義妹に婚約者を寝取られた病弱令嬢、幼馴染の公爵様に溺愛される
「アリス、君との婚約を破棄させてくれ」
私は病室で婚約者である伯爵家のご子息、カルロス様にそう告げられるのです。
私の名はアリス・マーガレット。マーガレット家の令嬢ではあるのですが、最近病気がちで病院にいる事が殆どです。
今日は婚約者であるカルロス・ケンブリッジ様がお見舞いに来てくれたと思っていたのですが、切り出された言葉は予想外のものでありました。
「どうしてなのですか? なぜ急に婚約破棄なのだと」
「そんな事はひとつだろう? アリス、君が病気を患っているからだよ」
確かに私は病を患ってはおります。ですが、誰だって好きで病にかかるわけでもありません。
「君がその様子では僕はどこにも遊びに行く事もできない。その様子では君に僕の妻は務まらないよ」
「そんな……カルロス様」
病める時に支えるのが、本当の婚約者というものではないのですか。私は突然の婚約破棄の申し出に大変なショックを受けました。
「君よりも、君の義妹のアリシアの方が僕には相応しいよ。アリシアの方が健康な身体をしているからね。どこに行くのも自由にできるし、きっとアリシアなら健康な世継ぎを産んでくれる事だろう」
「そ、そんな……あまりに身勝手すぎます。長年、婚約者であった私に対して、それはあんまりではありませんか」
「とにかく、納得してくれよ。アリス。僕の心はもう君にはないんだ。君の実家であるマーガレット家にはうちから婚約解消の連絡はしておくよ」
もはやどうしようもないようでした。確かにカルロス様のお気持ちは既に私にはない様子。
でもあんまりではないですか。私は御覧の通り、病気で病院から一歩も出られないのです。いつ完治するかもわからぬ不治の病を患っている中、心の支えであったカルロス様までいなくなる。
それでどれほど私が不安になる事か。ですが仕方ないのです。人の気持ちというものはどうしようもなく移ろいやすいもの。
私はカルロス様の申し出を受け入れざるを得ませんでした。
「わかりました……カルロス様の気持ちが既に私にないのでしたら仕方ありません。婚約破棄の申し出、お受けします」
「ありがとう、アリス、これで遠慮なく、義妹のアリシアと婚約できるよ。ふふふっ! 君と婚約していた時はどこにも行けなかったけど、これからはアリシアとどんなところにだって行けるよ。毎度、見舞いに行かなきゃで僕もストレスだったんだよなぁ」
カルロス様は病気の私を責めてきました。
「そんな……誰も病気になりたくてなっているわけではありません。そのような口ぶりはあんまりではありませんか」
「へへっ。そうだったか。それじゃあ、アリス。君の幸運を祈るよ。これから僕はアリシアとデートしてくるから」
身勝手な事を言い残し、カルロス様は私の元を去っていきます。
こうして私は婚約破棄をされたのです。
「……げほっ……ごほっ」
私は途方に暮れていました。体調が優れない上に婚約者のカルロス様から婚約を破棄されたのです。不安で心の中がいっぱいになります。このまま私は孤独に死ぬしかないのでしょうか。
こんな私と婚約してくれる殿方が現れるとはとても思えません。持病の病も余計に悪化したように思います。咳が止まりません。
その時私は昔の事を思い出していました。その時はまだ私は病を患ってはおらず、天真爛漫に野原を駆け回り、そこら辺の子供と同じように遊んでいたのでした。
眩しいお日様も、もう直接浴びるのは随分と昔の事のように感じます。それは今から10年ほど前。私がまだ5歳の頃の事でした。
私は幼馴染の男の子と遊んでいました。金髪をした美しい顔立ちの男の子です。将来は間違いなく美男子に育つ事になると予感する事ができました。
彼の名はレナードと名乗っていました。どこの子供かもよくわからないその少年と私は出会い、そして友達になったのです。それから毎日のように遊んで過ごしました。
「待って! レナード!」
「捕まえてみろ! アリス!」
私達は無邪気に追いかけっこをしています。子供のころはそんな何気ない遊びでも楽しかったものでした。彼と一緒だったのなら、何をしても楽しかったものです。
もしかしたら私は子供ながらに彼の事を気になっていたのかもしれません。
「レナード! はぁ……はぁ……きゃっ!」
「アリス!」
私は盛大に転んでしまいます。全力疾走していて、バランスを崩したのです。
「い、いたい……レナード」
膝に鋭い痛みを覚えます。私は転んだ表紙に膝を擦りむいたのです。
「ま、待ってて、アリス」
レナードは私の膝に持っていたハンカチーフを巻き付け、怪我の処置をしてくれました。
「これで大丈夫だよ。アリス。痛いの、痛いの、とんでけー!」
レナードはおまじないをかけてくれました。不思議と怪我の痛みが引いていったように感じます。
「ありがとう……レナード」
子供ながらに恋心を抱いていた私はレナードの頬にちゅっ、と優しくキスをします。
「アリス……」
「レナード……大きくなったら私、レナードのお嫁さんになりたい」
「うん……アリス。僕もだよ。大きくなったら僕たち結婚しよう」
レナードは優しい笑みを浮かべてきました。
「うん」
私は笑みを浮かべます。膝を擦りむいた痛みなんて、どこかへ行ってしまったようです。
しかし、その後二人は引き裂かれる事になるのです。レナードの家は遠くに引っ越すそうなのです。
子供であった私達に親の決定など逆らえるはずもありません。
「アリス……ごめん、パパとママに言ってもダメだって……」
「しょうがないよ……レナード。ぐす、ぐすんっ」
私達は泣いていました。離れ離れになってしまうのです。もしかしたらもう二度と会う事はできないかもしれません。
「アリス……絶対また会おう。それで大きくなったら、僕たち結婚しよう」
「うん……また、会おうね。それで大きくなったら結婚しようね。レナード」
5歳の頃。私達は涙ながれ別れたのでした。
それから月日は流れます。やはり人生、思うようにはいかない事です。私はレナードと再会する事は叶わず、そして両家の取り決めでカルロス様と婚約する事になったのです。さらには病気にもかかり、自由に出歩く事すらできなくなってしまいました。
その上カルロス様からつい最近、婚約の破棄までされてしまったのです。
私の人生、不幸の連続でした。楽しかったのはそう、レナードと遊んだ幼い日の記憶だけです。
「レナード……どこにいるんですか。レナード」
私は幼馴染のレナードの事を思い浮かべます。大きくなったら結婚してくれるといったのに。だけど嘘つきとは彼は責められません。
子供のころの約束などそのようなものです。子供はまだ世の中の事がわかっていない。どうしようもない事が世の中には存在するんです。
私が涙を浮かべ嘆いていた時の事でした。
「アリス」
声がしたのです。一瞬、私は幻聴かと思いました。
「え? 嘘……レナードなのですか?」
病室の入り口に、美しい金髪をした青年が立っていたのです。品格のある青年。もし少年だったレナードが私の理想通り大人になったのなら、まさしくこうなっているだろう、という姿を彼はしていました。
「……こんなところにいたのか。アリス」
10年ぶりに会ったレナードは、昔と変わらない、屈託のない素敵な笑顔を浮かべるのでした。
「う、嘘……嘘ですよね」
私は言葉を失いました。私は夢を見ているのでしょうか。
「こんなところにいたんだね。探したよアリス」
目の前にいる青年は屈託のない笑みを浮かべてきます。奇しくもその笑みは10年前見た幼馴染の少年レナードのものと全く同じものだったのです。
とても信じられません。ですが、彼はどうやら幼馴染のレナードその人のようなのです。
でも、なぜなのです。レナード、どうしてレナードがここに。
「どうしてレナードがここにいるんですか?」
「それは勿論、アリス。君を探しに来たんだよ。お父様が事故で亡くなって、それで僕が家督を継ぐことになったんだ」
「……家督?」
何を言っているのでしょうか。そういえば、私はレナードの素性をあまり知りませんでした。子供の頃は気にならなかったのです。ですが大人になってみて、世の中には色々な差別や格差が存在します。
社会的地位の違いも直面してきました。そして、そういった社会的地位の問題により、愛し合う男女の関係が引き裂かれる場面が生じる事も多々あるそうです。
あの時、子供の頃はそんな問題知りませんでした。私はレナードの事が好きでした。単にそれだけの事で、何の問題もなく彼と結ばれることができるのだと本気で信じていたのです。
だからレナードの家柄など気にもしていなかった問題なのですが、大人になった今、家柄の問題は大きいと感じています。レナードは一体、どういうお家柄のご子息だったんでしょうか?
「僕の家はポートランド公爵家なんだ。だから僕は父から家督を継いで、公爵になったんだ」
「レナード……レナードのご実家は公爵家なのですか?」
「ああ……そうだよ、アリス」
ポートランド公爵家。聞いた事はあります。有名な公爵家です。その位はカルロス様のケンブリッジ伯爵家よりもずっと爵位が高いと聞いています。
まさかレナードがそんな名門の公爵家の子息だとは思ってもいなかったので私は大変驚きました。
しかも今はレナードが公爵様というわけなのです。そう、目の前にいるのはただの幼馴染のレナードなのではありません。ポートランド公爵家の公爵様、というわけなのです。
「アリス、僕はずっと君を探していたんだよ。それでやっと見つかったんだ。君が。もう、僕は昔みたいな子供じゃない。君を迎えに来たんだ」
レナードは跪き、私にこう告げてきたのです。
「アリス……僕と結婚して欲しい。僕の妻となってくれ」
レナードは青い宝石のような瞳で私に訴えかけてきます。なんと嬉しい言葉でしょうか。胸が締め付けられるような言葉です。すぐにでも涙が出てきそうな言葉。
幼い頃の約束が現実となる瞬間です。
夢にまで見た幼馴染のレナードが私に求婚してくれているのです。ですが、同時に彼を思うが故に、その申し出を喜んで受けられない私がいるのでした。
「大変嬉しい申し出です……ですがレナード。その申し出、私はお受けする事ができません」
「なぜだ? アリス……どうしてそんな事を言うんだ?」
「ここは病院です。何の理由もないのに、病院に入院する人などおりません。私はあなたと別れてからしばらくして、病を患ったのです。その病は一生治らないかもしれません。私はあなたと別れてから、別の男性と婚約しましたが、その方はどこも連れて歩けない私を疎み、つい先ほど婚約破棄されたのです」
私は涙ながらに訴えます。レナードの申し出は私にとっては大変喜ばしい、夢にまで見たものでした。ですが、今の私では彼を幸せにできないと考えました。
ですので心苦しくはありますが、彼の事を考えるととても彼の申し出を受けるわけにはいかなかったのです。
「私を妻にすると、きっとレナードに迷惑をかけてしまうと思うんです。それではきっと、レナードは幸せになれないんです」
私は涙ながらにレナードに訴えます。すると彼は微笑を浮かべるのです。
「馬鹿な事を言うな……アリス。僕の幸せは君と一緒にいる事だよ。だから君が病を患っているかどうかなんて関係ない。そういった時に支えるのが僕の役割だ」
「……レナード」
「……アリス」
もはや私達に言葉など必要ありませんでした。私の悲しみの涙は喜びの涙へと変わるのです。
私達は誰もいない病室で口づけを交わしました。お互いの10年間分の想いを込めて。長い、長い口づけをしたのです。
「ふふっ……」
アリスを見捨てた元婚約者のカルロスは笑っていた。アリスにとっては義妹のアリシアと婚約をする事になったのだ。アリシアはアリスと違って健康的で美しい少女だ。
ちなみにアリスにとってはアリシアは再婚相手である義母の連れてきた、つまりは連れ子である。
アリスにとっての本当の母は既に病で亡くなっている。やはり遺伝的にアリスは病気になりやすいのかもしれない。
その点義妹であるアリシアは無関係であった。血縁はないのだ。世継ぎが病弱に生まれてくるのをカルロスは忌避していた。それにアリスなど娶ったところで、病気が治る見込みもないのだ。
もしかしたら一生連れ歩く事ができないかもしれない。そう考えるとカルロスはアリスと婚約破棄し、アリシアと婚約した事は大英断だったと、自分で自分を褒めたたえたくなっていた。
自然と笑みが溢れてくる。だが、アリシアと本格的に付き合いだす事でカルロスは自分の決断の大きな誤りに気付いていく事になる。
カルロスとアリシアは買い物をしに街に来ていた。このデートプランはアリシアの希望だった。
「見てください、カルロス様」
「ん?」
アリシアは餌を目にした子犬のように駆け寄っていった。ガラスケースの中にあるのは高級そうな服である。赤い、情熱的なドレスだ。
「……素敵ですわ。カルロス様」
「ん? ……ああ。そうだな」
カルロスは値札を横目で見た。ざっとその金額は庶民の給金数か月分はする。とてつもない高級品だった。
「ねぇ……カルロス様、買ってくださらない?」
「うっ……」
仕方があるまい。美人とは大抵甘やかされて我が儘に育つものだ。ましてや、それが令嬢であるのならば猶更の事だ。我儘に応えるのも男の甲斐性というものだろう。
「はぁ~」
カルロスはため息交じりにその要求を受け入れた。
「いいよ。アリシア。買ってあげようか」
「本当ですか。やったー!」
アリシアは手を上げて喜んだ。
だが、アリシアのおねだりはこれだけに留まらない。
「ねぇ、ねぇ。カルロス様」
今度目に入ったのは、これまた高級そうなブランドものバッグだ。
「私、このバッグが欲しいんです」
「うっ……」
仕方なく、カルロスはまたもやその商品を購入してあげた。カルロスはそれなりの資産家の子息なのである。だからこそできる芸当であった。
だが、アリシアのおねだりは留まる事を知らない。一瞬は喜ぶのだが、すぐに満足してまた新しいものを欲しがるのであった。
こうしてアリシアとのショッピングデートが終わった。
一般庶民の年収はおろか、10年分の賃金くらいを散財させたアリシアは、夕暮れ時になったこともありやっと買い物を終えたのである。
「とほほ……」
多額の資金を拠出しなければならなかったカルロスは嘆いたのである。
「どうしたのですか? カルロス様」
「な、何でもないよ。アリシア」
しかし、アリシアの行いはこれに留まる事を知らなかった。カルロスの後悔はさらに深まっていく事になるのである。
「な、なんだって! もう一度言ってもらっていいか? アリシア」
それはカルロスが再びアリシアと会った時の事だ。
「だからカルロス様、前買って貰った服とかバッグ、殆ど友達にあげちゃったの。だから、またお買い物に行きましょう」
アリシアは無邪気な笑顔でおねだりしてくる。その要求の図々しさに全く自覚がないようであった。苦労を知らない箱入り娘はこれだから困る。カルロスも似たような境遇ではあるが、それでもアリシア程世間を知らないわけではなかった。
冗談ではない。既に大金を支払わされたのだ。これで同じように負担を強いられたら、カルロスの実家がいかに裕福とはいえ、傾きかねない。
いくら余裕があるとはいえ、その余裕にも限度があるのだ。金が湯水のように湧き上がってくるわけでもない。物事には明確な限界というものが存在する。
「だめだ」
仕方なくカルロスはアリシアのおねだりを突っぱねた。
「えーーーーーーーーーーー!」
「だめなものはだめだ。君はこの前いくら使ったかわかっていないだろう? 普通の労働者が10年は働かなければ得られない金額を1日で使ったんだぞ。君はただの一日たりとも働いた事がないだろう」
とはいえ、そう責めているカルロスはろくに自分で働いた事もない。親の脛をかじているボンボンである事は一切否定できない。
「アリシア、君は労働の大変さを知らないんだ。一日たりとも働いた事がないだろう? 恐らく君は一日たりとも労働に耐えられないだろう。それが10年続くと考えてみろ。お金は貴重なんだ。その事をわかっているのか?」
カルロスはアリシアのあまりの我儘っぷり、金銭感覚の異様さに気づき、辟易していた。
とても我慢しきれなくなったカルロスは思わずアリシアに本音を告げる。
「ふん! ……わかりましたわ。カルロス様」
アリシアはわかりやすくへそを曲げた。そしてカルロスの元を去っていった。
機嫌を損ねたとはカルロスは思った。だが、婚約者という事はゆくゆくは結婚して妻となるという事だった。妻となる人間がそう我儘でも金銭感覚が異様では敵わない。
何事も限度というものがある。無論人間は完璧ではない。多少ならば許されてしかるべきであろう。
だがアリシアはその限度を軽く飛び越していた。
これに懲りて少しはアリシアが改心して大人しくなる事を望んだカルロスではあるが、アリシアの奔放ぷりは留まる事を知らなかった。
カルロスをさらなる後悔が襲う。
私はこうして幼馴染のレナードと再会を果たすのでした。
そして私達は思いを遂げるのです。レナードは幼き頃に交わした約束をちゃんと守ってくれたのです。
ですがやはり大きな問題が立ちはだかるのです。そう、レナードが私の前に現れてくれたといっても、私は病を抱えています。
医者からは原因不明の難病と言われ、日常生活も一人では満足におぼつかないのです。常に誰かの介助が必要になっています。
私は普通の人のように満足に婚約者という役割を務める事ができないのです。
「ですが、レナード。これから私達はどうするつもりなのですか?」
「どうするって?」
「私は御覧の通り、難病に冒され、入院しているのです。一人では歩く事すらおぼつかない。私達の気持ちがひとつになったとしても、それだけでは普通の人のように生活する事はできないのです。病院でしか顔を会わせる事ができないのなら、やはりあなたは不満に思う事でしょう」
「それなら心配いらないよ、アリス。僕はもう無力な子供の頃の僕じゃないんだ。公爵家の公爵なんだよ。無論、僕が自分で築いた権力ではない。代々受け継いできたものでしかない。だけど今の僕に権力があるのは確かな事実だ。今の僕なら昔ならできなかった事だってできる」
レナードは私に力強く語り掛けてくるのです。
「今のレナードだったら、何ができるというのですか?」
「今の僕だったらアリス。君の生活の介助人を付ける事だってできる。この病院で受けられる医療行為くらいの事は一緒に生活していたって受けさせる事ができるよ」
「まあ……それは本当ですか。レナード。だったら私達、一緒に生活する事ができるのですか?」
「ああ……勿論だよ」
「それだけじゃない。他国から名医を呼びつける事もできる。自国の医師では治せない難病でも、他国の名医なら治せるかもしれない。もしアリスを蝕んでいる病気が治れば、また昔みたいに僕たちは野原を駆ける事だってできるはずなんだよ」
「本当ですか……レナード、私、嬉しくて涙が出てきます。そんな生活を過ごせたらどれだけいいか」
まるで夢のような事です。昔のように。病に侵されてから健康がどれほど尊い事かわかりました。かつてのように生活ができるというだけで幸せな事です。
人はその幸せが当たり前に目の前にある事で気づけなくなっているのです。私はその当たり前の日常を失い、その幸せに気づいたのです。それが病を患ってよかった事だったかもしれません。
「ともかく準備を進めるよ。すぐにというわけにはいかない。色々と手配をしないと。アリスだってそうだろう。実家のマーガレット家に説明をしなければならないだろうし、入院している病院にだってそうだ。時間はまだかかる。数週間か、数か月。でもいずれはきっと実現できるよ」
「はい……その日が実現できる日を楽しみにしています」
私は笑みを浮かべます。こうしてひとまずはレナードと別れる事になったのです。それからレナードは頻繁に見舞いに来てくれるようになりました。
レナードと会う事が私の入院生活の大きな励みとなりました。そして、その後の生活を夢見ることが私の何よりの楽しみとなったのです。
こうして以前よりも生活がずっと充実し、楽しくなり、流れる時間の流れも速くなったように感じます。
――そして、夢みていた生活はついに実現する事になるのです。
「まったくもう……」
カルロスは明らかに新たな婚約者であるアリシアに辟易しだしていた。やはり美人でも我儘であったり世間ずれした金銭感覚では何かと困るものだ。美人とは往々にしてそういうものだが、物事にはなんでも許容限度というものが存在する。
アリシアのズレっぷりはその許容限度を明らかに超えていたのだ。
だが、病弱だったアリスと婚約破棄をしてせっかくアリシアと新たに婚約したのだ。カルロスはアリシアの行動が改善される事を祈っていたし、何とか忍耐をするつもりだったのだ。
だが、ここでカルロスはさらにアリシアが信じられない行動を起こしている事に気づく。
カルロスはアリシアの実家であるマーガレット家を訪問していた。
ガサゴソ。茂みで音がしたのだ。そこで二人の男女の姿が見えた。
「やだ……もう、ルークったら」
「でもいいのか? アリシア……君には婚約者が」
「あんな堅物で器の小さい男どうでもいいのよ……ねぇ、それより続きをしましょう」
「あ、ああ……」
そのまさかであった。アリシアは茂みで他の男と密会していたのだ。
「そこでなにをやっている!」
「ん? ……あっ! カルロス様!」
「や、やべぇ!」
密会相手の男はカルロスを見るなり、どこかへ走り去っていた。
「何をやっていた! アリシア! 答えろ!」
カルロスは激怒した。大抵の事は許すつもりではあったが、アリシアの振る舞いは婚約者として、その限度をはるかに超えていたのだ。
これは明らかな浮気現場ではないか。いかに寛大に振舞おうとしても限度というものが存在している。
「アリシア、なんなんだ! 君は何をしていた!」
「……別に、何でもありませんわ。カルロス様」
アリシアは着衣の乱れを直しつつ、素知らぬ顔をする。
「嘘だろ! 何でもない状況じゃなかった! さっきの男は誰だ?」
「そ、それは……ただのお友達ですわ」
「嘘だ! とても友達相手とは思えなかった! アリシア、君は浮気していたんだろ!」
「ふん! うるさいですわね! 肝の小さい男はこれだから! 浮気の1回や2回、許せませんの!」
アリシアは開き直っていた。明らかにアリシアに非があるのに、まるでカルロスの度量の小ささを責めるように。
「くっ……ふざけるなよ、アリシア! ほかの事ならできるだけ我慢しようと思って君と婚約したけど、いくらなんでも、浮気は、浮気はあんまりだろうが!」
カルロスは嘆いた。そして段々とあの病弱ではあったが、大人しくて可憐でもあった元婚約者アリスへの気持ちが大きくなっていったのである。
カルロスの後悔はいよいよ極限にまで達する事となる。
こうして諸々の手続きが済み、私はレナードの屋敷に住む事ができるようになったのです。
「見てごらん、アリス。これが僕たちの新居だよ」
レナードは指を指します。目の前にあるのは立派なお屋敷でした。広くて大きなお屋敷ではありますが、庭木も綺麗に整っています。恐らくは相当な労力をかけて手入れがされているのでしょう。
私達は様々な障害を乗り越え、正式に婚約者となったのでした。私は大好きな幼馴染であるレナードと婚約者になったのです。これは私にとって、いえ、私達にとって大きな前進だったのです。
「ここで僕達は暮らすんだ」
「……ええ。楽しみです。レナード。レナードと一緒ならきっとどんな生活でも楽しいのに、こんな素敵なお屋敷で生活できるなんて。まるで夢みたいです」
大好きな人と一緒に生活できる。病院に入院していた頃は考えられなかった生活だ。私は病院でずっと孤独だったし、病を患っていた事で精神的に落ち込んでいた。未来を悲観していた。
今の私は確かに健康ではないかもしれない。普通の人のように走ったり、どこかへ行ったりもできないかもしれない。日常生活を送るだけでも介助を必要とする。
そのことはかつてと変わらない。だが、大好きな幼馴染にして、今では私の新たな婚約者。
レナードと一緒にいられるというだけで心持が全く異なったのだ。私は未来に希望を持てるようになっていた。新生活に心が躍ったのだ。
「僕もだよ。アリス。僕も君とずっと一緒にいたかったんだ。君と一緒に生活する事をこの10年間、心待ちにしていたんだよ」
「レナード……」
「アリス……」
私達は見つめあいます。私の体が健康で思うように動くのでしたら、すぐにでもレナードに抱き着き、見つめあい、そして唇を交わしたくなる、かもしれません。
それくらい、私の胸は高鳴っていたのです。きっとレナードも同じ気持ちだと私は信じています。
「ここで見つめあってても仕方ないね。屋敷の中に入ろうか。アリスの介助をする使用人も紹介したいし」
「はい。私もお世話になる旨のご挨拶をしたいです」
私はそれから屋敷の中での生活を説明された。介助の説明。そして訪問医の説明。そういった医療体制も屋敷で私が生活していく上で必要だったのです。
こうして私の新生活は始まりました。相変わらず体は病に侵されはいるため、日常生活を送るだけでも私には大きなハードルでした。
ですがレナードが隣にいるのです。私は乗り越えていけると確信しています。
様々な問題がありつつも幸せな日常を送っていた時の事でした。
私の目の前に思いもよらぬ人物が姿を現すのです。
――その人物とは。
「くそっ!」
アリシアのあまりの振る舞いに腹を立てたカルロスであった。その鬱憤とした気持ちを自宅でヤケ酒する事で晴らしている。
思ったようにいかない現実に段々と嫌気がさしていた。
「なんなんだ! あのアリシアの態度! 堂々と浮気しておいて、その現場を見られたら逆上してきやがった! まるで僕の度量が小さいみたいに! くそっ!」
カルロスは近くにあったツボを押しのける。高級なツボが地面に落ちてガシャンと割れた。この片付けを誰がやるというのか。無論、カルロスはやらない。使用人がやるのだ。
使用人の仕事が無駄に増えるだけの実に迷惑な振る舞いであった。
「……こんなつもりじゃなかった。こんなつもりじゃ」
カルロスは頭を抱えた。これではアリスの方がマシであった。アリスは病弱ではあったが性格はまともであった。優しい性格をしていた。
自分の方がよほど苦しいであろうに、婚約者であった自分の体調をいつも気にかけてくれていた。
アリシアのような我儘も言わない。アリシアと新たに婚約した今、カルロスはアリスがいかにまともな相手だったかを気づいたのだ。
「こんな事なら! こんな事ならアリスと婚約していた方がマシだった!」
カルロスは激しく嘆いた。思いっきり後悔していた。
「そうだ……まだ何とかなるかもしれない! まだ何とか!」
カルロスはそう考えた。アリスは気の優しい女性だ。きっと自分が誠心誠意を込めて頼み込めば、復縁する事を許してくれる可能性があった。
図々しく都合のいい考えではあったが、カルロスはきっと何とかなると思っていた。
「アリスなら、きっと許してくれるさ。気の迷いだったんだ。僕がアリスの真なる魅力に気づいたと訴えれば。そして僕にはアリスが必要なんだといえば、きっと。また婚約者に戻れるはずだ」
そのためには……とりあえずはあの我儘な義妹、アリシアとの婚約を破棄しなければ。
カルロスはアリシアとの婚約を破棄するため、会いに行く事にしたのである。
◇
「え? なんと申しました? カルロス様」
「僕との婚約関係を解消して欲しいんだ。アリシア」
カルロスはアリシアと二人きりで出会う。
「僕はもう君とはやっていられないよ。だから――」
「そんな、カルロス様、もう両家に話を通しているのですよ。そんな我儘が今更通るわけ――と、言いたいところですけど、カルロス様がそうまでおっしゃるなら、考えてあげなくもないですわ」
アリシアは不敵な笑みを浮かべた。
「ほ、本当か! いいのか! アリシア! 婚約関係を解消してくれるのか!」
「ただし条件がありますわ」
「条件? どんな条件だ?」
「お金ですわ。私のいい値をお支払いください」
「お金? ……い、いくらだ? いくらなんだ?」
がめつい女め。なんでも金か。カルロスは毒づいた。
アリシアは金額を告げる。その金額とは大体、まともな労働者、一生分の賃金に相当する金額だ。
「ふ、ふざけるな! そんな金額を払えというのか!」
「いやなら婚約関係解消はできませんわよ。もう両家にも話を通していますもの。今更話がこじれるのはマーガレット家にとっても大きな損失ですもの」
「わ、わかった……支払おうじゃないか」
渋々、カルロスはアリシアに膨大な金を支払う事にした。流石に手持ちの金では足りずに、ある程度を借金で賄う事になった。
こうしてアリシアとの婚約を解消できたカルロスは、アリスの元へ向かうのではあるが、既に病院にはアリスの姿はなかった。
「え? アリスがいないんですか?」
「ええ……アリスさんなら退院して、公爵家のお屋敷にいかれましたが」
そう看護師が答える。
「公爵家? どこの公爵家ですか? 教えてください」
カルロスは教えてもらった公爵家の屋敷に向かう。
詳しい事はカルロスにはわからない。だが、何となく嫌な予感がしていたのである。
それは新しいお屋敷での生活の中、起こった出来事でした。
私は使用人のメイドさんの付き添いで散歩をしていました。私は車椅子で移動するのです。自分の足で移動する事はできませんが、日の光を浴び、風を感じるだけでも大分気分転換になるものです。
やはり屋敷にこもりっぱなしでは段々と気分が滅入ってきます。
その時の事でした。私達の目の前に突如、男性が現れるのです。その男性とは思ってもいない人物でした。
「お知り合い……ですか?」
メイドさんが尋ねます。
「う、嘘……カルロス様。なんで?」
私は目を疑います。目の前にいたのは私のかつての婚約者であったカルロス様です。ですが、どこか様子がおかしいです。やつれている上に目が憔悴しています。かつての自信に満ち溢れたカルロス様とは様変わりしてしまっていました。
「……アリス」
「え?」
カルロス様は突如、地面に両手をつき、深く頭を下げてきました。一体、どういう事でしょうか。これは土下座という恰好ではないでしょうか。カルロス様はどうやら涙を流し、私に訴えかけてきたようです。
「僕が間違っていた。君の義妹のアリシアはどうしようもない、我儘な女だったんだ! アリシアと婚約者になってから、アリス、君の素晴らしさに気づいた。いくら病気を患っていても、君の方がマシだよ! アリス!」
マシ……って。恐らくはカルロス様は私に復縁を迫ってきているのだと思いますが。その口ぶりはいかがなものでしょうか。いささか失礼ではないかと感じます。
「何を言いたいのですか? カルロス様」
「アリス、君との関係をやり直したいんだ! 僕の婚約者に再びなってくれ! 頼む!」
用件は伝わりました。やはりカルロス様は私との関係をやり直したいようです。
「カルロス様……それは」
「はぁ……はぁ……はぁ。どうしたんだ? アリス」
「……レナード」
私の前に幼馴染にして婚約関係になったレナードが姿を現します。
「……アリス、だ、誰なんだ? その男は!」
カルロス様が聞いてきます。
「私の婚約者のレナードです」
「な、なんだって! 婚約者だって! ど、どうしてそんな急に婚約関係になったんだ!」
「私達は幼馴染だったんです……それで……。急にというわけではありません。10年来の関係で、カルロス様から婚約破棄を言い渡されてから、私達は再会したんです」
「……アリス。誰なんだ? そこの男は」
レナードが聞いてきます。
「カルロス様です。伯爵家のご子息で、私の元婚約者です」
「元婚約者? カルロスさんですか。一体、アリスに何の用ですか?」
やはり面白くない相手だったのでしょう。レナードは僅かですが表情に怒りのようなものを滲ませ、にらみつけます。温厚なレナードにしては珍しい事でした。
「ひ、ひいっ! な、なんでもありません! す、すまなかった。アリス、それじゃあ、僕はこれで失礼するよ!」
カルロス様はそう言い残し、その場を去っていくのです。流石に現在の婚約者であるレナードを目の前にして、復縁を迫る事はできなかったようです。
「まったく……なんなんだ、あれは」
レナードはため息を吐きました。カルロス様に復縁を迫られた事をわざわざいう必要はありませんでした。レナードを余計不機嫌にさせるだけです。
「帰りましょうか、レナード」
「そうだな。帰ろうか」
「ええ……」
私達は何事もなかったかのように屋敷に帰っていきます。その後カルロス様がどうなったのか、私は知りません。知りたいとも思いませんでした。
今の私にはレナードがいます。今私は彼に夢中なんです。だからそれ以外の男性の事は僅かの興味すら抱きませんでした。例え元婚約者が相手だったとしてもです。
私は幸せでした。大好きな幼馴染であり、婚約者、そして公爵様でもある、レナードと一緒にいられるのですから。
私は外国から招待された医師の治療により、段々と病状が良くなってきたのでした。
段々とではありますが、何とか自分の足で歩けるようにもなってきました。不治の病だと思っていた持病ではありますが、その持病に僅かばかりではありますが希望の光が差し込んできたのです。
そしてもっと幸せな出来事が起こるのです。
私達は婚約関係から、ついに夫婦となる事ができたのです。
そして今日、私達の結婚式が行われることになったのです。結婚式は私達の住んでいる屋敷で行われることになりました。
私は憧れであった、白いウエディングドレスを着る事が出来たのです。
そして、レナードと幸せな結婚式をあげる。その手はずでした。
「それでは新婦のアリス様。新郎のレナード様の準備が整いました。式場に来てください」
「は、はい!」
私は式場に向かおうとしました。その時でした。
「きゃっ!」
私は何物かに、背後から掴みかかられたのです。その人物とは、私の元婚約者のカルロス様でした。
「え? カルロス様、どうして?」
カルロス様の目は血走っております。その上に、手には刃物を持っていました。ナイフが光り輝きます。
「ど、どうしたのですか? カルロス様。な、なんで?」
私は頭の理解が及びませんでした。
「あ、あれから僕の実家は事業の失敗で破産したんだ。それで僕は仕事も見つからずに無職になった。君のせいだよ! アリス! 君が全部悪いんだ!」
な、なんという事でしょうか。カルロス様にあれからあんなことがあったのですか。驚きました。ですが、私のせいというのはあんまりではないでしょうか。
「そ、そんな、私のせいだとおっしゃるのですか」
「お前のせいだけじゃない! あのアリシアも悪い! だけど僕は一切悪くない! お前達が全部悪いんだ!」
カルロス様は身勝手な事を言ってきます。今すぐにでもナイフで私を刺してきそうです。
「アリス! お前だけ幸せになるなんて! 僕はとても許せそうにないよ! 一緒に地獄にいこう、アリス」
「い、いや! やだ! 私まだ死にたくない! これからレナードともっと幸せになるところなのに! 絶対嫌です!」
「アリス!」
その時でした。物音を聞きつけて、レナードが駆け込んできました。レナードは白いタキシードを着ています。
「お、お前はアリスの元婚約者の……カルロスか?」
「へっ。これはこれは、公爵様。随分と幸せいっぱいなようで。羨ましい……いや、妬ましい限りですよ」
「ア、アリスを離せ!」
「いやですよ。アリスを幸せになんてさせません。僕と一緒にアリスは不幸になってもらうんです」
「ふざけるな!」
「アリス……一緒に地獄にいこう。君だけを幸せになんてさせないよ。くっくっく」
カルロス様は不気味に笑います。本気でした。
「い、いや。いやああああああああああああああああああああああああああああ!」
「アリス!」
私の悲鳴が響き渡ります。そして、カルロス様はナイフを振り上げたのです。
「お前のせいだ! 全部お前が悪いんだ!」
カルロス様は私に刃物を突き立てようとしてきます。
「アリス!」
「レナード!」
礼服を着たレナードが待合室に飛び込んできます。
「く、来るな! 来たらこの女を殺すぞ!」
カルロス様は完全に気が立っていました。しかし、レナードはそれにも関わらずこちらに向かってきます。
「アリスを放せ」
「馬鹿かお前は……わざわざ殺されに来るなんて!」
「レナード!」
私は声を張り上げます。
「死ねっ!」
グサっ!
「うっ!」
カルロスのナイフがレナードに突き刺さります。
「馬鹿めっ! 死ねばいいんだよ! お前なんか!」
「貴様! そこで何をやっている!」
「や、やばい! 逃げないと!」
屋敷にいる使用人数人がカルロスを囲い込みます。ナイフをレナードに突き刺し、武器の無くなった彼はもうどうしようもない様子でした。
「大人しくしろ!」
「は、放せ!」
使用人数人でカルロス様を押さえつけます。
「くっ! 放せぇ! 放せぇ!」
カルロス様は必死に抵抗します。当然のように使用人たちが彼を解放するはずがありませんでした。
「レナード! ……レナード!」
「ううっ……」
ナイフがお腹に刺さったレナードは実に苦しそうでした。血の水たまりを作っていきます。
「し、しっかり! しっかりして! レナード!」
私はレナードに声をかけます。
「だ、誰か! 手当を早くしてください!」
「し、しっかりしてくださいレナード様」
使用人数人がかりでレナードはベッドのある部屋に運ばれて行きます。
当然のように結婚式は中止になりました。白い紳士服も白いウエディングドレスも血の色ですっかり汚れてしまったのです。
お越しにいらしていた沢山の方々には残念ながらお帰りいただく事になりました。
◇
「……ううっ……ここは」
レナードは病院で目を覚まします。応急処置を受けたレナードは病院に運ばれていったのです。
そして三日三晩、生死の境を彷徨いました。しかし何とか彼は目を覚ましたのです。
「レナード!」
私はレナードに抱き着きます。
「アリス……」
「よかった……レナード。もう二度と目を覚まさないかと思いました」
私はレナードに抱き着きます。
「うっ……ううっ」
レナードは痛み、苦しみます。無理もありません。刺されてからまだそれほど時間が経過していないのですから。
「ご、ごめんなさい! レナード! 痛みましたか!」
私は離れます。
「……いいんだ。アリス。そういえばあの男はどうなった?」
「カルロス様なら……」
私は目を伏せます。彼は今、獄中にいます。不法侵入をした上に殺人未遂を犯したのですから。当然のようにただでは済みませんでした。当然の帰結と言えます。
「結婚式……できなかったな」
レナードは嘆きます。
「無理もありません……しばらくはじっくりと静養してください。結婚式を挙げるのはそれからでもいいんですから」
私は笑みを浮かべます。
「ああ……そうだな」
レナードが運び込まれた病院はかつて私が入院していた病院でした。
私はレナードの見舞いにかつての病院まで足を運びます。
かつての私では考えられない事でした。レナードと会える病院にいる時間がかつてないほど幸福な時間になったのです。かつて私が入院生活を送っていた時には考えられない事です。
「はい。レナード。あーん」
「あーん……って、なんだか、恥ずかしいな」
私はレナードにリンゴを食べさせます。
「何に恥ずかしがるのです。ここには私達しかいませんよ」
病室は個室だったのです。ですので何の問題もありませんでした。
「はい! あーん」
「あーん」
こうして病院にお見舞いに来る日々が退院するまで続きました。
退院できたらついに念願の結婚式ができます。
私とレナードの結婚式。あの日できなかった結婚式。
その結婚式ができる日を夢見て、私は今日も病院に足を運ぶのです。




