第18話 戸惑いを覚える気持ち
ある日の休日、ハーヴィル公爵家の屋敷では、午前中からレティシアがジルベルトとの婚約式に着る為のドレスの、仮縫いの手直しが行われていた。
まだ、仮縫い状態のドレスを纏い、ジルベルトが厳選した王室お抱えのお針子達が、ドレープの長さやリボンの色、重ねるレース等を幾つも並べ比べていく。
鏡の前でその様子を見ながら、お針子達が動きやすいように立っていたレティシアへ、彼女付きの侍女であるエマが声を掛けた。
「レティシア様、アラン様がそのままでいいので、少しレティシア様とお話をなさりたいと、仰有っておられるそうなのですが……」
「お兄様が?
そろそろ、お針子の皆さんにも休憩をと思っていたから、休憩にしましょうか
お兄様には中に入って頂いて?」
少しして、部屋の中にレティシアの兄であるアランが入ってきた。
「悪いな、仮縫い中に」
「構わないけれど、どうしたの?」
「昨夜、父上と話していた事なんだが
最後にもう一度、俺がレティに確認する事になったんだ」
「お父様と? なんの事?」
「このドレスを纏う事、レティは本当に異論はないか?
時間的にも異論を述べるのなら、今がぎりぎりであるから確認したかったんだ」
アランの言いたい事。
それは、即ちジルベルトとの婚約の話を、確定させていいのかという問いであった。
「異論は、って……
このお話は、陛下とお父様が決められた事でしょう?」
「…………
お前はずっとそう思っていたのか?
政略結婚の為の婚約だと……」
「ジルの婚約者候補の方達とのお茶会で聞いたの……
それに、お父様に確認しても否定されなかったわ」
「父上は……まぁ……
だけどな、父上も俺も、お前に苦労はしてほしくはないと思っているんだよ
国母になるという事は、多大な重責が伴う
それに、以前お前がクラスメートから預かった、ジル宛のクッキーのような件が、これからは何度もそこに悪意も入り込んで、お前の事を悩ますかもしれない
お前は人を疑うという事が、苦手であっただろう?」
「苦手って……、それは小さな頃の事でしょう?
今はいくらなんでも……」
「人を疑う人間は、あんなものを簡単に預かったりなどしないと思うけどな」
「それは……、反省しているわ」
レティシアは、アランから先日の自分の失態について突かれた事に、複雑な表情を浮かべる。
そんなレティシアの様子に、アランは一つ息を吐いた。
「それもあるが、俺達が一番心配しているのは、お前の体質なんだよ……
警備の面などは、一介の臣下の家と王城じゃ比べ物になどならない
だが、悪意ある思惑に狙われる頻度は、公爵家の令嬢と王太子妃では、それこそ比べ物にならない……
そんな所に嫁ぐという事は、今まで以上に危険に晒されるかもしれないという事だ
ジルの奴がそんな事は見逃さないと思うし、どんな事をしてもお前の事を守ろうとするだろうが、一日中ずっとジルがお前の側に付いていることなんて、王太子の多忙さからも無理であるのは明らかだ
ジルが、お前の側に居ない時の穴が、心配なんだよ」
「それは……
それよりも、私の事より、ジルはどうなのだろうって思うの
ジルは私と婚約することに、本当に後悔しないのかなって……
ジルに本当に大切な方が出来たとしたら、優しいジルは私とその方の板挟みになって、きっと苦しむと思う
王族は側妃を持つ事を許されているけれど、本当に大切な方を正妃に迎え入れたいだろうと思うし、そんな苦しんでいるジルを、私は見たくはない……
それに、近くで私でない違う方を見詰めるジルを──っ……」
「ジルに本当の大切な者だ? なんだ、それは?
レティ?」
レティシアは、今言葉にしてしまった自分の意味深な言葉を、アランが問い質すも、兄の言葉は耳に入らず、自分が口に出しそうになった言葉を自問自答する。
(──私は今……
近くで違う方を見詰めるジルを……見る事は辛いって言おうとした?
どうして? ジルが苦しむ姿を見る事が辛いのは、当たり前だけれど……
ジルが私ではない方を、あのジルの優しい笑みで見詰めている姿を、側でずっと目の当たりにしなくてはならない事は───)
「レティ? どうした?」
「わ、私は……」
戸惑いをみせるレティシアの様子に、アランは再度溜め息を吐くと、言葉を続けた。
「もう少しだけ、時間は引き延ばせると思う
お前が何かに悩んでいる事は、気が付いていたんだ
それが、もしこの婚約の事であったらと思って、今確認した
色々と誤解などもあるのかもしれないし、少し自分の気持ちと向き合ってみたらいいのかもしれない
その上で、ジルとの婚約をやめたいと思うのなら、父上と俺で何とかしてやる」
「お兄様……私は……」
アランはレティシアの頭を優しくふわりと撫でる。
「お前は、自分の気持ちに正直になればいいんだと思うぞ?」
「気持ちに、正直……?」
以前までは、ジルベルトとの婚約は政略結婚の為の婚約だと、レティシアは疑う事なく考えていた。
小さな頃から、よく遊んでいた優しいジルベルトの相手に選ばれた時、まだ幼かったレティシアは、大きくなってもジルベルトの側にずっと居られるのだと感じ、何も考えず嬉しいという気持ちばかりであった。
しかし、婚約者候補筆頭という立場から、厳しい妃教育、何度も行われる婚約者候補達とのお茶会を重ねて、自分の置かれている立場は、幼馴染みとして楽しくジルベルトと遊んでいた時とは背負うものが全く違うのだという事を、何度も突き付けられる事となる。
それでも、妃教育を止めたいとは思う事はなかった。
しかし、婚約者候補達の話を聞き、ジルベルトに思う相手が出来たなら、自分はどうするのだろうかという、今まで感じた事のない戸惑いを感じている頃、あの書物を拾ったのだ。
書物に書かれている自分だという存在の振る舞いに、レティシアはゾッとした。
そして、もし自分が現実でも同じような事をしてしまったらという怖さ、それからその結末に待っているとされる、処刑され命を落とすという、想像もした事もない恐怖に震えた。
しかし、自分の最悪な最期の恐ろしさよりも、強く脳裏に残っていたのは、自分でない存在へ愛しさを含んだ笑みを向ける彼の挿し絵と、自分の最期の瞬間に蔑まされたような冷たい表情を、自分へ向ける彼の挿し絵であった。
(現実に、ジルのあのような姿を見たら、私はどうなってしまうのだろうか……?
想像も出来ないくらいの、悲痛を感じる………それは、どうして?
お兄様と同じように、慕っていたジルとは違う姿だから?
このもやもやした気持ちが、ずっと苦しくて仕方がない……
ジルが苦しむかもしれないと思う気持ちよりも、自分の事ばかり考えている事が、何だか嫌で仕方がない……
ジルの本当のお相手は、エリカ様かもしれないと考えると苦しくなるの……
私はどうしたいの?)
レティシアの胸中は、様々な感情が綯交ぜになったような、もやもやとした晴れない感情が、ずっと続いていた。
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