決意と決別と告白
着替えて、温かいお茶を飲んで一息つくと、胸に感じていた重みも少しは軽くなった気がした。
「はぁ、情けない……」
ミアとディーン様の過去を聞いて、そういう関係だったというのを知って少しでも疑ってしまった自分に嫌気が差す。
「私ってこんな鬱陶しい女だっけ……」
ソファに足を乗せて、膝を曲げ額をくっつけ自分を抱き締める。
今までは割り切った関係ばかりでまともな恋愛なんてしてこなかった。
だから距離の詰め方とか分からない。
そもそも私の立場は一応既婚者で。
傍から見たら不貞にディーン様を巻き込む事はどうなの、とは思ってる。
陛下の許可は得てるし、いい人がいればハーレムを抜ける事も許されてるけれど。
ハーブルムの人に通じる事でも、イーディスの人には通じるのかな……、なんて。
考えなくても答えは出ている。
「そうじゃなきゃ、ディーン様が婚約解消されるわけないものね……」
私は一度目を閉じて、しっかりと見開く。
先程決意した事。
押し付けになるんじゃないかと不安はある。
名前で呼べるようになったとはいえ、まだ外交官と異国のハーレム夫人という関係は変わらない。
多分、今のままだとディーン様は私に見向きもしないだろう。
だから。
執務室の扉を叩き、返事を待つ。
「入れ」
「失礼します」
ジュードさん、ハリードさんと共に書類に目を通す陛下に近寄っていく。
私の今後をかけた大事な話をする為に。
「……どうした」
いつにない様子の私に、陛下が書類から私へ目線を移す。
幼い頃から知ってるけど、いつの間にか知らない人になってしまったような、不思議な感じがした。
愛していたわけではないけれど、兄を慕うような感情はあった。
「ハーレムを抜けさせていただきたく思います」
その言葉に、ジュードさんは息を呑み、ハリードさんは素知らぬ顔をした。
「理由は」
陛下は表情一つ変えない。
もしミアが同じ事を言ったら慌てるんだろうなぁと思うと微笑ましい。
「幸せになりたいと思いました。あと、世界を見てみたいと」
ハーブルムにいて、ミアがいて、甥っ子がいて。
それはそれで幸せなんだけど。
抱き締めたい人ができた。
『あなたは幸せになっていい』と、背中を押したい人ができたのだ。
できれば、その幸せは、私があげたいとも思う。まあこれは今すぐは無理そうだからそのうち、いつかは、と。
その為には今の立場では何もできない。
口付けはおろか、手を触れる事も。
「そうか。……イーディスの男か。口説かれたか?」
「いえ、彼の過去を聞けば今の私には何も言わないでしょう。ですから、身軽になってから口説こうと思います」
にっこりと笑ってやった。
すると陛下も、フッて笑う。
「イーディスの外交官の滞在はあと七日程だったな。
分かった。
第三夫人ミリアナ。今日を持って第三夫人の地位を返上し、ハーブルムの特使となるよう任命する。夫人としての部屋はそのまま使って構わない。
帰国した時には自由に使え」
ハーブルムの特使……?
「俺の代わりにハーブルムの外に出て色々見て回るといい。給金も出す。行き先はお前が決めて良い。居場所だけは手紙で知らせるように」
その提案はとても魅力的なものだった。
他の国の方と一緒に周ったり、一人できままに旅をする事もできる。
宰相家で育った私はひと通り護身術も学んでいる。
不安になれば護衛を雇ってもいい。
ディーン様たち外交官の方とハーブルムを巡って、ハーレムの中で一生を終えるのではなく、世界を見て回りたいと思ったのは事実。
「ハーブルム特使、つつしんでお受け致します」
「幸せになれよ」
陛下からの言葉に、にっこりと笑った。
ハーブルムの宰相家に産まれ、言われるままハーレムに入った私は、今初めて自由になった気がした。
部屋の前まで来ると、ディーン様が所在なげに立っていた。
「……あ…」
迷い子のように頼り無さ気な瞳は、どうしようも無く私を惹き付ける。
私の好みって変わってるのかもしれないわね。
ミアは拒否してたけど、ライバルにならなくて良かったかもしれないわ。
「すみません、その……」
「ディーン様」
何かを言いたげな彼の唇に人差し指で触れる。
驚いて肩を跳ねさせたディーン様は、みるみるうちに顔を赤らめさせた。
「どうぞ中へ入ってらして」
廊下で立ち話もなんだし、私はディーン様を部屋の中に招き入れた。
夫婦でも無い男女が二人きりで、とか何とか言ってたけど部屋の扉を少し開けておく事で納得したみたい。
侍女にお茶を用意してもらって、ディーン様と対面で座る。
少しの間、沈黙が流れ、私は目の前のカップを手に取り口にした。
「さ、先程は、すみません。なんか、ちょっと、頭ボーッとしてたみたいで。
わ、私は……、その」
俯き、膝の上で拳を作っていたディーン様は心底後悔しているように顔を歪ませる。
先程の事とは、おそらく触れ合える距離に近付いた事かな。
気にしなくてもいいのになぁ。むしろこのタイミングで雨降る?って思ったものだった。
でも、それで良かったのよね。
「お気になさらず」
そう言ってみたけれど、ディーン様は顔を上げられないみたい。
「……もう、誰かを裏切るとか裏切らせるような真似はしたくないのです。
第三夫人様は……ハーブルム国王陛下の夫人で」
「ついさっき第三夫人の座を返上してきました」
「へっ」
ようやく目線を上げ、戸惑いの目を泳がせるディーン様は捨てられた子犬みたい。
私は再びカップを傾けた。
「私、貴方が好きみたいだわ。でも貴方はその気は無いでしょう?」
「へっ……えっ」
「中途半端な優しさはいらないわ。
無理なら断ってくれて構わない。
でも、もし貴方の隣にいる事を許してくれるなら側にいさせて」
「第三……、……ミリアナ様……」
戸惑ってるなぁ。まあ、仕方ないわよね。私だっていきなり離婚しました、あなたが好きです、って言われても何とも思ってない相手からなら引いてしまうかもしれない。
ディーン様は何度も瞬きをして手を広げては握ってみたりしている。
口を開いては閉じて……。
そんな様子だから、返事なんて容易に想像できた。
「……ごめんなさいね。いきなり言われても困るわよね」
「それは……っ、その」
振られるなら早く振ってほしいわ……。
でもディーン様はやがて真剣な顔をして私を見て来た。
そして、がばりと頭を下げた。
「申し訳ございません。ミリアナ様の気持ちはとても嬉しいです。でも、今の私には気持ちに応える資格がありません」
「……そう」
「私は……、過去に好きだった婚約者の子を自分のせいで傷付けました。優しくて、笑顔が可愛くて、……そんな彼女の顔を悲しみで歪めてしまいました」
ディーン様は当時を思い出しているのか、膝の上で拳を握り締めた。
「バカでした。つけあがっていました。のぼせていました。彼女を裏切って、彼女の為になるからと言い訳して、他の女性と……関係して」
握り締めた拳に力を込める。
「婚約を解消した時も、自分が悪いと言わせてしまった。未だに謝罪すらできていません。
そんな資格すら、ありません……」
拳に一つ、雫が落ちた。
「忘れられないんです。もう二度と会えなくても、他の男性と結婚していても。
ずっと、俺の中に残って離れない。
……国にいたら夫婦の話ばかり聞こえて……。だから外交官になりました。忘れなきゃいけないと、思って」
ぽたぽたと、絨毯に吸い込まれて行くのは汗か、涙か。
肩を震わせているその人が放っておけなくて、私はそっと隣に座った。