第22話 花の栞
ルドガーは、にこやかな笑みを浮かべて一度教室を見渡すと、エリカのいる机へ近付いていった。
「これが、レディ達の言い合いの原因かな?
一つ貰うよ?」
「えっ!?」
そう言ってルドガーは、エリカの持っていたマカロンを口に入れた事に、エリカは勿論、周囲にいる者が皆、驚いた表情をルドガーへ向けた。
「うん、悪くない
素人の手作りレベルではないと、俺は思うよ?」
「あの……、殿下……」
エリカは、自分の作ったマカロンを口にしたルドガーに、心配そうな顔を向ける。
そんなエリカに、安心させるように笑みを浮かべた。
「あ、我が国は王族であっても、各々で口にするものの対応は任されているから、俺はあまり気にせずに口に運んでいる
自己責任っていうものではあるかな?
この国は、王族を守る仕来たりが多いが、アルフレッド王子はその事に対して、安心な反面、雁字搦めのようで鬱陶しくは感じないのか?」
アルフレッドへそのように問い掛けるルドガーを、アルフレッドは見据える。
「自由な風土のラノン王国で生まれ育ったルドガー王子には、我が国の方針は鬱陶しいと感じるでしょうね?
ただ、仕来たりとされるからには意味があって、俺個人が長年続けられているその事に、自分の考え方であっても簡単にどうこう言う事は出来ない」
「そう?
アルフレッド王子がそう捉えているのなら、この国の者ではない俺がとやかく言う事ではないね
まぁ、とにかくこの騒ぎは、他愛もないクラスメートの口喧嘩っていう事にして、今回はこれで終わらせないか?
こんな雰囲気の悪い状態のクラスなんて、皆嫌だろう?
せっかく、何かの縁でクラスメートになったんだ
有意義な学生生活を送った方が、楽しいと思うのだろうけど、違うかな?」
今まで険悪な雰囲気であった教室の様子に、ルドガーの語った言葉で、穏やかな空気が流れ始めた。
「今日のところは、俺の顔に免じてレティシア嬢も、クララ嬢にエリカ嬢も、これでこの件はおしまいでいいかな?」
ルドガーの言葉に、レティシアは表情は崩さず「わかりました」と答え、エリカは戸惑いを浮かべていた。
そして、ヘインズ令嬢は納得はいっていないものの、隣国の王太子であるルドガーに対して、楯突く訳にもいかず、渋々言葉を返す。
「わ、わたくしは別に構いませんわ!
殿下、失礼致します」
ヘインズ令嬢はそう言うと、その場を自分の取り巻きの令嬢方を連れて離れた事に、他の生徒達の表情からも安堵の様子が見られた。
あっという間に、その場の雰囲気を変えたルドガーの手腕に、レティシアは安堵ではなく、畏怖の念を抱いた。
(この方は、人の感情を自分へ向ける事が、他の方とは比べ物にならないくらい上手い……
実力主義と言われている、ラノン王国の王太子の立場にいる方である事は、確かだわ
この方と対等に関われる人は、少ないのではないのかしら……
この国で、しかもこの方と年頃が近い人で、と考えたら、対等に関われる方は殆どいないかもしれない
いるとしたら、ジルやお兄様……それにアル──)
ふと、ルドガーと相対していたアルフレッドへ、レティシアは目を向けると、彼は複雑な表情を浮かべていた。
もともと、アルフレッドは今までクラスの諍いには、あまり口を挟まないようにしていた。
どちらかに非があるような場合でも、どちらかを擁護すれば、王族という立場からも両者に軋轢が生まれかねないからだ。
ただ、傍観しているだけではなかったが、お互い落ち着けるよう言葉をかけ、話し合いにもっていけるように場を作っていたぐらいであった。
だから、先程のようにレティシアを庇うような言葉は、本来は避けなければいけなかったのだ。
それにも関わらずレティシアを擁護してしまっただけでなく、さらにルドガーにその場を納められ、アルフレッドとしては何とも言い難い状況であった。
そんなアルフレッドの様子を、一度表情を消して見ていたルドガーはレティシアへ目を向けると、軽く笑みを浮かべ何も言わずにその場を立ち去る。
自分が間に入ったせいで、事を大きくしてしまったのではないだろうかと、不安を感じたレティシアに、側にいたプリシラは声を掛けた。
「レティ、大丈夫?」
「え? あ、私は何も……」
「レティが仲裁に入るなんて、珍しいわね」
「あ……、何だか我慢が出来なくて……
でも、私が余計な事をして、事を大きくしてしまったのかもしれない……
アル…殿下も、巻き込んでごめんなさい……」
「いや……、俺の方が軽率だった
俺は中立の立場に立たなければいけなかったのに、あのように動いてしまって……」
レティシアの謝罪にも、アルフレッドは複雑な表情を浮かべたままであった。
そんな二人の様子を和ませようと、プリシラは話す。
「でも、明らかにあの状況は、ヘインズ様が言い過ぎではあったと、客観的に見ていても思ったわ
それに、私、驚いたけれど見惚れてもいたのよ?
レティの姿に」
「私の姿……?」
「ええ、堂々としていて、人の上に立つ存在に相応しい姿だって思ったもの
ジルベルト殿下が、レティを尊重している事がよくわかったわ
あんな姿を本当は持っているって事を、私にまで隠しておくなんて、びっくりしたわよ」
「ふふふ」と笑みを溢しながら、ジルベルトとの婚約が内定している事を、他のクラスメートに悟られないよう注意しながらも、嬉しそうに話すプリシラに、レティシアはズキンと胸が痛くなった。
(違う……、あの言葉は私の言葉なんかじゃない……)
レティシアは仲裁している時は、目の前の状況をどうにかしなければという気持ちで一杯で、深く考えていなかったが、我にかえって気が付いたのは、先程ヘインズ令嬢へ発した自分の言葉だった。
それはあの書物の中で、レティシアとされる者がヘインズ令嬢と同じ言葉を主人公であるエリカへぶつけている場面で、たまたまその場に現れ間に入ったジルベルトとされる者が、レティシアへ伝えた言葉と同じだったのだ。
(私は……どうしてあの言葉を選んで、そして普段の自分ならしないような仲裁をしたの?
やっぱり、私の未来は決められているって事なの?
私はプリシラから、こんな言葉を掛けてもらえるような人間じゃないのに……)
苦しくて仕方がないレティシアが足元へ視線を落とした時に、先程ルドガーがいた場所に落ちている物に気が付いた。
(手帳と栞……?)
「これ、ルドガー殿下の落とし物かもしれないわ
困っているかもしれないから、渡してくるわね」
「あ、レティ!?」
レティシアはその場に居たくないという思いが強く、自分で落とし物を届けると言い訳にして、その場を離れた。
少し行くと、渡り廊下の所で学園の庭園を眺めているルドガーを見付けたレティシアは、ルドガーへ声を掛ける。
「あの、ルドガー殿下
お声掛けしたご無礼をお許しください」
ルドガーへ、淑女の礼を向け声を掛けたレティシアに気が付いたルドガーは、困ったような笑みを浮かべた。
「レティシア嬢、その畏まった態度は学園の中であるし、しなくていいよ」
「ですが……」
「本当に君は……
それで、どうしたの?」
「先程は、わたくしがあのような状況を上手く纏められず、殿下に間に入って頂くなど醜態を晒してしまって、申し訳ありませんでした」
「君が気に病む必要はないのではないかな?
そもそも、あの諍いは君が原因ではないでしょう?
どこの国でも、令嬢方が数名集まると、あのような諍いが起きるのは同じだね
俺の国でも、よくある光景だったよ
それで? そんな事をわざわざ言いに、俺の所に来たの?」
「あ、いえ……
あの、こちらを落とされませんでしたか?」
そう言ってレティシアが差し出した物を見たルドガーは、その時初めて自分がそれを落としていた事に、気が付いたような仕草をした。
「あ、あれ? 落としていたんだ
俺のだよ
わざわざ届けにきてくれて、ありがとう」
「いえ、殿下の持ち物でしたのですね
お渡しできて良かったです
お礼を言って頂く程の事はしておりませんわ」
(あの場にいることが居たたまれなくて、ルドガー殿下の落とし物を届ける事を口実に、あの場から逃げ出したのだもの……)
少し憂いを含んだ笑みを浮かべて、レティシアはルドガーへ手帳と栞を手渡した。
そして、栞に視線を落とし、口を開く。
「綺麗な押し花の栞ですね」
「ああ、ラノン王国の国花でもあるラノルという花だよ」
「初めて見ました」
「この花は、ラノン王国にしか咲かない花であるからね
春になると、冷たく雪が降り積もっていた大地から、真っ白なこの花が一斉に咲き乱れ、その一帯は甘い優しい香りが広がるんだ
その光景は、我が国の事であるけれど壮観であるよ」
「それは素晴らしい眺めなのでしょうね
わたくしは、生まれてからこの国を出た事がまだないので、きっとわたくしの見たことのない、素晴らしい景色はこの世界に沢山あるのでしょうね」
「世界は広いからね
レティシア嬢が、俺の国へ来た時は、俺がこのラノルの花畑も案内するよ
君はきっと、気に入るはずだからね」
「殿下自ら、ご案内して頂けるなんて光栄です
その時が来たならば、そのご厚意に甘えさせて頂きたいと思います
宜しくお願い致します」
ふわりとした微笑みを見せたレティシアに、ルドガーは柔らかい笑みを返した。
「君の笑顔は、やはり心に響くね」
「え?」
「いや、何でもないよ
それよりも、はい」
「殿下?」
ルドガーは、ラノルの押し花の栞を、レティシアの前へ差し出した。
「あげる」
「えっ!? そ、そんな殿下の大切な品物を頂く訳には──」
ルドガーが栞を自分へ差し出した事に、レティシアは恐縮する、
そんなレティシアの手に、ルドガーは栞を握らせた。
「幾らでも国から送ってもらえるから、気にしなくていい
君をラノルの花畑に案内するまで、持っていて欲しいだけだよ」
「で、でも……」
「じゃあ、手帳を届けてくれたお礼だと思って?
それとも、俺からのものは受けとれない?」
レティシアは、これ以上遠慮すると逆に不敬であると察して、受け取る事にした。
「あの……畏れ多いですが、殿下のお心遣い有り難く受け取らせて頂きます
大切にしますね」
「ああ、受け取ってくれて嬉しいよ」
そう言って、ルドガーはレティシアへ優しげな笑みを向けたのだった。
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