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『黒木渚論』

『小説の言葉の結び方』・・・黒木渚の『本性』に於ける考察

『小説の言葉の結び方』・・・黒木渚の『本性』に於ける考察



四つ目の小説としても、定義することが可能だとされている、あとがき、では、この様に結ばれている。


「人間の本性なんて、幻想のようなものなのですから。」


黒木渚※の文庫本の話なのであるが、敢えて、あとがきを、小説形式にしたことは、より、小説『本性』を不可思議なものへと育てあげたと言えるであろう。奇怪、不可思議、こう言った言葉が適切かどうかは分からないが、『本性』に漂う、或る種の、一般の小説からはかけ離れた異質さが、見て取れる訳である。



『本性』が、三つの小説と、あとがきの、四つで構成されていることは、周知の事実だ。どれもが、独特の、純文学として、社会の構図を芯から捉えた形の小説になっている。其処には、いわゆる、人間味が表現されていて、とても観念だけで書き上げたとは言えないであろう、社会の本質を言い当てている。



熟読して読み込むと、其処には、生身の人間生活に於ける、虚像と実像が浮かび上がってくる。黒木渚は、小説の執筆にあたって、随分と取材を重ねたと発言しているが、だからこそ、空想を跳ね除けた小説=幻想が現実の如く、読者に伝わってくるのであろう。


もう一度読み返したい、と思わせる内容になっているのは、絶えず、言葉の結び方が、復読をを喚起するからである。我々は其処に、いわゆる、現実を幻想の様に見ているのである。

もう一度、述べておきたい。あとがき、では、この様に、結ばれている。


「人間の本性なんて、幻想のようなものなのですから。」


※黒木渚という本名で活動されているので、黒木渚と表記していますが、決して渚さんを呼び捨てにしている訳ではないことを、ご了承願います。

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