第23話 告げられた心情
レティシアは、手の中にあるルドガーがくれた栞の、ラノルの花の可愛らしさに、先程までの複雑な思いが和らぎ、表情を少し緩めていた。
その時──
「レティシア様」
レティシアが声を掛けられたのは、ルドガーと別れた後、教室へ戻ろとしていた時。
その聞き覚えのある、鈴のような可愛らしい声に、ビクリとレティシアは身体を揺らした。
そして、その声が聞こえた先に顔を向ける。
「エリカ様……」
「あのっ!
先程は私の為に、間に入って頂きありがとうございました!」
勢い良くペコリと、レティシアへ向けてエリカは頭を下げた。
「あの、エリカ様
頭を上げてください
私は、そんなお礼を言われるような事をしていません
それどころか、事を大きくしてしまっただけであって、あの雰囲気を変えられたのはルドガー殿下であります
もし、お礼を言われるのなら、ルドガー殿下にお伝えください」
「はい! それは勿論です
だけど、レティシア様は一番初めに助けてくれました
それが、私はとても嬉しかったんです
それにレティシア様が、私の出自などを気になさらないでくださった事も、嬉しかったんです……」
「そんなっ、出自は自分ではどうする事も出来ない事ではありませんか
それに、エリカ様は他の方に迷惑をかけるような事はしてないですし、仲の良いお友達と楽しんでいらっしゃっただけです
その事に、悪意ある言葉をかける事は、私は違うと思っただけなんです」
レティシアの言葉に、エリカは嬉しそうな笑みを浮かべる。
「レティシア様は凄いですね」
「凄い?」
「そのように相手の立場にたって、物事を考えられるなんて凄いと思います
本当に尊敬します!」
「私は……」
(違う……私は尊敬されるような人間じゃない……
だって……、私は貴女の事を……)
エリカの相手を疑うことのないような、真っ直ぐな言葉にレティシアの心に影が落ちる。
「私……、こういう貴族社会というものに疎くて……
もっと学ばなければ、お父様にも迷惑をかけてしまうと思うのです
レティシア様のような振る舞いを目指したいです」
「エリカ様……あの……」
「後……、本当に私は疎くて……
今日まで知らなかったのですが、レティシア様は──」
レティシアは、エリカがこれから言おうとしている言葉に、嫌な予感がした。
「ジルベルト殿下の婚約者候補筆頭であると、クラスの皆から教えてもらいました」
エリカの言葉に、ドクドクとレティシアの心臓は嫌な音をたてる。
「私……、ジルベルト殿下から助けて頂いてから、気が付いたら殿下の事を目で追っているんです」
(やめて……)
「そう……、ですか……」
レティシアは、エリカが語り出した言葉に、無性に耳を塞ぎたかった。
「クラス役員を任されて、生徒会の皆様と関わる事が増えた事で、より殿下の姿を近くで見られるようになって、すごく幸せで……」
(それ以上……言わないで……)
「殿下はこんな私にも、いつも丁寧に色々な事を優しく教えてくれるんです」
(どうして、そんな事を私に伝えるの?)
「殿下の事を目で追っていたら、殿下の色んな事に気が付いて……
例えば言葉を考えている時は目を伏せがちになるとか、可笑しな事があった時は口許に手をあてられる事が多いとか、幾つも殿下の小さな仕草を見付けられる事が嬉しくて……」
(………私しか……、知らなかった事なのに………)
妃教育で、厳しく教えられてきた感情を表に出さない完璧な笑みを向けるレティシアへ、エリカは言い淀みながらも頬を染めて心のうちを明かした。
「こんな事、殿下の婚約者候補のレティシア様に、お伝えする事ではないのですが……
私───」
突き当たりの生徒会室が見える廊下の曲がり角に、踞るレティシアの姿があった。
レティシアにとって衝撃的なエリカの言葉に、あの場でレティシア自身どんな表情をエリカに向けていたのか、どうやってここまで来たのかわからなかった。
ただ、足はこちらを向いていたようで、気が付けばこの場に辿り着いていた。
生徒会室前に、ジルベルトの護衛が立っている様子を見て、室内にジルベルトが居ることがわかると、レティシアは崩れ落ちるかのように、その場に膝を付き座り込んでしまったのだ。
こんな状態の自分を、他の者に見られたら淑女としての振る舞いとして、あってはならない姿に目もあてられないだろう。
だが、レティシアは立ち上がる気力すらなかった。
エリカがレティシアに語った言葉は、あの書物の中では仲裁に入ったジルベルトへ、お礼を伝えた末に彼女が心情を吐露してしまう場面での言葉そのものだった。
しかし、レティシアの頭の中にはあの書物がどうだとか、そんなことなど思い浮かばず、ただただエリカの言葉がレティシアの胸に突き刺さっていたのだ。
(ジルの幾つもの小さな癖……
知っているのは自分だけではないって、わかっているつもりだった
だけど、違う人から……
ううん、その相手がエリカ様だったから余計に……
自分だけの宝物を取られてしまったかのように、悲しくて悔しかった……
あの場から、途中でよく逃げ出さなかったと思う──)
「レティシア嬢?」
「オスカー様……?」
ぼんやりとその場に座り込むレティシアに、声を掛けたのはオスカーであった。
オスカーは、瞳に涙をため座り込んでいるレティシアを見て、戸惑う。
「どうしたの!?
こんな所で、何があったんだ!?」
「あ……、あのっ……
も、申し訳ございませんっ!
こんな姿を……」
「そんな事、どうでもいいっ!
誰かに何かされたのか!?」
「あ……」
そんなオスカーの言葉に、胸が苦しくて一杯だったレティシアの瞳から、堪えきれず涙が一粒零れ落ちていった。
そんなレティシアの姿に、オスカーはとっさに頬に手を伸ばし柔らかな彼女の頬に触れてしまう。
零れ落ちる涙を己の指で拭った時、殺気がオスカーを貫いた。
「何をしている?」
オスカーが振り向いた瞬間、武術に秀でているのにも関わらずオスカーの身体は、腕一本で壁に打ち付けられる。
「っ!! がはっ!?」
「オスカー……
自分が何をしたのか、私に弁明する言葉はあるのか?」
ジルベルトの低い声が響く。
「……っ……で、でん…か……ぐっ……」
「レティシアに何をした?
レティシアに触れただけでなく、何故彼女が泣いているのだ?
答えろ
それとも、答えられないのか?」
オスカーが、目の前にいる冷徹な表情で自分を押さえ込むジルベルトの殺気と同じくして、膨大な魔力を感じた瞬間、オスカーの周りを防壁の陣が取り囲んだ。
その事にジルベルトは、視線はオスカーへ殺気の込めたものを向けたまま口を開いた。
「ミカエル、アラン、何のつもりだ?」
アランは、訝しげな表情をジルベルトへ向ける。
「何のつもりだ?、だって?
学園内で、学園内に施されている魔術制限の術を解除させた上で、そんなに増大させた魔力を使ってどうするつもりだと、こっちが問いたい」
そして、オスカーに防壁の陣を張ったのは、プリシラの兄のミカエルであった。
「殿下
魔力を鎮めてください
でなければ、オスカーへ施したその陣を、僕は発動させなければいけません
そうすれば、殿下の事を傷付けてしまうおそれもあります
どうか、落ち着いてくださいませんか?」
そのミカエルの言葉にジルベルトは魔力を鎮め、オスカーを押さえ込んでいた腕を離す。
押さえ込まれていたジルベルトの腕が外れたオスカーが、咳き込む姿を冷たい視線でジルベルトは見つめた後、そんな様子をぼんやりと見ていたレティシアの元へ足を進め、彼女の頬を撫でた。
「レティ何が──」
「………っ!!」
ジルベルトに触れられた瞬間、レティシアの身体はビクッと怯えたように揺れる。
レティシアの大きな瞳から大粒の涙が零れ落ちた事に、ジルベルトの指先はピクリと反応し動かす事が出来なくなった。
さらにレティシアが、ジルベルトから顔を背けた事に、ジルベルトは茫然とした。
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