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月の蘇る-3-  作者: 蜻蛉
第十ニ話 前途
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 挿絵(By みてみん)


それは、他の何物でもなく、屍に違いなかった。

皓照(コウショウ)の抱えて帰ったそれを見て、龍晶(リュウショウ)は咄嗟に声も出なかった。

横では於兎(オト)が金切声で抗議していると言うのに。

何で殺したの、何で、そう繰り返す彼女の言葉はどこか異界の声のようで、己の頭の中に響く問いでもあるような気がする。

同道してきた燕雷(エンライ)という男が彼女を取り押さえている。それでも於兎は叫び続ける。

それが普通だよな、そう他人事のように考え、人の気配に後ろを振り返ると桧釐(カイリ)が険しい顔をして様子を伺っていた。

彼の横を擦り抜け、部屋の中に入る。

寝ていた寝台に腰掛け、騒乱が去るのを待った。

「…良いんですか」

桧釐が問う。

何が、と問い返しかけて、やめた。

その答えなど問うた本人も分からぬだろう。そして、問われた自分はそれが何か嫌という程解っている。

死体を見る気にはなれなかった。

薄情に映るだろうか。そうかも知れない。

悲しむ気にもなれない。

ただ、呆然としている。

覚めた筈の悪い夢がまだ続いているような。

「俺にはあいつを見送る権利なんて無い。そうだろう?」

全ては自分のせいなのだから。

それでも、本当は。

「あなたは朔夜(サクヤ)にもう一度逢いたいのでしょう?」

本音を代わりに言葉にされて、唇を噛んだ。

泣くものかと意地を張った。そう思えば思うほどに、目頭が熱くなる。

何で。

何でお前が死ぬんだよ?

「行ってみたらどうですか?まだ間に合うかも知れない」

桧釐に背中を押されて、ぱっと立ち上がり部屋を飛び出した。

「あいつは!?」

そこに居た燕雷に訊く。

「屋上だ」

それだけ聞くと廊下を走った。

階段を駆け上がり、扉を開けて。

つんのめるように足を止めた。

「何…やってる」

皓照の異常な行動に近寄る事も出来ず。

彼は、屍の手首を後ろ手に縛り、欄干に括り付けていた。

白々と月明かりが二人を照らす。

「実験ですよ」

何食わぬ風に皓照は答えた。

その答えがまた異常で、鳥肌が立つ。

この男は己以上に狂っているのではないかと疑いながら、慎重に問い直した。

「何故そんな事を」

綱を結び終えた皓照が、こちらを向き、血だらけの顔でにっこり笑った。

「彼が蘇るかどうか、試してみるんです」

何を言っているのか理解できない。

蘇るとは、どういう事だ。

「恐らく息を吹き返す事は出来るでしょう。絶対ではありませんけどね。問題はその後です。出て来るのは蛇か鬼か…ではありませんけど、悪魔なら即刻地獄に帰って貰います」

「お前…」

「狂人の戯言ではありませんよ?念のため」

狂人は己を狂人とは言わぬだろうと思いつつ、ゆっくりと彼らに近寄った。

まだ濡れている胸の血痕が、光を反射しててらてらと光っている。

心臓を一突きされたのだと、すぐに判った。

あの悪魔を。

この男は只者ではないと、もう重々解ってはいたが。

「本当に生き返るのか?」

嘘を言っているとは思えなくなった。

信じたい方を信じようとしているだけかも知れない。

「今まで、少なくとも私は二度、彼が蘇る所を見ています。一度目は今回と同じように私が殺したので、可能性は高いと思いますよ」

「…本当かよ…」

矢張り全てを信じるには話が突拍子も無さすぎる。

話半分に信じる事にはした。

が、続く言葉に冷やりとした。

「まぁ、失敗するとすれば彼自身が生を手放した場合ですね。今回はその可能性が高いかも知れない」

「それってどういう…」

「殿下には分かるのでは?彼が死を望む理由」

目を見開き、息を詰まらせる龍晶に、皓照は再び微笑みかけると、踵を返して去って行った。

「俺の所為と言いたいのか」

その背に問うたが、何も返答は無かった。

取り残されて。

一人。まだ動く心臓を持つ自分と。

もう動かない、かつて人であった、モノ。

死んだとは思えなかった。

かと言って、生き返るなどもっと信じられないのだが。

皓照の言葉通りに朔夜自身がそのどちからを選ぶなら、どちらを選ぶのだろう。

生き返って俺に復讐する?

悪魔ならばそうするだろう。俺は元より、この国の人々をも(ほろぼ)さんと、その為に生きるだろう。

だが、朔夜なら?

記憶を無くす前のあいつなら?

矢張り復讐を考えるだろうか。

それだけの事はした。彼の人生を奪った事は否めない。

あいつが俺を殺そうと言うのなら、この首を渡しても良いと思う。

だけどそれは、全てが終わった後の事。

今は、まだ。

そうやって俺はまた逃げるのだろうか。

そうやって、己が生きる事を正当化して。

ーー自分が救われたいだけで。

悪魔の声が今も聞こえる。

この同じ顔で、今度は何を言うだろう?

お前は、己の望みとか言うものを、他人に言わせているだけではないのか、と。

そう、大望などと言うものは、ただ己が許されたいだけの虚妄。

それで担ぎ上げられて、人々の頭から己の罪を忘れさせようとしているだけ。

お前は嘘っぱちの王様もどきだ。偽善者だ。

「殿下」

呼ぶ声に震え上がった。

宗温(ソウオン)だった。

「桧釐殿の代わりに参りました。彼が心配していますよ。こんな寒空の下で、また熱が上がるんじゃないかって」

龍晶は朔夜の傍らから立ち上がり、宗温の方へと歩き出した。

あそこに居ては、己の中の悪魔に喰われる。

「殿下?」

「あいつは戻って来ると思うか?」

心配気に覗き込む宗温に問う。

彼はそのままの体勢で少し考え、尚も考えながら答えた。

「私が壬邑で目にし、信じた彼ならば、必ず戻って来る筈です」

宗温の目を見返す。

あの後の様々な記憶を知っていて、それでもそう言えるのか。

否ーーそう言いたい。

それは自分も同じだ。

「戻ろう」

小さく笑み、二人で階段を降りた。

未来はまだ何も決まっていない。


「燕雷!これ!見て下さい!」

いやに嬉し気に己の手の甲を差し出してくる。

うんざりしながらも見てやると、うっすら傷が付いている。

「怪我したのか?」

「そう!そうなんですよ!斬られました!」

とにかく嬉し気である。

「包帯を巻いて貰えますか?あっ、薬も要りますか?の前に消毒?」

「全部要らねぇって判って言ってるだろ。餓鬼かてめーは」

「えーっ。折角怪我したのに」

「放っておけば治るだろっ!お前は特に!」

頭を抱えて髪を掻き毟る。こちらは戯言に付き合いたい気分ではないのに。

言われた通り既に消えかかっている傷を眺めながら、皓照は言った。

「思っていたより危険な存在かも知れませんね」

やっと本題に入って、燕雷は横目に相方を見た。

「朔夜が?」

「本当に、若い時以来の、何百年振りの傷なんですよ?」

お前の怪我の履歴なんざ知ったこっちゃ無いとは思いつつ、それがどんなに驚異的な事かは判る。

「彼が自我を解放すればどうなるか…それが早期に判っただけでも収穫でした。放っておけば益々面倒な事になっていたでしょうね」

「自我?あれが?あの姿が本来のあいつだと?」

「ええ。そうですよ」

暫し言葉を失って、違うだろ、と低く溢した。

相手の言う事の方が正しいのは判っている。自分自身が根拠となるのだから。

だけど、否定せずには居られなかった。

「我を失ったからああなったんだろ」

「月の表裏ですよ」

「は?」

突拍子も無い言葉に思わずまともに目を合わせてしまった。

「君が知る月は美しいものなのでしょう。ただ、それは光に照らされた表側に過ぎないと言うだけです。光の当たらぬ裏側もまた、月の本来の姿でしょう?」

「月に裏側なんかあるのかよ」

そんな事、聞いた事も考えた事も無い。

月とはただ、光りながら満ち欠けするもの。

だが、皓照は当然のように答えた。

「ええ。月の裏側は、闇と死の砂漠です」

その言葉から思い浮かぶ光景に、悪魔と呼ばれる彼を重ねて。

光の一筋も無い、生無き世界で、独り。

ぽっかりと浮かびながら、誰にも知られる事無く、存在する意識。

それが、朔夜の本来の姿なのだろうか。

「君にわざわざここまで来て貰っておいて恐縮なんですけど、矢張り彼には消えて貰った方が良いでしょうね」

恐ろしい言葉に考えを途切らせ、皓照を睨む。

「たかが擦り傷で何言ってんだよ?そんなにあいつが怖いか?さっきから獣のような言い方をしやがって」

「今はまだ子猫ですから擦り傷で済むのですよ。これが長い年月を経て虎にならぬとも限らぬでしょう。その時は誰が止めるのです」

燕雷の顔から、言いたげな事を皓照は先回りして釘を刺した。

「私でも止められぬ化物になる可能性があると言っているのです。危険過ぎます」

「今はまだ可能性の話だろう」

「そうと気付いてからでは遅いのですよ」

「だとしてもだ!」

怒鳴って、相手を黙らせて。

「今はまだ手の打ちようがあるだろう。あいつそのものを消してしまう前に、やってやれる事が。目覚めた時、朔夜に戻ってさえいれば、人の言う事も聞ける。なら、その危険から遠避けてやる事も出来るだろう。とにかく今はまだそんな話をするには早過ぎる!あいつにも生きる権利はあるだろう!」

微苦笑を浮かべ、皓照は返した。

「納得し兼ねる点はいくつかありますが」

前置いて、これ以上燕雷に怒鳴られぬよう間を置かずに告げた。

「分かりました。擦り傷がもう少し深い切り傷になった時また考えましょう。但し、目覚めた彼が未だに悪魔ならば私は即刻あの首を落とします」

「そんな」

「悪魔ならば、また無益な犠牲を増やしますよ?君の所為(せい)で」

流石にその一言は効いた。

燕雷も黙らざるを得なかった。

己の半端な温情の所為で、全く無関係の血を流す訳にはいかない。

「ま、目覚めた時のお楽しみですよ。次の朔日までには目覚めるでしょう」

のっぺりと丸い月は、もう東の山の端に隠れようとしていた。

己の裏側など素知らぬ振りで。


軍議なのかただの茶会なのかは判然とせぬが、とにかく向後の事を決める必要があると面々が集まった。

皓照を中心に、龍晶、桧釐、宗温。

於兎はこの昼近い時間になっても不貞寝しているし、燕雷は己には関係無いと端から顔も見せない。

最初は茶会の様相だったが、時間も時間なので次第に昼食会になりつつある。

龍晶が町に戻って来た事で、北州の民がこの屋敷に詰め掛けて何やかやと世話を焼いてくれるのだ。なので、頼んでも無いが茶や食事が用意されている。有難い事ではある。

ただ、屋敷の主人の存在など皆が皆忘れているので、人の出入りの制限が無く玄関先などはちょっとしたお祭り状態である。

その主人が困り果てた顔でその場を覗いたので、四人も口と手を止めた。

「いかが致しましたか?」

皓照が人当たり良く迎え入れる。

尤も勝手にこの場を使っているのは彼らの方である。

「いかがも何も…」

何から言えば良いのやらという様で。

「どうか場所を移して頂けまいか?殿下に御逗留頂くのはともかく、後の方々は…。そもそも桧釐!儂は敷居を跨ぐ許可は出してはおらんぞ!」

「は?」

唐突な指名に口を開け、面倒を語る目付きで父親だった男を見遣る。

「此の期に及んで何を寝惚けた事言ってんだか…」

つい先刻までこの国をどう動かすかを論じていたのに、この落差にはうんざりしてしまう。

「桧釐!貴様は殿下を誑かし、この胡散臭い連中を引き合わせた上、勝手にこの屋敷を使いおって!この罪は重いぞ!」

「素直に居場所を奪われて困ってますって言えないのかよ」

「誰か胡散臭い人が居ましたか?まだ血の匂いが取れて無かったです?」

「いえ、そんな事は…」

父親の文句を一言に要約して呆れる桧釐、自分の袖に鼻をくんくんと利かせる皓照、血の匂いなら染み着き過ぎていて返答に困る宗温。

それら全てを苦笑で一蹴して、龍晶が返した。

「伯父上、許可が後回しになってしまい申し訳無い。しかし我々はここを去る訳には参りませぬ。また軍に陣取られてはならぬ故」

「ですから、殿下…お言葉では御座いますが、軍を敵に回したような物言いはお辞めなされ。それこそ軍にあなた様の御身を保護して頂かねば困ります。このような者たちと居られると、何をされるか分かりませんぞ」

桧釐が呆れた顔のまま目を合わせる。

何を言っても無駄だとばかりに。

「この者達は、少なくとも俺を叩きのめした上で縛り上げたりはしないが。伯父上の目は節穴か?」

暴言に顔を赤くして何か叫びかけた桧伊(カイイ)を遮って、龍晶は続けた。

「この北州は今日より現王政を倒す為の拠点となる」

一際強く言い切って、伯父を見据える。

「この場に居て具合が悪いなら、都へ逃げる事をお薦めする。我が兄にありのままを伝えれば良い」

桧伊の顔が青ざめた。

このまま留まって叛乱の片棒を担がされるか、処罰覚悟で王に直訴するか。

これまで上の者にとっては無難に、しかし弱き者を無視し続けながら一地方を治めてきた役人が選べる二択では無い。

「殿下、そりゃちょっと酷ですよ」

助け舟を出したのは、桧釐だった。

「首長の責任を取らされて二代続けて同じ死に方なんて冗談にもならないや…。二度ある事は三度あるって言いますし?俺が(はりつけ)になってもね?」

それは、この計画の失敗を意味する。

「済まん。そこまでの意味は無かった」

言い過ぎに頭を下げる龍晶に、いやいやと笑いながら首を振って、桧釐は言った。

「確かに救う価値も無い野郎ですけどね。ま、親父である事には違いないので。どうでしょう殿下、もう一つ選択肢を用意してやっては」

「何だ?」

まだ方法があるのかと考える龍晶ににやりと笑いかけ、意味深な眼で父親を見。

「人質ですよ」

「はぁ!?」

素っ頓狂な声を上げる当人には構わず、納得しかけている龍晶に更に説明した。

「王の犬という彼の信条を曲げる事無く、こちらの邪魔もさせない。良い手だと思いますがね?」

「おま、なんて事を、親に向かって…!!」

怒りに震える桧伊に、桧釐はすっぱりと言ってやった。

「親だからこその案だよ。他人なら今すぐぶった斬る所だ」

言いながら刀の鍔に手を掛け、その刃を覗かせる。

うわあ、と太い悲鳴を上げて部屋を走り去って行く。

「宗温、一応取っ捕まえて自室に閉じ込めておいてくれるか?」

「御意」

龍晶の頼みに、宗温も堪えず笑いながら席を立った。

「親だからこそぶった斬りたいんだけどな」

かちり、と刃を収めて桧釐がぼやく。

「まぁ、そう怖い事を言うな。脅しが効き過ぎだ」

「殿下ほどではありませんよ」

「済まんが俺は本気だった」

「でしょ?あなたを怒らせる方が余程怖い」

桧釐は笑って、事の成り行きを見ていた皓照に向き直った。

「個人的な茶番で時を費やしてしまった。済まんな」

「いいえ。面白く観覧させて貰いました」

その手元の食事は一人だけ随分減っている。

今ももぐもぐと口を動かしながら、皓照は言った。

「しかし桧釐さん、彼はぶった斬る価値も無いお人好しですよ」

「そんな事は百も承知だよ」

流石に苦笑しながら()なして、話を逸らした。

「この北州を拠点にするのは良いが、本当にそんなに味方が集まるのか?」

先刻までの話で、どれだけの数の味方をこの北州に集められるか論じていた。

今まで自分の周囲に居る仲間しか試算する事の出来なかった桧釐には驚くべき話だ。

「現王に苦しまされているのはこの北州だけではないと言う事です。更には都にも地下組織がいくつか出来ています。宗温がかつてそこに居る所を私は見出したのですから」

「…へぇ。そうだったのか」

彼のように都の中にも王への不満を持つ者は少なくないのだろう。

「都の者達には王の動向を注視しておいて貰いましょう。その他の地方の者には通達を出してここに集めます。あと、殿下」

「何だ?」

「あの、旦沙那(タンサナ)と言いましたか、彼にお仲間を集めて貰えるよう頼んで貰えますか」

「それは…()から?」

皓照は頷き、更に付け加えた。

「出来れば殿下から一筆したためて彼に預けて下さい。哥王朝に対しての協力、少なくとも停戦の旨を」

「…書くのは簡単だが…」

龍晶は考え込んだまま、返答を避けた。

桧釐が疑問を含んだ視線を投げ掛けるが、彼は口を開かぬまま、その場はお開きとなった。


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