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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十四話 矛盾
26/60

6

扉の開く音、そして足音。

何よりも気配が違った。これは見知った相手ではない。

龍晶は薄く目を閉じてやり過ごそうとした。

意識の戻っている所を見られれば祖国に送り返されるという燕雷の忠告は尤もだからだ。

但しそんな警戒心とは別に、意識は冴え冴えとしていても体が動かない。動かす事は可能だが、重くて怠くて、その上いちいち痛みが走るので極力動きたくない。

そんな思いなど知らず、部屋に入ってきた人物はこちらに近寄ってきて、寝台を覗き込んできた。目は閉じているが気配で分かる。

ただ、その相手が誰なのかまでは想定出来なかった。

「龍晶殿下、目覚めていますか?僕は鵬岷。この国の王子です」

子供の声に薄目を開けた。

正直、驚いていた。話には聞いていたが。

体を動かす前に、龍晶は囁き声で訊いた。

「お一人で?」

「誰も居ません」

回答を聞いて、やっと龍晶は体を起こす。

痛いし、目眩もして辛かったが、一国の王子を相手に寝たままでは居られない。それが彼の他国へ対する考え方だ。

兄のように、見下し、臣従させるやり方はしたくない。

「あなたが牢から出して下さったと聞きました。感謝します。しかし何の為に?今私を助けた所で、危険はあっても見返りは何も無いのですが」

子供へ訊くような問いではないのかも知れないが、これは外交問題でもあるのだ。

灌にとっては、自分の扱い一つに国の命運が掛かっている。

それを目の前の少年は理解しているのか、判別は付かない。

「話がしたくて」

叱られた子供の言い訳のように、ばつの悪い表情を浮かべて鵬岷は言った。

矢張り子供だったか、と龍晶は若干後悔した。何を悔いる事も出来ないのだが。

「話とは?」

それを訊くより無い。

「僕の母は側室です」

龍晶は冷え冷えとした目を少年に向けた。

それに気付いた風も無く、鵬岷は続けた。

「僕は父が誰なのか知らないまま、五歳まで城下の街で育ちました。それが急にここへ連れて来られて、僕は王子になって…果ては王様になれと言う人が居るんです。二つ下の弟は皇后様の子供なのに。僕はどうしたら良いでしょうか?」

問われて、溜息一つで流したくとも、純粋な瞳がそれを許さない。

他国のお家騒動など知った事かと思う。自分の始末だってこの通り付けられないのに。

それをそのまま口に出してしまえる程、彼とて大人でもない。

「成るに任せるより無い…と言いたい所だが」

それで痛い目に遭っているのは誰だ。

「王になるのがお嫌ならば、推挙する者を説得した上で城を去る事です。誰にも見つからぬ場所へ。無用の争いを避けるにはそれしか無い」

鵬岷はぽかんと口を開けて言われた意味を考えていた。

「…俺がそうしたかった」

ぽつりと龍晶は己へ向けて言った。

父が斃れ、兄と義母が戻ると分かった時点で、母と共に城を明け渡すべきだったのだ。

今ならそう考えられる。あの時はそんな判断など出来ぬ程に幼かったし、誰もそんな忠告はしてくれなかった。

何より、人には善意しかないと信じていた。

まだ、あの時は。

「やっぱり僕はここに居ない方が良いんでしょうか」

鵬岷の声で己の内の追憶から引き上げられた。

「みんなとても良くしてくれるし、僕の望みは何でも叶えてくれると言ってくれる。でも望む事も無いし、何だか悪いから今まで何も言わずにきたけど…殿下は助けて欲しくて、初めて望みを口に出しました」

「…俺などの為に恩を売らせたと?それは失策でしょうよ。将来どう使われるか分かったものではない」

人の悪意を知り過ぎたが為に冷たく言い放つ龍晶の言葉に、まだそれを知らない鵬岷は首を振った。

「分かりません。でも目の前で人を見殺しにする事なんて出来なかった」

龍晶は口を閉ざして視線を外へ投げた。

吹雪は息を潜め、雪原に光が差し込む。

「…俺もあなたの立場なら同じ事をしているでしょうけどね」

そっぽを向いたまま、投槍な口調で呟く。

俯いていた鵬岷が上を向いたのが気配で分かった。

それを受けて龍晶は続けた。

「恩はお返しせねばならない。ただ、今の立場の俺に出来る事など微々たるものです。王子は俺に何を望まれるのですか」

「何も」

短い一言は真白な雪原のように潔く、澄んで響いた。

龍晶にとっては目の覚めるような。

「何も?」

「だって、僕は殿下とお話しがしたかったんです。だから、もう望みは叶いました」

何を言っているんだと眉を顰めながらも、全く不可解ではなかった。

思い出した。兄の前に不用意に出てしまって滅多打ちにされたあの時。

きっと同じ気持ちだった。ただお話しがしたい、仲良くなりたい、そんな子供の純粋な気持ち。

自分はそれを裏切らずに済ませられるのか。

「…それは良かった」

素っ気なく返すのが精一杯だった。

この接触自体が王子にとって危険だった。大人は何をどう利用するか分かったものではない。

彼を守ろうと考えるなら、自分から遠去けてやらねばならなかった。

そこまで考えて。

あっ、と小さく声を漏らして目を見開く。

「どうしました?」

鵬岷に聞かれ、何でもないと放心したまま返した。

記憶に埋もれていた。幼い日。

彼もまた大人では無かったあの日。

初めて合間見えたあの時、彼は言った。

『俺に近付くな、遠くに居ろ』

危険だから、と。

三つか四つ程の時の事だ。当然あの時はその意味など分からなかった。

そして歳月は記憶を瓦解させ曖昧にしていった。

だが今ならはっきりと分かる。

己の母にその存在が見つかれば、半弟は殺されると彼は分かっていた。

兄は俺を守ろうとしていた。

「殿下」

鵬岷の声で我に返る。

「大丈夫ですか?」

訊かれている事は分かっている。だが、正常な返事は出来ない。

呆然と脳裏に閃いた記憶の残像を見ている。

一瞬で確信にまで至っておきながら、実に信じられない事だった。

それが客観的な事実なのか、自分の願望なのか考えようとして。

思考にのめり込んでいたお陰で判断が遅れた。

扉が開き、見知らぬ顔が入ってきても事の重大さを把握し切れなかった。

「…伴趨バンスウ

鵬岷の方が余程強張った顔をして入ってきた者の名を呼んだ。

「矢張りこちらでしたか、王子」

慇懃な態度を取りながら、王子と呼ぶ相手の全てを掌に収めているかのような言い方。

人一人の運命をその掌の中で転がし、不都合があればいつでも捻り潰す。

そういう類の人間に見えた。

その伴趨が龍晶に猫撫で声で話し掛けてきた。

「お具合のよろしいようで、殿下」

龍晶は警戒を込めた無言で返した。

「伴趨、殿下はまだ目覚めたばかりで治ってはいない」

横から鵬岷が訴える。

「それはそうでしょう。完治を待つ訳にはいきません。その意味も無い。どの道、処刑されるお方ですから」

恐ろしい程あっけらかんと子供に対してその事実を述べる。

鵬岷は一瞬怯えた表情を見せた。が、すぐに隠した。

「僕は…納得いきません。この方は悪い人じゃない」

懸命に毅然とした口調を作って少年は言った。

「王子、またそのような卑俗な物言いをされて。日々の教育を蔑ろにされてはなりません」

伴趨は言いながら鵬岷の両肩に手をかけ、扉の方へ押した。

「それとも粗野な殿下からの悪影響でしょうか?いずれにせよ、かような所においでになってはなりません。あなた様が学ばねばならぬ事はまだ山ほどありますぞ」

なす術なく出口へと追いやられる鵬岷。

何か言いたげだが、その口は言葉を発する事が出来ず歯を食いしばっていた。

「おい弱腰無能王子」

龍晶は顔色一つ変えずに侮蔑の言葉を放った。

あまりの一言に主従の動きが止まる。

沸き起こる怒りなど当然と受け流し、龍晶は続けた。

「藪から棒に出てきて何の茶番だよ?どうせ死ぬ相手ならどんなに虚仮にしても構わないって事か?自分は無垢で何の罪も無い子供だと思わせておいて、本当はそこの爺いと同じ事を考えているんだろ?とんでもない腹黒野郎だな」

「貴様、黙って聞いていれば…!そんなに早く死にたいか!」

伴趨がやっと怒鳴り返してきて、龍晶は可笑しげに口の端を吊り上げた。

「済まんな。蛮野の生まれだからこんな粗悪な口しか利けねえ。だが、言うべき事を言ったまでだ」

真っ直ぐに、純粋な少年の目を捉えて。

「口の利き方なんかどうだって良い。それより、その口で言うべき事を言わねば、お前は蚊帳の外に追い出されるばかりだ。そして誰かが死んでゆく。お前が守るべきだった誰かが」

痺れたように少年は硬直していた。だが、口は何とか開こうともがいているのが見て取れた。

「…僕は殿下に死んで欲しくない……そんなの嫌だ…。でもどうして良いか分からないよ…!何を言ったら分かってくれるの…伴趨…!?」

やっと振り絞った声で叫ぶ。

それが本音だろうと龍晶も思っていた。

分からないのだ。王子として担ぎ上げられ、周囲に様々な事を言われ、黙っていても己の運命は動かされてゆく、そんな立場の人間が己の考えを口にしたくとも、何を言って良いのか分からないのだ。

そんな者は龍晶自身を含め、王として無能だ。あまりに遅いが、今ならばそれが判る。

そして、この少年に同じ轍を踏ませたくない自分が居る。

「分かっていますよ。分かっているからこそ私はあなた様にこんな所に居られるよりお勉強なさいと申しているのです。さ、行きましょう」

伴趨の軽薄な言葉に鵬岷が相手を睨み上げた。しかし口は引き結ばれたまま、押される力に負けて扉へとよろめく。

その小さな体を押さえ付けながら、伴趨が部屋を去ろうとした時。

ばん、と大きな音を発てて戸口を叩きつけ、燕雷がそこに立ちはだかった。

「お取り込み中悪いけど、こっちも急ぎの用があるんでね。お付き合い頂けるか?」

伴趨は動きを止め、面倒臭そうに相手を見やる。

「何用でしょうか」

燕雷は懐に手を入れながら噛んで含めるように告げた。

「うちの殿下を送り返す事が賢明かどうか、よくよく考えて頂きたいと思ってね」

「…ほお?」

小馬鹿にした眼つきの先に、燕雷は書状を開いて突き出した。

龍晶が華耶に探し出すよう頼んだ、例の書状だ。

「俺は確かに皓照とは決別したが、こちらの殿下はそうじゃないんでね」

伴趨の目が書状を読み進めるに従って険しくなる。

追い討ちとばかりに燕雷は言い足した。

「戔王は謂わば皓照の次の標的であり既に敵となった相手だ。その戔に殿下を送り返す事は、灌は戔王に協力するという事になるが?皓照を敵に回す事を俺はお薦めしないね、経験者として」

伴趨が手に取って確認しようとした書状を、燕雷は躱して懐に入れた。

「この事を陛下に申し入れたい。龍晶殿下から直接にな」

龍晶が目を合わせる。

燕雷はにやりと笑って応じた。

「…分かりました。致し方ございませんな」

伴趨は顔色を変えたまま呟くように告げて、一人そそくさと部屋を後にした。

その後に華耶が入ってくる。

「上手くいって良かったですね!」

名前の通り華やかな笑顔で彼女は言った。陰で成り行きを聞いていたのだ。

「華耶ちゃんのお陰だよ。この書状を見つけてくれたから」

「いえ、私は龍晶さんの言う通りにしただけです」

「その事、感謝します。あなたのお陰には相違ない。…しかし驚いた。あれほどまでにこの国は皓照を恐れているのか?」

龍晶の問いは燕雷へ。

しかし答えたのは鵬岷だった。

「恐ろしい訳ではないんです。みんな尊敬しているんです」

思わず燕雷と龍晶は目を合わせる。

こんな子供にまでそんな台詞を言わせてしまう、それがこの国における皓照の存在感だ。

若干口元を引攣らせて、燕雷は付け加えた。

「実在する国生みの神だからな。神に対する畏れだろうよ」

「神、か…」

その一言に複雑な思いしか抱けない。

神にはなりたくないと言う朔夜と同じ力で、一国で神とされる人物が居る。

「ま、俺たちはその力をちょいと拝借させて貰うだけだ。勢いで言っちまったが、龍晶、出来るか?」

「え?」

いきなり問われても何の事やら。

「こちらの陛下との謁見だよ。体は大丈夫か」

「ああ…。這ってでもやらねばなるまい」

「這ってたら謁見は出来ないだろ」

苦虫を噛み潰して龍晶は黙った。

「あ、じゃあ、私が支えます。それなら良いですか?」

華耶がぽんと手を叩いて提案する。

「おお、良いなそれ」

「良いのか?」

身を乗り出す燕雷と、眉を顰める龍晶。

華耶は心配そうに龍晶に問うた。

「私なんかじゃ不足ですよね?誰か良い人を…」

「そうじゃない!あ、いや、…あなたが務めてくれるのならとても有難い」

声が上ずっている。

一人にやにやしている燕雷。

「良いんだよ、華耶ちゃん。こいつは朔に要らん遠慮をしてるだけだ」

「え?朔夜ですか?」

きょとんとして意味が分かっていない。

「燕雷、それは余計だ!…華耶さん、お願いします。俺もなるべくあなたに迷惑をかけないようにするので」

こうなってはもう腹を括るしかないと、龍晶は華耶を見据えて言った。

その力み具合が少し華耶には怖く見えているのも気付いていない。

「わ…分かりました。心してお務めします」

「なんっか違うんだよなぁ…!」

燕雷の感嘆など二人には知った事ではない。



「あなたに何の権限があって勝手な事をしているのです?」

急に背後から問われた声に鵬岷はぎくりと立ち止まった。

振り返ると、異母弟の母である耀蘭(ヨウラン)后が鋭い視線を投げ掛けている。

「聞けば、戔国の罪人を城に上げ、医師に見せるという不要な事をさせた上に、その罪人を陛下に謁見させるとか」

皇后を取り囲む大勢の女官の視線も冷たい。

その空気に負けぬよう、声を振り絞って鵬岷は返した。

「それは勝手な事ではありません。伴趨と共に、父上からの許可は頂いています」

「伴趨?我が国を私せんとする、あの小賢しい役人ですか。全く、揃いも揃って盗っ人のような真似を」

鵬岷は顔を顰め、義母を見返した。

それだけの事に立腹し、耀蘭は金切り声を上げた。

「そんな汚らわしい顔で妾を見るでない!泥棒猫め!」

突然の叱責に怯んだ少年に、追い討ちをかけるように耀蘭は捨て台詞を吐いた。

「そなたが戔の殿下のようになるのは時間の問題ですよ。せいぜい、妾を怒らせるような真似はしない事です」

唾を吐きかけるような目で見下げ、后はその場を去っていった。

鵬岷は呆然としてそこを離れる事が出来ない。

何故こんなにも世は理不尽なのか、それとも間違っているのは自分なのか。頭の中ではそれらの自問が目まぐるしく巡っているが、答えは出ぬまま。

城を去れ、と。

龍晶の言葉を思い出す。

そうすべきなのか。どうしたら良いのか。

「兄上」

呼ぶ声に振り向くと、弟である鵬崇(ホウスウ)がこちらに歩み寄ってきた。

彼こそが耀蘭の子、本来の王位継承者であった。

「どうかされましたか?何かお困りの事でも?」

憎悪に塗れた母親とは違い、心底心配して尋ねてくる。

鵬岷は微笑んで首を横に振った。

「何も。少しぼうっとしていたんです」

「そうですか」

ほっとしたように鵬崇も微笑んで、兄の袖を引いた。

「美味しそうなお菓子がありましたよ!食べに行きましょう!」

無邪気な弟と共に回廊を走りながら。

鵬岷は、本当はここから離れたくない自分に気付いていた。


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