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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十三話 往日
18/60

8

ふと目を開けると、何やら真っ暗で、窮屈で、温かい。

その温度が人肌だと気付いて首を巡らすと、自分を抱えてくれているらしい龍晶の顔が間近にあった。

視線に気付いた彼は鋭くしっ、と声を出す事を禁じ、外の様子を窺うようであった。

外、と言うより、ここは何なのか分からない。

二人がやっと入れるくらいの、真っ暗な空間。

寝惚けた頭は考える事を放棄した。

ま、そのうち判るだろう、と。

それよりも咳が出そうなのを抑えるのはかなり苦しい。

血の塊が喉元まで来ている。気道を殆ど塞がれて、しかし今これを出す訳にはいかないだろう。

早く解放されれば良いが、我慢にも限界がある。

壁の向こうから、燕雷の声がした。

「だから、俺達は灌から来た旅の者です。帰ろうと思ったらこの有様で困ってるんですよ。いつになったら帰してくれるんです?」

答えたのは、全く知らない声。

「知った事か。不満なら牢屋に泊めてやっても良いんだぞ?」

「そりゃ路銀はかからなくて助かりますが、遠慮しときます」

冗談混じりのいつもの声音を、知らない男はぴしゃりと断ち切るように。

「本当に泊まっているのはお前達だけなのか?他に子供を見たという客も居るぞ?」

「ああ、近所の子供に懐かれたからちとここで遊んで菓子をやっただけですよ。あっ、怪しい事は何もしてません!ええ」

「関係無い。探せ」

「こんな狭い部屋で探すも何も…」

困った燕雷の意見を無視し、複数の足音が動き出す。

大体の状況は解ったが、体は待ってくれない。

血を吐き出そうと迫り上がる咳。我慢し切れず小さな唸り声になる。

口元に手が覆い被さる。龍晶の手だ。

もう少し辛抱しろと言わんばかりに。

すぐ間近で戸の開く音がした。流石に見つかったかと思ったが、暗さに変わりは無かった。

「この葛籠(つづら)は何だ?」

声が降ってくる。ここは葛籠の中なんだと理解した。

「宿の物ですよ。布団やなんかが入ってるんでしょうよ」

手を掛けたのだろう、ごそっ、とくぐもった音で聞こえた。

「おい、重いぞ」

「そりゃ、布団がそれだけ入っていたら軽くはないでしょうよ」

「あっ、兵隊さん!」

黄浜の声だ。

「今、お探しの子供だと思うんですが、通りましたよ!向こうに行っています!」

「何!?行くぞ!」

それでも諦めず葛籠を引っ張り出そうとしている男に、別の男が怒鳴った。

「何やってんだ!良いから行くぞ!」

男は渋々、葛籠から離れて去って行った。

足音が遠くなって。

はあー、と大きく息を吐く声。

「黄浜、お前、やるな」

燕雷の褒める声を聞いて。

限界に到達した。

げほげほと()せる。口から血がだらだらと流れ出る。

「うわ、お前!」

龍晶は驚いた声を上げながらも、口を抑える手はそのままにしておいてくれた。

「おいおい、大丈夫か?」

燕雷がのんびりと言って、黄浜を伴い、二人で葛籠を引っ張り出す。

蓋を開けて中の惨状にやっと気が付いた。

「あーあー。大変だ」

声色は全然大変ではない。

多量の手拭いが投入されて口元を覆われる。まだまだ咳も血痰も収まりそうにない。

「ったく、時と場を考えて欲しいよな」

龍晶は血に塗れた朔夜の顔を拭きながら悪態をつく。言葉を返すようだが時は選んだ、と言いたいが言うにはまだ程遠い。

やっと発作的な咳が収まってきて、ぜえぜえと息をする朔夜を燕雷が抱えて外に出し、やっと龍晶も立ち上がる事が出来た。

「あーあ、着替えよ」

服は随分と赤く染まっている。

「急げ。奴らが戻って来る前にここを出るぞ」

「それは分かるが何処へ逃げる?街中兵隊だらけだぞ」

血染めの服を脱ぎ捨てながら問いを返す。血を吐いた当人の方はあまり汚れていないから、殆ど自分が受けた形だ。

「雑踏に紛れ込む事は出来ないか?」

「こんなに目立つ奴を抱えて?」

問いに問いで返される。

ただでさえ目立つ銀髪に、上半身を包帯で覆われた朔夜を、それも抱えて歩くなど、確かに無理だ。

その本人が、咳と苦しい呼吸の合間に意見した。

「いや…待とう、奴らが戻ってくるのを」

「はあ?」

燕雷が有り得ないとばかりに素っ頓狂な声を上げる。

龍晶は訝しんで問い返した。

「また隠れる気か?俺はもう御免被るが」

「お前は一人で隠れてろよ。俺は奴らを待ち伏せする。狙いは軍服だ。剥ぎ取って着て街に出る」

幾分かましになった呼吸で朔夜は一息に言った。

「お前な…」

呆れ返って床に転がる体を見下ろす。

自分の状況を分かっているのかと問いたい。

傷はほぼ刺された時のままだ。止血すらなされていない。喋る声だって掠れている。意識があるのが不思議な程だ。

今だって力無く横たわっている。この体が動くとは到底思えない。

「出来る事と出来ない事くらい、自分で見極めてから意見しろよ」

「出来るよ。だから言ってんだろ」

「分かった分かった。他に手を考えるから黙って寝てろ」

あしらって、新しい衣を羽織り、龍晶は窓の外を窺った。

行き交う雑踏はどう見ても一般人より軍人の方が多い。

昨夜の襲撃犯は灌に帰らずこの街に潜伏していると目星を付けられたのだろう。全くの正解ではないが正答ではある。

そして子供だという情報は出回っているようだ。恐らく目撃者が生きていた。ならば銀髪の子供だと、見ればすぐに判る情報は与えてしまっている。

全く頭の痛い状況だ。自分の顔だって知られているから他人の事を言えないが。

刺されてさえいなければ…否そもそも襲撃すると言い出さなければ、と恨み言を言いたい気持ちを何とか抑えて朔夜を見る。

やっぱり不貞腐れた顔をしている。

予想通り過ぎて思わず鼻で笑ってしまった。

唇を尖らせたまま睨まれる。そのあまりに子供っぽい表情に、やれやれと呆れ笑いして龍晶は言ってやった。

「何もかも自分一人で背負おうとするからだろ」

傍観しか出来ない方の身にもなって欲しい。

眉間に皺を寄せたまま朔夜は目を逸らした。

「戻って来ました!」

外を見張っていた黄浜が声を上げた。

「朔!」

燕雷が抱えようとした朔夜は、それを拒否して自力で立ち上がった。

足元は覚束ない。咳をしながら、喉の奥から空気の抜けるような音がする。

「どうする気だ!?」

「お前は隠れてろ。念の為だ」

龍晶に言って、朔夜は部屋の隅に蹲った。

それだけの動きだが、痛そうに顔を顰める。

「何を…」

「来ました!」

黄浜の声が早いか、階段を荒く踏み登る音がして。

「おい、貴様ら!ふざけるのも大概にしろ!」

子供など見つからなかった兵達が鼻息も荒く部屋に雪崩れ込む。

その人数を部屋の隅で確認する。五人。

彼らが先に目を付けたのは、そこに立っていた龍晶だった。

「お前は先刻居なかっただろう!?来い!」

すぐには誰と分からなかったらしく、詰め寄って。

龍晶は睨み返して彼らに問うた。

「俺が何者か知っての狼藉か?」

「何だと!?」

「俺が先王龍晨(リュウシン)の第二王子龍晶と知ってこの振る舞いなのかと訊いている」

王族など雲上人であろう下級兵士達はあからさまに慌てる素振りを見せた。

「は…龍晶殿下!?」

「連行するなら好きにしろ。どうせ俺もお尋ね者の身だ」

思わぬ事態に相手は硬直した。そこへ。

「だけどお前らが探してるのは俺だろ?」

背後からの声に振り向いた、その一瞬。

龍晶に一番近かった兵の脳天が割れた。

次には一番後方、朔夜にとって一番手近な所に居た者が脇腹に穴を空けて倒れていた。

残る三人は、ひっと声を裏返して立ち竦む。その隙に。

屍の横で膝を付いていた朔夜が鞘の付いた刀を敵の鳩尾に沈み込ませていた。同時に燕雷も相手の後頭部を叩きつける。

残る一人が逃げようとした背中に朔夜は飛び付いて、首の後ろを斬りつけた。

絶命した敵が倒れるのと共に朔夜もその場に倒れ込む。歯を食い縛って痛みに耐えて。

「馬鹿かお前は!」

龍晶が怒鳴りながら駆け寄ってきた。

「無茶にも程があるだろう!?傷は…!?」

包帯に新たな血が滲んでいる。

荒い息で朔夜は声を絞り出した。

「馬鹿はお前だろ…」

どうあっても喧嘩せずには居られないらしい。

苦笑いして喧嘩の続きは燕雷が引き取った。

「お互い様だろ。お前だって、あのままじゃ本当に連れて行かれてたぞ?」

「隙を作ったんだよ。あとは知らん」

「いやいやいや、それこそ無茶だろ。ま、こいつの馬鹿は確かだが」

指された朔夜は顔を顰めるが、反論したいのか痛いのかも区別出来ない。

「とにかく、戦利品は頂くとするか。その前に朔、眠り薬と痛み止め、どっちが良い?」

燕雷が自分の荷物の方へ歩み寄りながら問う。

「どっちでも良いってさ」

龍晶が消え入りそうな朔夜の声を拾って届けた。

「そうか。じゃあ襲撃犯に返り討ちにされた哀れな兵士の死体って事で運んじまおう。って事でちと寝ててくれ」

「この人達は全員殺してしまったのか?」

龍晶が問うた。

本当に哀れなのは彼らである。

「こっちの二人は生きているようだ。少なくとも俺は加減したぞ」

「…そうか」

どう見ても息絶えているのは、朔夜が力を使うか斬らざるを得なかった三人。

一人は燕雷が殴りつけて気絶している。もう一人、朔夜は生かした。

「本当は全員生かしたかったと…思って良いのか?」

龍晶は朔夜を見下ろして訊いた。

彼は虚ろな目で友を見返すだけだった。

燕雷が割って入り、口に薬と水を注ぎ入れる。

程なく瞼は閉じられた。

答えの聞けぬまま。

「その問いは酷だよ、龍晶」

燕雷が背中を向けたまま言った。

「朔がそれを考え出したら…苦しむだけだぞ」

何とも返さず龍晶はその場を離れた。

ならば止めれば良い。もうこんな罪を重ねるなと、そう言っているつもりだ。

それで救われる命はある筈だ。

窓際の黄浜の横に胡座をかく。

「この光景、お前は平気で見れるか?」

苛立ち紛れに問うた。

黄浜は朔夜の力を見るのは初めてだ。

「いいえ…現実にこんな事が起こるとは…」

「ああ。夢なら良い。悪夢だが」

「龍晶」

振り向いて窘めるような声音で燕雷が呼んだ。

誰の為に朔夜は、そう言いたいのは分かる。

では俺には何を言う権利も無いのかと、龍晶は苛立ちを長い溜息にして吐き出し、目を閉じた。

何も見たくない。

「軍服を頂こう。黄浜、手伝ってくれ」

「あ、はい」

燕雷に言われ黄浜が立ち上がる。

倒れている兵から軍服の上着を取り、人数分揃えて。

眠っている朔夜に羽織らせて、燕雷は龍晶に軽口を叩く。

「お召しになって下さいよ、王子様」

抑えていた苛立ちが堰を切って溢れた。

「俺のせいにすれば何をしても許されるとでも!?お前は人の死に何も感じないのか!?」

燕雷は真顔になって龍晶を見下ろした。

「妻と娘を殺されて、殺した男をこの手で殺したような奴に、そんな事を訊くのか」

淡々と、燕雷は言葉を押し出した。

龍晶の表情には怯えが混じっていた。言ってはならない事を言ってしまったという後悔と。

燕雷は真正面に座った。

目を合わせられず、俯く。

「俺も朔も、自分や周囲だけを守る世界に生きてきたからな。それより他の事を考えていたら火傷をする。守れるものも守れなくなる。だから割り切っている。…それだけの事だ」

「戦場に立ちもしない奴は黙っておけば良いんだろう?現実を知りもせず偉そうにほざくなと」

「いやいや、お前は何もかも知った上でほざいてんだろ。それは分かってるよ。お前は正しい」

驚いて龍晶は視線を上げた。

「お前はこの世で一番正しい事を言っているんだ。それは絶対だ。ただ、俺達とは視点が違う。俺達は戦場に居る戦士に過ぎない。戦士の理屈はやらなきゃやられる、それもまた絶対だ。お前はその上の視点、王道を生まれた時からその頭に叩き込まれた人間だ。王道に居る者は正しい事を言い続けなけりゃならない。それが理想だと笑われても」

龍晶は黙ってその言葉を考えていた。

それぞれに掲げる正義は違う。それぞれの現実があるから。

民が皆安んじて暮らせる国を作る。だから戦は無くさねばならない、そう母に教わり続けた。それが己の正義だ。

それが、王道なのだ。

「お前には悪いけど、俺達はもう変われない。その分、お前に悩んで貰う事になるが…それで俺も朔も救われるんだ。お前はそのままで居てくれ。全てが理想のままになるその時まで」

つまり、この苦悩が救われる日は当分来ないという訳だ。

他人を救えても自分は救われない。まあ、そういうものかと思い直して龍晶は頷いた。

「分かった。とにかくもう野暮は口にしない事にする」

「それは助かるよ」

燕雷は微笑んで、改めて軍服を差し出した。

「今はお前も一戦士の振りはして貰わなきゃな。俺達と居る限りは」

全員が軍服を着込んで、荷物を纏め、燕雷は朔夜を抱えて。

部屋を出る前に、龍晶は倒れている元兵士達を振り返った。

お前達をも救われる世界を俺は目指す、と。


宿の主人には金を渡して口止めと後の始末を頼んだ。

燕雷は頭から毛布を被せて死体に見せかけた朔夜を荷車に乗せ馬に牽かせた。

龍晶と黄浜も騎乗し、街の中を進む。

同じような身なりの兵が行き交っているお陰で目立たずに済む。

唯一目につくのは死体に扮する朔夜だが、何か問われる度に、襲撃されて怪我を負っていたが息を引き取ったと燕雷が出任せを言っていれば何とかなった。

嘘も吐き続けると上手くなるらしい。何だか段々と信憑性を帯びてくる。

この『遺体を埋葬すべく』一行は山へと入った。街中にある監視の目を避けるには人気の無い場所で野宿するより無い。

とは言え、野宿と言うにはまだ辺りは明るい。

「こいつの傷が治らない事にはどうにも動けんな」

燕雷が言う。それに龍晶は即刻反論した。

「このまま別の道を取るって手も有るが」

「お前、朔に有無も言わせずここから離す気か」

「それが当然の判断だと思うが?ここに居続ければあの大軍と闘う羽目になる。それがこの傷で可能とでも?」

「一晩くらい様子を見てやれよ。治るかも知れないだろ」

「闘わせたいのかよ、お前」

「いや、本人の意志を無視するのはどうかと思うだけだよ」

「そんなもん分かりきってるから無理矢理にでも離さなきゃならないんだろ…」

壬邑(ジンユウ)の二の舞になるのは知れている。

先刻の様子で、全く懲りていないのは嫌でも分かった。

「だけど確かに、一晩は動くに動けなさそうだ」

龍晶が意見を翻して言った。

その視線の先。木々の間から麓の道が見え隠れする。

「新手か…」

道を埋める大軍の流れ。

再び兵力を増強するのだろう。

「切りが無いな」

燕雷がげんなりと言うのを尻目に、龍晶は目を凝らしてその流れを見ている。

「あれは…本当に兵だろうか」

「え?」

「歩みに統率が無い。訓練された兵士の歩き方とは違う」

燕雷も改めてその新手を観察した。

言われてみれば確かに、武具を持ち慣れた兵士の歩き方ではない。どちらかと言えばだらだらと、まるで緊張感が無い。

「…農民か」

燕雷が出した答えに、龍晶は頷いた。

兵が足りない時、臨時に農民を徴兵し戦に備える。どの国でも常識的に行われる事ではある。

ただ、この国がそこまで逼迫しているとは思えない。

「あの人は…欲しい物が有れば手段は選ばないだろうから」

「お前の兄貴か」

龍晶は頷いて、深い溜息と共に項垂れた。

「誰も止められないのか…。この国が滅びてしまうのを」

国を支えているのが農民達だと、兄は認めはしないだろう。

このままでは、この国を支える人も資源も、全て戦に費やされてしまう。

「だからこその反乱だろう」

燕雷の言葉に頷いて、歩みを再開させる。

「前言を撤回するようだが…彼らを死なせたくはないな」

龍晶が呟く。その前言を言わせた燕雷も頷いた。

「話が違ってきたな。軍の連中ならともかく」

ええ、と黄浜も相槌を打った。

朔夜に三人の総意が伝わるだろうかと、龍晶は考えかけて。

信じてはいる。だが。

目を背けるように思考を断ち切った。何か、恐ろしい気がして。

あの翡翠色の眼に、人の命は等しく映るのだろうから。


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