綿包 縫入人の3限目
※初投稿です。
○プロローグ
5月の中旬。
快晴。
その日その時、僕ーー網小路 響矢は喜んでいた。
いや、喜んでいたと言いきれるほどではないかな。めちゃめちゃ嬉しい、というわけではないけれど。どうでもいいレベルよりは少し上の。
とどのつまり、そんな曖昧な基準の、その程度のことには違いないけれど。
だけれども、いつものテラス席で優雅に紅茶を飲んでいるーー仕草をしている熊のぬいぐるみと、それを片手で抱きしめながらもう片方の手で器用に学食を食べている青年を前方に見つけたので。とりあえず、彼にも共有しようかと思う。
ちょっと足を踏み出すのも躊躇われるような光景ではあるけれど、嬉しい嬉しくないに関わらず彼にも必要な情報だろうから。
彼も僕を見つけたようでぬいぐるみの手を振ってくれた。それを確認し、少し早足で近づくと彼に向けてこう言った。
「おはよう綿包くん。3限目の講義、休講らしいよ」
○3限目の講義
ーー綿包 縫入人
さらっとした黒髪黒目で童顔、黒を基調とした飾り気のないコーデ。オシャレに着こなしてはいるものの、大学デビューの気配は無し。
身長は、僕の身長の高さを考慮しても少し低め。
運動は……あまり得意そうじゃない。太ってるわけではないけど、強風を当てたら少しよろけてしまいそうな、そんな感じ。
あと、行動の1つ1つが可愛い。あざと可愛い男子大学生であるのだ。その容姿と相まって、いわゆる男の娘と噂されているほどである。
そんな彼を見ていると、どこか安心する。
何というか、仲間意識というかそのようなものを勝手に感じてしまう。
勿論、自分には無いものを持っているところは純粋に羨ましいけれど。以前それを彼に伝えたら、
「いや、陽キャオーラとか筋肉とか、あとその無駄に高い身長とか。儂からしたら、響矢のほうが羨ましい限りなんですけど。え、何、嫌味?」
……とにこやかに返された。しかも、ぬいぐるみの身振り付きで。ビシッと前に突き出されたぬいぐるみの腕(前脚?)を、未だに覚えている。
そう、彼は常にぬいぐるみを常備している。かなり注目を浴びていても止める気はないみたい。ちなみに、その日によって種類は異なる。
あの時は確か、某人気モンスターのぬいぐるみだったかーー
「えっと、とりあえず響矢さんが椅子アレルギーじゃなかったら、座らないかい? 190cmを座りながら見上げるの、普通にしんどいから。あと、この子をあまりじろじろと見ないでもらえます? 人見知りっていう設定にしてるから」
あ、設定って言っちゃうんだ。とは言わずに、軽く謝って彼の向かい側に座った。
なお、ぬいぐるみを抱き抱えている点についてはもはや何も言うまい、という感じかな。まるで創作物の中に出てきそうな、いかにも裁縫好きと言わんばかりの名前でもあるし。
「ミーシャと儂を見ていることから、何となく何考えてるか察しはつくけどさー、めんどいからそれはスルーするね。んで、3限目が休講なんだって?」
「あ、うん、そうなんだ。さっき学生課の人が掲示板に休講情報を貼ってたよ」
「3限目というと、上里さんのやつかな。何の授業だったっけ?」
「小説学概論だよ。ほら、前に起承転結がどうとか言っていた」
あれか、と背もたれに深く持たれかかる彼の目は何か物言いたげであった。
「あれ、綿包くんって、あの授業嫌いだったっけ?」
「んー? ああいや、小説学概論って内容は面白いけど、眠いんだよねー。あのおじさん淡々と喋るから。自己紹介の時に礼儀礼節を大事にしてるとかなんだか言ってたけど、それならもっと授業を工夫しろと言いたいねぇ」
なかなかに辛辣な意見ではあるけれど、言葉に合わせてぬいぐるみの手を動かしているのを見ると、とりあえず可愛いとしか感想が出なかった。勿論ミーシャではなく、彼が、である。
「同じ概論でもさー、儂的には物語概論のほうが好きだしね。あとは、社会学や英語、哲学概論とかもまあまあ。1年生で受けられる授業って、何気に充実してていいよね」
「うん、結構豊富だよね。文学部って文学系の講義しかしないと思ってたよ」
入学してはや1ヶ月半。
一般教養関連の授業の多さに最初は驚いたけど、今では少し慣れた。目の前の彼なんて1限、2限を取らずに午後から来ているなかなかの強者である。目の下の隈から何となく理由は想像つくけどね。
「ま、それはそれとして。休講ってことは、先生が休みなわけだ。小説学概論を受けられないことは、誠に残念だけれども。残念が一周回って嬉しくなるぐらいだけれども。ちなみに何で休みな感じ?」
「えっと確か、一身上の都合って書いてあった気がする。昨日も用事で別の講義を休んでいたみたいだね」
僕が特に何も考えずにそう言うと、彼はぬいぐるみの腕をぬいぐるみの顎に。そしてぬいぐるみの首を少し傾けてみせた。いかにも「ほほぅ?」などと言い出しそうではあったけど。
しかし。というよりは当然。
口を開いたのは彼だった。
「それは、少しおかしいかもねー」
勿論、彼と彼の仕草のほうがおかしいと言う人はこの場にはいない。
○一身上の都合
「おかしい、のかな?」
とりあえず出た言葉はそれだった。
彼の顔を見てると、顎元に人差し指を当てており体が左右に揺れていた。可愛い。
「うん、おかしいって思った。まあ、確固たる理論があって言ってるわけではないけどね。ただまあ、少し引っかかっただけ」
なるほど、まあそれはさておきーーとはならない。
まだ1ヶ月半の付き合いではあるけど、彼の言う「おかしい」はあまり軽視できない理由がある。
本格ミステリー、というわけではないけれど。だがそれ風に言うと、「自転車事件」や「鍵紛失事件」など、彼にはそれらを解決してきた実績があるのだ。もっとも、いずれも些細なものであり事件と呼ぶのも変だけどね。
そのようなことを考えていたのがバレたのか、彼は椅子に深く座りなおすとやれやれという感じで頷いた。
「ああ、うん。儂の自惚れでないのであれば、ご希望通り話させてもらうねー。儂が君のキラキラした目を、指で突いてしまわないうちにね」
えいや、と腕をこちらに突き出しているぬいぐるみに癒されつつ、さながら探偵に教えを請う刑事のように僕は彼に向き直った。
「えっと、教えてくれる? どこがおかしかったか。一身上の都合、という部分に引っかかったみたいだけど」
「その前に。質問を質問で返すのも悪いけど、何で上里さんは休んだと思う? 一身上の都合とやらはどんなものだと思う?」
彼はそう言うと前かがみになり、目線だけこちらにやるとテーブルの上で指を組み始めた。
どうやら試験が始まったらしい。
「ええとそうだね。例えば、何か用事があって実家に帰省しているとかかな。昨日も3年生向けの講義を休んだみたいだし。出身はどこかわからないけど、昨日と今日でそこに行ったんだと思うよ。少なくともここ、大阪ではなさそうだね」
はたして、彼の組んだ指の動きが激しくなった。
どうやら試験は不合格だったみたいだ。
「なるほどなるほど。んーそうだね、その可能性も勿論あるね。ただ、昨日と今日の用事とやらは別物だと考えたほうが良い」
「どうして?」
「だって、今日の分の休講届けは今日貼り出されたんだから。昨日と今日の用事が一緒なら、休講届は数日前に同時に貼り出されるんじゃないかね。礼儀礼節を重んじるあのお爺ちゃん先生が、休講情報を数日前に伝えないわけがないよ」
なるほど、と思った。
つまり、休講届けを提出するのに今日でなければならない理由があったということだ。
「じゃあ風邪かな? 昨日は用事で休んだけど、今日になってその疲れとかの影響が出たのかもしれない」
そう言って、彼の反応を見る。
すると今度はぬいぐるみが顔を横に振ってみせた。
「いやいや、だったら体調不良って書くと思われ。わざわざぼかす理由がないねー」
その通りである、としか言いようがなかった。
体調不良であるなら、体調不良と書けば良い。
「急に休む理由ができた、というのは一番説得力はあるけども。はたしてそれは何だろう、という感じかね。ささ、回答権はあと5回だけど他に何か思いつくかい?」
あと5回しか回答できないとは初耳ではあるけれど。
しかし、彼の瞼が次第に閉じかけているところを見ると、5回も待ってもらえるかは微妙かな。
……というか、まだ彼のお昼ご飯残っているんだけどな。食べ終わってから眠くなって欲しいと思うけど、それはさておき。
ここで自分に置き換えて考えてみる。
急にできる用事とは何か。
家を出る前? もしくは出た後?
なけなしの脳を必死に働かせたその時、実際に先日僕に起きたことを思い出した。
「ああ、そういえば先日僕も経験したけど、電車の遅延かな? 例えば人身事故か何かが起こって、動くに動けなかった、というような」
「あー、電車の遅延ね。まあ、なくもないよね。うん、なくもない。ただそれだったら、休講よりも開始時間を遅らせるほうが現実的かなー。わざわざ別日になんて、よっぽどの時間遅れじゃないと」
「でも、もしかしたらそれぐらい遅れたのかもしれないよ。大学最寄り駅から1、2駅ぐらいならそんなに遅れないかもしれないけど、それよりも遠かったら」
「いやいや、その可能性は少ないっすよ。休講情報が貼られたのは昼休みになってからだよね? だったら、あの遅刻を嫌うような先生なら、その時点で大学最寄り駅かその周辺駅に着いている可能性のほうが、まだ考えられるぐらいには高いかな」
それに、と続ける彼の瞼は上がっていた。
「そもそも、先生のランチタイム云々を考えると、生徒達で混むのも考慮して今より1時間は前に着いていてもおかしくはないっすね」
なるほど。
確かに、言われてみたらその通りである。
回答1つで彼の目を覚ましたのなら、答えたかいもあるかもしれないが、少し考えが足りなかったのかもしれない。
呆れて目を覚ましたのかもしれないが。
「いや、回答の良し悪しは関係ないから安心していいよー。たまにネガティブ思考になるの、お兄さんとしては心配になるね」
見ると、ぬいぐるみが大丈夫? と聞くような態勢を取っていた。
「まあ、電車が関係あるかないかは断言しない、というかできないんだけど。もし関係あったとしても、大学最寄り駅近辺でのことだろうねー」
そうなると、いよいよよくわからなくなってくる。
そういえば、僕はまだお昼ご飯を食べていなかった。というか買ってもなかった。空腹時には脳が活性化すると聞いたけど、あまり自分には当てはまらないのかもしれない。
なお、彼のほうを見やると既に食器は空だった。
いつの間に食べたんだろう……
「まあ、引き延ばして申し訳なかったね。儂が『一身上の都合』をおかしいと思った理由について、そろそろ話そっか。昼休みも有限だからね」
ようやく探偵から答えをもらえるらしい。
腕時計すらも焦りだす時間であるため、なるべく手短に聞きたいものである。
……いや、3限目が休みならその時間で昼食をとれば良い話か。
「ま、なんというか、そのまんまかよと思うかもしれないけどさ。そもそも『一身上の都合』という表現がおかしいんだよね。だって昨日は『用事』で休んだんだからさ。明らかに深刻さのレベルが跳ね上がっているんだよねー」
○答え合わせ
言われてみれば確かに、という感じだ。
昨日は『用事』で休んだ、と認識していたのは、掲示板に『用事』と書かれていたためである。『一身上の都合』となると昨日までの『用事』とは別種で、しかも重要なもの……
「さっきも言ったけど、急に起こった出来事で、しかも発生時刻は昼休み前。ただの用事じゃない都合……さてさて、色んな可能性があるとはいえ、それら全てを知っているわけでもないからね。だから僕達のレベルで考えつく可能性を探ってみるのだが。そうさね、犯罪とかはどうだい?」
「犯罪!?」
思わず声をあげてしまった。
でも、そうか。
確かに当てはまるものと言えばそれぐらいかな。
なお、僕の声にあわせてぬいぐるみが驚いていて、話の内容に似合わずほっこりしていたのは内緒だ。
「犯罪と聞くと穏やかではないけど、確かに今までの話を踏まえるとそうなるのかな。でも犯罪か……それこそ上里先生が何かしたとは性格上考えにくいから、巻き込まれたのかもしれないね」
「そうだねー。あの人が強盗とかしてる図が思い浮かばんわ。ただまあ、免罪という説もあるがそれについてはどう思うのだい?」
そう聞かれて僕は、再び考える。
確かに、外を歩いていれば免罪に巻き込まれる可能性はあるかもしれない。でも、そういう場は限られていて……
ああ、と僕は思った。
もし電車に乗っていたのなら、辻褄が合うのかもしれない。
急な出来事。
用事ではない何か。
おそらく答えに辿り着いた僕は、確かめるように口を開いた。
「もしかして、痴漢の免罪、かな。それだったら急な欠席もわかるし、一身上の都合という表現でぼかしたのもわかる気がする」
さて、彼の反応はーー
「あ、ごめん、やりきったみたいな表情だけどさ、たぶん違うと思われるよ? いや、その説もあり得ないことではないんよ、一応。でも、それはたぶんないかなー、なんて…………何かごめん」
僕はまともに彼を見ることができなかった。
まぁまぁチョコレートあげるから元気だして? とぬいぐるみが渡してきたが受け取らず、ただ消え入りそうな声で、「どうしてかな」と言うのが精一杯だった。
「えとねー、もし痴漢騒動があったら、すぐ広まると思うのだよ。痴漢騒動、それも当事者が教師ともなると、我が大学内のSNS病患者共にとっては極上の餌になると思うね。しかしながら、SNS上でそのような賑わいは無いと聞いているし、そのような話をしている学生もいない。ということで、たぶん違うと思ったわけでございます」
彼の説明を聞いている間も、聞き終わった後も。
反論は特に思い浮かばなかった。
ただ、彼は僕と同じくSNSはやっていなかったはずだけど、どこから情報を仕入れてきたのだろうか……
「じゃあ、どんな免罪なのかな。他に思いつかないけど」
「さあ、儂もそこまではわかんないかなー。というか、免罪云々もそうだけど、そもそもこの話全てが間違ってる可能性もあるからね」
「そうなの?」
確かに極端な例は多かったかもしれないけど、特に指摘するところもなかった気がするような……
「いや、そもそも前提として。情報の伝達におけるヒューマンエラーの可能性もあるわけじゃないっすか。3人も関わってる以上、どこかで起こっていてもおかしくはないよね」
ヒューマンエラー。つまり、何かしらの人為的なミスがあったということらしい。教授以外に2人もいたんだ。
「3人のうち教授は勿論だけど、休講情報を儂に伝えてくれた他ならぬ君と、そもそも休講情報を公開した学生課の人。誰かがどこかを間違えていても、特におかしくはないよねー」
頷くような仕草のぬいぐるみを見つつ、確かにと思った。僕が見間違えたのかもしれないし、学生課の人が内容を間違えたのかもしれない。
教授が休んだ理由を考えすぎていて、そちらのほうには考えが及ばなかったな。
「確かにその可能性もあるね。でも綿包くん、色々と可能性を論理だてて考えていたのに、結論がそれだと少し雑なような気がするかな……」
「そうかい? あーまあ、そうなるのかな。でも実際論理なんて机上の空論でしかないし、それこそ事実は小説よりも奇なりとも言うし。というか見てみ? もう昼休みが終わってしまうよ。早く移動しないとね」
そう言って、食器とぬいぐるみを両手に持った綿包くんが立ち上がる。
「えっ、3限めは休講なんじゃ」
「さあ。儂の考えが間違ってるかもしれないけど、念の為ね。まあ、儂の予想としてはーーっと、ほれさっさと行くよ」
彼とぬいぐるみに急かされ、訝しみながらも僕は彼のあとを追うのだった。
そして5分後。
はたして、僕と綿包くんは講義を受けていた。
小説学概論の講義を。
「……なんで?」
「んー、やはりというか学生課のミスだよねー。たぶん、名前を書き間違えたんだろうね」
「名前を?」
「そうそう。名前というか講義名。ほら君も取ってるじゃん、物語概論とか哲学概論とか。しかも概論系は1年生でも受講可能だから、まあ認識混ざるよねー。うん? 今更間違えないって? まあ普通はそうだろうけど、今は春だし、新しく配属された人だったら間違えても無理はないよ」
素直に納得はできなかったけど、実際に今僕達が講義を受けている状況が、彼の考えが正しいと認めざるを得なくしていた。
がらんどうの教室に首を傾げながらも懸命に説明をしている先生を見やり、僕は机に突っ伏した。
そして、純粋に空腹を感じていた。
「はは、まあご愁傷さまではあるけどさー。でも小説的な体験はできたじゃないすか。いや、4コマ漫画のほうが近いかな。起承転結の結としての代償は、君のランチだったわけだね」
特に上手くないしオチにはならないと思いつつ、ぬいぐるみが差し出してくれたチョコレートをありがたく受け取るのだった。
完
はじめまして。
公羽と申します。
拙書ではありますが、最後までお読みいただきありがとうございました。
もし誤字脱字等がございましたら、
お手数ではありますがご報告いただければ幸甚です。
……というわけで、寝ます。おやすみなさいませ(*´ω`*)
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