸いにして他の耳は無い。

上に立つ者の弱気は、士気に大いに関わる。

「何を仰せになりますか」

小声で窘めた。

「お前は変わったな」

手を外した口から、責める口振りで。

「いや、やっぱり元に戻ったんだ。俺を反乱の旗印としか見なくなった」

「そんな事は…」

「朔夜は反乱の邪魔者か?俺達二人を救いたいと言った…あの時のお前じゃない」

桧釐は言葉を失って、呆れを込めて主人を見下ろした。

自分が如何に勝手な事を言っているか、それも分かった上で龍晶は尚も続けた。

「俺は朔夜を救わねばならない。それが償いだ。ここに残せば皓照に殺されるかも知れない。だから、逃がす。その結果俺が死ぬ事になるならそれでも良い。寧ろ、俺はそれを望んでいる」

桧釐は一歩退いた。

「…理解出来ません」

「だろうな」

それに、と龍晶は理解されないと思われる事を付け加えた。

「俺には兄に向ける刃を持てぬ。あの人を殺すくらいなら、自分が死ぬ…」

旦沙那に突き付けられてから、考えて続けてきた事。

自分には、不可能だ。

考えれば考える程、心から血が滲むような。

「何故…!?」

「上手く説明は出来ない。ただ、お前は肉親に刃を向けられるか?」

それは、無理だ。そう問われると桧釐とて、龍晶に随分酷な事を強いているとも分かる。

だが、自分と彼では肉親の意味が違う筈だ。

「あれだけの事をされながら、あなたは王を肉親と思えるのですか」

「…そんなもんだと思ってきたからな。他に肉親も居ないし、よく分からん」

「では教えます。あなたが受けてきた事は、肉親にあるまじき行為です。庇い立てする必要などありません」

「…憎めと言うのか」

「それは…」

龍晶は鼻で自嘲って、虚空を仰いで呟いた。

「心から憎めないから苦しいんだ。俺もまた、生ける人形なんだろうな。感情を忘れてしまった…」

「殿下」

「理解しろとは言わぬ。反乱については俺が始めた事だし、その責任を負わねばならぬ事は分かっている。ただ、俺が居なくてもお前はやらねばならない。俺に言えるのはそれだけだ」

「殿下…」

背中を向けて去ってゆく姿が、いやに遠く。

霞の中の人のように、薄らいで見えた。


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