子爵令嬢と結婚した公爵令息ですが、ある日突然妻が語尾に「ざます」をつけ始めました
公爵家の令息アーノルド・プレジャールと子爵家の令嬢であるリリア・イードが結婚した。
王家に連なる名門であるプレジャール家と地方領主に過ぎないイード家が姻戚になるというのは、社交界でも話題となり、中には苦言を呈する者もいた。
しかし、周囲の雑音など問題にならないほど二人は愛し合っていた。
「ああ……愛しのリリア、どこまでも私についてきて欲しい」
「はい、どこまでもついていきます」
かくして二人は王都中心部の屋敷にて暮らすことになり、穏やかで幸せな日々を送ることとなった。
しかし、ある日突然それは起こった。
優れた騎士でもあるアーノルドは、王都にある訓練所にて兵士達に厳しい調練を行い、馬車で帰宅していた。
屋敷には愛する妻リリアが待っている。
二人の意向で住み込みの使用人は雇っていないので、夜は存分に二人きりの時間を味わえる。
リリアが「お帰りなさい」と出迎える姿を想像するだけで、彼の凛々しい横顔がほころんでしまう。
馬車が自宅に到着した。
アーノルドは緩んだ顔を引き締め、自慢の赤髪を整えると、扉を開けた。
「ただいま」
すぐにリリアが玄関に出てきた。栗色の長い髪に、愛くるしい瞳、素朴な美貌の持ち主で、決して華美ではないドレスに身を包んだリリアはまさに「癒し」そのものだった。
そして、いつものように――
「お帰りなさいざます」
――ん?
首を傾げるアーノルド。
「リリア、今なんて?」
「お帰りなさいざます、といったざます」
「あ、そう……」
聞き間違いではなかったようだ。
「お風呂にするざますか? それともお食事にするざます?」
「ええっと……まずはお風呂で」
なんの前触れもなく“ざます口調”になった妻に何も言えず、アーノルドは黙って風呂に入るしかなかった。
食事時もそれはやはり変わらなかった。
「今日はお肉とお野菜をたっぷり煮込んだスープを作ってみたざます」
美味しそうなスープと共に、ざますが押し寄せる。
「いかがざます?」
「お、おいしいよ」
「嬉しいざます!」
いつも通りの笑顔を見せるリリアだが、アーノルドは苦笑いを返してしまう。
「今日の調練はどうだったざますか?」
「え、ああ……皆、気を抜かずよく訓練してたよ」
「それはよかったざます」
その後の会話も結局ずっとこんな感じであり、寝る時も――
「それではあなた、おやすみなさいざます」
「ああ、おやすみ」
この日、アーノルドは「なぜ急に“ざます”をつけるようになったんだろう」となかなか寝付くことができなかった。
***
翌朝、目を覚ます夫婦。
アーノルドは朝になったら妻の口調が戻っているんじゃないか、と淡い期待を持っていた。
「おはよう」
「おはようございますざまぁす」
そんな期待はあっけなく粉砕された。むしろ昨日よりノリノリになっている。
朝から“ざます”を聞かされ、少々気が滅入るアーノルド。
「じゃあ、行ってくるよ」
「行ってらっしゃいざまぁす」
それから数日間は様子を見たが、“ざます”を止める様子はなく、アーノルドはついに妻に問いただした。
「なぁ、リリア」
「なんざますか?」
「ここ最近、語尾に“ざます”ってつけるようになったけど、どうしたのかなーと思って」
「ああ、これざますか。こうした方が気品があるざますでしょ?」
気品、あるかなぁ。ずっと昔からざます言葉を使っていれば、気品もおのずとついてくるだろうが、こう唐突に始められても滑稽さが目立つような……。などと考えるアーノルド。
しかし、夫婦仲を壊したくないアーノルドはこう答えてしまう。
「うん……気品があるよ」
「そうざますでしょ! 嬉しいざます! ざますさまさまざます!」
“ざます”を言いすぎてもはや早口言葉のようになっている。
心底嬉しそうなリリアに、アーノルドは何も言えなくなってしまった。
しかし、このままではいけないと思い、アーノルドはこの件を親友に相談することを決意する。
***
ジョーイ・コルテス。アーノルドと同じく公爵令息であり、幼い頃からの親友である。
「よぉ、ジョーイ」
「アーノルドか」
ジョーイもまた黒髪のハンサムであり、二人が並んだ光景は貴族界の二大スター揃い踏みといった風情である。
「実は相談があるんだ」
「結婚したばかりで幸せの絶頂だろうに、相談?」
「ああ、まさにその結婚生活のことでの相談なんだ……」
アーノルドは全てを打ち明けた。
「突然“ざます”を?」
「ああ……」
一見笑ってしまいそうになる悩みであったが、アーノルドの深刻な表情にジョーイは笑えなくなってしまった。
しばらく考えた後、こう持ちかける。
「とりあえず、俺の奥さんに何か心当たりがないか聞いてみるよ。社交界というのは男では立ち入れない部分も多いからさ」
ジョーイはアーノルドより一足早く妻をめとっており、彼女もまた良妻と評判である。
「ああ、頼む」
この日はこれで別れ、二人は翌日の昼、あるカフェで待ち合わせをした。
ジョーイは期待以上の答えを持ってきてくれた。
「“ざます”を使うようになったきっかけ、分かったかもしれないぞ」
「本当か?」
「つい最近、貴族女性が集まるサロンがあって、そこに俺の妻やリリア殿も出席していたんだが……」
公爵家の妻ならば、そういったサロンに出向くことも日課となる。仕事と言い換えてもよい。リリアが出席するのも当然だった。
「一部の女性が……リリア殿を批判したらしいんだな。『公爵家に嫁いだわりに気品がない』って……」
「なっ……!」
アーノルドの中で点と点が繋がった。
元々アーノルドとリリアの結婚を快く思っていない人間は多かったし、リリアに対しそういった中傷をする人間が現れるのも必然だった。
「気品がない」と言われたリリアは傷つき、気品を得るため“ざます”を使うようになったのだ。
「許せない……!」立ち上がるアーノルド。
「お、おいアーノルド。どうする気だ?」
「決まってる。私の妻を侮辱した女どもを徹底的に追及してやる!」
「よせ、そんなことしてどうなる! リリア殿の立場がますます悪くなるだけだ!」
「くっ……!」
ジョーイは冷静に諭す。
「とりあえず……リリア殿を励ましてやることが先決じゃないか? 君には十分気品があるって」
「……そうかもしれないな」
カフェを出たアーノルドはすぐに家に向かった。
そして、「君は今でも十分気品がある。“ざます”なんて使う必要ないんだよ」と言おうと決めた。
***
「ただいまー」
家に戻ると、怒涛の“ざます”攻撃が待っていた。
「あなぁた、お帰りなさいざまぁす!」
「今日はチキンを焼いたざますよ~、さあ食べて下さいざます!」
「熱かったざますか? すぐ冷ますざます!」
懸命に“ざます”を使っているリリアに、アーノルドはまたしても何も言えなくなっていた。しかし、以前とは意味合いが違う。
彼女は社交界で「気品がない」と非難され、悩み、自分なりに見出した答えが「“ざます”を使う」なのだろう。
強大な権力を持つ夫に泣きつくことなく、彼女は今、一人で懸命に戦っている。無茶な背伸びをしてでも気品を身につけようとしている。
そんなリリアに軽々しく「君は今でも気品があるよ」「君を侮辱した連中は私が何とかするよ」などとは言えなくなってしまった。
アーノルドにじっと見られ、照れてしまうリリア。
「どうしたざますか? そんなに見つめられると照れちゃうざま……うっ!」
舌を噛んでしまったようだ。
「ご、ごめんなさい……やっぱり慣れない喋り方をしてたから……ざます」
そんなリリアにアーノルドは優しく手を差し伸べる。
「いいんだよ。私は……どんな君でも受け入れる」
この瞬間、リリアの中で何かが弾けた。
自分自身、努力の方向性が間違っていることは薄々感じていた。いつかアーノルドから「“ざます”を使うのはやめてくれないか」と言われるのが怖かった。
しかし、アーノルドは――
「アーノルド様っ……!」
リリアは思い切りアーノルドの胸の中に飛び込んだ。
***
それ以来、リリアは“ざます”を使うのをやめた。
無茶な背伸びをやめ、サロンにも自然体で通うようになった。
しかし、ざます騒動を経て、アーノルドとの絆をさらに深めた彼女には自信が備わっていた。
その揺るぎない自信は彼女に気品をもたらし、サロンに華を添えた。
「皆さま、ごきげんよう!」
こうなると、かつて彼女を中傷した婦人らも何も言えなくなってしまった。
「リリアったら、すっかり気品を身につけちゃって……何があったというの」
「あの子の横に立つと誰もが引き立て役になってしまうわ」
「く、悔しいっ……!」
社交界にリリアあり、と言われるようになる日もそう遠くはないであろう。
そんな自慢の妻を持つアーノルド、鼻高々で同じ貴族の男子らと酒を飲む。
「ようするに、女たちのやっかみのような中傷では、リリアの心を挫くことなどできなかったというわけだ」
ジョッキ片手に誇らしげに語る彼を、親友ジョーイがからかう。
「だが、気を付けた方がいいぞ~」
「え?」
「このままリリア殿が社交界で名を馳せたら、今度はお前の方が『気品が足りない』なんて言われるかもしれないぞ」
「そ、そうかな……」
すると、他の友人たちも――
「お前は武人としては超一流だが、貴族としてはまだまだ荒々しいところがあるしな」
「せいぜい奥さんの足を引っ張らないようにしろよ~」
「う、うん……」
これ以後は口数も少なくなり、悩ましげに酒を飲むアーノルドだった。
そして、ある日突然それは起こった。
屋敷に夫が帰ってきた気配を察し、嬉しそうに出迎えるリリア。
「お帰りなさい!」
「ただいまでおじゃる」
「!?」
アーノルドの口調に、絶句するリリア。
「今日は調練で疲れたでおじゃるから、ゆっくり風呂に入って、食事にするでおじゃる」
「は、はい……アーノルド様」
今度はリリアが、ある日突然夫が語尾に「おじゃる」をつけ始めた、と悩むことになるのであった。
おわり
お読み下さりありがとうございました。
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