5.最愛の女性
「邪魔だ。道を空けろ」
「な、なんだなんだ!?」
群衆たちは道を空ける。
俺は一目散に。本当に脇目を振る余裕すらなく、少女へと駆け寄った。
「大丈夫か?」
そう問いかけるが、その目は虚ろで、俺の言葉が通じていないように思えた。
そのことがまた俺の腹にマグマのような怒りを沸き立たせた。
なぜ、俺のプリンセスがこんな目に遭わなければならないのかと。
「おい、そいつが誰だか分かってんのかよ」
その時、群衆の一人から声が上がった。
そう言えば、まだ名前を聞いていなかったな。
「プリンセス、君の名は?」
聞こえるだろうか? 答えてくれるだろうか? そんなことにすら心を砕く自分が信じられなかった。
これがユーインが言っていた番なのだと確信せざるを得なかった。
果たして、少女は何とか口を開いて、かすれてはいるが、可愛らしい声でその名を告げてくれた。
「シンシアです。シンシア・ロレーヌ」
「素敵な名だ。だが、ロレーヌだと?」
俺は彼女の名を知れた歓喜の気持ちと共に、ファミリーネームを聞いて疑問を持った。
ロレーヌとはこの領地を治める侯爵家だ。
だとすれば、シンシアは侯爵家の令嬢ということになる。それがどうしてこんな橋の上で物乞いのような恰好で辱めを受けているのだ?
俺はそんな疑問とともに、俺のシンシアをこんな目に遭わせているロレーヌ侯爵家への怒りが爆発しそうになる。王たるもの冷静さが絶対に必要なのだが、今回だけは衝動に任せてロレーヌ侯爵家をレッドドラゴンの姿に戻り更地へと戻してやりたい気分であった。
と、そんなことを考えているうちに、雨が強まってきた。
「ああ、ロレーヌ家の存亡など、君の存在と比べれば些事に過ぎなかった。すまなかった、俺の宿泊している宿まで来れるか? ああ、いや、それともロレーヌ家まで馬車を出そうか?」
王なのであるから己で決め、そうすれば良いのだが、シンシア相手にはそうはいかなかった。勝手なことをして嫌われてしまうことを恐れたのだ。それは今まで持ったことのない感情であり、不可解ではあったが、不快では決してなかった。
彼女の求めることを何としてでもやってやりたいという気持ちしかなかったのである。
すると、彼女は微かに微笑みながら言った。
「ありがとうございます。言いつけでは……。今晩戻って良いとのことでしたので、自分で帰ります。親切な方」
「言いつけ? 君をこんな目に遭わせているのは、やはりロレーヌ家なのか?」
「私が悪いのです。妹の番を深夜に部屋に招いてしまったのですから。それは不貞を働こうとしたと言われても仕方ありません」
「なに!」
「きゃっ」
思わず大きな声を上げてしまった。そして同時に、はらわたが煮えくりかえるほどの怒りと嫉妬を覚えた。
「シンシア、君は、その……。妹の番のことが好き……なのか……?」
思わず聞いてしまう。
初対面だと言うのに、どうしても歯止めがきかないのだ。
「いいえ。ですが、私を愛してくれる方なら誰でも良かったのかもしれません。一人がつらすぎて……」
彼女はそういうと、ゆっくりと立ち上がった。
「親切な方。私を助けたとあってはご迷惑がかかるかもしれません。ですので、お名前は聞かないように致します。ですが、優しくして頂いたご温情は決して忘れません。さようなら」
「まっ……」
「ブラッドフォード様」
引き留めようとしたところで、いつの間にか俺を探しに来たのだろう、ユーインが傍に立っていた。
「なんだ、引き留めるな! ユーイン! 俺はとうとう見つけたんだ! 最愛のプリンセスを! ただ一人愛すべき女性を! 絶対に離すわけには!」
「分かっております」
ユーインはいつもの冷静沈着な面持ちで頷いた。
「王の意向は痛いほどに理解しています。だからこそ正式な段取りを踏みましょう。でなければ、彼女の立場を悪くしてしまうかもしれない。侯爵令嬢が橋の上で物乞い同然の姿など、ただごとではありません」
「だが、侯爵家に戻している間に何かあればどうする!?」
思わず興奮した物言いになってしまう。感情の制御がきかないのだ。
もしも、シンシアに何かあれば、正気でいられる気がしない。
「一足先に伝令を侯爵家に飛ばしました。彼女を王の元に嫁がせるように、と。これで彼女が傷つけられる恐れはありません」
確かにそうだ。
もし、幻想種の頂点である俺に逆らうということはありえない。
「ちっ。ああ、もう分かった! だが2日は待てんぞ!!」
怒鳴るように言う。
するとユーインは若干微笑んで頷いた。
「御意に。我が王。そして、番との運命の出会いまことにめでたい。ドラゴン種族全体を代表し、お祝い申し上げます」
ユーインの言葉に頷きながら、俺はそわそわとして待つことにした。
奪いに行っても良いが、それは彼女の立場を悪くするかもしれない。
やきもきとしたまま、長い2日が過ぎたのだった。
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