後日談 約束と誓い②
ジルベルトとレティシアへ、夜会へ出席してくれた礼をヘインズ侯爵は伝えると、隣にいた長女のクララが綺麗な淑女の礼をジルベルトへ向ける。
そんな二人へ、ジルベルトとレティシアは笑みを浮かべ挨拶を交わすと、クララは学園の教室とは違う可愛らしい笑みをジルベルトへ向け、口を開いた。
「ジルベルト殿下、今宵の夜会は我がヘインズ家主催でありますし、わたくしと殿下のファーストダンスで宴を開始したいと思うのですが……駄目でしょうか?」
オーガストラ王国の夜会などで行うダンスは、主催者側の者かその夜会に出席している一番高い位の者のダンスを他の出席者へ披露してから、他の者のダンスが許されるといったような暗黙のルールがある。
今回のヘインズ家主催の出席者の中で、一番位が高いのは王族であり王太子の位についているジルベルトであった。その事からクララは、ジルベルトへファーストダンスを一緒に踊って欲しいと自分から誘ったのだ。
男性が令嬢からの誘いを安易に断る事は、その令嬢に恥をかかせる事になりあまり良い事ではないとされている。それもわかった上での誘いであったのであろう。
クララは、ジルベルトの隣に立つレティシアへ含みをもった笑みを向けた。その笑みの真意に気が付いたレティシアは、クララへの返答にどうしようかと考えあぐねているジルベルトへ、笑みを浮かべた顔を向ける。
「殿下、今夜の夜会へ招待して頂いたヘインズ侯爵様のご息女であるクララ様とのファーストダンスを、ご一緒されてください
今夜ご出席されている方々の中で、クララ様のファーストダンスのお相手に一番相応しいのは、殿下ですもの」
「レティシアはそれで構わないのか?」
「ええ、わたくしは殿下の次のダンスのパートナーを努めさせて頂く事が出来れば、嬉しいですから」
レティシアの気遣いや気転に、ジルベルトは一つ息を吐くとレティシアへ笑みを向けた。
「君がそう言うのであれば、わかったよ
ヘインズ嬢、貴女のファーストダンスの相手を受けるとしよう」
「ありがとうございます!
さぁ、殿下そろそろ始まりますので、こちらへいらしてくださいませ
わたくしがご案内させて頂きますわ」
クララは、ジルベルトの腕に自分の腕を絡ませると先へと促す。
ジルベルトは、レティシアへ視線を向けると自分の腕に置いていたレティシアの手を取り、指先へ口付けを一つ落としてから、「すぐ戻るよ」と言葉を残して、クララと共に夜会を行う侯爵邸の大ホールへと足を進めた。
そんな二人の後ろ姿を見詰めながらレティシアは、一人ヘインズ家の使用人の案内でホールへ足を向ける。
大ホールではヘインズ侯爵の挨拶が始まり、続いてジルベルトとクララのファーストダンスの披露が始まった。その様子を、壁際で一人ポツンとレティシアは眺めていた。
今夜の夜会では、出席者の殆どがハーヴィル家と相反する貴族派の者達の出席者ばかりで、レティシアと親しくしている者がいなかった事も、彼女が一人でいた理由の一つであった。
そしてクララは、ジルベルトの婚約者候補の一人であった事もあり、その実家で行われている夜会で、クララからジルベルトの婚約者という立場を勝ち取り、王太子の婚約者となったレティシアへ声を掛ける勇気のある者は殆どいなかった。気安く声など掛ければ、ヘインズ侯爵やクララの機嫌を損ねる事は、想像に容易かったからだ。
レティシアの頭にぼんやりと浮かぶ事は、ジルベルトの側妃問題の事であった。
(私がジルの婚約者に決まって、貴族派の婚約者候補の家の動きが慌ただしくなったとは、お父様方から聞いていて知ってはいたけれど、クララ様はきっとその中でも最有力候補であるのでしょうね……)
オーガストラ王国では、王族は正妃の他に側妃を置くことが認められている。世継ぎが誕生しないという問題を起こさない為にという表向きの理由と、相対する派閥問題を助長させない事がもう一つの裏の理由であった。どちらかの派閥出身の令嬢しか娶らない場合、その派閥の力を強くしてしまうという事が危惧される為だ。現在の国王であるジルベルトの父親が娶った王妃は、隣国出身の王女であった為にその理由は考えなくとも良く、二人の王子にも恵まれた事から側妃は置かれる事はなかったが、レティシアの場合は、様々な問題を含んでいた。
表向きはハーヴィル公爵は中立の立場としてはいるが、宰相という立場で王政の主軸として仕えている事に、王政に反対意見を述べている貴族派からは、王政派の中心的存在だと言われていた。その長女であるレティシアが、王太子であるジルベルトの婚約者に決まった事で、側妃を置くべきだと貴族派からの声がまだ成婚式すらも挙げていないうちから、多くあげられていたのだ。
(側妃を置く事は王族として、当事者の気持ちなど関係なしに異を唱える事は難しいという事は、頭では理解しているつもりであったけれど……
本当にジルが側妃の方を迎え入れた時、私は強い気持ちでいられるのだろうか……
そんな事を、いつも考えさせられる
ジルとのファーストダンスを、クララ様が踊っている姿を見るだけで、笑顔で自分からジルにクララ様と踊る事を進めたくせに……、こんなに苦しい気持ちになって……
私って本当に何も成長していない
ジルの事を独占したいようなこんな黒い気持ちに、頭の中を支配される感覚が辛い……
ジルの気持ちを疑うつもりはないのに……不安が募る……)
そんな事をぐるぐると考えているレティシアへ、近付く者がいた。
「さっきから何、百面相しているんだよ」
「アル……?」
夜会服に身を包んだアルフレッドは、何時もの雰囲気とはまた違った。
「アルもこの夜会に招待されていたの?」
「王子を二人とも招待するなんて、何を考えているのかわからないけどな……
兄上とヘインズ嬢が一緒に踊っている姿を見て、そんな表情をしてたのか?」
レティシアは思う。どうしていつもアルフレッドには、自分の隠している事がわかってしまうのだろうかと……
「え……、と……
本当に私は駄目ね
顔に出しているつもりはなかったのだけど……
もっと妃教育を厳しくしてもらわなければ、いけないかもしれないわね……」
「他の奴らは気が付いていない
お前は、学んできた妃教育通り、感情を表情には出してないよ
ただ、俺達の付き合いは、それこそ生まれて間もない頃からだろ?
それだけ長年一緒にいれば、お前の気持ちの変化ぐらい表情に出してなくたって、わかるさ
兄上がヘインズ嬢とファーストダンスを踊らざるを得なかったのは、義務というか貴族派との間に荒波を立てない為だろ?
あからさまに、貴族派の家の令嬢とは踊らないと、断る訳にもいかなかっただろうし……」
「それは、ちゃんと私も理解しているの
それに、ジルにクララ様とファーストダンスを踊ってきてと、後押ししたのも私であるし
ただ……、クララ様は側妃候補の最有力の方なのだろうなと考えてしまったから……」
「……………」
レティシアがそんな言葉を溢した時に、アルフレッドは彼女の前へ自分の手を差し出した。
「アル……?」
「俺で良かったら、一緒に一曲踊らないか?」
「え……?」
「兄上は、ヘインズ嬢が引き止めているみたいで、まだ時間がかかりそうだし、こんな所で一人でボケッとしているのも暇だろ?」
アルフレッドが視線を向けた先では、ファーストダンスを終えた後、こちらへ戻ろうとするジルベルトを引き止めているクララの姿がレティシアの目にも止まった。
恐らく二曲目も一緒に踊って欲しいと、願っているのかもしれない。そしてそれは、ダンスの踊る回数にどのような意味が含まれているのか知った上での事であろう事も、レティシアにはわかった。
ダンスを踊る回数。オーガストラ王国では、一曲目にはあまり意味は含んではいないが、二曲連続で踊る事は相手に好意を持っているという意味合いが、三曲連続踊る相手は生涯のパートナーであるという意味合いが暗黙的に含まれている。複雑な気持ちを抱く中、アルフレッドの自分を気遣う優しさに、レティシアは彼の手に自分の手を重ねた。
レティシアが手を重ねた事に、アルフレッドは様々な感情が交錯するような感覚を覚えながら、彼女の手をギュット握りしめダンスホールへ足を進めた。
レティシアとアルフレッドの二人は向き合い、一度お互いへお辞儀をすると自然に二人の手が重なり合う。そして、彼女の身体をアルフレッドがしっかりとホールドした時に、ワルツの調べが流れてきた。
夜会でアルフレッドと踊る事は、レティシアは初めてであったが、自然と息の合うダンスに、幼い頃一緒にダンスのレッスンを受けていた時の事を思い出した。
「アルが、人前でこうして踊ろうって言ってくれるなんて珍しいわね
でも、やっぱり上手
昔から、アルもダンスが上手だったものね」
「別に、ダンスが嫌いな訳じゃないからな
ただ、人前であまり知らない人間と踊る意味がわからないって、思っていただけで……
お前は、昔からレッスンでよく踊っていたから……」
「うん、アルやジルと一緒のダンスのレッスンは、とっても楽しかったもの
今日もありがとう……
私の事を気にかけてくれて、こうして苦手な人前でのダンスに誘ってくれたのでしょう?」
レティシアの言葉に、アルフレッドは何とも言えない気持ちになる。
「違う……
別に気にかけたからだとか、そういう理由じゃない……」
「え……?」
「自分に素直になろうと思ったから……」
「素直?」
「もう、退くことはやめようと思ったんだ
だからお前もさ、我慢するなよ」
「我慢って……?」
「側妃の事、不安なら兄上の考えを聞けばいいんだよ」
「聞けばって……
アルも知っている事でしょう?
王族にとって側妃を置くことは、国の情勢や派閥の均衡も考えた上での事だって
私一人の我が儘で、ジルの事を困らせる訳にはいかないから……」
アルフレッドは、レティシアの言葉に表情を僅かに歪める。
「そうやって、物分かりの良い振りするのやめろよ
自分を押さえて苦しむぐらいなら……、俺が……」
「アル……?」
「………兄上だって、何も考えていない訳はないと思う
だから、不安なら聞くべきなんだよ
それでも、まだ不安があるなら俺がお前の話を聞くから……
だから、一人でそんな苦しそうな表情だけはしないでほしいんだ」
「アルは優しいね……
うん、ありがとう……
私の悪い癖だよね、一人でウジウジと悩む事……
ジルにちゃんと聞いてみる」
「…………ああ……」
アルフレッドは、レティシアの握っている手をこのまま離さないで、自分の側に彼女を置いておけたらと思った。
レティシアの憂いを晴らすのは、兄ではなく自分であったらどれだけ良いのだろうかとも思う。
自分には、もう勝ち目は一つも残っていないのだろうかと思った時、アルフレッドの心の奥に火が点った。
そんな、レティシアとアルフレッドのダンスを、漸くクララの元から離れたジルベルトが表情を消し、ダンスの輪から外れた場所で眺めていると後ろから声が聞こえた。
「アルを焚き付けたのは、ジルだろう?」
「アラン……、お前も招待されていたのか」
「流石に、王政派の人間を一人も呼ばない事は、あからさま過ぎて良くないとわかっていたんだろう?
王政派の者達の出席者も、形ばかりだが何人かいる
それより話を変えるなよ
貴族派の夜会で、何ていう顔をしてるんだ?」
「別に……
レティの相手を、アルに取られてしまったようだと思っていただけだよ」
「へぇ?
ま、深くは聞かないがな
で?問題の、有力候補の相手とのファーストダンスの感想は?」
「アランも、趣味の悪い事を聞くね
私が彼女と喜んで踊っていたとでも?
わざとらしく身体を擦り寄せてきたうえに、過度な香水に気分が悪くなるだけでなく、強引に二曲目のダンスもねだる始末だ
そのおかげで、レティを長い時間一人で残す事になるし、挙げ句にレティのダンスパートナーをアルに取られてしまったのだよ?
私が良い感想を言うとでも思うのかな?」
「殿下は、かなりのご立腹のようだな
しかし、まあ……貴族派の動きはかなり本格的になってきているって事だな
思っていたよりも、堂々と動いているようだし……
下手すれば、三曲連続で踊らされていたんじゃないのか?
殿下が、側妃問題に向き合わなければいけない時がきたようですね?」
「………本当に忌々しい……」
「お前のレティシアへの執着心を理解していたら、娘を側妃に宛がおうなんて我が子を思う普通の親ならば、考えないと思うんだけどな
まぁ、それが貴族社会なのかもしれないが……
宛がったとしても、ただのお飾りの側妃にしかならないだろう?
それとも、愛する正妃と宛がわれた側妃に平等に接する慈悲がお前にあるのならば、話は別だけどな?
後者ならば、レティシアの兄としての感情は王族の柵を理解していたとしても、気分の良いものでもないし、形だけのものだとしても許しがたいけどな」
「自分の立場を、何度呪った事かわからないよ」
ジルベルトは、レティシアとアルフレッドの踊る姿へ視線を向けると、柔らかな笑みをアルフレッドへ向けているレティシアの姿に、胸の奥が黒く染まっていくように感じた。
そんなジルベルトの心の内を、アランは察する。
「アルが、人前でダンスを踊るなんて珍しいな」
「………アルの事だから、レティが一人でいるのを気遣って誘ったのではないのかな?
レティも相手がアルであったら、色々と楽だったのかもしれないね……」
音楽が終わり、ダンスを終えた二人がジルベルトとアランの姿に気が付き、こちらへ向かってこようとした時、レティシアへ声をかける者がいた。アルフレッドが、何かをその相手へ言っているが、レティシアはそれを断りその相手とその場を離れる様子を見ていたジルベルトの表情がピクリと揺れる。
そして、自分の元に戻って来たアルフレッドを問い詰めた。
「アル!
何故、レティを一人でヘインズ嬢と共に行かせた?」
「化粧直しへ行くのに、男が共に行く事に羞恥があることを察して欲しいと言われたのと、レティからも心配しなくていいと言われてしまったから……」
「だからって──」
「ジル
こんな所で、言い争う事は止めた方がいい」
ジルベルトとアルフレッドの間に入ったアランは、視線をホールの出入口へ向けると、レティシアとクララが連れだってホールから出る様子が見えた。
「レティシアも、何も出来なかった頃のような子どもではないし、守護石も今日も身に付けてきているんだろう?
もし、何かあればすぐわかる
普段は冷静なくせに、レティシアの事になったら周りが見えなくなる事は、直すべきだ」
アランの言葉に、何も答えずジルベルトはホールの出入口に向かおうとするが、他の招待客が挨拶に来て足止めされる。なかなか自由がきかずに、ジルベルトの苛立ちが募る様子がアランとアルフレッドにも伝わってきた。
クララに会場から連れ出されたレティシアは、化粧直しの為に用意された一室へ彼女に案内された。中には偶然なのか、必然的なのかわからないが、誰も居らずクララと二人きりであったが、レティシアは表情を崩さず彼女を見据える。
そんなレティシアの視線に、少し笑みを浮かべたクララが口を開いた。
「両天秤に掛けていらしたルドガー殿下が、自国へ戻られる事になってお寂しいでしょう?」
「…………両天秤とは、どういう事でしょうか?」
「ここにはわたくしの他に誰も居りませんから、誤魔化さなくとも宜しいですわ
正式な周知前とはいえ、ジルベルト殿下の婚約者に内定されていらしたのに、ルドガー殿下とお二人きりで馬車に乗られて学園をお休みなされた事は、密かにお噂になっていらしたのですよ?
ご存知ありませんでしたか?」
クララが言っている事は、ジルベルトへの気持ちに気が付いた次の日、ジルベルトから逃げ出そうとしたレティシアを、ルドガーが強引に馬車へ乗せた事を言っているのだと、レティシアはすぐ理解する。
レティシア自身、立場上どうする事も出来なかったとはいえ軽率な行動であったとは自覚があり、二人きりで馬車に乗ってしまった事は事実ではあるが下手に何かを説明しても、こういう場合悪手になる事もわかっていた。
「噂は、存じております
ただ、お相手は隣国の王太子殿下も関わっておりますので、それ以上憶測を生むような言葉を、わたくしの口から他の方へは何もお話できない事になっております
ただ、一つだけ偽りなく言える事は、ジルベルト殿下へ顔向け出来ないような事はわたくしには何一つありません
それは、陛下や殿下にもご理解頂いている事です」
表情を変えず、クララの目を真っ直ぐ見詰め堂々と言い切ったその言葉に、僅かにクララの表情が歪む。
「王家に近しいご身分の高さの方は、身分を笠に着る事が出来ますものね
それが、恥ずべき振る舞いであっても、咎められないのでしょうし、王妃教育も特別に随分優しいものであったのではないかという話も聞きましたわ
何でも特別扱いで、上手く立ち回っておられますものね
何も取り柄もないくせに……、王太子殿下の正式な婚約者の座に付けて良かったですこと
でも、勘違いしないでいた方が身のためですわよ?」
「クララ様は、わたくしに何を仰有りたいのですか?」
クララは、未だ自分の言葉に全く表情を歪めないレティシアへ、苛立ちを隠そうとはせず言葉を続けた。
「わたくしは、昔愚かにも婚約者候補から外されたようなご令嬢方のように、あからさまな虐めをするような間抜けな事は致しません
堂々と、貴女から殿下の寵愛を勝ち取ってみせますわ
正妃の座は、家柄や父親の立場のおかげで手に入れられる立場についたのかもしれませんが、わたくしが殿下の側妃として召される事は殆ど決まっている事だと、お父様から聞いておりますの
側妃として殿下の元に召されたら、わたくしの実力で殿下の愛をわたくしへ全て向けて、殿下との世継ぎを一番に手に入れてみせますわ
勝ち誇った顔をしていられるのも、今だけよ!
その事をしっかりと覚えておいて!!」
クララは、レティシアを睨みながらそう言うと、レティシアをその場に残して先に立ち去っていった。
クララの言葉に、レティシアは何も言い返す事もせず、表情も変えずに黙って聞いていた。
ここまで読んで頂きありがとうございます!
ブックマークもありがとうございます!
誤字脱字報告感謝致します。
◇作者の呟き
アルフレッド贔屓の読者様は今回のお話のアルはどうでしたでしょうか?
アルにもっと活躍させたい気持ちも多いのですが、なんせ立場がジルベルトの弟という片想いの役処なので……
ジルベルトの呟きにもありますが、アルフレッドは本当にいい子なので『アルが相手なら……』なんていうぼやきを思わず彼も溢してしまったのでしょう。
この話での悪役はクララでしょうね。
でも、それはレティシア視点だからでクララ視点だときっとまた違う物語になるのでしょう……
残りあと一話宜しくお願い致します。