第25話 恋の痛み
───私の未来は、何処へ続いているのだろうか……
次の日、レティシアの乗る馬車が学園に着き、自分のクラスまでの道のりはとても足が重く、足を進めたくないとも彼女は思う。
レティシアの本音は、今日屋敷を出る前から学園へ行きたくはなかった。
ジルベルトと会う事が怖いと感じていたのだ。
それは、昨日のように冷たくされたら、自分はどうなってしまうのだろうかという、大きな不安を感じていたからだ。
それだけでなく、エリカと顔を合わせる事も嫌であった。
そう感じてしまうのは、自分のジルベルトへ対する想いに気が付いたからなのか、それともあの書物のような未来を恐れているからなのか、レティシアにはもうわからなくなっていた。
何も考えたくないという、後ろ向きな考えでレティシアの頭の中は一杯であったのだ。
レティシアは、昨夜は涙が止まらず、ウトウトと眠れば悪夢を見て起きるという事を繰り返し、殆ど眠れていない。
そんなレティシアの目は、泣き腫らしたような状態であった。
侍女のエマが、そんな目元を化粧で何とか誤魔化してくれたが、普段とは違う様子には誰もが気が付くような状態である。
それでも、朝食の時間に顔を合わせた父母や兄のアランは、レティシアに何も問う事はなかった。
恐らく、アランが学園であったことを、父母へは伝えているのだろう。
それでも、どうしてレティシアが泣き腫らした目をしているのかは知らないのだろうが、何も聞かれなかった事にレティシアはホッとしていた。
誰かに自分のこの苦しい気持ちを吐露したくとも、あの書物の事や、エリカのジルベルトへ向ける想い等を相談出来るような相手はおらず、自分の中でぐるぐると悩むしかなかったのだ。
レティシアはどうしても教室へ足を向ける事が出来ず、いつも一人になりたい時に時間を潰している、学園の庭園の端にあるガゼボに向かう。
ただここからは、生徒会室の窓も見えた。
レティシアは、もしジルベルトの姿が目に入ったらすぐ場所を移そうと思いガゼボで腰を下ろした。
そして、自分の心の中とは真逆な澄みきった青空を見上げる。
(密かに憧れていた恋心……
幾つもの物語の本に描かれている、大切な人と思いを通じ合わせて、結ばれるストーリー……
自分がそんな気持ちを感じる時は何時なのだろうと、ドキドキしながら思い描いていた時期もあった
でも、それは憧れだけで、本当の恋心は物語のように綺麗な感情だけではないっていう事が、痛い程わかった
今なら、あの拾った書物に出てくる、自分とされる存在の感情もわからなくもない……
だからといって、恋敵の相手へ酷い事をしたり、危害を加える事は、今でもやっていい事だとは思わないけれど……
いつ自分の感情があのように変化してしまうのか、今は不安しかない……
ジルは……、私がエリカ様に昨日感じたような気持ちを持ってしまった事を知ったら、どう思うのだろうか……
きっと、幻滅してしまうのだろう事は、考えなくともわかるわ
自分だって、あんな風に真っ黒な怒りの感情を覚えた事に、嫌悪感しかないのだから……)
その時、生徒会室の窓から数枚の書類がヒラヒラと落ちてくる様子がレティシアの目に止まった。
窓から入り込んだ風に、煽られたのだろう。
次の瞬間、聞き覚えのある声に、レティシアの身体がビクリと反応する。
「きゃっ!? 書類がっ! ごめんなさいっ!!」
「いや、窓を開けていた私が悪いのだから、君は気にしないでいいよ」
その声の主が、エリカとジルベルトだという事はすぐわかった。
レティシアの胸は、ギュッと押し潰されるような痛みと苦しさを感じた。
二人が同じ場に居て、一緒に話している声をこれ以上聞きたくないと思い、その場を立ち去ろうと、レティシアが顔を上げた時───
「私、取りに行きます!」
「あ、シュタイン嬢
そんな事は──」
そんな言葉が耳に届いた後、ジルベルトが窓から顔を出した。
窓の下にいたレティシアと目が合った瞬間、ジルベルトが目を反らした事に、レティシアの胸はズキリと大きな痛みを感じる。
その次には、目の前に膜がはったように潤み、よく見えなくなっていく。
全身が氷にされてしまったかのように、その場から動く事がレティシアには出来なかった。
目に溜まった涙は、限界をこえてポロポロと零れ落ちていく。
喉が張り付いたように、うまく声が出せないなか、漸く震えた声を絞り出すように、レティシアは呟いた。
「……ごめんなさい………」
その声がジルベルトの耳に届いた時、彼はハッとし顔をレティシアへ向けると、彼女の様子に頭を殴られたような衝撃を感じた。
「………っ!!」
「ジル……、ごめんなさい………」
「レティっ、待って──」
ジルベルトの言葉はレティシアには届かず、彼女がその場から走り去っていく姿を見たジルベルトは顔を歪め、拳を握りしめた後、生徒会室を飛び出す。
いつも、冷静で落ち着いているジルベルトの行動ではないような姿に、扉の外にいた護衛も驚き慌てて、彼を追い掛けていった。
◇*◇*◇
ジルベルトが学園内の何処を探しても、レティシアの姿を見付ける事が出来なかった。
王太子であるジルベルトが、こんな様に学園内を普段とは違う様子で動き回る事に、生徒達の中でもざわめきが広まっていく。
そして、それは他の生徒会役員の耳にも届くのは必然で、アランが訝しげな表情でジルベルトと相対した。
「今度は、何の騒ぎなんだ」
「アラン……
レティシアを探しているんだ、そこをどけっ!!」
「…………ジル……お前は……」
「アランの言う通りだ!
一人の婚約者の事で、感情がコントロール出来なくなるような気質では、一国の王になる素質などないという事も理解している
何を馬鹿げた事をと周囲の人間は感じるだろうが、私にとって玉座よりも大切なものが……何にも譲れないものがあるのだ!!
その為なら、この身分を剥奪されようが構わないと思うぐらいにな!」
「そんな事を軽々しく口にする事じゃない!!」
取り乱すジルベルトに対し、アランは彼を落ち着かせなければという思いから、大きな声を出してしまう。
そんなアランの言葉に、ジルベルトは一つ小さく息を吐くと、不安定な心情を吐露した。
「軽々しくではない
昨日、レティシアからあのような反応をされて、改めて考えたが、私にとってのレティシアという存在は、このように取り乱す程、どうしても変えられない気持ちだと覚った
レティシアをあのような表情にさせて傷付けたのは、誰でもない私であるのだろうという事も気が付かされた
それなのにも関わらず、先程愚かな私は、再びあんな表情をレティシアにさせてしまったんだ
今、彼女と向き合わなければ、私は生涯後悔するだろう
そんな事は、絶対に避けなければならない
私にとって、レティシアを失うなどこの命を失うのも同じ……
彼女が居なければ、生きていく意味すらも見出だせないのだ」
その時、ジルベルトの護衛の一人が、彼の側へ掛けよってくる。
「殿下、学園の門番の者からなのですが……レティシア様が──」
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