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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十三話 往日
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2

鉄格子の向こうにその若者が現れたのは、ここに入って半年が過ぎようかという頃だった。

何故にここに入れられたのかは定かではない。ただ、確かなのは共にこの国に来た者は皆殺されたのだという事だ。

自分達は()王朝の遣いとしてこの(セン)へと来た。目的は王からの機密文書を届ける事だが、自分はただ通訳を命じられただけで詳しい事は知らない。

その文書の中身は父が戔の言葉へと直した。当家は戔国など南方諸国の言葉に通じて王家へと仕える役割がある故だ。

自分はまだ父の見習いに過ぎない。が、この遣いの命を下された。

父は酷く渋い顔をしてその報を己に告げた。

初めての大仕事である。それだけの語学力が認められたという事なのだから、もっと明るい顔をしても良かろうにと思っていた。

見送る日も難しい顔で、しかし寂しそうな目をして、気を付けろと一言発しただけだった。

その全ての意味は、その文書を戔王の手に届けた時分かった。

戔王は一読したなり激昂した。そのまま自分はこの牢に入れられた。他の者が居ない所を見ると、首を()ねられたと考えた方が良いだろう。

文書の中身は分からない。父は何も教えてはくれなかった。何も言う事が出来なかったという方が正確だろう。

恨む気は無い。致し方が無かった。父とて、こうなると薄々判っていて自分を送り出したのだ。

家は長男たる兄が継ぐ。ならばこの危険な任務には次男である己が行くより無かった。父はそう決めたのだ。

運命を恨もうとも思わない。思わないが、この牢に入れられ、明日がどうかるかも知れない暮らしは流石に(こた)えた。

心が(すさ)むのを食い止めるように、神に祈るより無い。

そんな折に現れたその男は、こちらの気など何も知らぬように気安く声をかけてきた。

「あんたが哥の通訳さん?」

否も応も言わぬうちに、相手は鉄柵の間から腕を伸ばして書状を差し出してきた。

「こいつの意味を教えて欲しいんだ」

仕方ないから、受け取る。

書状を開く。と、中からもう一葉の紙が落ちてきた。

訝しく思いながらも拾い上げて。

その字を見て、えっ、と声が漏れた。

一言、申し訳ない、と。

そう書かれた、父の字。

驚いて持ってきた男を見やる。

「なんか紛れてたからさ、こっそり持って来た」

何でもない風に言って、悪戯っぽい笑みを浮かべて訊いた。

「誰から?」

「…父」

「そっか。良かったな」

この状況でよくそんな事が言えるものだと半分呆れながら、もう一枚の書状に目を落とした。

祖国からの通知だ。

「本題はそっちなんだが、さっぱり意味が分からなくてな」

訝しむ目を向けると、その意を察して彼は言った。

「今この国にはそちらの言葉に堪能な人材が居なくてね。ま、言ってしまえば結構困ってる」

あっけらかんと自国の弱みを白状する。

そこに付け込んで哥に有利になるよう翻訳したらどうする気だろうとも思う。尤も、そんな事をしても何の意味も無いだろう。

このまま自分は処刑されるのだから。

「教えてくれるか?そいつの中身」

目を通す間も無かった。

一見で、何が書かれているのかは理解してしまった。

それを湾曲して伝える気すら起こらなかった。

「兵を引くつもりは無いから人質は好きにしろ…そう書いてある」

途端に、男の表情が抜けた。

真顔で、じっとこちらを見詰める。

それを疎ましい思いで見返して、目を逸らして、その沈黙すら嫌になってきて。

はたと、気付いた。

「人質は助けろって、本当はそう書いてないか?」

有り得ないとも思えた考えを裏打ちする問い。

ここに何が書いてあろうが関係無いのだ。自分の好きなように読んで伝えろと彼は言っているのだ。

嘘でも良い。一命は助けろ、と。

「そう…伝えてどうなる」

どうせ処刑するつもりだろうに、何の真似だろうと思った。

怒りにも似た。しかし見てはいけない希望を見るような。

「あのさ、言っただろ?今こっちは人材不足なんだって」

男は言って、鉄柵に顔を寄せて声を低めて言った。

「こちらの王様はな、こっそりあんたを登用しようとお考えだぜ?それを受けるか、それとも異国で犬死にするか、あんた次第だ」

嘘だろう、と言いかけた。

だが、そんな嘘を吐いても意味が無い。

ただ殺すだけの人間に、何の策を弄する事があろうか。

「それは今答えを出さねばならないのか?」

訊くと、男は肩を竦めて言った。

「早い方が嬉しいね。俺も毎日答えが出たか聞きにここまで来たくないし」

敵国に従うか、国に殉じてここで果てるか。

国に仕える者として後者を選ぶべきなのは分かっている。だが、何故だかそういう気にはなれなかった。

幾らか投げ槍になっているのは否めない。生涯を賭けるつもりだった国にも家にも見棄てられた。

ならば、好きに生きて何が悪い。

例えこれが何かの間違いで齎された希望でも、冥土の土産に笑い飛ばせば良いと思った。

この男を見ていると、不思議と嘘は無いと思える。

希望はきっと本物だ。

「ここで生きるのは面白いだろうか」

問いに、男は暫く虚を突かれていたが、急に呵々大笑した。

そして笑いながら答えた。

「面白いよ。少なくとも、冥土よりはずっと面白いと思うぜ」

「ならば仕えましょう」

口調を改め、男に向き直った。

「陛下にお伝え願えますか。この舎毘那、戔国に一命を捧げる事を」

男は頷いた。そして鉄柵の間から手を伸ばした。

「よろしくな。俺は燕雷。仲良くやろうや」

その翌日、牢の戸は開かれた。


役所の門を潜ろうとして、道の向こうから歩いてくる人影に目を留め、踵を返した。

「よお。どうだ、娑婆の空気は」

まだ近いとは言えない相手に向けて右手を挙げ、大声で話し掛ける。

歩いてくる舎毘那は微苦笑して歩を早めた。

彼に一言挨拶しようとここまで来たのだから、調度良かったのは確かだ。

「お陰様で、美味い空気を吸っておりますよ」

普通に話せる距離まで来て、舎毘那は応じた。

「良かった良かった。で?何処で働く事になったんだ?」

「王宮内の外交省です。見習いですが」

「おい、俺より先に王宮に入っちまったのかよ。見習いだけどよ」

「はは、あなたは王の側近かと思いきや、まさか地方役人とは思いませなんだ」

「うるせえな、見習いの癖に」

この国の地方自治は北東、北西、南東、南西と四つに分けられ、それぞれの役所を都に置き、上は国、下は各州村の長と繋がっている。

燕雷はその北西部の役所に属している。北西部の町と都の伝達を図るただの一役人に過ぎない。

「いえ、申し訳ないが王の意向を知れる人間というのはもっと限られているかと…。何ゆえ貴殿がそれを知り、私の元へ来られたのか、ちと疑問に思いましてね」

「知らねえよ。俺はお上に命じられた事をやるだけだ。あの書状を受け取っちまった成り行きってだけだろ」

正確には、現地の役人から読めないのだがどうすれば良いかと相談されたのがそもそもの始まりだ。

都に帰って上に相談すると、王の意向付きで今回の任務が下された。

人質を寝返らせよ、と。

そんなの俺の仕事じゃないだろ、と不承不承だったが、結局のところ首尾は上々だ。

「言われっ放しも何だから、俺も不躾な質問して良いか?」

「これは失礼しました。どうぞ、何でも」

「お前、祖国を裏切る事になったんだぞ?それで良かったのか?」

当然即答など出来ぬ所を、燕雷は畳み掛けた。

「寝返らせといて何だけど、俺には分からない。例え見捨てられたとしても、そう簡単に仕える国を変えられるものか?薄情な奴ならともかく、あんたはそうは見えないが」

「分かりませんよ?私は途轍もなく薄情な輩かも知れない。少なくとも、国に対する忠誠心というものが足りなかったという事ですね」

「そうなのか?」

「何せこれが初仕事でしたからねぇ。これが十年でも国に仕えておれば違うのでしょうが。何にせよ、国もそれを判っていて私を捨て駒に使った」

「捨て駒にされた恨みか」

「とんでもない。恨みなど恐れ多い。私など恨みながら死んだところで怨霊にもなれないでしょうよ。ただ、まぁ、勿体無いと思ったのは事実ですが」

「勿体無い?」

「折角長い年月をかけて身につけたこの言葉ですよ。その成果も出せぬまま処刑されては、何の為に苦学してきたのか分からないではありませんか」

「はあ…?そこなのか」

分からぬでもないが、共感はし難い。

「それに、私は裏切ったとは考えておりません」

「は?何だよそれ。隠密にでもなったつもりか」

確かに敵国に情報を流されるという可能性は大いにあり得るが。

舎毘那は笑って否定した。

「こんなにおっとりとした隠密は居らんでしょうよ。いえね、翻訳家の本分というものがあるのです。翻訳をする時というのはつまり、異国の者が対話をする時です。対話をするという事は、その両者は争ってはいない。敵も味方も無い時です」

「はぁ。それで?」

「即ち、我々が必要になる時というのは和平の時。だから敵国も裏切りも有りません。翻訳家は国同士を結び付け、和平を保つ事が本分です。私が働くという事は、もちろん戔の為でもあるが、同時に哥の為にもなる」

「戦の挑戦状ばかり読んでる癖によく言うよ」

そんなものは幻に近い理想だと一笑して、ああ、と一つ伝えようとしていた事を思い出した。

「あんたの命が懸かってた、あの戦場な。結局あちらさんが兵を退いてくれたみたいだぜ?」

「え…?」

兵を退けぬから、この命を好きにせよという条件だった筈だ。それが、今更。

「何故…!?」

もし処刑されていたら、死に損も良い所ではないか。

「あちらさんの事情なんて知らねえよ。ただ、撤退せざるを得ない理由が出来たんだろ」

素っ気なく言って、燕雷は本来の目的通り役所に入ろうとした。

ふとその足を止め、一言、異邦の仲間に言った。

「未来なんて誰にも分からねえよ。ただ、置かれた立場で足掻く事は出来るだろ」

ふいと、扉を潜って姿を消す。

取り残されて舎毘那は、その意を噛み締めた。

国同士の(いさか)いの前に、自分一人の命など無いに等しいものだろう。

それでもこうして生き残った。敵国の臣として。

何が出来るかなどまだ分からないが、働く事は出来る。未来を動かす為に。

その為に、牢を出たのだ。


次に彼に会ったのは、異国の宮仕えにも少しは慣れてきた、そんな頃だった。

今度は訪ねて行った訳ではない。王宮内で偶々出くわした。

相手は少し驚いた顔をして、よお、と足を止めた。

「どうかされましたか?」

その顔色が何処か冴えないように見えて、思わず舎毘那は問うていた。

「別に?お前も随分こっちの言葉が上手くなったなと思って」

思わぬ返しにそうですか?と素になって返す。冗談だよ、と彼は少し笑った。

「ま、発音の違和感は少し消えたかもな。お前、このままこの国に骨を埋める気なのか?」

「さて…私からこの国を出ようとは思っていませんからね。異国に遣わされて不興を買い処刑、なんて事も無いとは限りませんから」

舎毘那の捨て身の冗談も、少し鼻で笑われただけだった。

「何かあったのですか?」

心配になって、改めて問う。

漸く燕雷は答えた。

伽騾(カラ)の事で…な」

含みを持たせて彼は呟いた。

「ああ、今あの地を取り扱っておられるのですか。それは大変でしょう」

労ったつもりだが、軽口のように聞こえてしまったようだ。何も解ってない癖にとばかりに溜息を吐かれてしまった。

それ程問題の根が深い。

舎毘那もその一端は聞き及んでいる。

戦乱の末、無法地帯と化している地を治めようとこの数年苦心しているが、住民の反発が激しく難航しているという地だ。

無理矢理征圧してしまえば当然民の心は離れる。しかし、武装蜂起も(いと)わないような民を相手に生ぬるい交渉は出来ない。

「これまであの地を任された者は、民と茶を啜るだけで問題を有耶無耶にしてきたと聞きましたが」

つまり、民と会うだけ会って肝心な事は何も話されてはいないのだ。お陰で問題は年月と共に降り積もってゆく。

「俺がそういう器用な誤魔化しをやれると思うか?…真面目な話、もう蹴りを付けねば互いの為にならない」

「それはそうでしょうが」

そんなものは今更だろうという返答に、燕雷は首を振って声を潜め、耳打ちして教えた。

「軍が痺れを切らしている。いつまで舐めた態度を取らせるのか、国の沽券(こけん)(かかわ)るだろう、と。尤もではあるが」

「となると…出兵する可能性が?」

「今はまだうちの役所を脅している体だが。しかし多少の進展を見せねば無益な内乱へと進み兼ねん。…そうなる前に俺はあの地に独立して貰った方が良いと考えている」

「独立…ですか!?」

「それが自然な道だろう?あの地は長年の経験で民による自治が成り立っている。そこに我々が突然入ってきて税を納めろと言っても聞かれる筈が無い。現に国はあの地の税収を期待してないしな。もう戔からは切り離しても良いんじゃないかと思うんだ」

「しかし…それで納得する役人が如何程もいましょうか」

「うちの役所は大体、その筋で纏まりつつある。近く王宮に奏上されるだろう。軍を頷かせるには陛下に頷いて頂くしか無いからな。多少強引な手を使ってでもこの案を通すつもりだ。ああ、他言はするなよ?まだ内々の話だ」

「それは、勿論…」

上手くいくだろうかと訝しみながら、その時はそれで別れた。

ただ、彼が暴力に訴えずこの難しい問題を解決しようとしている姿勢は好感を持った。

血を流すのが当たり前のこの時代で、交渉のみで事に当たろうとしている。この国はそれが出来るのかと、期せずして仕える事になった国へ誇りを抱いた。

それが見る影も無く打ち砕かれたのは、数ヶ月後の事だった。

軍が伽騾の征圧に乗り出した。

しかし、圧倒的な軍事力の差があると思われていた国と一地方の戦いは、誰も予想出来ぬ結末を迎えた。

軍の大敗により、国は手を引かざるを得なくなったのだ。

何が起こったのか、都に居ては何も判らなかった。誰もがそうだ。

彼ならば教えてくれるだろうと、北西部管轄の例の役所を訪ねて行った。

が、そこに彼は居なかった。

燕雷ーーその名を出すなりまるで化物でも居たかのように忌み嫌われ、追い払われた。

その理由は、後年になって判った。

内乱騒ぎの起こる数日前、彼は妻子諸共に襲撃に遭っていた事を。

国は物盗りの仕業とした。実際、犯人も捕まったようだ。が、それはどうやら建前だった。

軍にとっては邪魔者であろう彼の存在が消えた。偶然にしては、余りにも時期が都合良過ぎる。

もう一つ不可解な事があった。

一家は惨殺されたという事になっているが、燕雷の遺体だけは消えていたようだ。

そして、後に彼の姿を見たと証言する者が複数人居た事。

何より。

同じ役所に居た、彼の上司に当たる人物が、何者かに殺された。

手を下したのは、死んだ筈の燕雷だと、(まこと)しやかに語られている。


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