あなたのもとに帰る
「どうしてここに……」
かさり、と音を立ててフラヴィア様が私に近付いてくる。
フラヴィア様の隣にはファルークさん。
二人の後ろには城の中でちらほら見た月影旅団の団員たちが黒装束に身を包んでいる。
「傍系筆頭が大事そうにしている女の子をどうするかって見てたら、傍系所有の屋敷に連れて行くじゃない。だから私はそれを……
あちらの方々に教えて差し上げましたの」
ふふふ、と口に手を当て、フラヴィア様はいつものように微笑んだ。
あちらの方々、と目線で促した先には先程屋敷になだれ込んできた男たち。
ハリードは咄嗟に私を後ろ手にやり、身構えた。
「あんたは何でここにいる」
「そちらの第四夫人を迎えに来たの」
私を?フラヴィア様が?なぜ?
困惑気味にフラヴィア様を見つめると、にこりと微笑まれた。
「依頼主からの命令ですわ。手荒な真似はしたくないの。という訳でミア様、私と一緒に来てくださるかしら?」
……なぜ。
フラヴィア様の意図が掴めない。
私とはたいして交流があったわけではない。
話したのも先日朝食の前に少しくらいしか覚えない。
いつもザラ様の後ろに控えた微笑みを絶やさない夫人。
ベルンハルトが自ら召し上げた女性。それくらいの知識しかない。だから今、目の前のフラヴィア様の態度が、敵なのか味方なのか分からないから迂闊に出れない。
「嫌だと言ったら……?」
「手荒な真似はしたくないのですが……。お子の為にも賢明な判断なさって下さいませ」
フラヴィア様がじり、と動くたび、後ろの人たちが警戒心を強める。
私の方はハリードだけ。他の影の人たちは屋敷内で応戦中。
私はハリードを手で制して前に出た。
「……っ、お前…」
「フラヴィア様に着いていきます。その代わり屋敷内で応戦中のバフィール家の手の者達の相手をお願いします」
怖じ気付いてはだめ。
足も震えるけれどしっかりしろ、と自分の中で鼓舞する。
お腹の子を思い出して、私は母になったんだ、と奮い立たせる。
「それでこそね。あなたたち、聞いたわね。
しっかり後始末、つけてくるのよ」
「はっ!」
フラヴィア様の後ろにいた人たちは瞬時に屋敷の中へ入って行く。
「あなたはどうするの?」
フラヴィア様に尋ねられたハリードは、彼女を睨み返す。
「お前がどっち側か分かんねえからミアに着いていく」
「そう。好きにして。ファルーク、行くわよ」
二人で頷きあい、ファルークさんが私に「失礼」と言って横抱きにした。
「ちょっ!?」
「暴れなさんなって。走るわけにもいかねえだろ?ちょっとだけ我慢してくれな」
仮にも私は王国の陛下の第四夫人ですがー!?
と、叫びたい気持ちをぐっと堪える。
ハリードは苦々しそうに見ているけれど、たぶんこの人たちはヒュンって走って行くタイプなんだろう。
いくら日々鍛錬を積み重ね、武器の扱いに慣れてきたとはいえ所詮短刀使い。
基礎体力なんてそんなに無い私は、例え妊娠してなくても走ってそう経たないうちに息切れするのが目に見えている。
そしてスピードに着いていく自信は微塵も無い。
暴れて足手まといになるくらいなら我慢して抱えられる。
……あとでベルンハルトにめいっぱい甘えよう。
そうだ。
今は無事に帰ってベルンハルトに会いに行かなきゃ。
そこで、はた、と気付く。
「あの、私たちはどこへ行くんでしょうか?」
フラヴィア様たちに着いて行く、とは決めたけれど、『どこに』とは聞いていない。
つまり『ベルンハルトの所に』行くとは限らない。その可能性を見落としていた。
フラヴィア様とファルークさんは目を合わせ頷き、フラヴィア様を先頭にしてヒュン、と駆け出した。
後ろからハリードもぴったり後を着けてくる。
「着いてからのお楽しみ、っと。第四夫人、しっかり捕まっといてくれよ。下手に動いたら怪我するから……なっ!」
横からビシュッと矢が飛んできた。それをファルークさんは余裕で躱した。
その後もどこからともなく矢の雨が降ってくる。
フラヴィア様は先陣切って細身の剣で矢を落としていく。
ファルークさんは私を抱えたまま走りながら愉快そうに矢をかわす。
後ろから着いてきているハリードも、時々ナイフを投げながら矢を落としている。
な、何なのこの人たち……。
人智を超えた存在なの?
私は普通の人間だけど、故郷の海を超えた先の国がこんな、人離れした連中なんて聞いてないわよ!!
私は普通の人間。私は普通の人間。うん、普通っていいな。
目の前の切羽詰まった状況に耐えきれず、私は思考を停止させた。それでも気を失わないようにしっかり保つ。
寝た人を運ぶのは体重がかかって重たく感じるからファルークさんに負担かけさせるわけにはいかないと思ったからだ。
ささやかな私の矜持だ。
チラリとファルークさんを見てみる。
「俺も暴れてぇなぁ!」
目をギラギラさせて矢を避けていく。
私はそれを見なかったかのように、サッと目線を反らした。
「着いた先で存分に暴れたらいいわ。どうやら……歓迎されてるみたいよ」
息一つ切れていないフラヴィア様が言うと、その先は森の出口のようで光が見えた。
何か明るい!
ホッと安心した先に見えたのは、いつもの宮殿。
けれどそこは怒号と剣戟が飛び交う場所となっていた。
建物の出入り口まで争いの場と化している。
「元々少数精鋭だが、騎士団はいるんだな」
「そりゃそうよ。とはいえ前王時代の騎士たちは腐敗してたから一新されて、今の彼らは古い人でも約四年てとこかしら」
前王──ベルンハルトの父や兄たちが圧政を敷いていた時代。上が上なら下も腐る。
そりゃそうよね、悪虐の限りを尽くす主に仕えるなんて、バカらしいよね。
けど今見ている彼らは一生懸命戦っている。
ベルンハルトを主として。
「じゃっ、俺らも加勢に行きますかね」
ファルークさんがニヤリと笑った。
「どちらに?」
ハリードがすかさず睨む。するとフラヴィア様がいつものように微笑んだ。
「夫を助けるのは妻の役目。ミア夫人、覚えておいて。
あなたがいずれ筆頭夫人になるならば、夫の背中を守る為にも鍛錬は欠かしてはダメよ。
そして内政も、外交も、陛下と同じ目線を持つ人になってね」
にこりと笑い、ファルークさんに目で合図をすると、ファルークさんは私を下ろした。
「ここからはお前さんが陛下のもとへ無事に送り届けてくれ。お前さんが夫人を拐って行ったんだからな」
そう言ってファルークさんはハリードの肩をバシッと叩いた。
「よっし、暴れてくっかねー。城にいた時から身体が鈍っていけねぇ」
肩をならしてファルークさんは愉しそうに笑う。
「あ、ありがとう、二人とも。気を付けて……」
「無事に終わったらみんなでお茶でもしましょうね」
「待ってますから!フラヴィア様もご無事で……」
そうして二人は宮殿へと走って行った。
「俺らも行くぞ」
今度はハリードから横抱きにされる。
うん、なんか非常事態だし、慣れた。
「……意識もされてねぇもんな……」
「えっ?」
何かを呟いたハリードを見上げると、一瞬だけ瞳が揺れた気がした。けれど、すぐさま表情を正し、ハリードは駆け出した。
私を抱えたままヒュンヒュン飛んであっという間に城壁の上に立つ。
それから屋根伝いに走り抜ける。幸い敵さんには気付かれてないようだ。
待っててベルンハルト。
今、あなたのもとに帰るからね。