異世界転生
第2話
――ル。...アル。ほらご飯よ。口を開けて。
包み込むような優しい声が耳をなぞる。
それが自分に向けられた言葉だと直感で理解し、口を開ける。
口当たりの滑らかな雑味の少ないそれは、おそらく粥の類であろう。
染みわたる味覚を感じながら目を開ける。
...眩しい。
太陽光で白に染められた世界が、段々と輪郭を取り戻していく。
そこには女神がいた。
いや、正確には絹のように柔らかなブロンドの髪が腰のあたりまで真っすぐと伸び、それがきめ細やかな白く健康的な肌のキャンパスによく映えている、絶世の美女が佇んでいた。
深い翡翠色の瞳は、太陽の光を浴びてエメラルドのように輝く。
聖母のように朗らかな表情の中にも凛とした騎士のような雰囲気を匂わせ、豊満な双丘が一層魅力を引き立てる。
中でもピョコピョコと動く横長の耳がなんとも愛らしく魅力的で...。
ん...?耳?
実在しないはずのそれを、俺は薄い板越しに幾度となく見てきた。
エルフだ。
慌てて周りを見渡す。
木のぬくもりを感じる、真新しい家の中。
木製の柵に囲まれている。
下に柔らかいタオルが敷かれ、仰向けに寝そべっている。
どうやらベッドに寝かされているようだ。
右手に見える鏡には、さっきの女神と鏡を見つめる幼児の姿。
どうやら件の神の言葉は眉唾ではなかったらしい。
無宗教の俺も、ついに神の存在を認める時が来たようだ。
幼児は、母親に似て愛らし...
獲物を狙う狼のような鋭い眼光をしている。
静かに燃えるような深い真紅の髪に、人間大の耳と鋭い牙。
真ん中から少し右くらいのおでこに黄金色の小さな角がチャーミングな...
ぶっ飛ばさなきゃならん奴が一人増えた。
―――それから4年が過ぎた。
いくつになっても...というか今は5歳の体だが、知識を得るのは良いものだ。
家に2冊だけあった本や母の話から、この世界について多くを学んだ。
深い森の中に佇むここは、第3区「バーミリオン」と呼ばれるエルフの集落だ。
エルフの国は、首都「ヴィルム」を中心に9つの地区がそれを囲むように存在している。
エルフと言えばだが、この世界のエルフも例に漏れず魔法が使えるそうだ。
とはいえ、燃え盛る炎の柱を作ることや氷の塊を作って飛ばすような大それたことは出来ず、せいぜい部屋の温度を調整したり、声を遠くまで飛ばせる程度のものらしい。
正直少し残念にも思った。
が、奇跡的に与えられた第二の人生。高望みはするまい。
代わりと言っては何だが、エルフは五感が人間より遥かに鋭い。
立派な耳を見て分かるように、特に聴覚はダントツだ。
エルフの魔法はその聴覚で世界の声を聴き、力を借りるという仕組みらしい。
...俺には関係のない話だったが。
おっと、そのことについての説明が遅れた。
どうやら女神のような母親とは似ても似つかないこの悪魔のような容姿は、里では文字通り「悪魔憑き」と呼ばれ、忌み嫌われているそうだ。
母の話によれば、生後半年頃に目が覚めるとこんな容姿になっていたらしい。
里のはずれにも「悪魔憑き」が1人、ひっそりと暮らしていると母から聞いた。
「悪魔憑き」は、エルフの特性を全く持たない。
そのため役立たずの意味も込めた蔑称というのが一般認識だそうだ。
一つ幸運だったのは、母はつい最近まで世界を旅していたらしく、偏見はあまりないということだ。
そうでなければ道端に捨てられ野垂れ死んでいたかもしれない。
とはいえ、面倒ごとに巻き込まれるだろうことは目に見えている。
「今度会ったら自称神野郎の鼻っ柱に右ストレートをぶっ放してやる。」
思わず愚痴を漏らすが、望み薄だろう。
最後に、奴の言っていた「恩寵」についてだ。
恩寵持ちは、1万人に1人くらいの確率で生まれる。
恩寵は爪がめっちゃ固いとか体がすごい柔らかい、みたいにしょうもないものから、バッタのように強靭な脚力を持つ者、念力が使える者など多岐に渡り、母が見た中では体を龍に変化させるというものもあったらしい。
肝心な俺の恩寵だが、4年も過ごしてきてこれが全く分からない。
おかしな点と言えば1日のうち半分も起きていられないことと、物覚えが半端なく良いことくらいだ。
それもあって言語や字の読み書きはかなりスムーズに習得できた。
とはいえ、それが恩寵によるものなのか、悪魔憑きの性質なのか、はたまた単にこの体が物覚えが良い寝坊助なだけなのか、さっぱり分からない。
母曰く、エルフは恩寵を持つ者の独特な気配を感知できるため、何らかの恩寵を持っているのは間違いないそうだが...。
と、まぁこんな感じでこの世界で4年間過ごしてきた訳だが、明日初めて家の外に出る。
何やら里にいる恩寵を与えられたエルフを集めた儀式のような催しがあるらしく、それに出席するらしい。
「アルバート。あなたは賢い子だから、皆があなたにかける心無い言葉が一層あなたを傷つけるかもしれない。外の世界はきっと辛いことも多いけれど、楽しいこともたくさんあるわ。私だけはいつでもあなたの見方でいるから。それを忘れないでね。」
「はい!母さん。」
諭すように優しい口調で語る母に、眠気を振り払うように元気な口調でそう答える。
...瞼が重くなってきた。
「地図はバッグに入れておくわね。あとお金も少しは必要よね。それと服は...。」
夕食後の甘美な余韻が、眠りの世界へ誘った。
翌朝、隙間から太陽の光が差し込む重厚なドアに手をかける。
「行ってきます!」
「気を付けるのよ!それと、迷子になった時は焦らずバッグの地図を使いなさい。困ったときのために一応お金を入れておいたからそれも...」
ドアが閉まり、心配そうな母の声がかき消される。
太陽が少し顔を出す、霜が降り立つ冬の朝。
乾いた冷たい風は、頼んでもないのに懇切丁寧に俺の頬を撫でる。
あの日と一つ違うのは、大きな冒険心と一抹の不安が混じった子供らしい表情。
「行くか!」
木の階段をコンコンと音を立てて下り、霜をザクザクと踏み鳴らしながら、草の道を真っすぐと歩き始めた。
物語の大筋は決まっています。のんびりと進めていくつもりです。