最愛の人
うだるような暑さからようやく解放される季節のある日。
朝陽が顔を出す頃、宮殿内に産声が上がった。
目の前がチカチカする。
夜通し痛みに耐えて、もう無理、身体に力が入らない、足はプルプル、痛い、苦しい、私にこんな痛い思いをさせるベルンハルトのバカヤロウ、なんて言ってたら、最後にすぽんって。
そしたら。
「ホギャッフギャッホギャッ」
「おめでとうございます!元気な男の子でございますよ!」
産婆さんの明るい声が響いて。
後処置をしてもらったあと、キレイになった我が子が私の顔の隣にやって来た。
小さな、本当に小さな手。
ベルンハルト譲りの黒髪。瞳は何色かな。
どっちに似てるかな。
それにしても小さいなぁ。
力の抜けきった手を何とか動かして指に触れると、きゅって掴まれる。
可愛いなぁ。私とベルンハルトの子だぁ……。
何だか目頭が熱くなって、知らずに涙を溢していた。
「ミア」
「ベルンハルト……ねえ、小さいよ」
「そりゃそうだろう。産まれたばかりなんだから」
「へへへ……」
初めて胎動を感じた日、ポコポコ動き回っていた日、段々ボコボコになって、ぐねーって回転したりして、お腹の中で元気いっぱいだった子が、こうして目の前にいる奇跡。
「ミア、……ありがとう、俺に、家族をくれて」
ベッドの側に跪き、ベルンハルトは私と赤ちゃんの手を覆った。
産みの母に、父に見離され、孤児院にやられ、宰相家に引き取られたベルンハルト。
仲間に慕われ、その仲間も……父や兄たちに奪われ、ずっと孤独だった人。
ベルンハルトの頬に手を寄せる。
「あなたがお父様よ。既に国の父でもあるけれど、子どもの父になるんだよ。ちゃんと目をかけてあげてね」
「ああ、もちろんだ」
「そう言えば、名前は……」
ベルンハルトの目が優しく細められる。
「ルトフィだ」
「ルトフィ……?」
「ああ。ハーブルム原語で『優しい』という意味がある」
ルトフィ。私と、ベルンハルトの子。
優しい人になるように願いが込められた名前。
「素敵。……ルトフィ、あなたの名前はルトフィよ」
しっかり握られた小さな手に、指先でつんつんとしてみる。
「そう言えばミア、筆頭夫人の事だが……」
「うん……」
ベルンハルトが大切な話をしかけたけれど、一昼夜痛みで眠れなかった私はルトフィの温もりと出産が無事に終わった安心感で眠気が襲って来て、ベルンハルトの言葉を耳にする前に眠ってしまった。
「……お疲れさん。ミア、愛している」
完全にまぶたが閉じると同時に軽く触れるくちびるの感触に幸せを感じながら、私は眠りについた。
ベルンハルトが言いかけた、筆頭夫人の事。
あの襲撃以来、私が身重で動けない為何だかんだと先送りされて保留になっていた。
実はハリードが傍系王家の筆頭だと聞いた時は驚いたけれど、あの時。
『合格だ。陛下を頼む。幸せにしてやれ』
あれが承認の言葉になるらしい。
そしてベルンハルト──陛下の承認。
私の覚悟を聞いたベルンハルトは、私をまたゴタゴタに巻き込むから迷ったけれど、その時に決めたそう。
あとは議会の承認だけかと思えば、こちらはあらかじめ承認を得ていたらしい。
私が養女になった時にはもう宰相家──ミリアナ姉様のご実家が後ろ盾に名乗りを上げて下さっていて、それが承認になったとか。
ミリアナ姉様に感謝しなきゃ。
そして大臣たちの決定打になったのは、私が男の子を出産したから。
とはいえザイード様の事もあるし、王位継承権の事は産まれた順のまま。あとは子どもらの意志を尊重するという形で落ち着いた。
出産から一週間が経過して、室内なら動き回れるくらいになった。
でも産後少なくとも一ヶ月、できれば三ヶ月は無理は禁物という事で、私の産後の回復を待って筆頭夫人の叙任式典と、結婚式があるらしい。
「また結婚式するの!?」
「ああ、今度はミアのご両親や伯母様、イーディスの王族はじめ周辺国から様々な来賓があるぞ」
「えっ!?なんでそんな……、えっ」
「筆頭夫人だからな。一般的な国のいわゆる正妃になるわけだから、招待客は多くなる。
王都の中心の大通りでパレードもするし、大規模なパーティーもする予定だ」
その話を聞いて、思わず顔がひきつった。久し振りに両親や伯母様たちに会えるのは楽しみだし嬉しいけど、王太子殿下や周辺国の来賓はさすがに緊張する。
でも、それが筆頭夫人になるということ。これからはその方々と渡り合わねばならない。
い、今更やめよっかな、とか言えないよね、うん。
「で、体調が戻り次第筆頭夫人用の教育とか始まるから。叙任式は半年後、更に半年後に結婚式がある」
つまりは約一年で私は筆頭夫人教育を終わらせろ、という事……よね?え、できるかな……。
「子が腹ん中にいる間、追加で勉強はやってただろ。ミアならできるよ」
優しくそう言われたら頑張るしかないなぁ。ルトフィのお世話に勉強にマナー教育に……やる事は沢山あるけれど、これも望んだ事。よし頑張るぞ!
「……最初に結婚式した時に機会があれば、とは言ったが……。まさか本当に機会が来るとはな」
「えっ?」
ベルンハルトが急に真面目な顔をする。
「ミア、愛してる。ハーブルムに来てくれてありがとう」
「私も……、ベルンハルトを愛してるよ。
ハーブルムに連れて来てくれてありがとう」
そうして、軽く、触れ合うキスをする。
その後は深く、溶け合うような口付け。
でもその先は。
「……産後すぐだから解禁まではおあずけだな」
ぺろりとくちびるを舐めたベルンハルトはこういう時だけは色気を振り撒く。
「……他の夫人のとことか、行ってもい…ふぎっ」
言い終わらないうちにベルンハルトから鼻を摘まれた。
「本気で言ってんのか?」
「だって、男の人は……」
「10代の子どもじゃあるまいし、むやみにはしない。特に今はミアだけだ。妊娠中も他の夫人に聞いてみろ。行ってないから」
「別に、行ってもいいんだよ?ふぎゅっ」
「まだ言うか。産後明けたら覚えておけよ」
「だって、他に行っても戻って来るでしょ?
最後に私が選ばれるならそれでいっかな、って」
鼻を摘んでいた指が離れて行く。ベルンハルトは神妙な顔をしていた。
「まだ明確にいつ、とは言えないが、俺はいずれハーレムを解散させる」
「え……」
「俺はお前だけしかいらない。ずっと側にいてほしいのはミアだけだ。
だから、お前も俺だけを見ててくれ。……その、いつか、言ってた『アラン』とか言う奴より、俺を好きになれ……よ」
「アラン?」
ベルンハルトにアランの話したっけ?
…確かに最初の方では忘れられない人がいる、みたいな話はしたかもしれないけれど。
「私の愛を疑うなんて酷いわ。私はベルンハルトだけを愛しているのに」
「……そうか。なら良い」
バツが悪そうに、頭を掻くベルンハルト。
ルトフィと並ぶ、私の最愛の人。
これからはあなただけを愛していくわ。
「だから、これからもよろしくね」
そう言って口付けた。