筆頭夫人になる為には
自分の幸せの為に、誰かを犠牲にしていいとは思わない。
それは私が学園に通っていた時に痛いくらいに身に沁みた事。
それならば、自分の幸せを守る為に力を持とうと思う。
異国から来た私はハーブルムでの後ろ盾がそもそも無かった。
祖国イーディスの王太子殿下から祝福された結婚だったとはいえ、私を蔑ろにしてもさほど影響は無いだろう。
けれど幸運にも第三夫人のミリアナ姉様と仲良くなって、ミリアナ姉様と本当の義理姉妹になった。
新婚旅行で行った先で、ヴェーダ王妃のメイラも力になると言ってくれた。
……ベルンハルトも、私を愛してくれている。
筆頭夫人になる為の条件を思い出す。
一つ、夫人の後ろ盾の確保。
一つ、議会の承認。
一つ、傍系王家筆頭の承認。
一つ、王家筆頭……つまりベルンハルトの承認。
前者二つはセットだから大丈夫だろう。
ミリアナ姉様の家の権力が大きくなるのを懸念されたらメイラに頼んでみよう。
後者二つ。
傍系王家がハリードやジュードさんというのは分かるけど、筆頭さんに会えないか聞かなきゃいけない。
あと、ベルンハルトにも話さないといけない。
筆頭夫人になるのはどういう事か、いまいちよく分かってないけれど、イーディスの国王の妻──つまり王妃、正妃と考えるならば今までみたいにのほほんと暮らす事はできないかもしれない。
鍛錬したり、勉強したり、お茶を嗜んだり。
もしかしたら、今まで以上に狙われるかもしれない。ザラ様はもうしないと仰っていたけれど、ザラ様のお父様やその他の家。
ベルンハルトに差し出したい娘がいる家があれば、私を狙う可能性だってある。
そのときに鍛錬した事は役に立つだろう。
勉強した事もきっと。
ハーブルム原語も、ザラ様に対抗する意味で特訓した周辺国の言葉も、今までやって来た事は無駄ではないはず。
毒耐性をつけたのも、誰かを犠牲にしたくないからだ。
もう自分のせいで誰かが泣いたり苦しんだりするのを見たくない。
特訓の成果は上場で、今はハリード無しでも問題無い。
今まで毒盛ってたザラ様は最近おとなしい。
自分が幸せを感じるようになると、ふと、思い出す。
──イーディスのあの子は元気だろうか。
もうすぐ学園を卒業して、アランのお兄さんと結婚するのかしら。
きっとあの子ならいい貴族夫人になるだろう。
侯爵家夫人として、しっかり勉強して。
社交をこなし、夫を支え、愛し合う夫婦になる。
私みたいに命の危険も無く夫と共に領地を治め、その生活に見合った装いをし、己を磨く。
貴族としての務めを果たし、その分領民に尽くす。
アランが結婚相手ならこの子、と決めていた、あの子──リア・ハリソン伯爵令嬢。
私はリア嬢になりたかった。
アランに愛され、ディーンに想われ、アランのお兄さんに包まれる。
優しく、慈しまれ、慕われる。
あの子の周りはいつだって人に溢れていた。
友人に囲まれ、幸せそうに微笑んで。
一瞬でもその顔を歪めてやりたいとも思った事もある。
私に向けられないアランの想いを一心に集めて妬ましいと思った事もある。
でも、それはリア嬢が悪いわけじゃない。
何も悪い事をしていないのに、私は傷付けた側になってしまった。
実際にやった所で苦い思いしか残らなかった。
私が過去にやった事は許されない。
深く傷付け、沢山泣かせてしまった。
バカな事をしたと思う。
だから、私は一度は自分の幸せを諦めた。
けれど。
ベルンハルトに出逢った。
ハーブルムに行く事にしたのはアランを忘れられず、自棄にもなっていたと思う。
でも、ふとした時に見せる優しさや寂しげな顔にどうしても惹かれた。
既に妻が三人いて、子どももいて──後にベルンハルトと直接血の繋がりは無いと知ったけど──妾さんもいて。
浮気じゃないけど、愛されもしない。
そう、思っていた。
結婚はしていいよ、でも相手は複数妻がいる男だ、と差し出された手を取った。それが自分に対する罰なのだと。
ハーブルムに来てからは大変だった。
初夜に毒を盛られ、命の危険もあった。
簡単には幸せにしてくれない、そんな運命を呪った。でも自業自得だと受け入れた。
見方を変えたら悪いところじゃ無くなった。
ミリアナ姉様は優しいしご飯の味付けにも慣れたら美味しいし。
いつの間にかベルンハルトを好きになって。
いつの間にかベルンハルトから愛されて。
こんなに幸せで良いのかな。
私が、幸せになって、良いのかな。
幸せを、諦めなくて良いのかな。
ずっと、自問自答を繰り返して。
私はお腹に手をあてる。
先日分かった、ここにいる生命を感じる。
守りたいと思った。
この子を、夫人たちからたいして愛されていなかったベルンハルトを。
私が愛そう。
大切にしよう、守ろうって。
そう思った私は初めて権力を欲した。
〝筆頭夫人になる〟
そう決意した私は、まずミリアナ姉様に話した。
すごく喜んでくれた。
「後ろ盾はうちの実家に任せて!」
大きなお胸をたゆんと揺らして叩いた。
後ろ盾が得られれば議会の承認も得られる。
その夜、ベルンハルトに話した。
「いいのか?ただの夫人の間は飾りで良いが、筆頭夫人になったら俺と共に視察も行くし、内政も関わる事になる。
俺と同じ目線で考え、行動する事を求められる。それでもいいのか?」
正直驚いた。ハーブルムの独特なシステムに甘えていたわけではないけれど、イーディスみたいに王妃になって国王と共に国を治める事になるとは予想外だった。
でも、怖じ気付くわけにはいかない。
「ハーブルムに来て、ずっと勉強はしてきた。正直まだまだ勉強不足な部分はあると思う。
これからも頑張るよ。
一応ね、言葉も、ハーブルム原語だけじゃなくて周辺国の言葉も勉強してるの。
ミリアナ姉様からの提案なんだけど、役に立つかな?」
「……ああ、筆頭になれば外交も重要になる。周辺国の言葉は覚えていて損は無い。
……ミア、ありがとう。俺はお前を筆頭に推す。但し、無理はするな。今は大事な時期だ」
「うん、体調管理しながら頑張るよ」
それから悪阻と戦いながら、今まで以上に学んだ。
そして、やがて悪阻がおさまる頃。
私は庭を散歩していた。
月影旅団の人達は滞在期間を少し延ばしたらしい。
ファルークさんとフラヴィア様は親密、って感じでもなく、あくまで現夫人と旅団員で元同僚の位置を保っている。
あの朝の出来事は夢だったのかな、と思うくらい何事も無く平和な日が過ぎて行った。
けれど。
ある日、勉強の合間の休憩時間。
侍女が入れてくれたお茶を飲んだらすごい眠気が襲ってきた。
座ってられなくて、ソファに横になった瞬間意識が落ちた。
気付けば見知らぬ天井が見える。
起き上がると自分のでは無いベッドで寝かされていた。
何事!?と思って辺りを見回しても、質素な家具が置いてあるだけで何もない。
混乱しつつも冷静に思考を巡らせる。
窓から景色を眺めた。
一面の森だった。
どこかの森の中にある建物。二階建て。
多分、拐われて来たんだろう。お茶に眠剤でも入ってたのかな。
思わずお腹に手を当てた。まだたいして目立たない。赤ちゃんに影響がありませんように。私は祈った。
ここから出なきゃ。
そう思って振り返る。
出入り口の扉がカチャリと音がした。
ドキリとして身構える。
入って来たのは見知らぬ男──ではなかった。
その姿を見た時、混乱した。
どうして。
それが頭をぐるぐるしてる。
あなたは味方じゃないの?
私を応援してくれてたんじゃないの?
「起きたのか」
その男は食べ物の載ったトレイを持って、部屋の中に入って来た。
どうしてそんな普通なの?
「腹減ってるだろ。毒は入ってねぇから食えよ」
ますます混乱した。
黒ずくめの男──ハリードは、私を無表情に見ていた。