愛しい人を守る為に
宮殿内をハリードに横抱きにされたまま駆けていく。今の所襲って来たりはないみたい。
でもどこから来るか分からないからハリードは警戒しながら進んで行く。
私も微力ながら危険が無いか神経を研ぎ澄ます。
長い回廊から先、玉座の間に辿り着いた。
玉座の後ろの壁に矢が数本刺さっている。
「──……っ!?」
心臓が一際大きく音を立てて鳴った。
顔が強張るのが分かる。玉座に近寄ると、赤い斑点が付いていた。
初めてここに来たとき、夫人たちと妾たちが並びベルンハルトに頭を下げていた。
私はハリードから降りて玉座に近寄る。
この玉座にベルンハルトが座って、私を膝に乗せて。私の髪で遊んだり首筋に顔を寄せていたのが遠い過去みたいに懐かしい。
その時の私はまだアランに未練があって。
会わない事が、会えない事が身を切るように辛かった。
アランから貰った唯一のイヤリングは結局ハーブルムまで持って来てしまった。それは宝石箱の奥に仕舞い込んで、最初の頃は時々思い出したように眺めていたっけ。
いつからかそれもしなくなった。
思い出す必要が無くなったから。
ベルンハルトがずっと守ってくれていた。
夜一緒に寝て、起きて、一緒にご飯を食べる日々は、私の中で当たり前になると同時に少しずつアランの事を忘れていった。
複数の夫人を持つハーレム王だけど、私を愛おしそうに抱き締めてくれる人を愛さずにはいられなかった。
唯一にはなれなくても、一番になれたら。
心の片隅で願ってしまった。
辛かった。夜、他の夫人のところに行くのは嫉妬して苦しい。
私にするみたいに、優しく口付け、囁き、強く抱き締めているって想像しただけで胸がじくじくと痛んだ。
けど、それでも、側にいたい。少しでも、触れられたいって思った。
玉座の間から床に滴っている血を辿る。
でもそれは血を流した人が止血したのか、暫く進んでから途絶えていた。
「ミア、待て。影の通信が入った」
ハリードが柱の陰に私を押しやる。
──誰かの靴音。気付かれた?
「……陛下は執務室らしい。……一人で行けるか?」
私はハリードを見上げた。先程の靴音は複数。どう見ても味方じゃなさそう。
執務室まであと少しの距離。
私はお腹を触る。ほんのわずか、膨らんできたような気がするお腹。
少しだけ、お母様に力をちょうだいね。
ハリードから短剣と投げナイフが数本入った袋を渡される。
「あいつらは俺に任せろ。屋敷の奴らもこっちに向かってるらしいからそのうち制圧できんだろ。自分の身は自分で守れ。無理はするなよ」
「分かった。……ありが…むぐっ」
お礼を言おうとしたらハリードから口を手で覆われた。
「礼は帰ってから聞く」
イタズラっぽく笑ったハリードを見ると、なんか安心した。
「じゃあ、俺が行ったら走れ。コケるなよ」
「気を付ける」
「よし。……行くぞ」
シュンって音がして、気付けばこちらに気付いた男たちがバタバタと倒れていくのを横目に私は執務室へ駆け出した。
会いたい。
ベルンハルトに。
今すぐ、あなたに。
途中、足が縺れそうになったからハリードから貰った短剣でドレスの裾を破り捨てた。短剣は胸に抱え、執務室を目指す。
扉の前を一つ、また一つ通り過ぎる。
後ろでハリードが戦っている音が遠ざかっていく。
止まっちゃだめ。振り返るな。
気付けば目尻が濡れていた。
(フラヴィア様……、ファルークさん、ハリード)
みんな、戦っている。
ザラ様とザイード様、ミリアナ姉様は無事かな。
会いたい。
みんなに、会いたい。
無事に終わらせて、みんなでまた、お茶会をしたいな。
みんなでお菓子を持ち寄ったりして。
学園時代、男とばかりいたからそういうコトした事無かった。
他愛もない話に花を咲かせて、みんなと仲良くなれたら……。
……無理かな。
そんな事を考えてたら執務室の前に着いた。
扉が開きっぱなしで、一瞬ドキリとした。
ごくりと唾を飲み込み、息を整える。
ハリードが奮戦しているおかげか、後ろから追手が来る事は無いのはホッとした。
出入り口から様子を伺う。
誰かの話し声がする。
「陛下、簒奪した王位を簒奪される気分はいかがですかな」
「愉快だが狸に取られんのはいい気分じゃねえな」
息が上がったベルンハルトの声。と、もう一人。
低く、それでいて不快な声。年の頃はお父様の上くらい。
「少数精鋭結構、おかげで寄せ集め部隊でもここまで来れましたわ」
「烏合の衆も大したもんだな。俺が解雇した騎士団の顔もあったような気がしたが」
「古き良き時代が良かった面々もいるのですよ。ワタシもその一人ですが」
あれがザラ様のお父様……バフィール様?
ちょっと小太りで偉そうな感じ。ベルンハルトが狸とか言うのも分かる気がする。
じり、と部屋の中を伺う。
バフィール様の後ろには護衛が二人、前に一人、剣をベルンハルトに向けている。
一方のベルンハルトは執務机を背にして左肩から血を流していて、それを布で止血していた。白いシャツの袖は血で染まっている。
玉座の血はベルンハルトのものだった。
部屋の隅にジュードさんが倒れている。目を凝らして見ると、肩が上下してはいるから気を失っているだけかな……。生きてるならそれでいい。
私は手持ちの武器を確認した。
ハリードから貰った短剣、それから投げナイフ数本。
何とかバフィール様側に隙を作りたい。
私は執務室の上の方にある照明に目を付けた。
投げナイフを一本、手に取る。
あそこまで届くかな……。
届かなくても、背後からいきなりナイフが飛んで来たら……ベルンハルトに背を向けるよね。
そしたら私に……。
こわいな。
足が震える。
でも。
『夫を助けるのは妻の役目。ミア夫人、覚えておいて。
あなたがいずれ筆頭夫人になるならば、夫の背中を守る為にも鍛錬は欠かしてはダメよ』
先程のフラヴィア様の言葉を思い出して自分を叱咤する。
震える足を前に出す。もたもたしてたらハリードの討ちもらしが来るかもしれない。
そっと、お腹に手を当てる。
(あなたのお父様を守る為に力を貸してね)
よし。
念の為周りを見る。
大丈夫、行ける。
「さあ、観念してくださいね」
バフィール様が合図をすると、その前にいた護衛が剣を振りかざした。
観念するのは
あなたの方よ……!!
私は思いっきり、照明に向かって投げナイフを投げた。
届いて!!!!