もう離れないよ
ヒュン!と投げたナイフが吊り下げ型の照明の紐に見事に命中してガシャンと照明が落ちた。
「誰だ!?」
バフィール様はじめ護衛たちがベルンハルトに背を向け私のいる方を警戒する。
その瞬間、ベルンハルトの目付きが変わった。
一瞬の隙を逃さないベルンハルトは、右手に持った剣をまずバフィール様の前にいた護衛に振るい、剣を弾き飛ばした。護衛の持っている剣はくるくる回ってすとんと、執務室の絨毯に吸い込まれるように刺さった。
バフィール様を守るように後ろにいた護衛が慌てて剣を鞘から抜こうとするけれど、その途中でベルンハルトは手を蹴り上げた。そのまま護衛の足元にすとんと落ちた剣を足で蹴って遠くにやる。
更にもう一人いた護衛の後ろに、先程まで気を失っていたはずのジュードさんが回って剣を奪った。
これでバフィール様の護衛たちは丸腰。でもそれで諦める人たちでは無かったようで、二人がかりでベルンハルトを今度は体術で攻めようとしている。
だから私はすかさず投げナイフを一本放った。
「ぐあっ!?」
一人の背中に刺さり、護衛が蹲る。
更にもう一本、もう一人に投げると腕に命中した。
私の投げナイフ、中々上出来だわ。
もう一人残った護衛は、すかさずジュードさんが縄をかけ縛っていく。
「……形成逆転だな、バフィール翁よ」
息の上がったベルンハルトが、バフィール様の首筋に剣を突き付けた。
「くそっ……、あと少しであったのに!!」
腰を抜かしながらバフィール様が悔しそうに顔を歪ませた。
「バフィール翁、悪政を強いては国が滅びる。自分さえ良ければそれでいい、などという考えは悪だ」
「ふん!戯言を。お前の父も兄たちも同じ事をしていたではないか。私が同じ事をして、それの何が悪い。
善行ばかりで成り立つものでもあるまい…─ヒッ」
カチャリと、ベルンハルトの持つ剣が鳴る。
まさか、バフィール様を……?
「忘れたか?俺が血の繋がった奴らを殺して王位を簒奪した事を」
「お、お前の存在自体が間違いなのだ!!夫人はおろか、ハーレム外の庶子のくせに……」
「よろしい、では死ね」
ベルンハルトが剣を振り上げる。
その顔からは表情が抜け落ちている。でも。
「待って!」
私は駆け出した。ちょっと前につんのめりながら、でも転ばないように。
「ミア……?」
呆然と呟いたベルンハルトに、構わず抱き着いた。今あるだけの力を振り絞って、きつく抱き締める。
「……ミア、そこをどいてくれ。こいつを斬らねばならん」
カチャッと、剣を持ち直す音がする。でも。
「どかない」
「ミア」
「だって、ベルンハルト、辛そうなんだもん!」
抜け落ちた表情。けれどわずかに歪められた顔、悲痛な瞳。
「辛くても、王ならやらねばならん事があるんだ。そこをどけ」
「やだよ!ベルンハルトには前王たちみたいになってほしくないよ!!」
心からの私の叫びに、ベルンハルトの肩が揺れた。
「ベルンハルトが、自ら、手をかけたら、また、ベルンハルトが、傷付く」
はっきり聞いたわけじゃない。でも、好きこのんで血を分けた人を殺したわけではないと思う。
誰かの為に立ち上がる人が、誰かの為に手を汚すような人が。
これ以上傷付いてほしくない。
さっきも一瞬、辛そうな顔してた。
「甘いな……、お前は……。だが、ハーブルムには、そんな甘さ、無かったかもな……」
トスン……、と剣が転がる音がする。ベルンハルトの右手が、私の背中に躊躇いがちに触れた。
それから力がこもっていく。
「ただいま、ベルンハルト」
「……ああ、おかえり、ミア」
後ろでバフィール様が何か喚いているけれど、ジュードさんがシュルシュルと縄をかけていく気配がする。
……そう言えば。
「……投げナイフが当たった二人は大丈夫……よね?」
「ああ、ハリードのだろ。麻痺毒が塗ってあるから暫く動けないだろう」
なんと!そんな危険なモノを私に渡したの!?
うっかり自分に当たりでもしてたら大変な事になってたわよ。
だから袋に入れたまま渡して来たのかな?
一言くらい注意残して行きなさいよね。
「だが、お前が無事で良かった。もう二度と俺から離れるな……」
再び抱き締められる。ちょうど胸に耳があたるくらいで、ベルンハルトの鼓動が聞こえる。
身体の、腕の温もりがじんわりと私を侵食して、ようやく『ああ、帰って来たんだ』って実感した。
時間にしたらそんなに長い間離れていたわけではないけれど。
「もう、離れないよ」
私もベルンハルトを抱き締め返したのだった。
その後は宮殿内の片付けや襲撃者たちを牢屋に入れたりと忙しそうにしていた。
元々少数精鋭で回していたけれど、これを機にベルンハルトは宮殿内の人員を増やす事にしたそうだ。
ザラ様たちはじめ、侍女やメイドたちは離宮に立て篭もり難を逃れていた。
バフィール様は王位簒奪未遂というか、国王に刃を向けた罪で地下牢に入れられた。
これから屋敷も捜査して、余罪を追及していくそう。
バフィール様の娘であるザラ様は、バフィール家から離籍していたのでお咎めは無いそうだ。でもザラ様は自らハーレムを抜け、これからはザイード様と一緒に離宮でお過ごしになる。
離宮からは出られない不便な生活になるそうだ。
「ちょっと早まっただけよ」
ザラ様は笑っていたけれど、私は寂しくなるなあ、と複雑だった。
ザイード様の継承権はそのままで、私の子が産まれたら兄として接してくれる約束をした。
ハーレムを抜け、離宮でお過ごしになるとはいえ気軽に行ける距離だ。私もできる限り顔を出そう。
騎士団の人たちは後片付けに奔走した。
みんな騎士となって数年。街の小競り合いはよく鎮圧したけれど、宮殿襲撃は初めての事。
でも死者も無くみんな無事で良かった、と全て終わったあと笑い合っていた。
フラヴィア様とファルークさん、ハリードも無事だった。月影旅団はまた滞在期間を伸ばし、片付けや宮殿の補修なんかを手伝ってくれた。
演劇、歌劇、何でもできる旅団員たちと、街から呼んだ職人たちのおかげで宮殿内外で補修されていく。
ちなみに私はと言うと。
妊娠して鍛錬できなくなった分は様々な勉強にあてられた。今までだいぶ勉強してきたと思ったけれど、筆頭夫人になるならば、と追加の知識を学んでいるところ。
筆頭夫人教育のマナー研修は、だいぶお腹が出てきたので出産後にという事になった。
でも全く動かないのも身体がなまるから、時々は動かしてストレスも発散している。
時々お腹がカチカチになって、ベルンハルトや医師たちに怒られるんだけど。
こうして、ハーブルム宮殿が元通りの景観を取り戻す頃には、私も正産期を迎えていた。