既に故郷に帰りたい。
翌日。
朝一番にハーブルム王は輝くような笑顔を携えて私を迎えに来た。暇人か。
まだ起きて間もなくで、まだ少し寝ていたかった私は寝ぼけ眼をこすりながら支度をしていく。
「おはよう、ミア。昨夜はよく眠れたか?」
「おはようございます。お気遣いありがとうございます」
ハーブルム王は当たり前のように当主席で朝食を食べている。
ステラ叔母さまの旦那様のクロデル伯爵は所在なさげに黙々と食べている。
叔母さまとお姉様は──極力気にしないようにしているのかしら。
私も空いている席に腰を下ろすと、メイドたちが朝食を運んでくる。
……気のせいかしら。なんか、すごく、見られてる気が……。
目線を上げるとハーブルム王と目が合う。
目を細めてにやりと微笑まれた。
こうして見ると意外にかっこいいのかも。
黒髪に切れ長の金の瞳、長い睫毛。
しなやかな身体は引き締まっていて、今まで見てきた中で色気がすごい。
朝食を食べる所作もきれい。
豪快で、でも不快感が無い。
異国の王はこんなにも違うのかと思わず見入ってしまった。
「俺に見惚れてねぇで早く食えよ」
「べ……別に……見惚れてなんか」
言われて慌てて食事に戻る。
自分でも気付かないうちに止まってたみたい。
朝食を食べ終えて、食後のティータイム。
ここでも王様は優雅にお茶を飲む。
「ハーブルム王様」
「ベルンハルトだ」
「……いえ、あの」
「ベルンハルトと呼ばないなら答えない」
お子様!?駄々っ子なの?
王様を呼び捨てにするとか身分の低い私からしたら心臓飛び出る程緊張するんだけど!
にやにやする王様を横目でちらりと見て、余裕たっぷりな彼に内心イラッとしながら。
「ベルンハルト様」
「呼び捨てで」
「~~無理です!昨日初めてお会いして、貴方の身分を知って、まだおいそれと気安く呼べる間柄ではありませんし、そんな中呼び捨てなんてできません!」
「俺たちは夫婦になるんだから呼び捨てが普通だろ?気安い関係になるから最初から壁なんかいらないだろ」
考え方がこの国とは違うと感じた。
この国、特に貴族は妻は夫から一歩引いた態度が好ましいとされる。
だから女性は夫に対して敬称が殆どだ。
妻は夫を支え、夫は妻を守る。
それが女性としての嗜みだと、ステラ叔母さま始め、淑女教育で習う。
ハーブルムでは夫婦は互いに呼び捨てする。
夫婦は対等な関係なのだろうか。
私は戸惑いを隠せず、叔母さまに目線を向けた。
「ハーブルム王よ、発言をお許し下さい」
「なんだ?」
「ミアはこの国で生まれ育ちました。この国の夫婦は夫を敬称つけて呼びます。
今はそれをお許し頂けませんか」
ステラ叔母さまは背筋を伸ばし王に問いかける。
すると王様は顎に手を当て、ふむ、と独りごちた。
「分かった。慣れるまでは許そう。だがな、ミア。
俺は妻とは対等な関係でいたいと思っている。変な遠慮はするな。足元を掬われるからな」
「分かりました。……ありがとうございます」
「うむ。で、質問があったのだったな」
「はい。この後の予定をお伺いしようと思いまして」
「この後か。ジュード」
王様が名前を呼ぶと、どこからともなく男性が現れた。
さっきまでいなかったのに!?
伯爵家のみんなは思わず息を飲んだ。
「はい、我が主。この後は妻となられるミア様のご両親に挨拶、お世話になったジュール子爵家へ退去の挨拶、王宮への辞去の挨拶、夕方頃ハーブルム行きの船が出ます」
「だそうだ」
「は……はぁ……」
お世話になったジュール子爵家への挨拶はまだ良いとして、王宮……。
それは多分陛下とか身分の高い方への挨拶だよね。
一緒に、行くのかな……?
「王宮には王と王太子へ帰る旨を伝えるだけだ。あ。ミアを国へ連れて行く事もな」
まだ両親に何も言ってないのに、にやりとして言われたら、もうホントに後戻りできないと尻込みしそうになる。
私はごくりと唾を飲んだ。
まずはジュール子爵家で肩慣らししよう。
王宮に行く前にそこで……………
そこで私は、はた、と気付いた。
「ジュール……子爵?」
「ああ。」
ジュール子爵と言ったら。
「私の実家ですわ」
その言葉にハーブルム王は目を見開いた。
こんな偶然あるのかな。
まさかお父様が一国の王をもてなす係だったなんて。
「そうか。お前はジュール子爵の娘だったのだな。そうならば話は早い。早速行くぞ」
「あっ、お待ちください、ハー……ベルンハルト様!」
颯爽と表に出ようとするハーブルム王を、私は慌てて追い掛けた。
ハーブルム王の乗って来た馬車に同乗すると、すぐに出発する。
馬車の外観は見慣れたもので、それでも未だに信じられなくて。
いざ向かった先が本当に自分の住んでいた家で、改めて私は緊張してしまった。
「まさかハーブルム王の相手がミアだとはね……」
ははは、と力無く笑うお父様。
私だってこんな偶然想定してなかった。
世の中奇妙な縁もあるもんだ、と苦笑してしまった。
「ミアは国に連れて帰るつもりだ。子爵には世話になった」
「……ミアはそれで良いのか?」
お父様が躊躇いながら聞いてきた。
……意外。
あの時は有無を言わせなかったのに。
「もう決めました。私はベルンハルト様と一緒に行きます」
私の言葉にお父様は目を細め、私を真っ直ぐに見て来た。
「ミア、道は平坦では無いだろう。……自分の道は自分で切り開くんだよ」
遠い異国に行く私に、お父様の言葉は深く残った。
自分の道は自分で切り開く。
もう後戻りはできない。
その後、国王陛下と王太子殿下に挨拶した私たちは、予定通りハーブルム行きの船に乗った。
見慣れた街が、国が遠ざかる。
大好きだったアランがいる国。
最後にお別れくらい言えば良かったかな。
……今更ね。
でも、どうしてかな。
ぽたぽた、雫が足元にこぼれていく。
私は陸が見えなくなるまでずっと遠くを見ていた。
暫くして、船室に戻ると、ベルンハルトは書類を拡げ目を通していた。
「既に故郷が恋しいのか」
「そりゃあ、離れると思えば少しくらいは」
「そうか」
相変わらずにやにやして揶揄われているみたいに感じるわ。気のせいかしら。
「そういえば」
ベルンハルトは少し目を泳がせてこほんと咳払いする。
何だろう。
とても、嫌な予感がするのは気のせいかしら。
「言い忘れてたけど、俺ハーレム持ってるから」
「え」
「ミアは第三夫人かな」「第四でございます」
「そーだっけ。やば、怒られるな」
「え」
「じゃあミアは第四夫人で、あと後宮にチラホラと」
「え」
「あ、けど安心しろ。俺はハーレムの女全てを平等に愛している」
「え」
「女達と仲良くしろよ」
親指立てて、にっこり笑う、ベルンハルト。
てゆーかそんな重要な事、最初に話しといてほしい。
逃げられない状況になって言うとか卑怯だ。
今ならまだ間に合うかしら。
無理だった。
故郷は遥か彼方遠くになってしまった。
海を泳いで行くなんてそれこそ命終わる。
これっていいの?よくないわ!
あたしのバカ!ちゃんと確認しなさいよオオバカモノー!
既に故郷に帰りたくなってきたんですがーー!!